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「アイドルユニットサマーフェスティバル2010」の版間の差分

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* [[吉田尚記]](司会、[[ニッポン放送]]アナウンサー)
* [[吉田尚記]](司会、[[ニッポン放送]]アナウンサー)



2020年6月26日 (金) 10:37時点における版

アイドルユニットサマーフェスティバル2010が開催された渋谷C.C.Lemonホール(渋谷公会堂)

アイドルユニットサマーフェスティバル2010(アイドルユニットサマーフェスティバルにせんじゅう)は、ニッポン放送の主催で2010年8月30・31日に渋谷C.C.Lemonホール(渋谷公会堂)で開催された女性アイドルグループ4組によるライブイベントである。

概要

2010年代前半のいわゆる「アイドル戦国時代」の幕開けを告げるエポックメイキングな出来事として、アイドルに造詣の深い吉田豪(プロインタビュアー)[1]嶺脇育夫タワーレコード社長)[2]が言及するように、「MUSIC JAPAN 女性アイドル大特集!」(NHK総合テレビジョン、2010年5月30日放送)[3]、「TOKYO IDOL FESTIVAL 2010 @Shinagawa」(2010年8月7・8日、品川プリンスホテル[4]と並び、10年後の2020年現在においても語り継がれるイベントとなっている。

ニッポン放送でイベント制作を担当した増田佳子は、2009年の秋に番組制作ディレクターから異動、その際に夏休み最後の2日間に渋谷公会堂を押さえることができたので何か企画してほしいとの上司の依頼を受け、周囲から「来年(2010年)の夏はアイドルが熱くなる」という情報を得たことから、当時「B.L.T.」編集長であった井上朝夫(現HUSTLE PRESS社長)から推薦に基づき出演者を選定した。当初社内外から「アイドルブームが来るの?」と疑いの目で見られていたものの、ハロー!プロジェクト(ハロプロ)のライブにしか出演したことのないスマイレージ(現アンジュルム)が外部のイベントに初出演するという話題性もあり、いざチケットを販売したところ即完売したことから、周囲が「アイドルブームへの疑いから確信に変わった」と述懐している[1]

紙のプロレス」編集者の経歴を持つ吉田は、伝説のイベントとなった要因として、川上アキラももいろクローバー(現ももいろクローバーZ)マネージャー)、山田昌治(当時スマイレージマネージャー、現YU-M エンターテインメント代表取締役)といった「プロレス心」を持ったマネージャーが交流戦で「(ガチを)仕掛けた」ことにあると指摘している[1]。山田も、「僕らは桜庭和志[注 1]になりたかった」と語っている[5]。一方、吉田は編集長以下当時SKE48をプッシュしていた雑誌「BUBKA」の関係者がそのパフォーマンスに落胆した様子を「高田延彦ヒクソン・グレイシーに何もできずに負けた[注 2]ときぐらいの落ち込み方」と例えている[5]

出演者

放送

2010年9月4日(3日深夜)放送「オールナイトニッポンR」(ニッポン放送)でライブの模様が放送された[7]

脚注

注釈

  1. ^ 2000年5月1日に開催された『PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦』(東京ドーム)にてホイス・グレイシーに勝利
  2. ^ 1997年10月11日に開催された『PRIDE.1』(東京ドーム)

出典

  1. ^ a b c 2010年代のアイドルシーン Vol.1“アイドル戦国時代”幕開けの瞬間(前編)”. 音楽ナタリー. p. 1 (2020年5月26日). 2020年6月18日閲覧。
  2. ^ 平成アイドル史のターニングポイントを考える「アイドル戦国時代はいかにして起こったか」”. ENTAME next (2019年4月27日). 2020年6月18日閲覧。
  3. ^ 総勢59人!「MJ」収録に人気女性アイドル7組が集結”. 音楽ナタリー (2010年5月17日). 2020年6月17日閲覧。
  4. ^ 総勢40組以上!品川を熱く盛り上げたアイドルフェス大成功”. 音楽ナタリー (2010年8月10日). 2020年6月19日閲覧。
  5. ^ a b 2010年代のアイドルシーン Vol.1“アイドル戦国時代”幕開けの瞬間(前編)”. 音楽ナタリー. p. 2 (2020年5月26日). 2020年6月18日閲覧。
  6. ^ アイドルユニットサマーフェスティバル2010”. ニッポン放送. 2020年6月18日閲覧。
  7. ^ 最後にサプライズも!アイドル4組が渋谷で夏フェス”. 音楽ナタリー (2010年9月1日). 2020年6月18日閲覧。

外部リンク