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[[北周]]の詩人の[[庾信]]による『徴調曲』の後段部分から生まれた。歌の意味では幸せを喜ぶとき、喜びの基本を忘れてはならないという意味であるが、抜き出されて広く用いられるようになった<ref>[http://www.nouzeikyokai.or.jp/quiz8/index.html 【飲水思源(いんすいしげん)】(納税協会ホームページ)]</ref>。日本では[[1972年]]、[[日中国交正常化]]の際に訪中した[[田中角栄]]首相を[[周恩来]]首相が迎えた際の言葉として知られているが、それ以前より、飲水思源の[[石碑]]が見られるなど、漢文に通じた人々の間では広く知られていた言葉。 |
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2020年7月23日 (木) 03:29時点における最新版
飲水思源(いんすいしげん)は、中国の故事成句の一つ。「水を飲む者は、その源に思いを致せ」という意味。広く解釈して、「井戸の水を飲む際には、井戸を掘った人の苦労を思え」という意味で使われる。
概要
[編集]北周の詩人の庾信による『徴調曲』の後段部分から生まれた。歌の意味では幸せを喜ぶとき、喜びの基本を忘れてはならないという意味であるが、抜き出されて広く用いられるようになった[1]。日本では1972年、日中国交正常化の際に訪中した田中角栄首相を周恩来首相が迎えた際の言葉として知られているが、それ以前より、飲水思源の石碑が見られるなど、漢文に通じた人々の間では広く知られていた言葉。