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「雨夜花」の版間の差分

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解説: こまどり姉妹の「南国哀歌」について加筆
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『'''雨夜花'''』(うやか、ウーヤーホエ、[[台湾語]][[白話字]]:{{unicode|Ú-iā-hoe}})または『'''雨の夜の花'''』(あめのよのはな)は、[[1934年]]に発表された[[台湾]]の[[民謡]]。作詞者は[[周添旺]]、作曲者は[[鄧雨賢]]で、[[日本統治時代の台湾|日本統治時代]]の歌手・[[純々]]([[劉清香]])の[[ヒット]]曲である。現在は[[台湾語]]歌謡のうち、『[[望春風]]』と並んで最も代表性のある名曲であると言われる。


==解説==
==解説==
この歌の曲はもともと[[詩人]]・[[廖漢臣]]の[[童謡]]・『春』に[[トウ雨賢|鄧雨賢]]が[[1933年]]につけたものであるが、この曲を聞いた[[周添旺]]は翌年に新しい歌詞をつけた結果、ヒット曲・『雨夜花』が作り上げられた。歌詞は[[駆け落ち]]した恋人に振られた後、[[花柳界]]に堕ちたある女性の運命を雨の夜の花に喩えたものである。
この歌の曲はもともと[[詩人]]・[[廖漢臣]]の[[童謡]]・『春』に[[鄧雨賢]]が[[1933年]]につけたものであるが、この曲を聞いた[[周添旺]]は翌年に新しい歌詞をつけた結果、ヒット曲・『雨夜花』が作り上げられた。歌詞は[[駆け落ち]]した恋人に振られた後、[[花柳界]]に堕ちたある女性の運命を雨の夜の花に喩えたものである。


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2020年7月12日 (日) 21:49時点における版

「雨夜花」
純々シングル
初出アルバム『雨夜花』
リリース
ジャンル 歌謡曲
レーベル 台湾コロムビアレコード
作詞・作曲 周添旺鄧雨賢
テンプレートを表示
雨夜花
繁体字 雨夜花
発音記号
閩南語
閩南語白話字Ú-iā-hoe

雨夜花』(うやか、ウーヤーホエ、台湾語白話字Ú-iā-hoe)または『雨の夜の花』(あめのよのはな)は、1934年に発表された台湾民謡。作詞者は周添旺、作曲者は鄧雨賢で、日本統治時代の歌手・純々劉清香)のヒット曲である。現在は台湾語歌謡のうち、『望春風』と並んで最も代表性のある名曲であると言われる。

解説

この歌の曲はもともと詩人廖漢臣童謡・『春』に鄧雨賢1933年につけたものであるが、この曲を聞いた周添旺は翌年に新しい歌詞をつけた結果、ヒット曲・『雨夜花』が作り上げられた。歌詞は駆け落ちした恋人に振られた後、花柳界に堕ちたある女性の運命を雨の夜の花に喩えたものである。

1938年台湾総督府の下で、栗原白也が作詞する軍歌・『誉れの軍夫』(霧島昇歌唱)にも改編された[1]。日本国内でも1942年に、西條八十が作詞する、渡辺はま子が唄う『雨の夜の花』に改編された[2]

戦後はテレサ・テン鳳飛々胡美芳夏川りみなどの歌手によりカバーされた。2002年11月29日に、プラシド・ドミンゴが台湾で開催するコンサートで、江蕙と一緒にこの曲を歌った[3]

また、この曲に大矢弘子が新たに作詞した歌を、こまどり姉妹が「南国哀歌」として1965年に発表している。

脚注

  1. ^ 魏緗慈. “共調不共款--日治時期「外來曲台語詞」歌曲現象研究” (pdf). 大同大学. 2018年3月12日閲覧。
  2. ^ 歌謡曲:雨の夜の花”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2018年3月12日閲覧。
  3. ^ 多明哥江蕙 唱雨夜花”. 中華電視公司 (2002年11月27日). 2018年3月12日閲覧。

関連項目