「石井英子」の版間の差分
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2020年7月24日 (金) 06:50時点における版
石井 英子(いしい ひでこ、1910年12月15日 - 1998年6月7日)は、講談の定席として知られた東京・上野の寄席「本牧亭」の経営者[1][2][3]。
経歴
寄席「鈴本亭」(鈴本演芸場)の席亭であった鈴木孝一郎の三女として[3][4]、東京・上野に生まれる[5]。東京府立第一高等女学校(後の東京都立白鷗高等学校・附属中学校の前身)を卒業した[1][2]。
曲芸師であった春本助次郎(2代目)と結婚し[1]、娘2人をもうけるが、5年で死別する[3]。
父・鈴木孝一郎は、戦後1948年に再開した本牧亭の経営を英子に委ね、席亭とした。1950年以降、本牧亭は40年にわたって講談の定席として維持されたが、1990年に閉場した[5][6]。
1992年には、池之端の料理屋の2階に場所を移し、「池之端本牧亭」として[7]、定員30人の小規模な形で本牧亭を再開したが[8]、以降の経営は娘夫婦に委ね、長女の清水孝子を席亭とし、その夫清水基嘉を本牧亭社長として、自らは会長となって「隠居」を自称していた[9]。
石井の死後、「池之端本牧亭」は2002年2月に閉場し、同年夏には上野1丁目に移転して、料理屋との兼業という形で本牧亭が再開されたが[7]、こちらも2011年9月に閉場となった[10]。
受賞
著書
- 本牧亭の灯は消えず、駸々堂出版、1991年
大衆文化の中で
- 1963年に直木賞を受賞した安藤鶴夫の小説『巷談本牧亭』に登場する「おひでさん」は、石井をモデルとしている[4]。
- 講談師の神田陽子は、1989年に講談「本牧亭の灯は消えず 石井英子伝」を創作している[3]。
脚注
- ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus『石井英子』 - コトバンク
- ^ a b c d 20世紀日本人名事典『石井英子』 - コトバンク
- ^ a b c d 美土路昭一 (1998年6月24日). “講談寄席「本牧亭」元席亭・石井英子さん(惜別)”. 朝日新聞・夕刊: p. 3 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ a b “[訃報]石井英子さん 死去=寄席「本牧亭」会長”. 毎日新聞・東京夕刊: p. 9. (1998年6月8日) - 毎索にて閲覧
- ^ a b “[顔]新本牧亭の開場に燃える 石井英子さん”. 読売新聞・東京朝刊: p. 11. (1991年8月15日) - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ “本牧亭の灯は消えず 隣の入谷で92年再開 東京・上野”. 朝日新聞・朝刊・東京. (1991年4月11日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ a b “本牧亭、再び 講談寄席が上野「黒門町」に復活”. 朝日新聞・朝刊・東京: p. 26. (2002年7月4日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 長井好弘 (1998年5月14日). “[追悼抄]5-6月 江戸小物細工師・小塩隆三郎さんほか”. 読売新聞・東京朝刊: p. 37 - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ 水落潔 (1991年4月15日). “[ひと]石井英子さん=講談定席「本牧亭」を再開する”. 毎日新聞・東京朝刊: p. 3 - 毎索にて閲覧
- ^ 斉藤寛子 (2011年9月16日). “本牧亭、63年の歴史に幕 唯一の講談定席、24日閉場 東京・上野”. 朝日新聞・夕刊: p. 22 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