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1980年ごろのダイエーは売上高1兆円を超えており、[[ドムドムハンバーガー]]、[[神戸らんぷ亭]]、[[フォルクス]]、[[ヴィクトリアステーション]]、[[ビッグボーイ (レストラン)|ビッグボーイ]]といった外食産業をいくつも造っていた{{R|style1}}。
1980年ごろのダイエーは売上高1兆円を超えており、[[ドムドムハンバーガー]]、[[神戸らんぷ亭]]、[[フォルクス]]、[[ヴィクトリアステーション]]、[[ビッグボーイ (レストラン)|ビッグボーイ]]といった外食産業をいくつも造っていた{{R|style1}}。


ダイエーの創業者である[[中内]]は[[イギリス]]における[[パブ]]文化を日本に持ち込もうと考えた。中内の考えるパブ文化とは、日本の[[居酒屋]]文化が「食べながら飲む」スタイルであるのに対し、パブ文化は「飲みながら会話する」スタイルであることだった。長居はせずに、1杯か、2杯飲んでその日、1日をリセットし、明日の活力にする場である{{R|ゲンダイ1}}。1980年にダイエーの子会社として株式会社ハブ(以下、旧会社)を設立し、同年3月には[[神戸市]]に1号店を開店したが、通常の居酒屋のように店員が客にオーダーを取りに行くのではなく、イギリスのパブで行われている「キャッシュオンデリバリー」(カウンターで客が注文を行い、その際に支払い、精算を行ってから酒を受け取って飲むスタイル)を取り入れた{{R|産経1}}。「オーダー制のほうが客単価が上がる」という意見もあったが、「1杯を飲んで空になった後でも居続けられるような店のほうが再訪する客も多く結果的には売上が増える」という考え方から、キャッシュオンデリバリーが採用された{{R|産経1}}。1983年頃には「今後10年で1000店舗に拡大する」といった目標も掲げられたが{{R|読売}}。採算の合わない店舗も多く、1986年には事業再編成となり旧会社は同じくダイエー子会社であった株式会社[[キャプテンクック (企業)|キャプテンクック]]の一部門にとなった{{R|読売}}。店舗おとして「HUB」の屋号は存続し、六本木店や渋谷店といった一部黒字店舗も営業を継続したが、「イギリスのパブ文化を日本に」というコンセプトは中断されることになる{{R|読売|東洋3}}。[[1989年]]には再度のダイエーグループの外食業再編に伴い、キャプテンクックから株式会社りきしゃまんに営業譲渡される。
ダイエーの創業者である[[中内]]は[[イギリス]]における[[パブ]]文化を日本に持ち込もうと考えた。中内の考えるパブ文化とは、日本の[[居酒屋]]文化が「食べながら飲む」スタイルであるのに対し、パブ文化は「飲みながら会話する」スタイルであることだった。長居はせずに、1杯か、2杯飲んでその日、1日をリセットし、明日の活力にする場である{{R|ゲンダイ1}}。1980年にダイエーの子会社として株式会社ハブ(以下、旧会社)を設立し、同年3月には[[神戸市]]に1号店を開店したが、通常の居酒屋のように店員が客にオーダーを取りに行くのではなく、イギリスのパブで行われている「キャッシュオンデリバリー」(カウンターで客が注文を行い、その際に支払い、精算を行ってから酒を受け取って飲むスタイル)を取り入れた{{R|産経1}}。「オーダー制のほうが客単価が上がる」という意見もあったが、「1杯を飲んで空になった後でも居続けられるような店のほうが再訪する客も多く結果的には売上が増える」という考え方から、キャッシュオンデリバリーが採用された{{R|産経1}}。1983年頃には「今後10年で1000店舗に拡大する」といった目標も掲げられたが{{R|読売}}。採算の合わない店舗も多く、1986年には事業再編成となり旧会社は同じくダイエー子会社であった株式会社[[キャプテンクック (企業)|キャプテンクック]]の一部門にとなった{{R|読売}}。店舗おとして「HUB」の屋号は存続し、六本木店や渋谷店といった一部黒字店舗も営業を継続したが、「イギリスのパブ文化を日本に」というコンセプトは中断されることになる{{R|読売|東洋3}}。[[1989年]]には再度のダイエーグループの外食業再編に伴い、キャプテンクックから株式会社りきしゃまんに営業譲渡される。


