「孫過庭」の版間の差分
35行目: | 35行目: | ||
垂拱2年([[686年]])の書で、『[[余清斎帖]]』と『[[集帖#墨妙軒帖|墨妙軒帖]]』に収録されている。余清斎帖本は、本文98行で、最初の行に「[[千字文]]」と標題し、最後の行に「垂拱二年写記 過庭」の款記がある。字大は2cm強。 |
垂拱2年([[686年]])の書で、『[[余清斎帖]]』と『[[集帖#墨妙軒帖|墨妙軒帖]]』に収録されている。余清斎帖本は、本文98行で、最初の行に「[[千字文]]」と標題し、最後の行に「垂拱二年写記 過庭」の款記がある。字大は2cm強。 |
||
余清斎帖本の作者である[[呉廷]](ご てい、書画商人)は、「唐代には、これに勝る草法はない。」と絶賛しているが、[[ |
余清斎帖本の作者である[[呉廷]](ご てい、書画商人)は、「唐代には、これに勝る草法はない。」と絶賛しているが、[[米芾]]などは、「その書ははるかに書譜に及ばない。」と言っている。別人のような筆跡でもあり、孫過庭の書であるか疑問もある。また、唐人の臨写本とされている別の草書千字文「千字文第五本」が[[遼寧省博物館]]に所蔵されている。 |
||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
2020年7月3日 (金) 06:14時点における版
孫 過庭(そん かてい、648年 - 703年)は、初唐の能書家として著名。富陽(浙江省)の人で、字を虔礼(けんれい)という。
経歴・業績
官は率府録事参軍になった。孫過庭の墓誌に記されたところによると、40歳ごろに任官したが讒言を受けて退き、貧困と病苦のなかに洛陽の植業里で没したとある。
書は二王を学び、臨模にすぐれ草書を得意とした。『書譜』・『草書千字文』はその代表作である。
代表作
書譜
『書譜』(しょふ)は垂拱3年(687年)、孫過庭自ら著した書論(運筆論)で、著者自身が書いた真跡が台北国立故宮博物院に所蔵されている。最初の行に「書譜巻上 呉郡孫過庭撰」、最後の行に「垂拱三年写記」とあり、全文369行で3727字ある。巻の前後には「政和」・「宣和」・「双龍」の印があるが、これは徽宗の鑑蔵印である。
『書譜』は王羲之の『十七帖』とともに草書の代表的な古典である。孫過庭は王羲之の書法を継承し、さらにその書法を発展させた。いまもなお『書譜』が重要とされるのは、王法の忠実な継承作であるとともに、書論としての内容の見識の高さにある。その内容は、王羲之をはじめとする書人の比較、過去の書論の批判、書の本質、書の表現方法など多岐にわたるが、すべて書家としての経験からの論である。最後に「体得したことを秘することはしない。」と記し論を終えている。
巻尾に、「今、撰して六篇とし、分かちて両巻となす。」とあるが、巻頭に「書譜巻上」とあって「巻下」という標題がないため、この他に巻下があったのかどうか学者の間に論議をよんだ。最近の学説では、「今は1巻につなげられているが、もとは2巻に分装されていた。」と見られている。これについて西林昭一は以下のように述べている。[1][2]
現行書譜全篇で完全に6章より構成されている。その分段と各篇の主意は私見によれば次のとおりである。[3]
- 刻本
『書譜』の刻本としては、宋刻の薛氏本(せつしぼん)・太清楼帖本(たいせいろうじょうぼん)、明刻の停雲館帖本(ていうんかんじょうぼん)・玉煙堂帖本(ぎょくえんどうじょうぼん)、清刻の安麓村本(あんろくそんぼん)・三希堂法帖本(さんきどうほうじょうぼん)などがある。
薛氏本は、元祐2年(1087年)、河東の薛紹彭が刻したので元祐本(げんゆうぼん)の異称がある[6]。徽宗の大観3年(1109年)に『大観帖』が完成したころに、書譜と十七帖も刻して『秘閣続帖』全10巻[7]とともに『太清楼帖』22巻とした[8]。明に入って『停雲館帖』・『玉煙堂帖』に刻入されたが、『停雲館帖』では前半を太清楼帖本から取り、後半を真跡本から取っている。清朝になって安岐が真跡本全巻を得て、天津で刻したのが安麓村本(天津本とも)である。真跡はその後、乾隆帝の内府に蔵され、更に『三希堂法帖』に刻入された。
草書千字文
垂拱2年(686年)の書で、『余清斎帖』と『墨妙軒帖』に収録されている。余清斎帖本は、本文98行で、最初の行に「千字文」と標題し、最後の行に「垂拱二年写記 過庭」の款記がある。字大は2cm強。
余清斎帖本の作者である呉廷(ご てい、書画商人)は、「唐代には、これに勝る草法はない。」と絶賛しているが、米芾などは、「その書ははるかに書譜に及ばない。」と言っている。別人のような筆跡でもあり、孫過庭の書であるか疑問もある。また、唐人の臨写本とされている別の草書千字文「千字文第五本」が遼寧省博物館に所蔵されている。
脚注
- ^ 西林(中国法書ガイド38) P.65
- ^ 比田井 PP..190-192
- ^ 西林(中国法書ガイド38) P.13
- ^ 張芝・鍾繇・王羲之・王献之の4人のこと。
- ^ 「執」とは筆を執る位置のこと、「使」とは運筆の呼吸のこと、「用」とは点画の力の均衡のこと、「転」とは曲がりくねった運筆のこと(西林 (中国法書ガイド38) PP..47-48)。
- ^ 啓功が[孫過庭書譜考」で、薛氏本の款記(「元祐二年河東薛氏摸刻」)は偽款で、薛氏本は『太清楼帖』からの2度目の覆刻本であることを主張している。
- ^ 元祐5年(1090年)から『淳化閣帖』に含まれていない遺墨を刻して建中靖国年間に『秘閣続帖』全10巻を完成し、太清楼においた。
- ^ 孫承沢 間者軒帖考、知不足斎叢書(中文)
参考文献
- 木村卜堂 『日本と中国の書史』(日本書作家協会、1971年)
- 西林昭一訳注 『孫過庭 書譜』 (明徳出版社〈中国古典新書〉、初版1972年)
- 西林昭一・鶴田一雄編 『ヴィジュアル書芸術全集 第6巻 隋・唐』 (雄山閣、1993年8月)ISBN 4639010362
- 西林昭一編 『書譜 唐 孫過庭 中国法書ガイド38』 (二玄社、1996年8月)ISBN 4544021383
- 新版 『書譜 唐 孫過庭 故宮法書選1』 (二玄社、2006年)
- 藤原鶴来 『和漢書道史』(二玄社、2005年8月) ISBN 454401008X
- 比田井南谷 『中国書道史事典』(天来書院、新版2008年) ISBN 4887152078
- 啓功, 孫過庭書譜考, 啓功叢稿 中華書局 1981,所収 (中文)