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「閩浙総督」の版間の差分

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2020年7月12日 (日) 22:08時点における版

閩浙総督(びんせつそうとく)は、中国朝の地方長官の官職である。浙江省福建省総督として管轄地域の軍政・民政の両方を統括した。

沿革

  • 1645年(順治2年)、福建総督が設置され、総督府は福州におかれ、浙江省も管轄した。
  • 1648年(順治5年)、浙閩総督と改称され、総督府は衢州に移される。
  • 1658年(順治15年)、両省にそれぞれ総督が設置され、福建総督府は漳州に、浙江総督府は温州に設置された。
  • 1672年(康煕11年)、福建総督府は福州に移される。翌年、浙江総督府は廃止される。
  • 1687年(康煕26年)、福建総督が福建浙江総督に改称される。
  • 1727年雍正5年)、特例として李衛が浙江総督に任命される。福建浙江總督の高其倬は福建総督として福建省の専任とした。
  • 1734年(雍正12年)、再び浙江総督は廃止され、福建・浙江省は浙閩総督の管轄となった。
  • 1736年(乾隆元年)、李衛の例に倣って嵆曽筠が浙江総督に任命される。浙閩総督の郝玉麟は福建省の専任とした。
  • 1738年(乾隆3年)、嵆曽筠が中央に異動になったため、再び郝玉麟が両省を管轄する事になる。ここから福建・浙江の総督として閩浙総督が統括する事になる。
  • 1885年(光緒11年)、福建巡撫が廃止され、閩浙総督が兼任する。

歴代総督

福建総督~浙閩総督期(1645~1658年)

名前 着任時期 離任時期
張存仁 1645年(順治二年十一月壬子) 不明
陳錦 1647年(順治四年十二月壬申) 1652年(順治九年)
劉清泰 1652年(順治九年九月甲申) 1654年(順治十一年)
1654年(順治十一年七月丙辰) 1656年(順治十三年)
李率泰 1656年(順治十三年二月庚午) 1658年(順治十五年)

福建総督・浙江総督 分離期(1658~1688年)

福建総督
名前 着任時期 離任時期
李率泰 1658年(順治十五年) 1666年(康熙五年)
張朝 1666年(康熙五年) 1667年(康熙六年)
劉斗 1670年(康熙九年四月) 1672年(康熙十一年)
范承謨 1672年(康熙十一年十月壬子) 1674年(康熙十三年三月庚辰)に耿精忠に捕らえられて事実上の離任
郎廷佐 1674年(康熙十三年七月辛未) 1676年(康熙十五年)
郎廷相 1676年(康熙十五年七月庚子) 1678年(康熙十七年五月戊申)
姚啓聖 1678年(康熙十七年五月戊申) 1683年(康熙二十二年)
施維翰 1683年(康熙二十二年冬) 1684年(康熙二十三年春)(赴任しないまま死亡)
浙江総督
名前 着任時期 離任時期
趙国祚 1658年(順治十五年七月甲子) 1661年(順治十八年)
趙廷臣 1661年(順治十八年) 1669年(康熙八年)
李之芳 1673年(康熙十二年六月壬寅) 1682年(康熙二十一年十一月戊辰)
施維翰 1682年(康熙二十一年十一月戊辰) 1683年(康熙二十二年冬)
1683年(康熙二十三年五月丁卯)に浙江総督は廃止

福建浙江総督期(1688~1727年)

名前 着任時期 離任時期
1688年(康熙二十七年) 1692年(康熙三十一年)
朱弘祚 1692年(康熙三十一年) 1695年(康熙三十四年)
郭世隆 1695年(康熙三十四年二月己亥) 1702年(康熙四十一年)
金世栄 1702年(康熙四十一年十月丙午) 1706年(康熙四十五年)
1706年(康熙四十五年五月丁丑) 1710年(康熙四十九年)
范時崇 1710年(康熙四十九年八月庚寅) 1715年(康熙五十四年十一月甲午)
マムボー(mamboo、満保) 1715年(康熙五十四年十一月甲午) 1725年(雍正三年)
高其倬 1725年(雍正三年) 1727年(雍正五年)

雍正帝治世の福建総督・浙江総督 分離期(1727~1734年)

