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'''枕流王'''(ちんりゅうおう、生年不詳 - [[385年]])は[[百済]]の第15代の王(在位:[[384年]] - 385年)であり、先代の[[近仇首王]]の嫡子。母は阿尓夫人。384年4月に先王が死去し、王位についた。『[[日本書紀]]』では枕流(とむる)と読まれた。[[諱]]・[[諡]]は伝わっていない。子に[[ |
'''枕流王'''(ちんりゅうおう、生年不詳 - [[385年]])は[[百済]]の第15代の王(在位:[[384年]] - 385年)であり、先代の[[近仇首王]]の嫡子。母は阿尓夫人。384年4月に先王が死去し、王位についた。『[[日本書紀]]』では枕流(とむる)と読まれた。[[諱]]・[[諡]]は伝わっていない。子に[[阿莘王]]。 |
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== 治世 == |
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2020年7月12日 (日) 21:35時点における版
枕流王 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 침류왕 |
漢字: | 枕流王 |
発音: | チムニュワン |
日本語読み: | ちんりゅうおう |
ローマ字: | Chimnyu-wang |
枕流王(ちんりゅうおう、生年不詳 - 385年)は百済の第15代の王(在位:384年 - 385年)であり、先代の近仇首王の嫡子。母は阿尓夫人。384年4月に先王が死去し、王位についた。『日本書紀』では枕流(とむる)と読まれた。諱・諡は伝わっていない。子に阿莘王。
治世
東晋と結んで高句麗に対抗しようとする基本外交姿勢を継承し、即位年の384年7月にも東晋への朝貢を行っている。また、同年9月には東晋から胡僧の摩羅難陀を迎えた。百済の仏教はこのときから始まるとされる。385年2月、漢山(京畿道広州市)に仏寺を開き、僧10人を得度させた。
385年11月に在位2年にして死去した。
参考文献
- 金富軾撰、井上秀雄訳注『三国史記』第2巻、平凡社〈東洋文庫425〉、1983年 ISBN 4-582-80425-X