「旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の段」の版間の差分
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2020年7月17日 (金) 14:32時点における版
旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の段 | |
---|---|
監督 | 男沢粛 |
脚本 | 原作 『絵本太功記』 |
製作 | M・パテー商会 |
出演者 |
中村鶴之助 娘美団 |
撮影 | 男沢粛 |
編集 | 男沢粛 |
配給 | M・パテー商会 |
公開 | 1908年12月10日 |
上映時間 | 不明 / 現存 17分[1] |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の段』[1](きゅうげき たいこうきじゅうだんめ あまがさきのだん)は、1908年(明治41年)製作・公開、M・パテー商会製作・配給による日本のサイレント映画、時代劇である。資料によっては『太功記十段目』[2]、『絵本太閤記』(えほんたいこうき)[3][4]と紹介されることもある。
略歴・概要
M・パテー商会は現在の日活の前身の一社で、東京を拠点として、映画の製作・配給を行っていた商社である。従来、外国映画の配給を行っていたが、1908年(明治41年)、浅草公園六区に新設された映画館・大勝館からの依頼で中村歌扇の少女歌舞伎を出演させた『曾我兄弟狩場の曙』を製作したのをきっかけに、映画製作を始めた[3]。
同社が撮影所をもつのは翌1909年(明治42年)であり、本作は近辺ロケーション撮影で製作された[3]。撮影は、同社の現像部の社員であった男沢粛で、『曾我兄弟狩場の曙』を撮った西川源一郎と交互に作品を回していた[3]。本作は、江戸中期に成立した人形浄瑠璃『絵本太功記』の代表的な「十段目 尼ヶ崎の段」を主題に、大勝館の舞台に出演していた中村鶴之助、鶴之助が率いる少女劇団・娘美団の出演を得て製作され、同年12月10日、製作依頼元である大勝館で公開された[4]。
本作の上映用プリントは、現在、17分、1038.02フィート(316.39メートル)の上映尺の35mmフィルムが東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されている[1]。同年製作の日本映画のなかで、同センターに所蔵されているのは、本作ただ1作のみである[5]。現在、観賞することが可能な作品である。
スタッフ・作品データ・キャスト
- 製作 : M・パテー商会
- 上映時間(メートル) : 不明 / 現存 17分 (316.39メートル)[1]
- フォーマット : 白黒映画 - スタンダードサイズ(1.33:1) - サイレント映画
- 初回興行 : 浅草・大勝館
註
- ^ a b c d 旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の段、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年3月14日閲覧。
- ^ Taikoki judanme, Internet Movie Database, 2010年3月14日閲覧。
- ^ a b c d e 『日本映画発達史 I 活動写真時代』 、田中純一郎、中公文庫、1975年12月10日 ISBN 4122002850, p.155-160.
- ^ a b 絵本太閤記、日本映画データベース、2010年3月14日閲覧。
- ^ 所蔵映画フィルム検索システム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年3月14日閲覧。