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「モデル (職業)」の版間の差分

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2020年7月10日 (金) 02:17時点における版

モデル (: model) とは、絵画、彫刻、写真などに題材を提供するために自身の身体の像(姿)を提供している人。

概説

絵画彫刻写真映像CMショーなどの題材(や主題)として、自身の身体的像、姿を提供することを職業としている人。[1]

単に「モデル」という場合に、どのようなモデルを指しているかは、専門分野によって、あるいはその言葉を使っている人の興味の範囲によって異なる。たとえば、美術関係者(絵画関係者や彫刻関係者)や美術に関心が深い人々の間で単に「モデル」と言うと美術モデルを指しており[2]、写真家や写真好きの人は、写真のモデルのことをいちいち「写真モデル」「ポートレートモデル」などとは言わず、単に「モデル」と言うし、服飾関係者やファッションに興味がある人々は「ファッションモデル」と言わず、短く「モデル」と言う傾向がある、といった具合である。他にも各分野の例を挙げればきりがない。[3]

俳優タレントなどは、演技や芸など内面的な特徴が重要視されるため、一般には職業欄には「モデル」とは書かないが、モデルの仕事の割合が(その人にとって)一定程度以上ある人は、末尾に「モデル」と書きくわえる場合もある。

ただしCMモデルなど境界線的な種別もあり、またカリスマモデルやグラビアアイドルなど、各々の個性も売りにするモデルも存在する。

なお、身体全体の像を提供するモデルばかりでなく、特定の身体部位の像だけを提供するパーツモデルという仕事もある。(後述。) なおCMなどでは複数人のパーツモデルが使われて、巧妙に部分部分のイメージをつなぎあわせて、実在しない、架空の、一連の身体的イメージ(あたかも一人であるかのようなイメージ)を作り出す、という場合もあるので、その場合、パーツモデルは一連のイメージのごく一部を担当する、という位置づけとなる。

歴史

モデルの歴史を遡れば、絵画や彫刻のモデルの歴史が長い。


分類・種類

従事ジャンルによる分類

媒体による分類

  • 絵画モデル 19世紀などでは、絵画は立派な「媒体」でもあった。絵画に描かれた題材は、ヨーロッパでは、上流階級の人々の話題やゴシップのネタにもなった。
  • 彫刻モデル
  • 写真モデル - 写真の題材として身体像を提供するモデル。別の言い方をすると、写真の「被写体」となるモデル。写真には数世紀の歴史があり、その歴史と同じほど歴史が長い。
    • 雑誌モデル - 雑誌の写真ページなどに登場するモデル。
    • 撮影会モデル - 撮影会の被写体となるモデル。
  • ショーモデル - ファッションショーなどのイベントに出演するモデル。
  • CMモデル - テレビCMに出演するモデル。CM俳優も参照。

限定された分野による分類

絵画のモデル

絵画のために自分の姿を提供している人。

画家の注文に応じて、画家が望む衣装を着て、「ポーズ」(静止姿勢)をとり、誰かの「フリをする」。

ヨーロッパの17世紀~18世紀などの絵画は、しばしば主題は聖書に含まれる物語などからとられていて、その場合、描かれるべき本人を画家は見ることはできないので、モデルを用いて、そのモデルに衣装などを着せて、物語の設定に合わせたポーズをとらせて、絵画を描いた。 17世紀や18世紀のヨーロッパの画家の中でも大家は、大きなアトリエを構え、そこにさまざまな衣装類や小道具類も用意していた。当時のヨーロッパの絵画油絵)の制作のためのアトリエは、いうなれば現代の「写真スタジオ」のようでもあった。

クロッキーのモデルなど、かなり短い時間で済むモデルもあるが)油絵のモデルというのは、たいていは数時間~数日程度以上、同じポーズをとる必要があり、(画家にもよるが)長い場合は数週間以上に渡って同じポーズをとりつづける必要があった。その意味では、身体的にそれなりにつらい仕事である。

