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2020年6月29日 (月) 13:43時点における版

久野統一郎
くの とういちろう
生年月日 (1937-04-02) 1937年4月2日
出生地 愛知県知多市
没年月日 (2020-01-08) 2020年1月8日(82歳没)
出身校 早稲田大学
前職 日本舗道社員
日本道路公団職員
衆議院議員秘書
所属政党自由民主党→)
無所属
称号 旭日重光章
親族 父・久野忠治

選挙区愛知県第2区→)
愛知県第8区
当選回数 3回
在任期間 1990年2月19日 - 2000年6月2日
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久野 統一郎(くの とういちろう、1937年4月2日2020年1月8日)は、日本の元政治家国土政務次官自治政務次官・自由民主党幹事長を務めた。父は郵政大臣衆議院議員を務めた久野忠治

来歴・人物

愛知県知多市に生まれる。東海中学校・高等学校から早稲田高等学院に転校、早稲田大学理工学部土木工学科を卒業する。

大学卒業後は日本鋪道(現NIPPO)・日本道路公団などに勤務し、高速道路などの道路工事の現場責任者として活躍する。竹下登の中部地区担当の私設秘書を務めた後、1990年、政界引退を表明した父忠冶の後継者として第39回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧愛知2区から立候補し、最下位ながら初当選する。以後当選3回(小選挙区愛知8区)。当選後は経世会竹下派)に所属し、愛知県選出の国会議員では珍しい自民党保守本流として、国土政務次官・自治政務次官・自民党副幹事長などを歴任した。当選当時の愛知県は2005年愛知万博中部国際空港の開港を控え、統一郎は建設族・国土族の議員として、中央と愛知県のパイプ役として大いに期待されていた(道路公団唯一の生え抜き議員といわれていた)。

また、国土政務次官在任時に発生した阪神・淡路大震災では災害対策本部長を任され、実際に被災地に数ヶ月も留まり、復興に尽力した。

しかし2000年の第42回衆議院議員総選挙を前に「自分は政治家に向いていない。親父の跡を継いで10年間一生懸命がんばったがもう限界だ」と政界を引退した。後継は10歳年上の元環境庁長官・参議院議員大木浩であった(結果は当選)。

引退理由の中には、1990年代の政界の激動(自民党が下野し細川連立政権の発足、自民党が政権復帰後のいわゆる自自連立政権自自公連立政権自公保連立政権)に国会議員として納得がいかないということもあった。その辺りの事情については小林照幸の著作『政治家やめます。 ある自民党代議士の十年間』に詳しい。

2007年、旭日重光章受章[1]

2020年死去。叙従四位[2]

脚注

  1. ^ 「春の叙勲 中綬章以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2007年4月29日朝刊
  2. ^ 『官報』第189号、2020年2月13日

外部リンク