コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「若鷲の歌」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
{{出典の明記|date=2020年5月}}
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 楽曲カテゴリの改名差し戻し3 (Category:西條八十が制作した楽曲) - log
40行目: 40行目:
[[Category:霧島昇の楽曲]]
[[Category:霧島昇の楽曲]]
[[Category:古関裕而が制作した楽曲]]
[[Category:古関裕而が制作した楽曲]]
[[Category:西條八十が作した楽曲]]
[[Category:西條八十が作した楽曲]]
[[Category:日本映画の主題歌]]
[[Category:日本映画の主題歌]]
[[Category:日本コロムビアのシングル]]
[[Category:日本コロムビアのシングル]]

2020年7月8日 (水) 21:30時点における版

若鷲の歌」(わかわしのうた)は、戦意高揚映画決戦の大空へ』の主題歌で、日本軍歌。全4番。別名「予科練の歌」。「決戦の大空へ」とのカップリングで1943年(昭和18年)9月10日に日蓄レコードより発売された。旧レコード番号100789。

海軍飛行予科練習生(予科練)を募集するための宣伝目的で作られた、予科練生の成長を描いた戦時映画『決戦の大空へ』の主題歌として作られ、大ヒットした。1944年(昭和19年)8月時点でのレコードの販売枚数は23万3000枚[1]

作詞の西条八十と作曲の古関裕而土浦海軍航空隊に一日入隊し、「若鷲の歌」はこの時の体験を生かして作られた(壁に貼られた予科練生徒募集のビラに描かれた、桜の花の下に立つ若い予科練生の姿とその胸の七つのボタンを見て第一聯が浮かんだという)。当初は別の長調のメロディが構想されていたが、土浦へ向かう途中に書き上げた短調のものが古関の中に思い浮かび、2つの曲が作曲される。これらを、同行した波平暁男に歌って聞かせ、予科練生に直接聴いて選んでもらい、現在知られている形に決定した。

作曲を担当した古関裕而は日劇に『決戦の大空へ』を観に行った際、映画が終わって出てきた大勢の小学生が「若い血潮の予科練の――」と歌いながら出てくるのに対して驚いたと語り、短調ながら単純明快で暗さのない曲は多くの少年たちの心を掴んだとされる。


# タイトル 作詞 作曲 編曲
1 若鷲の歌 西條八十 古関裕而 仁木他喜雄 霧島昇波平暁男
2 決戦の大空へ 西條八十 古関裕而 藤山一郎、日蓄男声合唱団
  • 後のステレオ録音版では波平暁男は参加しておらず、波平の歌った箇所は三鷹淳が歌っている。
  • 1968年に西郷輝彦がカバーし、シングル版として発売された。

後世の映画での使用

その他

  • 中沢啓治広島原爆をテーマにした漫画はだしのゲン』で、海軍に志願した主人公中岡元の長兄・中岡浩二が予科練仲間の自殺の後、「戦争なんか終わってくれ」と涙を流しながら「予科練の歌」を口ずさんだ。
  • 海上自衛隊航空学生の学生歌は『若鷲の歌』の歌詞を変更した『海の若鷲』である。

脚注

  1. ^ 『音楽文化』昭和19年11月号(倉田喜弘『日本レコード文化史』東京書籍(東書選書 124)、1992年、216・218頁。ISBN 4-487-72224-1)。