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厚布を棒に巻き付け、その上に[[織物]]の表を内側にして巻き付け、さらに外側を厚手の[[綿布]]で包み、これを[[木]]の台に乗せ、平均するように槌(つち)で打つのである。上記の用法の他、装束に使う絹布などは糊がついておりこれを柔らかくし、光沢を出すために砧で打つことが行われる。こうしてできた衣を[[打衣]]といい、[[女房装束]]に用いられる。古来は[[単衣]]のすぐ上[[五衣]]の上、中古以来は順番が異なり[[表着]]のすぐ下に着られるものになる。 |
厚布を棒に巻き付け、その上に[[織物]]の表を内側にして巻き付け、さらに外側を厚手の[[綿布]]で包み、これを[[木]]の台に乗せ、平均するように槌(つち)で打つのである。上記の用法の他、装束に使う絹布などは糊がついておりこれを柔らかくし、光沢を出すために砧で打つことが行われる。こうしてできた衣を[[打衣]]といい、[[女房装束]]に用いられる。古来は[[単衣]]のすぐ上[[五衣]]の上、中古以来は順番が異なり[[表着]]のすぐ下に着られるものになる。 |
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和語の語源は「キヌイタ(衣板)」に由来するといわれる。衣を打つのに用いた石の台。また草を打つのに用いる石のこと。[[ |
和語の語源は「キヌイタ(衣板)」に由来するといわれる。衣を打つのに用いた石の台。また草を打つのに用いる石のこと。[[庾信]]詩「秋砧調急節」、[[楽府|古樂府]]「藁砧今何在」<ref>KO字源「砧」([http://wagang.econ.hc.keio.ac.jp/zigen/ KO字源])</ref>台板のほうが「きぬた」であり棒のことではない。たたく棒のことを「きぬた」とされがちだが「[[杵]]:きね」との混同であり、棒の呼称は「砧杵(チンショ):きぬたの[[杵|きね]]」である。民具としては木製のものが普及していた。表記としては、材質にかかわらず「砧」が使われた<ref>[[大槻文彦]]「[[言海]]」251ページ</ref>が、木製のものに「枮」が使われることもあった。 |
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漢字としての「砧」に着目した場合、衣を打つ民具だけに用いるものではない。樹砧(ジュチン:[[接ぎ木]]の台木)、砧鑕(チンシツ:古代中国の処刑法「[[腰斬刑]]」の際、伏せて斧を受ける台)、砧斧(チンフ:切り台と斧、腰斬刑の道具)などの用法がある<ref>KO字源「樹」「砧」([http://wagang.econ.hc.keio.ac.jp/zigen/ KO字源])</ref>。 |
漢字としての「砧」に着目した場合、衣を打つ民具だけに用いるものではない。樹砧(ジュチン:[[接ぎ木]]の台木)、砧鑕(チンシツ:古代中国の処刑法「[[腰斬刑]]」の際、伏せて斧を受ける台)、砧斧(チンフ:切り台と斧、腰斬刑の道具)などの用法がある<ref>KO字源「樹」「砧」([http://wagang.econ.hc.keio.ac.jp/zigen/ KO字源])</ref>。 |
2020年7月23日 (木) 03:28時点における版
砧(きぬた)は、洗濯した布を生乾きの状態で台にのせ、棒や槌でたたいて柔らかくしたり、皺をのばすための道具。また、この道具を用いた布打ちの作業を指す。古代から伝承された民具であり、古くは夜になるとあちこちの家で砧の音がした。その印象的な音は多くの和歌にも詠まれ[2]また数多くの浮世絵の題材とされてきた。日本の家庭では、炭を使うアイロンが普及した明治時代には廃れたが、朝鮮では1970年代まで使われていた。現在では完全に廃れている。
概要
厚布を棒に巻き付け、その上に織物の表を内側にして巻き付け、さらに外側を厚手の綿布で包み、これを木の台に乗せ、平均するように槌(つち)で打つのである。上記の用法の他、装束に使う絹布などは糊がついておりこれを柔らかくし、光沢を出すために砧で打つことが行われる。こうしてできた衣を打衣といい、女房装束に用いられる。古来は単衣のすぐ上五衣の上、中古以来は順番が異なり表着のすぐ下に着られるものになる。
