「坂本鹿名夫」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m →経歴 |
|||
2行目: | 2行目: | ||
== 経歴 == |
== 経歴 == |
||
東京生まれ。父親は[[阪本 |
東京生まれ。父親は[[阪本釤之助]]で、鹿児島県知事や名古屋市長を務めた人物なので、自身の名前に導入されている。 従兄に[[永井荷風]]、異母兄は[[高見順]]。 |
||
[[東京工業大学]]建築学科に進学し、[[卒業研究]]でも円形の飛行場を設計している。大学卒業後の1937(昭和12年)大倉土木、現・[[大成建設]]に就職。戦時中は海軍に入隊し技術将校を経て、戦後会社に復職するが、1954年(昭和29年)大成建設を退職し、建築綜合計画研究所を設立し社長に。同年の国立国会図書館建築競技設計で入選。1962年、坂本鹿名夫建築研究所を設立<ref>現在も登記上は事業所として残る[https://www.nenkin.go.jp/service/nenkinkiroku/torikumi/mitougou/tokyo.files/JigyousyoIchiran_2111_201209.pdf]<br /></ref>。 |
[[東京工業大学]]建築学科に進学し、[[卒業研究]]でも円形の飛行場を設計している。大学卒業後の1937(昭和12年)大倉土木、現・[[大成建設]]に就職。戦時中は海軍に入隊し技術将校を経て、戦後会社に復職するが、1954年(昭和29年)大成建設を退職し、建築綜合計画研究所を設立し社長に。同年の国立国会図書館建築競技設計で入選。1962年、坂本鹿名夫建築研究所を設立<ref>現在も登記上は事業所として残る[https://www.nenkin.go.jp/service/nenkinkiroku/torikumi/mitougou/tokyo.files/JigyousyoIchiran_2111_201209.pdf]<br /></ref>。 |
2020年7月14日 (火) 06:24時点における版
坂本鹿名夫(阪本鹿名夫、さかもとかなお、明治44年(1911年)7月21日 - 1987年[1])は、円形建築にこだわり、その経済性、合理性を主張し、朝日町立朝日小学校(登録有形文化財)など円形校舎、円形病院など全国に100以上の円形建築を手がけた建築家。
経歴
東京生まれ。父親は阪本釤之助で、鹿児島県知事や名古屋市長を務めた人物なので、自身の名前に導入されている。 従兄に永井荷風、異母兄は高見順。
東京工業大学建築学科に進学し、卒業研究でも円形の飛行場を設計している。大学卒業後の1937(昭和12年)大倉土木、現・大成建設に就職。戦時中は海軍に入隊し技術将校を経て、戦後会社に復職するが、1954年(昭和29年)大成建設を退職し、建築綜合計画研究所を設立し社長に。同年の国立国会図書館建築競技設計で入選。1962年、坂本鹿名夫建築研究所を設立[2]。
参考
- 『円形建築』にみる建築家・坂本鹿名夫の設計理念と建築メディアの評価
- 坂本鹿名夫 (https://www.facebook.com/enjoinus/) - Facebook
- 円形建築 : 坂本鹿名夫作品集 建築綜合計画研究所編 日本学術出版社, 1959.10
- 円形平面を基本とした現代日本の建築作品における設計根拠
代表作
- 旧金城高等学校(現遊学館高等学校)(1952年、大成建設在職時、石川県金沢市)
- 金地院(1954年、東京都港区)
- 武蔵野市立武蔵野三鷹地区保健衛生組合伝染病棟[3](1955年、東京都武蔵野市)
- 医療法人横浜赤十字看護婦宿舎(1955年、神奈川県横浜市)
- 医療法人あやめ池松竹少女歌劇円形大劇場(1955年、奈良県奈良市)
- 医療法人武蔵野赤十字高等看護学院(1955年、東京都武蔵野市)
- 医療法人武蔵野赤十字看護婦宿舎(1955年、東京都武蔵野市)
- 医療法人立正交成会大聖堂(1956年、東京都杉並区)
- 室蘭市立室蘭病院伝染病棟(1956年、北海道室蘭市)
- 神戸市立美野丘小学校(1956年、兵庫県神戸市)
- 八尾市立八尾病院伝染病棟(1957年、大阪府八尾市)
- 医療法人葛飾赤十字産院(1957年、東京都葛飾区)
- 医療法人武蔵野赤十字病院診察棟(1957年、東京都武蔵野市)
