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* [[寿子内親王]]:[[花園天皇]]の皇女。[[光厳天皇]]の皇后として立后され院号宣下により「徽安門院」を称した。 |
2020年7月3日 (金) 22:36時点における版
玄輝門(げんきもん)は、平安京内裏の内郭門の1つ、または京都御所の門の1つ。「玄暉門」「宮北面僻仗内門」ともいった。
概要
平安宮内裏内郭の北正面にあり、外郭の朔平門と相対する。大きさ3間、檜皮葺あった。東に安喜門[1]、西に徽安門があり、これらを左右廂門といった。
門の左右北方に東西の仗舎、南方に左右次将(近衛府のスケ、近衛中将・少将)、左右兵衛佐、左右将監(近衛府のジョウ)の宿所があった。
二宮大饗においては、この門の西廂で中宮の、東廂で東宮の饗宴を受けて禄を賜るならわしであった。
関連項目
- 洞院愔子:伏見天皇の生母となったため院号宣下により「玄輝門院」を称した。
- 三条有子:後堀河天皇の皇后として立后され院号宣下により「安喜門院」を称した。
- 寿子内親王:花園天皇の皇女。光厳天皇の皇后として立后され院号宣下により「徽安門院」を称した。
脚注
- ^ 石村貞吉 嵐義人 校訂『有職故実 上』 講談社学術文庫 ISBN 978-4061588004、164pには安嘉門と書かれているがこれは誤りである(安嘉門は内裏外郭十二門の一つ)。