「天福 (日本)」の版間の差分
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「[[書経]]」(湯誥)の「'''天'''道'''福'''<sub>レ</sub>善禍<sub>レ</sub>淫」に対する伝の「政善、'''天福'''<sub>レ</sub>之」より |
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撰進者は[[菅原為長]]。ちなみに、[[藤原定家]]はこの元号について、「福」を初めて用いた[[唐]]の「[[景福 (唐)|景福]]」以来大乱に縁があり、この「福」の一字を用いた元号であるとしてこれを非難している(『[[明月記]]』天福元年4月16日条)<ref>藤本孝一「暦年数換算法と藤原定家」(初出:『日本歴史』633号(吉川弘文館、2001年)/所収:藤本『中世史料学叢論』(思文閣出版、2009年) ISBN 978-4-7842-1455-6)P275-285)</ref>。また、改元の是非を巡ってこれを支持する[[土御門定通]]・[[二条定高]]と「天福」への改元に反対する[[広橋頼資]]が仗座で激論を交わし、[[九条道家]]の裁定によって「天福」に決した(『頼資卿改元定記』『[[民経記]]』『[[五代帝王物語]]』)とされ<ref>弓削繁『六代勝事記・五代帝王物語』(三弥井書店、2000年) ISBN 978-4-8382-1026-8)P238</ref>、『五代帝王物語』はその後[[九条 |
撰進者は[[菅原為長]]。ちなみに、[[藤原定家]]はこの元号について、「福」を初めて用いた[[唐]]の「[[景福 (唐)|景福]]」以来大乱に縁があり、この「福」の一字を用いた元号であるとしてこれを非難している(『[[明月記]]』天福元年4月16日条)<ref>藤本孝一「暦年数換算法と藤原定家」(初出:『日本歴史』633号(吉川弘文館、2001年)/所収:藤本『中世史料学叢論』(思文閣出版、2009年) ISBN 978-4-7842-1455-6)P275-285)</ref>。また、改元の是非を巡ってこれを支持する[[土御門定通]]・[[二条定高]]と「天福」への改元に反対する[[広橋頼資]]が仗座で激論を交わし、[[九条道家]]の裁定によって「天福」に決した(『頼資卿改元定記』『[[民経記]]』『[[五代帝王物語]]』)とされ<ref>弓削繁『六代勝事記・五代帝王物語』(三弥井書店、2000年) ISBN 978-4-8382-1026-8)P238</ref>、『五代帝王物語』はその後[[九条竴子|藻璧門院]]の[[諒闇]]中に[[後堀河天皇|後堀河院]]が亡くなって、諒闇中の(文暦)改元に至ったとして、天福を「浅ましける年号也」と批判している<ref>北爪真佐夫「元号と武家」(初出:『札幌学院大学人文学会紀要』第68号(2000年9月)/所収:北爪『文士と御家人』(青史出版、2002年) ISBN 978-4-921145-13-2)。</ref>。 |
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== 天福期におきた出来事 == |
== 天福期におきた出来事 == |
2020年7月3日 (金) 22:37時点における版
天福(てんぷく、旧字体: 天福󠄁)は、日本の元号の一つ。貞永の後、文暦の前。1233年から1234年までの期間を指す。この時代の天皇は四条天皇。鎌倉幕府将軍は藤原頼経、執権は北条泰時。
改元
出典
「書経」(湯誥)の「天道福レ善禍レ淫」に対する伝の「政善、天福レ之」より
撰進者は菅原為長。ちなみに、藤原定家はこの元号について、「福」を初めて用いた唐の「景福」以来大乱に縁があり、この「福」の一字を用いた元号であるとしてこれを非難している(『明月記』天福元年4月16日条)[1]。また、改元の是非を巡ってこれを支持する土御門定通・二条定高と「天福」への改元に反対する広橋頼資が仗座で激論を交わし、九条道家の裁定によって「天福」に決した(『頼資卿改元定記』『民経記』『五代帝王物語』)とされ[2]、『五代帝王物語』はその後藻璧門院の諒闇中に後堀河院が亡くなって、諒闇中の(文暦)改元に至ったとして、天福を「浅ましける年号也」と批判している[3]。
天福期におきた出来事
西暦との対照表
※は小の月を示す。
天福元年(癸巳) | 一月 | 二月※ | 三月 | 四月 | 五月※ | 六月※ | 七月 | 八月※ | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月※ |
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ユリウス暦 | 1233/2/11 | 3/13 | 4/11 | 5/11 | 6/10 | 7/9 | 8/7 | 9/6 | 10/5 | 11/4 | 12/3 | 1234/1/2 |
天福二年(甲午) | 一月 | 二月※ | 三月 | 四月 | 五月※ | 六月 | 七月※ | 八月 | 九月※ | 十月 | 十一月※ | 十二月 |
ユリウス暦 | 1234/1/31 | 3/2 | 3/31 | 4/30 | 5/30 | 6/28 | 7/28 | 8/26 | 9/25 | 10/24 | 11/23 | 12/22 |
脚注
- ^ 藤本孝一「暦年数換算法と藤原定家」(初出:『日本歴史』633号(吉川弘文館、2001年)/所収:藤本『中世史料学叢論』(思文閣出版、2009年) ISBN 978-4-7842-1455-6)P275-285)
- ^ 弓削繁『六代勝事記・五代帝王物語』(三弥井書店、2000年) ISBN 978-4-8382-1026-8)P238
- ^ 北爪真佐夫「元号と武家」(初出:『札幌学院大学人文学会紀要』第68号(2000年9月)/所収:北爪『文士と御家人』(青史出版、2002年) ISBN 978-4-921145-13-2)。