コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ウーゴ・マラドーナ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: アスコリ・カルチョ1898 FCの選手のカテゴリ改名 (Category:アスコリ・カルチョ1898 FCの選手) - log
89行目: 89行目:
[[Category:アルゼンチンのサッカー選手]]
[[Category:アルゼンチンのサッカー選手]]
[[Category:AAアルヘンティノス・ジュニアーズの選手]]
[[Category:AAアルヘンティノス・ジュニアーズの選手]]
[[Category:アスコリの選手]]
[[Category:アスコリ・カルチョ1898 FCの選手]]
[[Category:ラージョ・バジェカーノの選手]]
[[Category:ラージョ・バジェカーノの選手]]
[[Category:ラピード・ウィーンの選手]]
[[Category:ラピード・ウィーンの選手]]

2020年7月9日 (木) 12:53時点における版

ウーゴ・マラドーナ
名前
本名 ウーゴ・エルナン・マラドーナ
Hugo Hernán Maradona
愛称 トゥルコ
ラテン文字 Hugo MARADONA
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1969-05-09) 1969年5月9日(55歳)
出身地 ブエノスアイレス州ラヌース
身長 165cm
体重 69kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ウーゴ・マラドーナ(Hugo Hernán Maradona, 1969年5月9日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス州ラヌース出身の元サッカー選手、サッカー指導者。実兄は元アルゼンチン代表ディエゴ・マラドーナ

経歴

兄ディエゴ同様に若い頃から才能に注目され、1985年アルヘンティノスでプロデビュー。アルゼンチンJrユース代表として同年夏に1985 FIFA U-16世界選手権に出場。その後1987年に兄ディエゴの在籍するイタリアナポリへ移籍(ディエゴがクラブへ懇願したといわれる)。しかしナポリは同時に当時世界最高クラスのFWであったカレカを獲得したため、外国人枠によりアスコリに貸し出されることとなる。兄弟でのプレーを期待する声も多かったがその後は伸び悩み、欧州のクラブを転々とする様になった。

1992年日本PJMフューチャーズ(当時本拠地・浜松市)に入団。当時のPJMフューチャーズは将来のJリーグ参入とディエゴ・マラドーナ獲得を掲げ話題となっていたが、ウーゴの移籍は「兄を呼び入れる為の布石だ」とファンやマスコミの間で推測された。結果として兄弟でのプレーはディエゴの薬物問題によって実現する事は無かったが、ウーゴ自身は戦力として充分貢献した。

1995年から1996年には福岡ブルックス、アビスパ福岡1997年から1998年にはコンサドーレ札幌に所属し、攻撃的MFとして其々のクラブでJリーグ昇格に貢献した。

また、2004年から2005年までユナイテッドサッカーリーグ(USL、2部リーグに相当)所属のプエルトリコ・アイランダーススペイン語版で監督を務めた。

所属クラブ

指導歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
オーストリア リーグ戦 リーグ杯オーストリア杯 期間通算
1990 ウィーン ブンデス 3 0 - 0 0 3 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1992 PJM 7 東海 12 7 - - 12 7
1993 9 旧JFL2部 16 7 - 0 0 16 7
1994 旧JFL 21 17 - 1 0 22 17
1995 福岡B 10 27 27 - 3 0 30 27
1996 福岡 J 21 8 10 4 0 0 31 12
1997 札幌 10 旧JFL 28 10 8 9 1 0 27 19
1998 J 28 5 4 1 0 0 32 6
通算 オーストリア ブンデス 3 0 - 0 0 3 0
日本 J 49 13 14 5 0 0 63 18
日本 旧JFL 76 54 8 9 5 0 81 54
日本 旧JFL2部 16 7 - 0 0 16 7
日本 東海 12 7 - - 12 7
総通算 156 81 22 13 5 0 175 86

その他の公式戦

関連項目

外部リンク