[[1995年]]、ダイエー本体から[[金鹿研一]]がりきしゃまんの社長に着任する{{R|産経2}}。金鹿は、外食は門外漢であったため、創業当時の原点に戻ることを決めると、旧会社からの最古参であった[[太田剛]]にイギリス視察を命じた{{R|産経2}}。「洋風PUB」から「英国風PUB」へと店舗のコンセプトを根本から見直し、[[1997年]]には池袋東口店をプロトタイプとして開店させる{{R|産経3}}。翌1998年にはダイエーが資本金を投入し、[[ダイエーホールディングコーポレーション]]の子会社として株式会社ハブが設立される{{R|産経3}}。
[[1995年]]、ダイエー本体から[[金鹿研一]]がりきしゃまんの社長に着任する{{R|産経2}}。金鹿は、外食は門外漢であったため、創業当時の原点に戻ることを決めると、旧会社からの最古参であった[[太田剛]]にイギリス視察を命じた{{R|産経2}}。「洋風PUB」から「英国風PUB」へと店舗のコンセプトを根本から見直し、[[1997年]]には池袋東口店をプロトタイプとして開店させる{{R|産経3}}。翌1998年にはダイエーが資本金を投入し、[[ダイエーホールディングコーポレーション]]の子会社として株式会社ハブが設立される{{R|産経3}}。

2020年7月11日 (土) 10:13時点における版

株式会社ハブ
HUB CO., LTD.
種類 株式会社
市場情報
本社所在地 日本の旗 日本
101-0021
東京都千代田区外神田3丁目14番10号 秋葉原HFビル 7階
設立 1998年5月28日
業種 小売業
法人番号 8010001087103 ウィキデータを編集
代表者 代表取締役社長 太田剛
資本金 6億3179万円
発行済株式総数 3,755,100株
売上高 95億40百万円(2016年2月期)
営業利益 7億30百万円(2016年2月期)
純利益 4億35百万円(2016年2月期)
純資産 30億83百万円(2016年2月)
総資産 51億32百万円(2016年2月)
従業員数 264名(臨時雇用者577名)
決算期 2月末日
主要株主 ロイヤルホールディングス 32.84%
久世 9.75%
みのりホールディングス 9.59%
(2016年2月)
関係する人物 中内㓛
外部リンク pub-hub.co.jp
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HUB慶應日吉店

株式会社ハブは、英国パブチェーンのHUB82ALE HOUSEの経営を行う企業。ロイヤルホールディングスグループ。

沿革

1980年ごろのダイエーは売上高1兆円を超えており、ドムドムハンバーガー神戸らんぷ亭フォルクスヴィクトリアステーションビッグボーイといった外食産業をいくつも造っていた[1]

ダイエーの創業者である中内㓛イギリスにおけるパブ文化を日本に持ち込もうと考えた。中内の考えるパブ文化とは、日本の居酒屋文化が「食べながら飲む」スタイルであるのに対し、パブ文化は「飲みながら会話する」スタイルであることだった。長居はせずに、1杯か、2杯飲んでその日、1日をリセットし、明日の活力にする場である[2]。1980年にダイエーの子会社として株式会社ハブ(以下、旧会社)を設立し、同年3月には神戸市に1号店を開店したが、通常の居酒屋のように店員が客にオーダーを取りに行くのではなく、イギリスのパブで行われている「キャッシュオンデリバリー」(カウンターで客が注文を行い、その際に支払い、精算を行ってから酒を受け取って飲むスタイル)を取り入れた[3]。「オーダー制のほうが客単価が上がる」という意見もあったが、「1杯を飲んで空になった後でも居続けられるような店のほうが再訪する客も多く結果的には売上が増える」という考え方から、キャッシュオンデリバリーが採用された[3]。1983年頃には「今後10年で1000店舗に拡大する」といった目標も掲げられたが[4]。採算の合わない店舗も多く、1986年には事業再編成となり旧会社は同じくダイエー子会社であった株式会社キャプテンクックの一部門にとなった[4]。店舗おとして「HUB」の屋号は存続し、六本木店や渋谷店といった一部黒字店舗も営業を継続したが、「イギリスのパブ文化を日本に」というコンセプトは中断されることになる[4][5]1989年には再度のダイエーグループの外食業再編に伴い、キャプテンクックから株式会社りきしゃまんに営業譲渡される。

