「呉巨」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
15行目: | 15行目: | ||
|廟号 = |
|廟号 = |
||
|別名 = |
|別名 = |
||
|主君 = [[劉表]]→独立勢力→[[ |
|主君 = [[劉表]]→独立勢力→[[歩騭]] |
||
|特記事項 = |
|特記事項 = |
||
}} |
}} |
||
25行目: | 25行目: | ||
[[劉備]]は呉巨と昔馴染みであったため、劉表死後に[[曹操]]の追撃を受けた時、呉巨を頼って落ち延びようとした。しかし[[孫権]]軍の[[魯粛]]が「呉巨は平凡な人物だから、頼りにしても当てにならない」と進言したため、落ち延びることをやめたという。 |
[[劉備]]は呉巨と昔馴染みであったため、劉表死後に[[曹操]]の追撃を受けた時、呉巨を頼って落ち延びようとした。しかし[[孫権]]軍の[[魯粛]]が「呉巨は平凡な人物だから、頼りにしても当てにならない」と進言したため、落ち延びることをやめたという。 |
||
[[210年]]、孫権が交州刺史として[[ |
[[210年]]、孫権が交州刺史として[[歩騭]]を派遣すると、呉巨は降伏したが、異心を抱いていた。それを察した歩騭に会談の席上で斬り殺され、その首を晒しものにされた。 |
||
小説『[[三国志演義]]』では第42回にて、[[諸葛亮]]と魯粛の間で前述の会話がなされ、その会話上で名前が挙がる場面がある。名前も呉臣(ごしん)に変更されている。 |
小説『[[三国志演義]]』では第42回にて、[[諸葛亮]]と魯粛の間で前述の会話がなされ、その会話上で名前が挙がる場面がある。名前も呉臣(ごしん)に変更されている。 |
2020年7月11日 (土) 12:22時点における版
呉巨 | |
---|---|
後漢 蒼梧太守 | |
出生 |
不詳 荊州長沙郡 |
死去 | 不詳 |
主君 | 劉表→独立勢力→歩騭 |
呉 巨(ご きょ、生没年不詳)は、中国後漢末期の武将。呉臣(『江表伝』)とも表記される。長沙の人[1]。
生涯
交州刺史張津と蒼梧太守史璜の死後、荊州牧劉表は頼恭を呉巨と共に派遣して交州に至らせ、張津と史璜に代えた。後に呉巨は頼恭と反目し、頼恭は零陵に逃走した。
劉備は呉巨と昔馴染みであったため、劉表死後に曹操の追撃を受けた時、呉巨を頼って落ち延びようとした。しかし孫権軍の魯粛が「呉巨は平凡な人物だから、頼りにしても当てにならない」と進言したため、落ち延びることをやめたという。
210年、孫権が交州刺史として歩騭を派遣すると、呉巨は降伏したが、異心を抱いていた。それを察した歩騭に会談の席上で斬り殺され、その首を晒しものにされた。
小説『三国志演義』では第42回にて、諸葛亮と魯粛の間で前述の会話がなされ、その会話上で名前が挙がる場面がある。名前も呉臣(ごしん)に変更されている。