- 医療法人総合天然温泉ビル(1957年、神奈川県横浜市)
- 医療法人恩賜財団母子愛育会(1957年、東京都港区)
- 医療法人北品川病院看護婦宿舎(1957年、東京都品川区)
- 医療法人旭電化研究所(1957年、東京都荒川区)
- 八尾市立八尾病院看護婦宿舎(1957年、大阪府八尾市)
- 八尾市立八尾市民ホール(1957年、大阪府八尾市)
- 田尻町庁舎(1957年、宮城県田尻町)[4]
- 医療法人北海道厚生農連遠軽厚生病院(1957年、北海道遠軽町)
- 医療法人武蔵野赤十字看護婦宿舎(1958年、東京都武蔵野市)
- 新潟県立加茂病院看護婦宿舎(1958年、新潟県加茂市)
- 小浜市立小浜図書館(1959年、福井県小浜市)
- 小金井市旧公会堂(1964年)[5]
- 江刺市庁舎(1960年)
- 平家と同じ高さで2階をつくつた家[6]
- 大阪芸術大学短期大学部 大阪学舎 2号館[7]
- 東京経済大学合併教室[8]
- 私立山崎学園(1954年、東京都練馬区)
- 市立鹿屋小学校(1954年、鹿児島県鹿屋市)
- 倉吉市立明倫小学校(1955年、鳥取県倉吉市)[9][10]DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築選定[11]
- 飯田市立浜井場小学校(1955年、長野県飯田市)[12]
- 小倉市立第二菊陵中学校(1955年、福岡県小倉市)
- 神戸市立摩耶小学校分校(1955年、兵庫県神戸市)
- 岡山市立旭中学校(1955年、岡山県岡山市)
- 西宮市立今津中学校(1955年、兵庫県西宮市)[13]
- 私立立正交成学園(男子部)(1955年、東京都杉並区
- 私立帝塚山学園(第一期)(1955年、奈良県奈良市)
- 私立熊本女子商業高等学校(1955年、熊本県熊本市)
- 温泉町立温泉町小学校(1955年、兵庫県温泉町
- 私立四天王寺学園(第一期)(1956年、大阪府大阪市)
- 私立清風学園(1956年、大阪府大阪市)
- 習志野市立津田沼小学校(第一期)(1956年、千葉県習志野市)
- 江別市立江別小学校(1956年、北海道江別市)
- 学校組合誉田中学校(1956年、大阪府羽曳野市)
- 私立北陽商業高等学校(1956年、大阪府大阪市)
- 幌加内村立幌加内朱鞠内小学校(1956年、北海道幌加内村
- 小樽市立石山中学校(1956年、北海道小樽市)
- 神戸市立布引中学校(1956年、兵庫県神戸市)
- 高崎市立高崎女子高等学校(現・新島学園短期大学研究棟、1956年、群馬県高崎市)[14][15][16]
- 日高町立日高中学校(1956年、和歌山県日高町)
- 私立立正交成学園(女子部)(1957年、東京都杉並区)
- 高崎市立高崎女子高校体育館(1957年、群馬県高崎市)
- 神戸市立鴨越小学校(1957年、兵庫県神戸市)
- 八尾市立八尾踏川中学校(1957年、大阪府八尾市)
- 八尾市立南山本小学校(1957年竣工/ 2014年 建替)
- 私立帝塚山学園(第二期)(1957年、奈良県奈良市)
- 習志野市立津田沼小学校(第二期)(1957年、千葉県習志野市)
- 私立目白学園(1957年、東京都新宿区)
- 私立明倫学園(第一期)(1957年、神奈川県横浜市)[17]
- 伊勢崎市立伊勢崎女子高等学校(1957年、群馬県伊勢崎市)
- 加古川市立加古川西小学校(1957年、兵庫県加古川市)
- 古内町立木古内小学校(第一期)(1957年、北海道木古内町)
- 吉備町立御霊小学校(1957年、和歌山県吉備町)
- 白峰村立桑島小学校(1957年、石川県白峰村)
- 私立関東商工高等学校(1957年、東京都江戸川区)
- 私立西須磨小学校分校(1957年、兵庫県神戸市)
- 私立梅花学園(1958年、大阪府豊中市、第8回豊中市都市デザイン賞[18])
- 私立照国商業高等学校(1958年、鹿児島県鹿児島市)
- 私立宮崎学園(1958年、宮崎県宮崎市)
- 私立大阪商大付属高等学校(1958年、大阪府東大阪市)
- 私立明倫学園(第二期(1958年、神奈川県横浜市、横浜清風高等学校円形講堂 [10]DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築選定[11])
- 宝塚市立宝塚・第一小学校(1958年、兵庫県宝塚市)
