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9月5日の第35期王座戦一次予選4回戦では、当時鳴り物入りの新人で破竹の勢いで勝ち続けていた羽生の連勝を15で止める快挙を遂げた。
9月5日の第35期王座戦一次予選4回戦では、当時鳴り物入りの新人で破竹の勢いで勝ち続けていた羽生の連勝を15で止める快挙を遂げた。


その他、第28期王位戦で2年ぶりのリーグ入り、[[森けい二|森雞二]](十段戦予選)・[[森安秀光]](王位リーグ)のタイトル経験者2名に勝利するなど、活躍をした。
その他、第28期王位戦で2年ぶりのリーグ入り、[[森雞二]](十段戦予選)・[[森安秀光]](王位リーグ)のタイトル経験者2名に勝利するなど、活躍をした。


*1987年度
*1987年度

2020年7月16日 (木) 23:06時点における版

 小野敦生 六段
名前 小野敦生
生年月日 (1962-05-12) 1962年5月12日
没年月日 (1993-05-22) 1993年5月22日(31歳没)
プロ入り年月日 1983年12月1日(21歳)
棋士番号 163
出身地 北海道旭川市
師匠 安恵照剛八段
段位 六段
棋士DB 小野敦生
2014年6月11日現在
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小野 敦生(おの あつお、1962年5月12日 - 1993年5月22日)は、将棋棋士。棋士番号163。北海道旭川市出身。安恵照剛八段門下。

主な成績

アマチュア・奨励会時代

アマチュア時代に、北海道旭川東高等学校将棋部に在籍し、1979年の第15回全国高等学校将棋選手権大会男子団体で優勝。また、第34回(1980年全日本アマチュア名人戦に北海道代表として出場。その後間もなく奨励会へ入会。18歳と極めて遅い入会であったが、僅か3年、羽生善治の奨励会卒業期間よりも早い期間で、1983年12月1日付で四段に昇段する。

公式戦における実績

  • 1983年度

1984年2月3日・第10期棋王戦において、永作芳也(のちに退会)に勝利し、プロとして初の公式戦を白星で飾った。

  • 1984年度

初参加の第43期順位戦では6勝4敗と次期につなげる成績を残した。

第26期王位戦で予選を4連勝してリーグ入り、更に翌年度に行われる第35回NHK杯の予選を3連勝。プロ2年目にして2つの棋戦で本戦出場権を獲得する活躍を見せた。

  • 1985年度

前年度の予選を勝ち抜いた王位リーグでは福崎文吾(のちに十段及び王座のタイトルを獲得)・内藤國雄(王位・棋聖各2期経験者)から勝利を挙げたものの、残留には至らなかった。

同じくNHK杯本戦では1回戦で西川慶二に勝利した。(2回戦で佐伯昌優に敗北)

第19回早指し将棋選手権でも予選を3連勝[1]し本戦へ進出。(本戦1回戦で大内延介に敗北)

第9回オールスター勝ち抜き戦でも翌年度の本戦出場権を獲得。(本戦1回戦で勝浦修に敗北)

  • 1986年度

公式戦30勝15敗(勝率0.667)の好成績を挙げ、特に第45期順位戦では浦野真彦と共に9連勝し、最終局(対羽生善治戦)を待たずにC級1組への昇級を決めた。

9月5日の第35期王座戦一次予選4回戦では、当時鳴り物入りの新人で破竹の勢いで勝ち続けていた羽生の連勝を15で止める快挙を遂げた。

その他、第28期王位戦で2年ぶりのリーグ入り、森雞二(十段戦予選)・森安秀光(王位リーグ)のタイトル経験者2名に勝利するなど、活躍をした。

  • 1987年度

初めてC級1組・五段で迎えた第46期順位戦は7勝3敗と翌期の順位を大きく上げる結果となった。

王位リーグは健闘も空しく前年度末の森安からの勝利のみに終わり陥落。

十段戦を発展解消する形で新設された第1期竜王戦では4組からのスタートとなった。

  • 1988年度

前年度とは一転して著しい不振に陥り、順位戦は2勝8敗で初めての降級点、前期に続き4組で参加した竜王戦ではランキング戦・昇級者決定戦を連敗し、翌年度の残留決定戦に回らざるを得なくなった。

