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'''楊 沂孫'''(よう ぎそん、''Yang Yisun''、[[1813年]] - [[1881年]])。字は'''泳春'''、号は'''子輿'''、晩号は'''豪叟'''。[[清]]の[[学者]]・[[能書家]]。
'''楊 沂孫'''(よう ぎそん、''Yang Yisun''、[[1813年]] - [[1881年]])。字は'''泳春'''、号は'''子輿'''、晩号は'''豪叟'''。[[清]]の[[学者]]・[[能書家]]。


[[江蘇省]][[常熟市|常熟]]出身。若い時は[[李兆洛]]に学問を学び、『[[管子]]』『[[荘子 (書物)|荘子]]』に精通した。[[1843年]]に[[挙人]]となり、官職は[[安徽省]][[鳳陽県|鳳陽]]の知府に至った。書は最初は[[トウ石如|鄧石如]]の影響を受けていたが、後に[[金文]]・[[石鼓文]]・漢碑[[篆書]]や唐の[[李陽冰]]の要素を吸収し、独自の書風を確立した。
[[江蘇省]][[常熟市|常熟]]出身。若い時は[[李兆洛]]に学問を学び、『[[管子]]』『[[荘子 (書物)|荘子]]』に精通した。[[1843年]]に[[挙人]]となり、官職は[[安徽省]][[鳳陽県|鳳陽]]の知府に至った。書は最初は[[鄧石如]]の影響を受けていたが、後に[[金文]]・[[石鼓文]]・漢碑[[篆書]]や唐の[[李陽冰]]の要素を吸収し、独自の書風を確立した。


==著作==
==著作==

2020年7月12日 (日) 22:00時点における版

楊 沂孫(よう ぎそん、Yang Yisun1813年 - 1881年)。字は泳春、号は子輿、晩号は豪叟学者能書家

江蘇省常熟出身。若い時は李兆洛に学問を学び、『管子』『荘子』に精通した。1843年挙人となり、官職は安徽省鳳陽の知府に至った。書は最初は鄧石如の影響を受けていたが、後に金文石鼓文・漢碑篆書や唐の李陽冰の要素を吸収し、独自の書風を確立した。

著作

  • 『管子今編』
  • 『荘子正読』
  • 『文字説解問偽』
  • 『在昔篇』
  • 『観濠居士集』