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「長滝白山神社」の版間の差分

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文化財: 正和元年銘古瀬戸黄釉瓶子と永仁の壺との関係について加筆
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伝承によれば、[[養老]]元年([[717年]])、白山中宮長滝寺として[[泰澄]]が創建したとされる。同6年には同寺にて[[元正天皇]]の病気平癒を祈願して効験があったことから、元正自作の[[十一面観音]]、[[聖観音]]、[[阿弥陀如来]]の本地仏を安置し、白山本地中宮長滝寺に改称したという。
伝承によれば、[[養老]]元年([[717年]])、白山中宮長滝寺として[[泰澄]]が創建したとされる。同6年には同寺にて[[元正天皇]]の病気平癒を祈願して効験があったことから、元正自作の[[十一面観音]]、[[聖観音]]、[[阿弥陀如来]]の本地仏を安置し、白山本地中宮長滝寺に改称したという。


[[天長]]5年([[828年]])にはそれまでの[[法相宗]]から[[天台宗]]寺院へ改宗。同9年には白山三馬場の一つになる(『白山之記』)。馬場とは[[禅定道]]の起点のことであり、白山三馬場とは、美濃国の白山中宮長滝寺、[[加賀国]]の白山寺白山本宮(現[[白山比め神社|白山比咩神社]])、[[越前国]]の[[平泉寺白山神社]]である。[[平安時代]]の長滝寺は、白山三所、若宮社、大講堂、鐘楼、護摩堂、神楽殿、三重塔、法華堂、薬師堂など30以上の堂宇が建ち、6谷6院360坊を有していたという。[[文永]]8年([[1271年]])には火災により半数の建物を焼失。[[正応]]3年([[1290年]])には本殿が再建された。
[[天長]]5年([[828年]])にはそれまでの[[法相宗]]から[[天台宗]]寺院へ改宗。同9年には白山三馬場の一つになる(『白山之記』)。馬場とは[[禅定道]]の起点のことであり、白山三馬場とは、美濃国の白山中宮長滝寺、[[加賀国]]の白山寺白山本宮(現[[白山比咩神社]])、[[越前国]]の[[平泉寺白山神社]]である。[[平安時代]]の長滝寺は、白山三所、若宮社、大講堂、鐘楼、護摩堂、神楽殿、三重塔、法華堂、薬師堂など30以上の堂宇が建ち、6谷6院360坊を有していたという。[[文永]]8年([[1271年]])には火災により半数の建物を焼失。[[正応]]3年([[1290年]])には本殿が再建された。


[[宝徳]]2年([[1450年]])には[[比叡山]][[延暦寺]]西塔院南尾一切経蔵院の末寺となる。
[[宝徳]]2年([[1450年]])には[[比叡山]][[延暦寺]]西塔院南尾一切経蔵院の末寺となる。

2020年7月13日 (月) 20:20時点における版

長滝白山神社

本殿(2015年5月)
所在地 岐阜県郡上市白鳥町長滝138
位置 北緯35度55分15.46秒 東経136度49分50.30秒 / 北緯35.9209611度 東経136.8306389度 / 35.9209611; 136.8306389 (長滝白山神社)
主祭神 菊理媛神
伊弉諾尊
伊弉冉尊
社格 旧県社
創建 伝養老元年(717年)
本殿の様式 神明造
別名 白山長滝神社
例祭 1月6日:六日祭(花奪い祭)
5月5日:でででん祭り
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長滝白山神社(ながたきはくさんじんじゃ)は、岐阜県郡上市白鳥町長滝に鎮座する神社である。日本各地に分布する白山神社の中心的な神社の一つであり、白山信仰と関わりが深い。白山信仰の美濃国側の中心である。

明治維新以前は白山中宮長滝寺(はくさんちゅうぐうちょうりゅうじ)と称したが、明治時代神仏分離により、長滝白山神社長瀧寺に分離された。神仏分離後も長滝白山神社と長滝寺は同一境内にあり、参道も同じである(参道から左側が長滝寺、右側が長滝白山神社)。

社号は白山長滝神社と呼ぶ場合もある。宗教法人としての登録名は「白山神社」。旧社格は県社。

祭神

沿革

伝承によれば、養老元年(717年)、白山中宮長滝寺として泰澄が創建したとされる。同6年には同寺にて元正天皇の病気平癒を祈願して効験があったことから、元正自作の十一面観音聖観音阿弥陀如来の本地仏を安置し、白山本地中宮長滝寺に改称したという。

