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{{出典の明記|date=2019年8月15日 (木) 12:44 (UTC)|ソートキー=人1833年没}}
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'''酒井 忠藎'''(さかい ただえ、[[安永]]10年[[1月28日 (旧暦)|1月28日]]([[1781年]][[2月20日]]) - [[天保]]4年[[5月21日 (旧暦)|5月21日]]([[1833年]][[7月8日]]))は、[[越前国]][[敦賀藩]]の第6代藩主。忠稠系[[小浜藩]]酒井家別家6代。第5代藩主・[[酒井忠言]]の長男。母は[[三浦明次]]の娘。[[正室]]は[[有馬純養]]([[有馬孝純]]の長男)の娘([[大村純鎮]]の養女)。子に[[土井利亨]](次男)、[[酒井忠ます|酒井忠毗]](四男)。官位は[[従五位]]下、右京亮、[[飛騨国|飛騨]]守。初名は'''忠明'''。
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[[寛政]]9年([[1797年]])11月25日、父の隠居で家督を継いだ。[[大番頭]]や[[大坂城|大坂]]定番などを歴任した。天保4年(1833年)5月21日、53歳で死去し、跡を四男・忠毗が継いだ。
[[寛政]]9年([[1797年]])11月25日、父の隠居で家督を継いだ。[[大番頭]]や[[大坂城|大坂]]定番などを歴任した。天保4年(1833年)5月21日、53歳で死去し、跡を四男・忠毗が継いだ。

2020年7月5日 (日) 05:31時点における版

酒井 忠藎(さかい ただえ、安永10年1月28日1781年2月20日) - 天保4年5月21日1833年7月8日))は、越前国敦賀藩の第6代藩主。忠稠系小浜藩酒井家別家6代。第5代藩主・酒井忠言の長男。母は三浦明次の娘。正室有馬純養有馬孝純の長男)の娘(大村純鎮の養女)。子に土井利亨(次男)、酒井忠毗(四男)。官位は従五位下、右京亮、飛騨守。初名は忠明

寛政9年(1797年)11月25日、父の隠居で家督を継いだ。大番頭大坂定番などを歴任した。天保4年(1833年)5月21日、53歳で死去し、跡を四男・忠毗が継いだ。