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[[1926年]](民国15年)2月、蕭耀南が急病死したため、[[呉佩孚]]からその後任として湖北督弁兼省長に任命された。しかし、同年10月、[[中国国民党]]の[[北伐 (中国国民党)|北伐]]軍に[[武昌]]を攻略され、陳嘉謨自身も捕虜とされた。 |
2020年7月11日 (土) 21:30時点における版
陳嘉謨 | |
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プロフィール | |
出生: | 不詳 |
死去: |
1927年(民国16年) 中華民国天津市 |
出身地: | 清直隷省河間府任丘県 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 陳嘉謨 |
簡体字: | 陈嘉谟 |
拼音: | Chén Jiāmó |
ラテン字: | Ch'en Chia-mo |
和名表記: | ちん かぼ |
発音転記: | チェン ジアモー |
陳 嘉謨(ちん かぼ)は中華民国の軍人。北京政府・直隷派に属した。字は峴亭。
事跡
直隷派指導者の曹錕率いる陸軍第3師で昇進を重ねる。1922年(民国11年)8月、陸軍中将の位を授けられる。1924年(民国13年)、湖北督軍蕭耀南から蒲通鎮守使兼第25師師長に任命された。同年8月、儀威将軍の位を授与されている。1925年(民国14年)、湖北第25師師長兼武漢警備総司令に任命された。
1926年(民国15年)2月、蕭耀南が急病死したため、呉佩孚からその後任として湖北督弁兼省長に任命された。しかし、同年10月、中国国民党の北伐軍に武昌を攻略され、陳嘉謨自身も捕虜とされた。
1927年(民国16年)に釈放され、天津に居住したが、同年中に死去した。
参考文献
- 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』南開大学出版社、2000年。ISBN 7-310-01517-7。
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(北京政府)
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