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*妹
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:'''[[中野ツヤ|ツヤ]]'''(元[[友学園女子中学校・高等学校|学校法人友学園]]特別顧問)
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2020年7月24日 (金) 07:00時点における版

なかの つぎお

中野 次雄
生誕 1910年6月27日
東京市本所区東両国
(現東京都墨田区
死没 1999年
職業 裁判官
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中野 次雄(なかの つぎお、明治43年(1910年6月27日 - 平成11年(1999年))は、日本裁判官。元大阪高等裁判所長官[1]。父は東京府会議長をつとめた中野勇治郎

経歴

東京市本所区東両国出身[2]

1933年11月高等試験司法科及行政科合格[2]1934年3月東京帝国大学法学部卒業[2]。同年6月司法官試補 東京地方裁判所[2]1935年判事に任官[3]

1957年1964年司法研修所教官[1]1966年1968年最高裁判所調査官(上席)[1]1968年前橋地方・家庭裁判所所長[1]1970年東京高等裁判所判事[1]1973年大阪高等裁判所長官1975年定年退官[1]1976年1981年早稲田大学客員教授[1]1984年1989年北海学園大学法学部教授[1]1999年逝去[1]

人物像

趣味は読書[3]宗教日蓮宗[3]。住所は東京都杉並区[3]

野村二郎に「刑事裁判官の指導的役割を果たした」と評されている[4]

家族・親族

中野家

京都府北桑田郡[5]東京市本所区東両国[6](現東京都墨田区)、東京都杉並区[3]
  • 父・勇治郎(京都府人、弁護士、政治家)
明治12年(1879年1月生 - 没
明治15年(1882年)10月生[6] - 没
明治37年(1904年)7月生[6] - 没
ツヤ(元学校法人鷗友学園特別顧問)
大正2年(1913年)6月生[6] - 平成23年(2011年)9月没
トシ子(元最高裁判事栗本一夫の妻、経済人類学者の栗本慎一郎の母)
大正5年(1916年)3月生[6] - 没
  • 妻・松子(大栄興業社長星光長女[3]
大正5年(1916年)2月生[3] -
昭和16年(1941年)11月生[3] -

著書

  • 『判例とその読み方3訂版』(有斐閣 2009年03月)[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 著者情報 中野次雄
  2. ^ a b c d 『大日本司法大観』(編纂兼発行者 沖邑良彦 1940年 110頁)
  3. ^ a b c d e f g h i j 第二十一版 人事興信録 』(昭和36年)な五九
  4. ^ 野村二郎『最高裁判所』講談社現代新書(講談社)、1987年、47頁。ISBN 4061488422 
  5. ^ 佐藤幸平 著『東京弁護士名家録 第1巻』(大正14年)五六頁
  6. ^ a b c d e f 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)下ナ一〇五