しかしながら、プロ2年目の有望株として棋界関係者から注目されていた櫛田陽一に2連勝する(11月11日・第54期棋聖戦及び1989年2月13日・第15期棋王戦)など、それなりの見せ場は作った。

  • 1989年度

順位戦で6勝4敗と勝ち越し、規定により前期に取得してしまった降級点を消滅させるなど、復調した。

前年度2連敗をした第2期竜王戦・4組残留決定戦では武者野勝巳に勝利し、5組への降級を回避した。

この年度では、後に永世資格者(永世棋聖)となる佐藤康光と2回当たっており、いずれも勝利を上げた。(12月1日・第56期棋聖戦及び1990年1月22日・第6回天王戦五段戦)

年度末に行われた第40回NHK杯将棋トーナメントの予選を3連勝。5年ぶりのNHK杯本戦出場を決めた。(翌年度に行われた本戦1回戦で福崎文吾に敗北)

  • 1990年度

第58期棋聖戦で一次予選から連勝し、本戦出場権を賭けて二次予選決勝で羽生善治と対戦。小野はこれに快勝し、本戦進出に至った。(本戦1回戦で谷川浩司に敗北)

  • 1991年度

第50期順位戦において小野自身は前半で2勝3敗と昇級争いから早々と脱落してしまったものの、第10回戦で井上慶太[2]に当期順位戦における唯一の黒星を与え、B級2組への昇級を阻止した。[3]

小野自身も後半で巻き返し、最終的に6勝4敗となった。

  • 1992年度

第26回早指し将棋選手権で予選を3連勝し7年ぶりの本戦進出。1回戦で森信雄に勝利した(2回戦で森雞二に敗北)。これが小野にとって最後の公式棋戦本戦出場であった。

  • 1993年度

第52期順位戦開幕前に4局を戦い1勝3敗。4月19日・第6期竜王戦4組昇級者決定戦3回戦の滝誠一郎からの勝利が最後の白星、5月17日の同4回戦の中川大輔との対局が小野の絶局となってしまった。それから僅か5日後の1993年5月22日、虚血性心不全のため現役のまま31歳で死去。5月25日付で六段が追贈された。

参加が予定されていた第52期順位戦は、小野の没前に対局相手が抽選で全て決まっていたため、全て不戦敗として扱われた。

公式戦の通算成績は174勝174敗とちょうど5割(没後の不戦敗は記録上除かれる。)、順位戦はC級2組を3期で通過後C級1組に7期連続在位、竜王戦は初参加から4組に6期連続在位、いずれも自己最高位を維持したままであった。

昇段履歴

  • 1980年11月 4級で奨励会入会
  • 1981年11月 初段
  • 1983年12月1日 四段(奨励会三段で規定の成績を挙げプロ入り)
  • 1987年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1993年5月25日 六段(追贈)

エピソード

  • 生前、一門の弟弟子で当時は奨励会員だった瀬川晶司を、実の弟のように可愛がっていた[4]
  • 死後、北海道将棋連盟旭川支部に於いて、小野の名を冠した大会が8月上旬に開かれている。
    • 小野敦生記念将棋祭(1993年 - 2002年)
    • 小野敦生メモリアル大会(2003年 - )

脚注

  1. ^ そのうちの1勝は師匠である安恵照剛への"恩返し"を遂げたものであった。
  2. ^ 当期のC級1組順位戦では、9回戦まで終了した時点で、井上・村山聖森内俊之が全勝で並んで昇級争いをしていた。
  3. ^ 最終的に村山・森内が勝ち続け2名の昇級枠が全勝となったため、井上は小野からの1敗により、25人中9位の順位で9勝を挙げたにもかかわらず据え置かれる不運を味わった。ちなみに仮に井上が小野に勝っていたら、同じ組で3名が全勝により昇級するという、順位戦史上初の珍事になるところだった。
  4. ^ 瀬川の著書「泣き虫しょったんの奇跡」より

関連項目

外部リンク