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==研究生より== |
==研究生より== |
2020年7月19日 (日) 15:24時点における版
研究生より
『戸外遊戯法』が『アウトドアゲームス』の抄訳であるのは確実であるかとおもいますが・・・私は『戸外遊戯法』の実物をみたことがあります。テニスのルールについて触れているのは間違いまりません。またゴームボールの国産化と全国への普及はほぼ同時進行であり、シンクロしているという見解は間違いでないとおもいますよ。詳しい資料等は『日本庭球史』という巨大な本に収録されており、生の文献にふれることができます。参考までに。
偏見と誤認の中の人から
えーと、どのあたりが誤認なんだかさっぱり分からないんですが。日本に入ってきた正確な時期が不明(それこそ海軍が港でやってたレベルの話だってあるでしょう)だからこそ、学校教育に導入された話から書いたわけで。
>東京高等師範体育専科の卒業生は1887年頃から全国に教員として赴任していくが、ボールの国産化はそれと同時に進行していき、ゴムボールをつかったテニスは全国に普及していくことになる。
これこそ大間違いで、確かに高等師範学校の卒業生で地方で教員を始めた人たちはテニスを教育に導入していますが、ゴムボールの国産化とは全然シンクロはしていません。彼らが使ったのは輸入物のゴム毬です。(明治になってから輸入されたもので、急速に日本中にひろがっていたものをテニスに流用) その情報だけが東京に逆流していったからこそ、高等師範学校は三田土ゴム会社にゴムボールを発注したわけで。あれは1890年でOKなんです。高等師範学校が明治23年(1890年)に出した発注記録が残っているそうです。ゴムボールの国産化はそれ以降の話です。
>アウトドアゲームス
FWストレンジは多分お雇い外国人のフレデリック・ウィリアムス・ストレンジのことだと思うんですが、『Outdoor Games』は確か陸上競技等のスポーツを日本に定着させるためにかかれた本のはずで(まぁ、読んだことはないんですが)、どう翻訳したらテニスのルール本になるんでしょうか? かなり疑問です。
「お雇い外国人」という言葉や明治末期の女性のくだりを偏見と取ったのかもしれませんけど、これは偏見でもなんでもなく常識レベルの話です。少しでもそういう起源だとか当時はどういう社会だったんだろうという興味でもって調べれば容易に確認できることです。参考文献まで消すというのはちょっとパラノイアックな感じがして「なんだかなぁ」という感じ。むしろ僕が書いた以外の部分がある意味での偏見と誤認だと思うんですがねぇ。--Blueroses5327 2007年9月14日 (金) 19:55 (UTC)
芸能人氏名の除去について
芸能人の氏名リストについて、ソフトテニスの特異性を示す意味で重要という理由で再追加がなされましたがWikipedia:信頼できる情報源に基づいたWikipedia:検証可能性を満たす記述ではなくWikipedia:独自研究を載せないにあたると判断し除去しました。実際に論文や解説書でそうした実情が解説されているケースがあったとしても膨大なリストにある芸能人一覧が記載されていることはないでしょうから、ずらずらと記述することは適当ではありません。--Tiyoringo 2010年9月17日 (金) 10:28 (UTC)