「パンパシフィック・カッパー佐賀関製錬所」の版間の差分
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2020年6月29日 (月) 13:35時点における版
パンパシフィック・カッパー佐賀関製錬所(パンパシフィック・カッパーさがのせきせいれんじょ)は、大分県大分市大字佐賀関にあるパンパシフィック・カッパー株式会社の製錬所である。
概要
明治時代の佐賀関鉱山では銅の精錬が行われていたが、1894年(明治27年)から1895年(明治28年)にかけて煙害により農作物が枯死したことが問題となり、操業が休止された。明治30年代初めに再開が計画されたものの、住民による反対運動[注 1][1]が起き、1900年(明治33年)に福岡鉱山監督署が精錬場の設置を不許可とする指令を出したため、再開は実現しなかった[2]。
大正時代に入ると、久原鉱業株式会社(後の日本鉱業)が佐賀関鉱山を買収し、1916年(大正5年)に佐賀関鉱山附属製錬所(後の日本鉱業佐賀関製錬所)を開設した[3]。その際、煙害を防止するために高い煙突を建設することが計画され、高さ167.6m、下部の直径約29m、上部の直径約8mの鉄筋コンクリート構造の第一大煙突が1916年(大正5年)12月に完成。翌1月に操業を開始した。この煙突は完成当時、日立鉱山の大煙突(高さ155.7m)を抜き、世界一の高さを誇ったものの、約1年後の1917年(大正6年)11月には米国ワシントン州の製錬所の煙突(高さ174m)に抜かれることとなった。しかし、その後も「東洋一の大煙突」、「関の大煙突」と呼ばれ長らく佐賀関地区のシンボルとして親しまれた[4][5][6][7][8]。
1972年(昭和47年)には、高さ約200mの第二大煙突が完成し、2本の煙突が並び立った[5][6][7][8]。
佐賀関製錬所は、1992年(平成4年)11月に、日本鉱業が設立した日鉱金属に譲渡された。2006年(平成18年)には日鉱金属と三井金属鉱業が共同で設立したパンパシフィック・カッパーの子会社の日鉱製錬に継承され、2010年(平成22年)4月1日にパンパシフィック・カッパーが日鉱製錬を吸収合併したことにより、パンパシフィック・カッパー佐賀関製錬所となった。
2012年(平成24年)9月、建設から100年近くが過ぎ老朽化が進んでいた第一大煙突について、崩壊の危険もあることから、解体・撤去を行うことが公表された。解体工事は同年10月から行われ、2013年(平成25年)5月末に完工した。跡地には、記念として高さ1.5m部分までが残されている[9]。解体後には第二大煙突に排煙機能が集約され、製錬所の操業は続けられている[5][6][7][8]。
脚注
注釈
出典
- ^ 大分県の百年 山川出版社1986年刊
- ^ “佐賀関製錬所”. 大分歴史事典. 大分放送. 2001年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月6日閲覧。
- ^ 沿革 会社情報 JX日鉱日石金属
- ^ 大分県の近代化遺産紹介|今、子どもたちに伝えたい大分のこと OITA CONTINUE 大分合同新聞社
- ^ a b c "佐賀関製錬所「第一大煙突」の解体について -約百年に及ぶ産業興隆・街づくりの使命に幕-" (PDF) (Press release). JX日鉱日石金属株式会社・三井金属鉱業株式会社・パンパシフィック・カッパー株式会社. 12 September 2012.
- ^ a b c “関のシンボル撤去へ 老朽化の第1大煙突”. 大分合同新聞. (2012年9月12日). オリジナルの2012年9月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c “さらば、「世界一の大煙突」 大分・佐賀関製錬所”. 西日本新聞. (2012年9月13日)
- ^ a b c “「関の大煙突」 来月中旬から解体”. 読売新聞. (2012年9月13日)
- ^ “「関の大煙突」姿変えて 記念碑を除幕”. 大分合同新聞. (2013年6月26日). オリジナルの2013年6月29日時点におけるアーカイブ。
関連文献
- 「国内鉛製錬所の概要」『日本鉱業会誌』第78巻第894号、日本鉱業会、1962年、966-976頁、doi:10.2473/shigentosozai1953.78.894_966。
関連項目
- 日本鉱業佐賀関鉄道
- 佐賀関町国民健康保険病院
- 日本鉱業佐賀関硬式野球部 - 日本鉱業時代に活動していた社会人野球の企業チーム。
外部リンク
座標: 北緯33度15分8.3秒 東経131度52分42.2秒 / 北緯33.252306度 東経131.878389度