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2020年6月29日 (月) 13:53時点における版
JOMO CUP Jリーグドリームマッチは、1995年から2001年まで毎年開催されていたJリーグのオールスターゲームである。ジャパンエナジーが特別協賛していた。
概要
本大会は2002年の2002 FIFAワールドカップへの機運を盛り上げようと、体育の日中央行事として企画された。Jリーグオールスターと異なる点は、Jリーグ日本選手選抜(JAPAN DREAMS)とJリーグ外国籍選手選抜(WORLD DREAMS)が対戦するという点である。2002年にJリーグオールスターのスポンサーにジャパンエナジーが就任した関係、また2002年ワールドカップへの機運を盛り上げるという当初目標を達成できたということでこの大会は発展消滅となった。
1997年度はワールドカップ・フランス大会の最終予選壮行試合として、また2000年は同年10月のアジアカップの壮行試合として、日本代表が日本選手選抜に代わって出場した。
会場は原則として国立競技場だったが、1997年だけ浦和市駒場スタジアムで開かれた。これは国立の芝の張替え・養成作業期間中で、この期間中は利用できなかったことに伴うものだった。またこの年の大会は本来10月10日の開催を予定していたが、ワールドカップアジア最終予選が当初予定していたセントラル方式による10月下旬の集中開催から、9月-11月のホーム・アンド・アウェー開催への変更に伴って、会期を繰り上げたものである。
テレビ中継
テレビ中継は当初1999年までは主催者の一つであるフジサンケイグループの系列であるフジテレビジョンから行っていたが2000年と2001年の2回は試合日や編成上の都合でテレビ東京から中継が行われた。
ゲストプレーヤー
2001年大会は欧州リーグのスケジュールの他、各大陸のワールドカップ予選の関係もありゲストプレーヤーの選定が難航した。前年、前々年に続きロベルト・バッジョにオファーを出したが断られ、2001年ファーストステージに引退したばかりのドラガン・ストイコビッチ、元横浜フリューゲルスに所属していたエバイールなどにオファーを出したが、良い返事を貰う事ができなかった。当時Jリーグに所属していないパトリック・エムボマが来日したのは、日本の暖かさを忘れることが出来ず、また日本でプレーしたいと言う思いからJクラブからのオファーを貰うのが目的であった事を後のインタビューで語っている[要出典]。
歴代のスコアテーブル
年月日 | チーム1 | スコア | チーム2 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1995年10月10日 | JAPAN DREAMS | 3 - 1 | WORLD DREAMS | - |
1996年10月10日 | JAPAN DREAMS | 1 - 2 | WORLD DREAMS | - |
1997年8月28日 | 日本代表 | 0 - 0 | WORLD DREAMS | この年はワールドカップフランス大会最終予選壮行試合として駒場で開催された。ゲスト:ジルマール(ブラジル/元C大阪) |
1998年10月10日 | JAPAN DREAMS | 3 - 1 | WORLD DREAMS | ゲスト:チラベルト(パラグアイ) |
1999年10月11日 | JAPAN DREAMS | 1 - 3 | WORLD DREAMS | ゲスト:レオナルド(ブラジル/元鹿島)、ロベルト・バッジョ(イタリア) |
2000年10月4日 | 日本代表 | 2 - 0 | WORLD DREAMS | この年はアジアカップ壮行試合として開催された。ゲスト:ロベルト・バッジョ(イタリア) |
2001年9月2日 | JAPAN DREAMS | 2 - 4 | WORLD DREAMS | 9月2日開催。ゲスト:エムボマ(カメルーン/元G大阪) |