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2020年7月8日 (水) 21:29時点における版

「王将」
村田英雄シングル
B面 小春月夜
リリース
録音 日本の旗 日本
ジャンル 演歌
レーベル コロムビアレコード
作詞・作曲 西條八十作詞・船村徹作曲 (A/B共)
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王将」(おうしょう)は、1961年11月にリリースされた村田英雄によるシングル曲である。村田英雄最大のヒット曲であり、当時売り上げが150万枚を超えたなど、爆発的な人気となった。

制作

作詞は西條八十、作曲は船村徹による。大阪を拠点に活躍した将棋棋士坂田三吉をモデルとした歌詞である。

元々は1961年9月に発売された歌謡浪曲のLPの挿入歌として発表された曲である。同年11月にシングルカットされ、当時から関西ではヒットしていた[1]

当時、なかなかヒットに恵まれていなかった村田のため、日本コロムビアのディレクターだった斎藤昇が村田と共に作詞家西條八十邸を訪れたことから始まる。当時、西條は美空ひばりの曲を書いていたため、「男の歌は作れない」と断られたのだが、村田が粘り強く西條邸に通い詰めた結果、ようやく詞を書いてもらえることになり、「吹けば飛ぶよな将棋の駒に」という文言が作詞された。始めの文言が完成した20日後には、全ての詞が完成した[2]

作曲は同社の専属だった船村徹に依頼された。船村は完成したばかりの詞を持って、故郷栃木県に帰り、思案を重ね、メロディーが完成した。船村は「詞の一部を変えた際、自然にあのメロディーが出てきた」と証言している。王将といえば、あの特徴的な前奏であるが、この前奏は、船村が「王将」レコーディング前に友人と行った宇都宮競輪場で、最後の一周を告げる鐘を聞いた時に閃き、これだなと思った船村は、イントロに『打鐘(ジャン)』の音を付け加えたそうである[3][4][5]

ヒット

全国的に大ヒットの火がついたのは、村田がこの曲で1961年第12回NHK紅白歌合戦(村田にとってこれがNHK紅白歌合戦初出場)に出場したことによる[1]。さらに、村田はこの曲を1962年の第13回NHK紅白歌合戦1969年第20回NHK紅白歌合戦1989年第40回NHK紅白歌合戦を含め、計4回にわたりNHK紅白歌合戦で歌唱した。ちなみに村田本人は紅白歌合戦では3番の歌詞の『何が何でも勝たねばならぬ』の一節を好んでいたこともあり、また『絶対に白組が勝つ』という心意気を込めて1番と3番を本番の舞台で歌ったという[6]

村田はこの曲で1962年の第4回日本レコード大賞特別賞を受賞した。

レコード売り上げ枚数は1961年11月のシングルカットから半年で30万枚を突破[7]。最終的には300万枚を超え[7]、これは戦後初のミリオンセラーともいわれている。

この曲のヒットにより、作詞者の西條八十、作曲者の船村徹、歌手の村田英雄は日本将棋連盟からアマチュア初段を授与された[1]。同名の戯曲原作者の北條秀司には、アマチュア四段を与えられた[8]

使用

この曲は翌1962年に公開された同名の映画『王将』(主演:三國連太郎)の主題歌として使われた。1963年の続編映画『続・王将』(主演:三國連太郎)でも主題歌として使われている。さらに1973年の勝新太郎主演の映画『王将 (1973年の映画)』でも、主題歌として使われている。

太平洋ひとりぼっち」で有名な冒険家堀江謙一も、単独横断中の太平洋上で寂しさを紛らすために「王将」を歌ったという[9]

  1. 王将
  2. 小春月夜

カバー

王将

脚注

  1. ^ a b c 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、152頁。ISBN 4390116495
  2. ^ 読売新聞社文化部『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』社会思想社、1997年、79-80頁。ISBN 4390116010
  3. ^ 『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』81-82頁。
  4. ^ 読売新聞、2012年5月6日付「よみほっと日曜版」1面
  5. ^ レコーディングでは銅鑼を用いたという。 (船村徹さん、宇都宮競輪場を訪問 「王将」秘話披露 - スポーツ報知、2010年8月8日)
  6. ^ 『ドキュメンタリー紅白歌合戦 あの時あの歌』(日本放送協会出版刊 1984年)より
  7. ^ a b 『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』80頁。
  8. ^ 『演劇雑記帳』(読売新聞社)P.99
  9. ^ 『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』82頁。

関連項目