- 私立浪速短期大学(1958年、大阪府大阪市)
- 室蘭市立絵柄小学校(第一期)(1958年、北海道室蘭市)
- 古内町立木古内小学校(第二及三期)(1958年、北海道木古内町)
- 小浜市立小浜小学校(第一期)(1958年、福井県小浜市)
- 横浜市立日吉台小学校分校(1958年、神奈川県横浜市)
- 大湊町立大湊小学校(1958年、青森県大湊町)
- 横浜市立蒔田小学校(1958年、神奈川県横浜市)
- 松尾町立松尾中学校(1958年、千葉県松尾町)
- 鳥羽市立鳥羽中学校(1959年、三重県鳥羽市)
- 私立桜丘女子商業高校(1959年、東京都北区)
- 室蘭市立絵鞆小学校(第二期)(1959年、北海道室蘭市)[19][20]
- 尼崎市立浦風小学校(1960年竣工/ 2015 年建替)
- 原子力平和利用博覧会円形劇場[21](1956年)
- 大阪産業大学東部キャンパス3号館(1964年竣工)
- 村上市郷土資料館「おしゃぎり会館」(1977年)[22]
脚注
- ^ http://www.osu-koyukai.net/img/bonyu/pdf/bonyu91.pdf
- ^ 現在も登記上は事業所として残る[1]
- ^ 病院 15巻1号 (1956年7月)
- ^ https://sites.google.com/site/restorationetwork/heritage-osaki/miyagi-tajiri
- ^ https://www.obayashifoundation.org/upload/pdf/2017_Kenkyu_32_Nishizawa.pdf
- ^ 主婦の友社編集局 : 編 住みよい住宅集 <主婦の友住宅新書> 1960 主婦の友社
- ^ https://jp.toto.com/com-et/jirei/1849/pdf/DT2MDaw4ZAwu.pdf
- ^ 新建築 1954年12月号
- ^ http://www.rs.tottori-u.ac.jp/bunka/student/report/2008/pdf/2_kurayoshi-2008.pdf
- ^ a b “10+1 website|Photo Archives95 山陰”. 10plus1.jp. 2020年3月5日閲覧。
- ^ a b “ドコモモ・ジャパンが、2017年度の「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」8件を選定”. architecturephoto.net (2018年7月8日). 2020年3月5日閲覧。
- ^ “円筒校舎の魅力伝えたい 光彩放つライティング 浜井場小”. ミナミシンシュウ.jp. 2020年3月5日閲覧。
- ^ “今津中学校 | にしのみやデジタルアーカイブ”. archives.nishi.or.jp. 2020年3月5日閲覧。
- ^ “新島学園短期大学研究棟(旧高崎市立女子高等学校円形校舎) | 高崎市”. www.city.takasaki.gunma.jp. 2020年3月5日閲覧。
- ^ https://www.niitan.jp/cms/wp-content/uploads/2017/07/2017-0916-omote.pdf
- ^ https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/pdf/r1392281_30.pdf
- ^ “107 明倫学園円形校舎(横浜清風高校円形講堂) - 光と穴の創造”. pinhole410.com. 2020年3月5日閲覧。
- ^ https://www.city.toyonaka.osaka.jp/machi/toshikeikan/hyosho_jigyo/toshidesign/ceremony.files/sakuhinsyu.pdf
- ^ “室蘭民報ニュース”. www.muromin.co.jp. 2020年3月5日閲覧。
- ^ http://www.sorachi.pref.hokkaido.lg.jp/file.jsp?id=1133525
- ^ 「楽しい生活と住宅博覧会」(朝日新聞社、1956年発行)
- ^ “施設概要と公開情報”. www.iwafune.ne.jp. 2020年3月5日閲覧。