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== 正史の事跡 ==
== 正史の事跡 ==
[[劉璋]]配下。[[建安 (漢)|建安]]18年([[213年]])、劉璋と[[劉備]]の関係が悪化し、[[劉備の入蜀]]が始まった。冷苞は[[劉カイ (後漢)|劉{{Lang|zh|璝}}]]・[[張任]]・[[トウ賢|鄧賢]]と共に[[綿陽市|涪城]]で劉備軍を迎え撃ったが敗れ、[[綿竹]]へ後退した。以後、史書には登場しない。
[[劉璋]]配下。[[建安 (漢)|建安]]18年([[213年]])、劉璋と[[劉備]]の関係が悪化し、[[劉備の入蜀]]が始まった。冷苞は[[劉カイ (後漢)|劉{{Lang|zh|璝}}]]・[[張任]]・[[鄧賢]]と共に[[綿陽市|涪城]]で劉備軍を迎え撃ったが敗れ、[[綿竹]]へ後退した。以後、史書には登場しない。


== 物語中の冷苞 ==
== 物語中の冷苞 ==

2020年7月12日 (日) 21:50時点における版

冷 苞(れい ほう、生没年不詳)は、中国後漢末期の武将。泠苞とも呼ばれる。

正史の事跡

劉璋配下。建安18年(213年)、劉璋と劉備の関係が悪化し、劉備の入蜀が始まった。冷苞は張任鄧賢と共に涪城で劉備軍を迎え撃ったが敗れ、綿竹へ後退した。以後、史書には登場しない。

物語中の冷苞

小説『三国志演義』では、劉備歓迎の宴で劉璋を守るために同僚たちと共に剣舞を行う。劉備の入蜀が始まると、涪城ではなく雒城で劉備軍を迎え撃った。鄧賢と共に城外で陣を構えたが、魏延に捕らえられてしまう。他の武将を説得する約束で解放されたが、劉備軍を水攻めにしようとして失敗し、魏延に再度捕らえられて処刑された。

参考文献