福建総督
名前 着任時期 離任時期
高其倬 1727年(雍正五年) 1730年(雍正八年)
史貽直(代理) 1729年(雍正七年四月甲午) 1730年(雍正八年)
劉世明 1730年(雍正八年五月丁丑) 不明(すくなくとも雍正九年には在任)
1734年(雍正十二年)に浙江総督と統合
浙江総督
名前 着任時期 離任時期
李衛 1727年(雍正五年十一月丁巳) 1732年(雍正十年)
程元章 1732年(雍正十年) 1734年(雍正十二年十月)
1734年(雍正十二年)に福建総督と統合

福建浙江総督期(1734~1736年)

名前 着任時期 離任時期
玉麟 1734年(雍正十二年十月戊午) 1736年(乾隆元年二月甲申)
1736年(乾隆元年)から福建・浙江をそれぞれの総督が分治

乾隆帝治世の福建総督・浙江総督 分離期(1736~1738年)

福建総督
名前 着任時期 離任時期
玉麟 1736年(乾隆元年二月甲申) 1738年(乾隆三年九月辛酉)
1738年(乾隆三年)に浙江総督と統合
浙江総督
名前 着任時期 離任時期
嵆曽 1736年(乾隆元年二月甲申) 1738年(乾隆三年九月辛酉)
1738年(乾隆三年)に福建総督と統合

閩浙総督期(1738~1912年)

