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さらに[[金沢]]へ行って[[北方心泉]]に篆法[[金石学]]を授けられた。いったん[[京都]]に出たが、[[明治]]30年頃に渡華して[[趙之謙]]、[[徐三庚]]、[[呉昌碩]]の刻法を身につけて帰国。[[円山大迂]]とともに京における新作風の大家と称された。[[印譜]]に『九華室印存』・『天香閣印存』がある。
さらに[[金沢]]へ行って[[北方心泉]]に篆法[[金石学]]を授けられた。いったん[[京都]]に出たが、[[明治]]30年頃に渡華して[[趙之謙]]、[[徐三庚]]、[[呉昌碩]]の刻法を身につけて帰国。[[円山大迂]]とともに京における新作風の大家と称された。[[印譜]]に『九華室印存』・『天香閣印存』がある。


[[谷一六]]・[[江馬天江]]・[[永坂石埭]]・[[田能村直入]]・[[富岡鉄斎]]ら[[文人]]と交遊した。
[[谷一六]]・[[江馬天江]]・[[永坂石埭]]・[[田能村直入]]・[[富岡鉄斎]]ら[[文人]]と交遊した。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

2020年7月3日 (金) 06:25時点における版

桑名 鉄城(くわな てつじょう、元治元年(1864年) – 昭和13年(1938年))は、近代日本の篆刻家である。

は箕、は星精、は鉄城・大雄山民。富山の人。

略伝

幼時のころ郷儒小西有義に素読とを習い、のち遠江山岡鉄舟剣術を学んだ。 さらに金沢へ行って北方心泉に篆法金石学を授けられた。いったん京都に出たが、明治30年頃に渡華して趙之謙徐三庚呉昌碩の刻法を身につけて帰国。円山大迂とともに京における新作風の大家と称された。印譜に『九華室印存』・『天香閣印存』がある。

巖谷一六江馬天江永坂石埭田能村直入富岡鉄斎文人と交遊した。

参考文献

関連項目