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2020年7月9日 (木) 12:56時点における版
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アタランタ監督時代(2007年) | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Stefano Colantuono | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1962年10月23日(62歳) | |||||
出身地 | ローマ | |||||
身長 | 184cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1981-1983 | ヴェッレトリ | 46 | (2) | |||
1983-1984 | テルナーナ | 16 | (3) | |||
1984-1985 | アレッツォ | 36 | (1) | |||
1985-1986 | ピサ | 24 | (0) | |||
1986-1988 | アヴェッリーノ | 53 | (2) | |||
1988-1989 | コモ | 23 | (1) | |||
1989-1991 | アスコリ | 38 | (0) | |||
1991-1992 | BNLローマ (フットサル) | ? | (?) | |||
1992-1993 | フロジノーネ | 27 | (1) | |||
1992-1994 | フェルマーナ | 28 | (5) | |||
1994-1995 | サンベネデッテーゼ | 25 | (2) | |||
1995-1999 | マチェラテーゼ | 112 | (6) | |||
1999-2000 | セストレーゼ | 34 | (2) | |||
2000-2001 | サンベネデッテーゼ | 31 | (5) | |||
1981-2001 | 通算 | 493 | (30) | |||
監督歴 | ||||||
2001-2003 | サンベネデッテーゼ | |||||
2003-2004 | カターニア | |||||
2004-2005 | ペルージャ | |||||
2005-2007 | アタランタ | |||||
2007 | パレルモ | |||||
2008 | パレルモ | |||||
2009 | トリノ | |||||
2010 | トリノ | |||||
2010-2015 | アタランタ | |||||
2015-2016 | ウディネーゼ | |||||
2016-2017 | バーリ | |||||
2017-2018 | サレルニターナ | |||||
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ステファノ・コラントゥオーノ(Stefano Colantuono, 1962年10月23日- )は、イタリア・ローマ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。
経歴
中小クラブでセンターバックを主に務め、1991-92シーズンにはフットサルチームでプレーしていた。
引退後に監督業をスタートし、当時ACペルージャ(セリエA)とカルチョ・カターニア(セリエB)の会長だったルチアーノ・ガウッチに認められて、2003-2004シーズンにはカターニアの監督を務める。2004年にカターニアはガウッチの手から離れるが、翌2004-2005シーズンにはセリエBに降格したペルージャの監督に就任。セリエA昇格を賭けたプレーオフ進出を果たすもトリノ・カルチョに敗れる。その後、クラブは破産しセリエC1に降格処分となった。余談だが、このシーズンのセリエBはトリノもやはり破産でAへの昇格が取り消されたほか、コラントゥオーノの前任者のセルセ・コズミが率いたジェノアCFCがSSCヴェネツィアへの買収工作の発覚で優勝を取り消されて最下位扱いとなりC1に降格となる混乱ぶりであった。
2005-06シーズンよりセリエBのアタランタBC監督に就任し、セリエA昇格に導く。翌シーズンはクリスティアーノ・ドニを中核として健闘し、残留を決める。2007-08シーズンはUSチッタ・ディ・パレルモのマウリツィオ・ザンパリーニ会長より監督に招聘されたが、2007年11月に成績不振で途中解任。後任のフランチェスコ・グイドリンが解任されると2008年3月に呼び戻されたが、翌シーズンはリーグ戦1試合を終えた9月に解任された。
2009年6月、セリエB降格となったトリノFCの監督に任命された。11月29日、成績不振で解任された。2010年1月10日、マリオ・ベレッタの後任としてトリノ監督に復帰したが、昇格を達成できず退任。
2010-11シーズンはアタランタの監督に復帰し、圧倒的な強さを見せつけセリエA昇格に導く。2011-12シーズンは賭博スキャンダル絡みのペナルティーで勝点6減からのスタートとなったが、着実に勝点を積み重ねチームを残留に導いた。その後もセリエA残留に成功していたが、2015年3月に成績不振により解任された[1]。
2015年6月4日、ウディネーゼ・カルチョの監督に就任した[2]。しかしクラブは下位に沈み、翌年3月14日に解任されることが発表された[3]。
2016年11月7日よりセリエBのFCバーリ1908の指揮を執るが、シーズン終了後に同クラブを去った[4]。2017年12月12日、USサレルニターナ1919と1年延長オプション付きで1年半の契約を締結した[5]。
脚注
- ^ “アタランタ、コラントゥオーノ監督を解任”. Qoly Football Web Magazine (2015年3月5日). 2015年3月6日閲覧。
- ^ “ウディネーゼ、コラントゥオーノ新監督就任を発表”. Goal (2015年6月5日). 2015年6月5日閲覧。
- ^ “ウディネーゼ、コラントゥオーノを解任 デ・カーニオが就任”. Goal.com (2016年3月15日). 2016年10月10日閲覧。
- ^ “Serie B, il saluto di Colantuono: «Bari, mi resterai nel cuore»”. Corriere dello Sport (2017年5月16日). 2017年12月23日閲覧。
- ^ “Colantuono è il nuovo allenatore della Salernitana”. Repubblica.it (2017年12月12日). 2017年12月23日閲覧。
外部リンク
- Stefano Colantuono - player profile Transfermarkt
- Stefano Colantuono - manager profile Transfermarkt