彫刻のモデル

写真のモデル

歴史


ファッションモデル

日本のファッションモデルの始まり

戦前第二次世界大戦前)には映画女優がモデルの仕事をしており、モデルは女優のアルバイト的な仕事であった。

戦後に繊維産業の活況と共にファッションショーが開催されるようになった。当初は日劇のダンサーがモデルを務めたりしたが、昭和26年(1951年)に『英文毎日』がファッションコンテストを開催する際に出演する女性を募集し、応募者の中から東京20名、大阪15名が選ばれ、これらが日本のファッションモデル第一号と言われている。この中の伊東絹子が昭和28年(1953年)、アメリカで開催された第2回ミス・ユニバース世界大会で第3位に入賞して大きな話題となり、ファッションモデルという職業が社会的に認められるようになった。

昭和28年(1953年)、相島政子を代表に伊東絹子や岩間敬子、香山佳子らがファッション・モデル・グループ (FMG)を結成。FMGと前後して、TFMC(東京ファッション・モデル・クラブ)、スミレ・モデル・グループ、SOS(ソサエティ・オブ・スタイル)などのモデル事務所がつぎつぎと設立され、昭和33年(1958年)頃にはモデルという職業が一般化しはじめた。

職業モデルの誕生は日本が一番早く、世界で最初に職業として成立した国である。なぜ日本でモデルという職業が世界に先駆けて成立したかといえば、ヨーロッパではマヌカンと呼ばれる売り子がオートクチュールの店でモデル的な役割を昔から果たしており、モデルとして専業になる必要がなかったことがいえる。ところが日本の場合、一般大衆にファッションを見せて大衆に買ってもらわなければビジネスが成り立たないという戦後の経済状況があり、これが日本のファッションモデルに活躍の場を提供することになったのである。

「スーパーモデル」/ 専属モデル / 読者モデル / チャイルドモデル / ジュニアモデル

卓越した世界的知名度とトップデザイナーとのキャリアのあるファッションモデルが、スーパーモデルと言われている。スーパーモデルの人種比率は、白人が圧倒的多数を占め[8][9][10]黒人モンゴロイドの比率は低い[11]

曖昧な用語

  • ポートレートモデル
    • 写真などでメインの被写体として扱われるモデル。衣服を引き立たせるためファッションモデルなどとは概念上、対になる。
    • ヌードモデルなどと対になる概念として、着衣で行うモデル。広義には水着モデルなども含める。
  • 素人モデル
    • モデルとしての訓練を全く受けていない、もしくは不十分であるモデル。
    • 正規の就労状態にないモデル。またはプロダクションなどに所属していないモデル。

脚注

  1. ^ 必ずしも「本業」、主たる職業としていなくても、副業やアルバイト的にしていても「モデル」と言う。
  2. ^ 絵画関係者も彫刻関係者も、いちいち「美術モデル」とは言わない。単に「モデル」と言う。たとえば高校生でも、美術関連の高校の生徒は、美術モデルを、単に「モデル」と言う。
  3. ^ どんな領域でも、当の業界を指すための用語はいちいち言うのは省略し、短く単純化させる傾向がある。言わなくても明らかだからである。
  4. ^ 「タレ」は「タレント」の略。
  5. ^ 男女で異なる“理想の体型”にも対応 「モグラ」のカラダ作り eltha(エルザ)|忙しいオトナのためのお役立ちビューティー・ライフ (2016年12月17日) 2016年12月21日閲覧
  6. ^ a b c Nothernstar
  7. ^ a b National Museum of Western Art
  8. ^ 常木暎生、「ブランド広告の特徴とイメージ」『関西大学社会学部紀要』 2008年 40巻 1号 p.59-85, hdl:10112/888, 関西大学社会学部
  9. ^ 栂野志帆, 河本真理子, 高林将史、「CM広告における外国人モデル起用の有効性について」『大阪大学経済学』 2016年 66巻 p.70-71, ISSN 2424-0397, 大阪大学経済学会・大阪大学大学院経済学研究科
  10. ^ 諸上茂光、『現代広告における外国人モデル起用についての考察 : コケージアン・モデル使用広告の認知的・心理的効果の検証』 - 国立国会図書館デジタルコレクション, 『国際ビジネス研究学会年報』 2005年 11巻 p.77-88, NAID 110004498629, 国際ビジネス研究学会
  11. ^ World's Top Fashion Weeks Nearly 90% White.

参考文献

関連項目

外部リンク