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2020年7月18日 (土) 09:40時点における版

ウルビーノ公国
Ducato di Urbino
イタリア王国 (中世) 1443年 - 1631年 教皇領
ウルビーノ公国の国章
(国章)
ウルビーノ公国の位置
17世紀のウルビーノ公国
首都 ウルビーノ1443年-1523年
ペーザロ1523年-1631年
ウルビーノ公(1443年以前はウルビーノ伯)
1443年 - 1444年 オッダントーニオ2世
1623年 - 1631年フランチェスコ・マリーア2世
変遷
ウルビーノ伯領の設立 1213年
公国の設立1443年
教皇領へ帰属1625年
教皇領への正式な併合1631年

ウルビーノ公国イタリア語:Ducato di Urbino)は、1443年から1631年まで、現在のイタリアマルケ州北部に存在した国家である。

設立

ウルビーノ公国の誕生は1443年エウゲニウス4世オッダントーニオ2世・ダ・モンテフェルトロウルビーノ公に任命した時に遡る。ウルビーノの街は国家の首都となり、イタリアのルネサンスの中心の一つになる準備がなされた。1523年にペーザロに遷都されると衰退が始まった。

境界

設立時のウルビーノ公国は、東をアドリア海、西をフィレンツェ共和国、残りは教皇国家と接していた。

略歴

1213年に設立されたウルビーノ伯は教皇によりウルビーノ公とされ、公国はモンテフェルトロ家により統治された。その後、国家はデッラ・ローヴェレ家が引継ぎ、1631年にウルバヌス8世(1623年-1644年)によりウルビーノ公国行政区(レガツィオーネ)として教皇国家に併合されるまで存在した。18世紀にはウルビーノ行政区は教皇国家のただの県となった。

歴代ウルビーノ伯および公

モンテフェルトロ家(ウルビーノ伯)

モンテフェルトロ伯も兼ねる。

モンテフェルトロ家(ウルビーノ公)

デッラ・ローヴェレ家(ウルビーノ公)

脚注

  1. ^ デッラ・ローヴェレの美術的な収集品はフェルディナンド2世・デ・メディチの妻のヴィットーリア・デッラ・ローヴェレが相続し大部分をフィレンツェに移送した。

関連項目

外部リンク