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2020年6月29日 (月) 13:42時点における版
大堀 弘(おおほり ひろむ、1913年5月3日 - 1985年5月12日)は、日本の商工官僚。
概要
和歌山市出身。高輪尋常小学校、旧制武蔵高校を経て、1936年に東京帝国大学法学部卒業、同年、商工省入省。同期に小室恒夫(通商局長、新日鉄化学社長)、村田恒、皆川良三(札幌通産局長)、永野量、佐藤清一(共に東京通産局長)など。
戦後、商工省から新制通産省と改称の後もしばらくは、吉田茂や白洲次郎、初代通産省官房長の永山時雄らの「外交派」・「通商派」らが実権を握っていたが、その後の朝鮮特需によりジョゼフ・ドッジらの自由経済から方向転換、主流の「産業派」もしくは「統制派」の復権後は、永山が東京通産局に、大堀も中小企業庁長官ののち経済企画庁に出された。経企庁にて事務次官就任。福田一通産大臣によって今井善衛次官が確定すると、福田によって大堀も電源開発副総裁として名前が挙がった。
退官後は、石油・電力の専門家として、1970年から1975年の間、電源開発総裁。森誓夫、小出栄一ら先輩通産官僚の後を継いで1979年から1983年の間、共同石油社長を務めた。小説・「金環蝕」のモデルの一人。
1985年5月12日死去。72歳没。
略歴
- 1936年 東京帝大法学部卒業後、商工省入省
- 1950年 大臣官房秘書課長
- 1959年 通商局次長
- 1960年 重工業局次長
- 1957年6月 鉱山局長
- 1957年8月 経済企画庁調整局長
- 1960年 通産省公益事業局長
- 1961年7月 中小企業庁長官
- 1962年7月 経済企画事務次官
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