「河合弘之」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m →映画 |
|||
5行目: | 5行目: | ||
==経済事件== |
==経済事件== |
||
[[ダグラス・グラマン事件]]を皮切りに、[[平和相互銀行事件]]、リッカーミシン事件、政界金屏風事件、ライフ・忠実屋・いなげや仕手戦、つぼ八乗っ取り事件、国際航業仕手戦、イトマン事件などを手がける。[[ダイエー]]、[[秀和]]、[[イトマン]]、[[小谷光浩]]、[[国際航業]]、[[横井英樹]]、[[なかにし礼]]、[[中内 |
[[ダグラス・グラマン事件]]を皮切りに、[[平和相互銀行事件]]、リッカーミシン事件、政界金屏風事件、ライフ・忠実屋・いなげや仕手戦、つぼ八乗っ取り事件、国際航業仕手戦、イトマン事件などを手がける。[[ダイエー]]、[[秀和]]、[[イトマン]]、[[小谷光浩]]、[[国際航業]]、[[横井英樹]]、[[なかにし礼]]、[[中内㓛]]、[[太平洋クラブ]]、[[慶屋]]、[[ホテルニュージャパン]]等の顧問を歴任。敏腕弁護士として政財界で著名な存在。 |
||
*[[ダグラス・グラマン事件]] |
*[[ダグラス・グラマン事件]] |
2020年7月11日 (土) 10:19時点における版
河合 弘之(かわい ひろゆき、1944年4月18日[1] - )は、弁護士。多くの大型経済事件に関与したことで有名。
経歴
旧満州国新京市(中国長春市)生まれ。桐朋高等学校を経て、1968年東京大学法学部卒業。1970年弁護士登録。さくら共同法律事務所所長。駆け出しの頃は社会派弁護士として過激派や労働組合の弁護をしたが、一転して企業弁護士となる。
経済事件
ダグラス・グラマン事件を皮切りに、平和相互銀行事件、リッカーミシン事件、政界金屏風事件、ライフ・忠実屋・いなげや仕手戦、つぼ八乗っ取り事件、国際航業仕手戦、イトマン事件などを手がける。ダイエー、秀和、イトマン、小谷光浩、国際航業、横井英樹、なかにし礼、中内㓛、太平洋クラブ、慶屋、ホテルニュージャパン等の顧問を歴任。敏腕弁護士として政財界で著名な存在。
- ダグラス・グラマン事件
- 平和相互銀行事件
- 忠実屋・いなげや事件
- イトマン事件
- 光進事件
- 東京協和信用組合、安全信用組合事件
- 太平洋クラブ破綻事件
- ロッテ・グリコ比較広告事件
- 福岡ドーム事件
- 蛇の目ミシン工業事件
社会活動
東日本大震災後は原発訴訟をリードし、海渡雄一弁護士(社民党首・福島瑞穂の夫)とともに反原発映画を製作している。 浜岡原発差止訴訟弁護団長、大間原発差止訴訟弁護団共同代表、脱原発弁護団全国連絡会共同代表、3・11甲状腺がん子ども基金理事、ヒロシマ被爆者団体員、中国残留孤児の国籍取得を支援する会会長、フィリピン日系人リーガルサポートセンター代表理事、環境エネルギー政策研究所監事。
著書
単著
- 『欠陥だらけの法常識』広済堂ブックス 1975
- 『破産宣告』日刊工業新聞社 ウイークエンドブックス 1979
- 『弁護士という職業』三一新書 1982(絶版)
- 『商法の本――田中君が会社のことがほんとうにわかった』ごま書房 これだけは身につけておきたい入門シリーズ 1993
- 『原発訴訟が社会を変える』集英社新書 2015
編著
- 『東電株主代表訴訟――原発事故の経営責任を問う』現代人文社 2012
共著
- (大下英治)『脱原発』青志社 2011
- (FUKUSHIMAプロジェクト委員会、水野博之、山口栄一、西村吉雄、飯尾俊二、仲森智博、川口盛之助、本田康二郎)『FUKUSHIMAレポート――原発事故の本質』日経BPコンサルティング 2012
- (小出裕章、海渡雄一、島田広、中嶌哲演)『動かすな、原発。――大飯原発地裁判決からの出発』岩波ブックレット 2014
- (海渡雄一、原発事故情報公開原告団弁護団)『朝日新聞「吉田調書報道」は誤報ではない――隠された原発情報との闘い』彩流社 2015
関連書籍
- 大下英治『逆襲弁護士 河合弘之』さくら舎 2013年
映画
- 日本と原発 私たちは原発で幸せですか?(2014年) - 監督・製作を担当、構成:海渡雄一、作曲:新垣隆[2]
- 日本と原発 4年後(2015年) - 監督・製作・出演を担当、構成:海渡雄一、作曲:新垣隆[3]
- 日本と再生 光と風のギガワット作戦(2017年) - 監督・製作・出演を担当、構成:海渡雄一、作曲:新垣隆・坂本龍一[4]
- 日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人(2020年) - 企画・製作を担当
脚注
参考
- 大下英治共著『脱原発』