天長5年(828年)にはそれまでの法相宗から天台宗寺院へ改宗。同9年には白山三馬場の一つになる(『白山之記』)。馬場とは禅定道の起点のことであり、白山三馬場とは、美濃国の白山中宮長滝寺、加賀国の白山寺白山本宮(現白山比咩神社)、越前国平泉寺白山神社である。平安時代の長滝寺は、白山三所、若宮社、大講堂、鐘楼、護摩堂、神楽殿、三重塔、法華堂、薬師堂など30以上の堂宇が建ち、6谷6院360坊を有していたという。文永8年(1271年)には火災により半数の建物を焼失。正応3年(1290年)には本殿が再建された。

宝徳2年(1450年)には比叡山延暦寺西塔院南尾一切経蔵院の末寺となる。

江戸時代には白山嶺上の管理を巡り、美濃馬場の白山本地中宮長滝寺、加賀馬場の白山寺白山本宮、越前馬場の平泉寺との論争が起きる。日本全国の白山神社の半数以上が白山本地中宮長滝寺系統の白山神社であったという。

慶応4年(明治元年、1868年)、神仏分離令により、長滝白山神社と長瀧寺に分離した。白山本地中宮長滝寺の建物のうち、白山三社、拝殿は長滝白山神社となり、大講堂、薬師堂、弁天堂、鐘楼、経蔵などは長滝寺となる。明治32年(1899年)に火災で社殿を焼失し、現在の建物は大正時代の再建である。

主な行事

  • 1月6日:六日祭(花奪い祭)
  • 5月5日:でででん祭り
    • 豊作、豊蚕、無病息災を祈願する祭り。独特の太鼓を敲く音から、でででん祭りと呼ばれる。

文化財

重要文化財

  • 鉄蛭巻手鉾(てつひるまきてぼこ)[1]
  • 鉄製斧 木柄付(入峯斧)[2]
  • 銅仏餉鉢(どうぶっしょうばち)3口[3] うち内1口に正和三年、1口に元亨三年、1口に延文二年の紀年銘あり
  • 木造古楽面 27面[4] 鎌倉時代から江戸時代に至る古楽面群で、能面の源流を知るうえで重要な資料である。[注釈 1]
  • 古瀬戸黄釉瓶子 2口[5] 正和元年十二月施入の銘がある - 正和2年は西暦1312年。紀年銘のある鎌倉期古瀬戸としては現存最古で、永仁の壺のモデルとなったともいわれる[6]
石燈籠
  • 石燈籠 正安四年壬寅七月日願主伝燈大法師覚海の刻銘がある - 正安4年は1302年
  • 黄地蝶梅文様繍狩衣・黄地牡丹文様繍狩衣[7] 各元和六年(1620年)墨書銘

典拠:2000年(平成12年)までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

重要無形民俗文化財

  • 長滝の延年[8]

岐阜県指定重要文化財

  • 絹本著色聖武天皇真影[9]
  • 木造狛犬[10]
  • 和鏡[11]
  • 朱根来瓶子[12]
  • 木造唐櫃[13]

岐阜県指定天然記念物

  • 白山神社のスギ[14]

所在地

  • 岐阜県郡上市白鳥町長滝138

周辺

交通

公共交通機関

脚注

注釈

  1. ^ 2000年に旧・重要美術品の11面と未指定の14面を合わせた25面が重要文化財に指定。2008年に鬼面1面が追加指定され、2014年にさらに鬼神面1面が追加指定された。(平成12年6月27日文部省告示第118号、平成20年7月10日文部科学省告示第114号、平成26年8月21日文部科学省告示第116号)

出典

  1. ^ 鉄蛭巻手鉾”. 岐阜県. 2013年4月23日閲覧。
  2. ^ 鉄製斧木柄付”. 岐阜県. 2013年4月23日閲覧。
  3. ^ 銅仏餉鉢”. 岐阜県. 2013年4月23日閲覧。
  4. ^ 木造古楽面”. 岐阜県. 2013年4月23日閲覧。
  5. ^ 古瀬戸黄釉瓶子”. 岐阜県. 2013年4月23日閲覧。
  6. ^ 松井覚進『永仁の壺 偽作の顛末』講談社講談社文庫〉、1995年2月15日、152-157頁。ISBN 4-06-185892-0 
  7. ^ 平成16年6月8日文部科学省告示第112号
  8. ^ 長滝の延年”. 岐阜県. 2013年4月23日閲覧。
  9. ^ 絹本著色聖武天皇真影”. 岐阜県. 2013年5月11日閲覧。
  10. ^ 木造狛犬”. 岐阜県. 2013年4月23日閲覧。
  11. ^ 和鏡”. 岐阜県. 2013年4月23日閲覧。
  12. ^ 朱根来瓶子”. 岐阜県. 2013年4月23日閲覧。
  13. ^ 木造唐櫃”. 岐阜県. 2013年4月23日閲覧。
  14. ^ 白山神社のスギ”. 岐阜県. 2013年5月10日閲覧。

外部リンク