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2020年7月14日 (火) 20:02時点における版
近衛 通隆(このえ みちたか、1922年(大正11年)5月11日 - 2012年(平成24年)2月11日)は、日本の歴史学者。後陽成天皇の男系十三世子孫である。東京大学史料編纂所教授、霞山会会長、児玉文庫再興委員会会長、陽明文庫理事長を歴任した。
人物
近衛文麿の次男で近衛文隆の弟。近衛忠煇の叔父にあたる。学習院中等科在学中、1935年10月12日、叔父の近衛秀麿と正妻の泰子(旧姓毛利)の養子となる[1]。東京帝国大学在学中、学徒動員に駆り出され、1945年10月に復学[2]。
1951年東大史料編纂所に入り、1962年助手、1969年助教授、1981年教授、1983年定年退官。
父である近衛文麿に関する証言をインタビュー等で度々行っている。その一つによると、青酸カリによる服毒自殺を図る前日鉛筆で記した、「自分は多くの過ちを犯してきたが、戦犯として裁かれなければならないことに耐えられない」と書かれたメモを受け取った。「明日、巣鴨に出頭してくれますか」と問うと、返答はなく、ただ激しい不快の表情であったという。
東京大学教授在職中にはゴルフ部部長を務め、自らも関東アマチュアゴルフ選手権チャンピオンでもあった[3]。そのこともあり、日本学生ゴルフ連盟名誉会長も務めていた。
2012年(平成24年)2月11日に急性心不全のため死去した[4]。89歳没。
系譜
近衞家
近衞家は、藤原忠通の子である近衞基実を始祖とし、五摂家の一つであった。
→詳細は「近衛家」を参照
皇室との関係
後陽成天皇 | 後水尾天皇 | 明正天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
後光明天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
後西天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
霊元天皇 | 東山天皇 | 中御門天皇 | 桜町天皇 | 桃園天皇 | 後桃園天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
直仁親王 | 典仁親王 | 光格天皇 | 仁孝天皇 | 孝明天皇 | 明治天皇 | 大正天皇 | 昭和天皇 | 明仁上皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
近衞信尋 | 近衞尚嗣 | 近衞基熈 | 近衞家熈 | 近衞家久 | 近衞内前 | 近衞経熈 | 近衞基前 | 近衞忠煕 | 近衞忠房 | 近衞篤麿 | 近衞文麿 | 近衞文隆 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
近衞通隆 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 係累縁者が多数に上るため、後陽成天皇以降の歴代天皇および関連する男系男子の人物を記載した。そのため、母方の系図は省略している。
- 遠祖の近衞信尋は、後陽成天皇の第四皇子として生まれ、近衞信尹の養子となり、近衞家を継承した。
脚注
- ^ 大野芳『近衛秀麿』p.247
- ^ 大野、p.345。
- ^ “競技”を通じて大海へ・ゴルフで語る経営哲学 日経ゴルフガイド 達人の心技
- ^ 訃報;近衛通隆氏が死去 陽明文庫理事長 日本経済新聞 2012年2月13日閲覧