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2020年6月29日 (月) 13:54時点における版
チーム名(通称) | 日本鉱業佐賀関、日鉱佐賀関 |
---|---|
加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1958年 |
廃部 | 1987年 |
チーム名の遍歴 |
|
本拠地自治体 |
|
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 6回 |
最近の出場 | 1982年 |
最高成績 | ベスト4 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 4回 |
最近の出場 | 1986年 |
最高成績 | 準優勝 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
日本鉱業佐賀関硬式野球部(にほんこうぎょうさがのせきこうしきやきゅうぶ)は、大分県北海部郡佐賀関町に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。1987年11月に解散した。
概要
1957年12月に日本鉱業の佐賀関製錬所を拠点にチーム結成の話が持ち上がり、1958年春に『日本鉱業佐賀関硬式野球部』として活動を開始した[1]。
1976年、都市対抗野球ではベスト8まで進出し、初出場となった日本選手権では準優勝となった。
1987年11月、円高不況の影響による経営効率化のため休部が発表され[2]、その後廃部となった。
設立・沿革
主要大会の出場歴・最高成績
- 都市対抗野球大会 - 出場6回、4強1回(1977年)
- 社会人野球日本選手権大会 - 出場4回、準優勝1回(1976年)
- JABA岡山大会 - 優勝1回(1979年)
- JABA九州大会 - 優勝1回(1963年)
主な出身プロ野球選手
- 緒方勝(投手) - 1962年に国鉄スワローズに入団
- 池田重喜(投手) - 1967年ドラフト4位で大洋ホエールズに入団
- 中原勇(投手) - 1969年ドラフト2位で東映フライヤーズに入団
- 中村国昭(内野手) - 1969年ドラフト外でアトムズに入団
- 渡辺麿史(投手) - 1976年ドラフト4位で近鉄バファローズから指名を受け、翌1977年シーズン終了後に入団
- 藤沢公也(投手) - 1977年ドラフト1位で中日ドラゴンズから指名を受け、翌1978年シーズン終了後に入団