名前 着任時期 離任時期
玉麟 1738年(乾隆三年九月辛酉) 1739年(乾隆四年七月丙寅)
徳沛 1739年(乾隆四年七月丙寅) 1742年(乾隆七年四月甲午)
ナストゥ(nasutu、那蘇図) 1742年(乾隆七年四月甲午) 1744年(乾隆九年)
マルタイ(martai、馬爾泰) 不明 1746年(乾隆十一年九月丁巳)
喀爾吉善 1746年(乾隆十一年九月丁巳) 1757年(乾隆二十二年)
楊応 1757年(乾隆二十二年六月丁未) 1759年(乾隆二十四年四月丁巳)
楊廷璋(代理) 1759年(乾隆二十四年三月壬辰) 1759年(乾隆二十四年四月丁巳)
楊廷璋 1759年(乾隆二十四年四月丁巳) 1764年(乾隆二十九年)
蘇昌 1764年(乾隆二十九年六月甲辰) 1768年(乾隆三十三年正月丙午)
崔応階 1768年(乾隆三十三年正月丁未) 不明
鍾音(代理) 1770年(乾隆三十五年十月辛巳) 不明
富明安 1771年(乾隆三十六年二月戊午) 1771年(乾隆三十六年五月辛丑朔)
鍾音 1771年(乾隆三十六年五月辛丑朔) 1778年(乾隆四十三年二月己酉)
楊景素 1778年(乾隆四十三年二月己酉) 1779年(乾隆四十四年三月丁酉)
サムボー(samboo、三宝 1779年(乾隆四十四年三月丁酉) 1780年(乾隆四十五年五月乙卯)
フレフン(fulehun、富勒渾) 1780年(乾隆四十五年五月乙卯) 1781年(乾隆四十六年正月癸卯)
陳輝祖 1781年(乾隆四十六年正月癸卯) 1782年(乾隆四十七年九月辛亥)
フレフン(富勒渾) 1782年(乾隆四十七年九月辛亥) 1785年(乾隆五十年七月己酉)
ヤデ(yade、雅徳 1785年(乾隆五十年七月己酉) 不明
富綱 1786年(乾隆五十一年六月辛丑) 1786年(乾隆五十一年十月辛丑朔)
常青(cangcing) 1786年(乾隆五十一年十月辛丑朔) 1787年(乾隆五十二年正月丁丑)
李侍堯 1787年(乾隆五十二年春正月丁丑) 1788年(乾隆五十三年十一月癸亥)
フカンガン(fuk'anggan、福康安)(代理) 1788年(乾隆五十三年十月乙卯) 1788年(乾隆五十三年十一月癸亥)
フカンガン(福康安) 1788年(乾隆五十三年十一月癸亥) 1789年(乾隆五十四年正月癸未)
ウラナ(ulana、伍拉納 1789年(乾隆五十四年正月癸未) 1795年(乾隆六十年五月丁巳)
吉慶(代理) 1793年(乾隆五十八年十二月癸未) 不明
魁倫(代理) 1795年(乾隆六十年五月丙辰) 1795年(乾隆六十年五月丁巳)
フカンガン(福康安) 1795年(乾隆六十年五月丁巳) 不明
長麟(代理) 1795年(乾隆六十年六月戊申) 不明
魁倫(代理) 1795年(乾隆六十年十月甲申) 1796年(嘉慶元年六月乙亥朔)
魁倫 1796年(嘉慶元年六月乙亥朔) 1799年(嘉慶四年)
長麟 1799年(嘉慶四年三月癸亥) 1800年(嘉慶五年正月辛酉)
玉徳(ioi de) 1800年(嘉慶五年正月辛酉) 1806年(嘉慶十一年五月丙寅)
アリムボー(alimboo、阿林保 1806年(嘉慶十一年五月丙寅) 1809年(嘉慶十四年秋七月戊辰)
方維甸 1809年(嘉慶十四年七月戊辰) 1810年(嘉慶十五年九月己未)
汪志伊 1810年(嘉慶十五年九月己未) 1817年(嘉慶二十二年三月甲辰朔)
董教増 1817年(嘉慶二十二年三月甲辰朔) 1820年(嘉慶二十五年)
慶保 1820年(嘉慶二十五年十二月丙戌) 1821年(道光二年八月戊申)
趙慎畛 1822年(道光二年八月戊申) 1825年(道光五年九月乙酉)
孫爾準 1825年(道光五年九月乙酉) 1832年(道光十二年二月乙未)
程祖洛 1832年(道光十二年二月乙未) 1836年(道光十六年)
鍾祥 1836年(道光十六年七月癸未) 1839年(道光十九年六月丙寅)
周天爵 1839年(道光十九年六月丙寅) 1839年(道光十九年六月辛卯)
桂良(gui liyang) 1839年(道光十九年) 1839年(道光十九年)
鄧廷楨 1839年(道光十九年十二月癸未) 1840年(道光二十年九月辛卯)
顔伯燾 1840年(道光二十年九月辛卯) 1841年(道光二十一年十二月戊子)
楊国楨 1841年(道光二十一年十二月戊子) 1842年(道光二十二年春正月丙辰)
怡良(i liyang) 1842年(道光二十二年正月丙辰) 1843年(道光二十三年四月戊辰)
劉韻珂 1843年(道光二十三年四月戊辰) 1850年(道光三十年十一月乙巳)
裕泰(ioi tai) 1850年(道光三十年十一月乙巳) 不明
季芝昌 1851年(咸豊元年五月乙巳) 1852年(咸豊二年十月壬辰)
呉文鎔 1852年(咸豊二年十月壬辰) 1853年(咸豊三年八月戊寅)
慧成 1853年(咸豊三年) 年(咸豊四年)
王懿徳 1854年(咸豊四年正月己未) 1859年(咸豊九年四月壬戌)
慶端(king duwan) 1859年(咸豊九年四月壬戌) 1862年(同治元年七月甲辰)
耆齢 1862年(同治元年七月甲辰) 1863年(同治二年三月甲子)
左宗棠 1863年(同治二年三月甲子) 1866年(同治五年八月癸卯)
呉棠 1866年(同治五年八月癸卯) 1867年(同治六年十二月丁酉)
馬新貽 1867年(同治六年十二月丁酉) 1868年(同治七年七月乙未)
英桂(ing gui) 1868年(同治七年七月乙未) 不明
李鶴年 1871年(同治十年) 1875年(光緒元年)
文煜(代理) 1871年(同治十年) 1877年(光緒三年)
何璟 1876年(光緒二年) 1884年(光緒十年)
楊昌濬 1884年(光緒十年七月戊辰) 不明
卞宝第 1888年(光緒十四年) 1892年(光緒十八年)
譚鍾麟 1892年(光緒十八年) 1894年(光緒二十年)
辺宝泉 1894年(光緒二十年) 1898年(光緒二十四年)
許応 1898年(光緒二十四年) 1902年(光緒二十八年)
升允 1905年(光緒三十一年正月) 1905年(光緒三十一年三月)
松寿 1907年(光緒三十三年) 1912年(宣統三年)

参考資料

  • 清史稿 巻一百十六・志九十一 『職官三外官』
  • 清史稿 本紀/列伝