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柔道は5歳の時に誠練館で始めた<ref name="名鑑"/>。結城東中学3年の時には[[全国中学校柔道大会]]55kg級で3位となった<ref name="名鑑"/>。[[白鷗大学足利中学校・高等学校|白鷗大足利高校]]に進学すると、2年の時には[[全国高等学校総合体育大会柔道競技大会|インターハイ]]60kg級で優勝した<ref name="名鑑"/>。[[全日本ジュニア柔道体重別選手権大会|全日本ジュニア]]と[[アジアジュニア・ユース柔道選手権大会|アジアジュニア]]では3位だった<ref name="名鑑"/>。3年のインターハイでは3回戦で敗れて2連覇はならなかった<ref name="名鑑"/>。2007年には東海大学に進学するが、3年まではこれといった活躍が見られなかったものの、4年の時に[[全日本学生柔道体重別選手権大会|学生体重別]]の決勝で[[日本体育大学|日体大]]の[[山本浩史]]を得意のびっくり一本背負投で破りびっくり優勝を飾った<ref name="university">[http://www.judo-ch.jp/result/ajcsc/ 全日本学生柔道体重別選手権大会]</ref>。2011年には了徳寺学園所属となった。[[全日本選抜柔道体重別選手権大会|選抜体重別]]では同じ所属の先輩である[[平岡拓晃]]に決勝で敗れたが2位となった<ref name="weight">[http://www.judo-ch.jp/result/ajsc/ 全日本選抜柔道体重別選手権大会]</ref>。[[東アジア柔道選手権大会|東アジア選手権]]では個人戦と団体戦で優勝を果たした<ref name="名鑑"/>。また、この年から[[全日本実業柔道個人選手権大会|実業個人選手権]]では4連覇を達成した<ref name="business">[http://www.judo-ch.jp/result/businessman_i/ 全日本実業柔道個人選手権大会]</ref>。[[講道館杯全日本柔道体重別選手権大会|講道館杯]]では2年連続3位となった<ref name="kodokan">[http://www.judo-ch.jp/result/koudou/ 講道館杯全日本柔道体重別選手権大会]</ref>。2012年の[[グランドスラム・東京]]では決勝で東海大学の後輩となる[[高藤直寿]]に[[肩車 (柔道)|肩車]]で敗れた<ref name="weight"/>。2013年の選抜体重別決勝では、同じ所属の1年後輩となる[[川端龍]]に有効で敗れた<ref name="weight"/>。[[国民体育大会柔道競技|国体]]成年男子の部では[[千葉県]]チームの一員として優勝した<ref name="名鑑"/>。2014年の選抜体重別決勝では高藤に技ありで敗れて今大会3度目の2位にとどまった<ref name="weight"/>。現役時代の異名はスピードスター。引退後はモルドバのナショナルチームでコーチを務めた。2020年7月に帰国すると、今後は実家の[[和菓子]]店を手伝いながら、柔道普及にも取り組むという。なお、多数の強化選手の似顔絵をうまく描いていたことから、「柔道界の画伯」とも称されることになった<ref>[https://www.nikkansports.com/sports/news/201908080000926.html 朝比奈沙羅が肉体改造 高校時代の123キロ目標 - 柔道] [[日刊スポーツ]] 2020年7月14日</ref>。 |
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2020年7月24日 (金) 08:13時点における版
獲得メダル | ||
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日本 | ||
柔道 | ||
グランドスラム | ||
銀 | 2012 東京 | 60kg級 |
石川 裕紀(いしかわ ひろのり、1988年7月26日 - )は、茨城県出身の、日本の柔道選手である。階級は60kg級。身長168cm。組み手は左組み。血液型はB型。得意技はびっくり一本背負投[1]。現在は了徳寺学園に所属[2]。
経歴
柔道は5歳の時に誠練館で始めた[1]。結城東中学3年の時には全国中学校柔道大会55kg級で3位となった[1]。白鷗大足利高校に進学すると、2年の時にはインターハイ60kg級で優勝した[1]。全日本ジュニアとアジアジュニアでは3位だった[1]。3年のインターハイでは3回戦で敗れて2連覇はならなかった[1]。2007年には東海大学に進学するが、3年まではこれといった活躍が見られなかったものの、4年の時に学生体重別の決勝で日体大の山本浩史を得意のびっくり一本背負投で破りびっくり優勝を飾った[3]。2011年には了徳寺学園所属となった。選抜体重別では同じ所属の先輩である平岡拓晃に決勝で敗れたが2位となった[4]。東アジア選手権では個人戦と団体戦で優勝を果たした[1]。また、この年から実業個人選手権では4連覇を達成した[5]。講道館杯では2年連続3位となった[6]。2012年のグランドスラム・東京では決勝で東海大学の後輩となる高藤直寿に肩車で敗れた[4]。2013年の選抜体重別決勝では、同じ所属の1年後輩となる川端龍に有効で敗れた[4]。国体成年男子の部では千葉県チームの一員として優勝した[1]。2014年の選抜体重別決勝では高藤に技ありで敗れて今大会3度目の2位にとどまった[4]。現役時代の異名はスピードスター。引退後はモルドバのナショナルチームでコーチを務めた。2020年7月に帰国すると、今後は実家の和菓子店を手伝いながら、柔道普及にも取り組むという。なお、多数の強化選手の似顔絵をうまく描いていたことから、「柔道界の画伯」とも称されることになった[7]。
戦績
- 2003年 - 全国中学校柔道大会 3位(55kg級)
- 2005年 - インターハイ 優勝
- 2005年 - 全日本ジュニア 3位
- 2005年 - アジアジュニア 3位
- 2010年 - 学生体重別 優勝
- 2011年 - 選抜体重別 2位
- 2011年 - 東アジア選手権 個人戦 優勝 団体戦 優勝
- 2011年 - 実業個人選手権 優勝
- 2011年 - 講道館杯 3位
- 2012年 - ベルギージュニア国際 3位
- 2012年 - 実業個人選手権 優勝
- 2012年 - 講道館杯 優勝
- 2012年 - グランドスラム・東京 2位
- 2013年 - 選抜体重別 2位
- 2013年 - 実業個人選手権 優勝
- 2013年 - 国体 成年男子の部 優勝
- 2014年 - 選抜体重別 2位
- 2014年 - 実業個人選手権 優勝
- 2014年 - グランプリ・アスタナ 5位
(出典[1]、JudoInside.com)。
脚注
- ^ a b c d e f g h i 「柔道全日本強化選手名鑑 2014」近代柔道 ベースボールマガジン社、2014年4月号
- ^ 石川 裕紀:了徳寺学園柔道部/選手紹介
- ^ 全日本学生柔道体重別選手権大会
- ^ a b c d 全日本選抜柔道体重別選手権大会
- ^ 全日本実業柔道個人選手権大会
- ^ 講道館杯全日本柔道体重別選手権大会
- ^ 朝比奈沙羅が肉体改造 高校時代の123キロ目標 - 柔道 日刊スポーツ 2020年7月14日