「天城郷」の版間の差分
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* [[摩耶山]][[忉利天上寺]]の別名天城寺もこれに因むという。 |
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2020年7月5日 (日) 05:17時点における最新版
天城郷(あまぎのさと)は摂津国菟原郡の郷の一つであり、神戸市灘区北西部の旧大字篠原、山田、稗田、五毛、畑原、上野、原田に跨る範囲にある。
由来
[編集]名前の由来には各説ある。天城郷を『和名抄』の一本にアマシキと読ませているものがあり、それを元に、「アマ」とは野に対し山手にある位置を示し、「シキ」とは磯城、志紀、式、敷などの文字で表される、神を祀る斎庭(ゆにわ)または神奈備(かんなび)の所在をいうとする説。 この地に河内国を本拠とする志貴氏(志紀氏)が上下に分かれ住んでおり、上を「天の志貴」、下を「野の志貴」といって、後に天城と布敷(布敷郷)となったとする説。 奈良時代末期784年、都賀野宿禰の子が天城野の姓を賜ったことからという説。神戸史学会の川辺賢武による「アマギ」とは「甘木」すなわち甘味料を取る木が自生していたからという説。 また、楠原佑介らの『古代地名語源事典』によるアマキ・アマギ・アマシキのいずれも「崖地を意味する地名」としているのは、地形的には合うが、決め手はない。
その他諸事項
[編集]参考資料
[編集]- 神戸史学会 編『神戸の町名 改訂版』神戸新聞総合出版センター、2007年。ISBN 978-4-343-00437-6。
- 灘区役所広報相談課 編『灘区の町名』灘区役所広報相談課、1976年。