1995年、ダイエー本体から金鹿研一がりきしゃまんの社長に着任する[6]。金鹿は、外食は門外漢であったため、創業当時の原点に戻ることを決めると、旧会社からの最古参であった太田剛にイギリス視察を命じた[6]。「洋風PUB」から「英国風PUB」へと店舗のコンセプトを根本から見直し、1997年には池袋東口店をプロトタイプとして開店させる[7]。翌1998年にはダイエーが資本金を投入し、ダイエーホールディングコーポレーションの子会社として株式会社ハブが設立される[7]

2002年にはダイエーが保有する株式会社ハブの株式を村さ来本社(フード インクルーヴ、現:ジー・テイスト)・加藤義和(加ト吉(現:テーブルマーク株式会社)元社長)・21LADYに譲渡。加ト吉の連結子会社となるようなこともあったが、2006年には大阪証券取引所ヘラクレスに上場を果たす[7][8]

2017年2月27日には東京証券取引所市場第2部に市場変更し[9]、同年12月4日には東京証券取引所市場第1部に上場した[10]

2017年2月期の時点では18期連続増収を記録しており、2017年4月には100店舗を達成している[11]

その他 沿革

脚注

  1. ^ 中内イズム継承、気軽な「パブ文化」広めたい”. NIKKEI STYLE. p. 1 (2018年6月9日). 2018年1月18日閲覧。
  2. ^ 中村芳平 (2018年11月9日). “ハブ 太田剛社長<4>「自分が後継社長に指名されたのは」”. 日刊ゲンダイ. p. 1. 2018年1月18日閲覧。
  3. ^ a b 「英国パブ文化」普及の使命、一代でなし得ない事業に懸けるHUBの戦略に迫る”. 産経ニュース. p. 1 (2016年4月14日). 2018年1月18日閲覧。
  4. ^ a b c 中村宏之 (2018年1月30日). ““ダイエー帝国”の遺産…パブに息づく中内イズム”. YOMIURI ONLINE. 2018年1月18日閲覧。
  5. ^ 英国風パブ「HUB」、若者の酒離れと無縁なワケ”. 東洋経済新報社. p. 3 (2018年1月31日). 2018年1月18日閲覧。
  6. ^ a b 「英国パブ文化」普及の使命、一代でなし得ない事業に懸けるHUBの戦略に迫る”. 産経ニュース. p. 2 (2016年4月14日). 2018年1月18日閲覧。
  7. ^ a b c 「英国パブ文化」普及の使命、一代でなし得ない事業に懸けるHUBの戦略に迫る”. 産経ニュース. p. 3 (2016年4月14日). 2018年1月18日閲覧。
  8. ^ 中村芳平 (2018年11月9日). “ハブ 太田剛社長<4>「自分が後継社長に指名されたのは」”. 日刊ゲンダイ. p. 2. 2018年1月18日閲覧。
  9. ^ 東京証券取引所市場第二部への市場変更に関するお知らせ(2017年2月27日)
  10. ^ "12月4日、東証一部上場記念感謝セール開催! 生ビールを180円で販売。昭和55年創業当時の価格で!" (Press release). 株式会社ハブ. 27 November 2017. 2017年12月4日閲覧
  11. ^ a b 中内イズム継承、気軽な「パブ文化」広めたい”. NIKKEI STYLE. p. 3 (2018年6月9日). 2018年1月18日閲覧。
  12. ^ (訂正)「主要株主及びその他の関係会社の異動に関するお知らせ」の一部訂正について(2009年9月4日)
  13. ^ 株式会社ハブとの業務提携および株式取得に関するお知らせ - ロイヤルホールディングス・2010年2月22日
  14. ^ 主要株主である筆頭株主およびその他の関係会社の異動に関するお知らせ(2010年2月22日)
  15. ^ 主要株主及びその他の関係会社の異動に関するお知らせ(2011年2月22日)
  16. ^ 主要株主及びその他の関係会社の異動に関するお知らせ(2012年1月23日)
  17. ^ 新規出店(HUB福岡 ヤフオク!ドーム店(仮称))に関するお知らせ”. 株式会社ハブ(2019年1月28日作成). 2019年5月17日閲覧。
  18. ^ ヤフオクDに英国風パブがGWオープン 生観戦も可”. 西日本スポーツ(2019年4月26日作成). 2019年5月17日閲覧。

外部リンク