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*後朱雀天皇中宮・[[藤原げん子|藤原嫄子]]([[藤原頼通]]養女)
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*後朱雀天皇女御・藤原生子([[藤原教通]]女) - 「弘徽殿女御歌合」を開いた
*後朱雀天皇女御・藤原生子([[藤原教通]]女) - 「弘徽殿女御歌合」を開いた
*[[後三条天皇]]皇后・[[馨子内親王]]([[後一条天皇]]皇女)
*[[後三条天皇]]皇后・[[馨子内親王]]([[後一条天皇]]皇女)

2020年6月26日 (金) 10:52時点における版

平安京内裏図
平安京内裏 弘徽殿跡碑
京都市上京区東神明町。

弘徽殿(こきでん)とは、平安御所の後宮七殿五舎のうちの一つ。転じて、弘徽殿を賜った后妃の称としても使われる。後者で女御の場合は「弘徽殿女御(こきでんのにょうご)」とも呼ぶ。

清涼殿に近く、後宮で最も格の高い殿舎であり、皇后中宮女御などが居住した。清涼殿の北、登華殿の南。西庇は細殿と呼ばれる女房らの居室空間で、『源氏物語』では光源氏朧月夜がここで出逢ったことになっている。細殿は簀子がなく直に遣り戸から入れる構造になっており、清涼殿に出勤する男性官人の通路に面した弘徽殿や登華殿の細殿は男女の接点となる開放的な空間だった[1]

弘徽殿を賜っていたのが知られるのは、

物語では、『源氏物語』の桐壺帝の妃で朱雀帝の母后、「弘徽殿女御(大后)」が著名である。

脚注

  1. ^ シンポジウム 源氏物語の魅力[リンク切れ]法政大学、日本文學誌要第77号