和語の語源は「キヌイタ(衣板)」に由来するといわれる。衣を打つのに用いた石の台。また草を打つのに用いる石のこと。庾信詩「秋砧調急節」、古樂府「藁砧今何在」[3]台板のほうが「きぬた」であり棒のことではない。たたく棒のことを「きぬた」とされがちだが「杵:きね」との混同であり、棒の呼称は「砧杵(チンショ):きぬたのきね」である。民具としては木製のものが普及していた。表記としては、材質にかかわらず「砧」が使われた[4]が、木製のものに「枮」が使われることもあった。
漢字としての「砧」に着目した場合、衣を打つ民具だけに用いるものではない。樹砧(ジュチン:接ぎ木の台木)、砧鑕(チンシツ:古代中国の処刑法「腰斬刑」の際、伏せて斧を受ける台)、砧斧(チンフ:切り台と斧、腰斬刑の道具)などの用法がある[5]。
日本では衣をやわらかくする道具(きぬた)のほかに、わらなどを叩いて柔らかくし、わらじなどの工芸製品を作るさいに使用する叩き棒も「きぬた」と呼称することもあるが、叩き棒だけのことをさす場合、正しくは「横槌:ヨコヅチ」である[6]。
白居易
誰家思婦秋擣帛 月苦風凄砧杵悲。 八月九月正長夜、 千聲萬聲無了時。 應到天明頭盡白、 一聲添得一莖絲。
誰が家の思婦か秋に帛(きぬ)を擣(う)つ、月苦(さ)え風凄(すさまじ)く砧杵(ちんしょ)悲し。八月九月まさに長夜、千声万声了(やむ)る時なし。まさに天明に到らば頭ことごとく白かるべし、一声添え得たり一茎の糸。(白居易『聞夜砧』)
砧青磁
[7]中国青磁の一種で南宋時代に龍泉窯で作られた青磁のうち粉青色の上手(じょうて)のものを砧手(きぬたで)と呼ぶ。砧という名称は『分類草人木』[8]に「砧、松枝隆仙所持、天下一也、ひびき有とて砧と名付也」、『槐記』[9]に「享保十二年三月廿九日、参候、青磁の花生、これも拝見して見をぼゆべし、きぬた青磁の至極也、是は大猷院殿より東福門院へ進ぜられ、東福門院より後西院へ進ぜられ、後西院より此御所へ進ぜられし物也、後西院の勅銘にて千声と号す、擣月千声又万声と申す心にやと申上ぐ、左あるべしとの仰也、是に付て陸奥守にある、利休が所持のきぬたの花生は、前の方にて大にひヾきわれありて、それをかすがいにてとじてあり、利休が物ずきとは云ながら、やきものにかすがいを打こと、心得がたきことなり、景気にてもあるべきか、此われのある故に、利休がきぬたと名付けるとなん、響あると云こヽろ也と仰也」とある。これらは白居易の『聞夜砧』(あるいはそれを元にした平安文学・文化)を見立てとして銘々したとの説である。
形状からの見立て説としては、世阿弥の作った能「砧」の演目中で、これを演じるシテが手にもつ槌(つち)の形と龍泉窯青磁の花瓶が似ていたことから砧青磁と呼ぶようになったとするものがある[10]。
脚注
- ^ (Chinese-tools.com)(ウィクショナリー)(康熙字典網上版)
- ^ み吉野の 山の秋風小夜ふけて ふるさと寒く 衣打つなり (百人一首 参議雅経)
- ^ KO字源「砧」(KO字源)
- ^ 大槻文彦「言海」251ページ
- ^ KO字源「樹」「砧」(KO字源)
- ^ 末尾外部リンク参照。また(goo辞書「横槌」)も参照
- ^ この項、「茶道|茶の湯の楽しみ|茶道用語」サイトのうち「砧青磁」ほかから引用(茶の湯の楽しみ|茶道用語)
- ^ 利休時代の茶書。「永禄7年(1564)甲子季春初吉 真松斎春溪(しんしょうさいしゅんけい)」の奥書がある。名物茶器や目利のことについて解説した茶書(茶の湯の楽しみ|茶道用語)。
- ^ 江戸時代の随筆。近衛家熙(このえいえひろ)の侍医であった山科道安が、享保9年(1724)から同20年までの間、家熙の言行を日録風に記述したもの(Yahoo!辞書「槐記」)。
- ^ [リンク切れ]
文献情報
- 段笑嘩 (2008年). “『源氏物語』における『白氏文集』引用の特色” (PDF). 北陸大学紀要第32号. p. 12/15. 2017年11月14日閲覧。※平安貴族文化における「砧」のイメージ「月、雁、砧の三点セットが平安貴族の間に、遠地の夫を思う女性の情を詠むパターンとして受け取られていた・・と思われる」
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、砧に関するカテゴリがあります。