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== 人物 ==
== 人物 ==
金田町の米店で、8人兄弟の4人目として生まれ、幼少期は仕事を手伝って米袋を担いだりしていた。小学校4年次に[[貴闘力忠茂|貴闘力]](元[[関脇]])と出会ったことがきっかけとなり相撲を始めるようになり、小学生時代には既に力士になることを志していた。中学はアマチュア相撲の名門である[[明徳義塾中学校・高等学校|明徳義塾中学校]]に進学し、相撲部に入部。中学3年次([[2001年]]度)の全国都道府県中学生相撲選手権大会では、明徳義塾中学を優勝に導いた。中学卒業後はそのまま同高校に進学しており、同級生には[[栃煌山雄一郎|栃煌山]]、[[勝龍誠|德勝龍]]らがいる。
金田町の米店で、8人兄弟の4人目として生まれ、幼少期は仕事を手伝って米袋を担いだりしていた。小学校4年次に[[貴闘力忠茂|貴闘力]](元[[関脇]])と出会ったことがきっかけとなり相撲を始めるようになり、小学生時代には既に力士になることを志していた。中学はアマチュア相撲の名門である[[明徳義塾中学校・高等学校|明徳義塾中学校]]に進学し、相撲部に入部。中学3年次([[2001年]]度)の全国都道府県中学生相撲選手権大会では、明徳義塾中学を優勝に導いた。中学卒業後はそのまま同高校に進学しており、同級生には[[栃煌山雄一郎|栃煌山]]、[[勝龍誠|德勝龍]]らがいる。


しかしプロに入門することを決意したため、1年で中退し、[[阿武松部屋]]に入門。[[2003年]]7月場所に初土俵。[[四股名]]は本名と同じで「藤本」。同期入門には[[徳瀬川正直|德瀬川]]がいる。初めて番付に名前が載った翌9月場所は無傷の7連勝を記録し、[[序ノ口]]優勝。[[序二段]]に昇格した翌11月場所の4番相撲で敗れるまで10連勝を記録していた。プロ入り後1年間は負け越し知らずで番付を上げていったが、幕下を目前にした[[2004年]]9月場所で初の負け越し。以降、2年近く[[三段目]]で苦労することとなった。
しかしプロに入門することを決意したため、1年で中退し、[[阿武松部屋]]に入門。[[2003年]]7月場所に初土俵。[[四股名]]は本名と同じで「藤本」。同期入門には[[徳瀬川正直|德瀬川]]がいる。初めて番付に名前が載った翌9月場所は無傷の7連勝を記録し、[[序ノ口]]優勝。[[序二段]]に昇格した翌11月場所の4番相撲で敗れるまで10連勝を記録していた。プロ入り後1年間は負け越し知らずで番付を上げていったが、幕下を目前にした[[2004年]]9月場所で初の負け越し。以降、2年近く[[三段目]]で苦労することとなった。

2020年6月23日 (火) 20:56時点における版

藤本 悠介
基礎情報
四股名 藤本
本名 藤本悠介
生年月日 (1986-06-09) 1986年6月9日(38歳)
出身 福岡県田川郡金田町
(現:福智町
身長 178cm(現役時)
体重 138kg(現役時)
BMI 43.56(現役時)
所属部屋 阿武松部屋
成績
現在の番付 引退
最高位 西幕下3枚目
生涯戦歴 249勝220敗(68場所)
優勝 序ノ口優勝1回
データ
初土俵 2003年7月場所
引退 2014年11月場所
備考
2014年11月26日現在

藤本 悠介(ふじもと ゆうすけ、1986年6月9日 - )、は、福岡県田川郡金田町(現:福智町)出身で、阿武松部屋に所属していた元大相撲力士。本名同じ。身長178cm、体重138kg。血液型はA型。自己最高位は西幕下3枚目(2012年11月場所)。

人物

金田町の米店で、8人兄弟の4人目として生まれ、幼少期は仕事を手伝って米袋を担いだりしていた。小学校4年次に貴闘力(元関脇)と出会ったことがきっかけとなり相撲を始めるようになり、小学生時代には既に力士になることを志していた。中学はアマチュア相撲の名門である明徳義塾中学校に進学し、相撲部に入部。中学3年次(2001年度)の全国都道府県中学生相撲選手権大会では、明徳義塾中学を優勝に導いた。中学卒業後はそのまま同高校に進学しており、同級生には栃煌山德勝龍らがいる。

しかしプロに入門することを決意したため、1年で中退し、阿武松部屋に入門。2003年7月場所に初土俵。四股名は本名と同じで「藤本」。同期入門には德瀬川がいる。初めて番付に名前が載った翌9月場所は無傷の7連勝を記録し、序ノ口優勝。序二段に昇格した翌11月場所の4番相撲で敗れるまで10連勝を記録していた。プロ入り後1年間は負け越し知らずで番付を上げていったが、幕下を目前にした2004年9月場所で初の負け越し。以降、2年近く三段目で苦労することとなった。

2005年3月場所は5連勝として三段目の優勝争いに加わっていたが、6番相撲で幕内経験者の玉力道(現・松ヶ根)に敗れ、結局この場所は5勝2敗となった。2006年5月場所も5連勝としていたが、6番相撲で関取経験者の舞風に敗れ、この場所は6勝1敗に終わった。この2番とも、負けた相手はその場所の三段目優勝を飾っている。

2012年5月場所は東幕下20枚目で5連勝とし、幕下優勝が狙える状態であったが、6番相撲で兜岩に敗れて1敗を喫し、幕下優勝を逃した。なお、この場所は同部屋の寺下(のち丹蔵)が幕下優勝を決めている。同年11月場所は自己最高位を西幕下3枚目まで更新したが2勝5敗と負け越した。2014年11月場所限りで引退。

主な成績

  • 通算成績:249勝220敗(68場所)
  • 幕下成績:143勝157敗(43場所)
  • 各段優勝:序ノ口優勝1回(2003年9月場所)
藤本 悠介
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2003年
(平成15年)
x x x (前相撲) 西序ノ口36枚目
優勝
7–0
西序二段28枚目
4–3 
2004年
(平成16年)
西序二段6枚目
4–3 
西三段目88枚目
5–2 
東三段目56枚目
5–2 
西三段目23枚目
4–3 
東三段目10枚目
3–4 
東三段目26枚目
4–3 
2005年
(平成17年)
東三段目13枚目
3–4 
西三段目29枚目
5–2 
東三段目5枚目
2–5 
西三段目25枚目
3–4 
東三段目44枚目
3–4 
東三段目59枚目
5–2 
2006年
(平成18年)
西三段目29枚目
5–2 
東三段目3枚目
3–4 
西三段目17枚目
6–1 
東幕下40枚目
2–5 
東幕下58枚目
5–2 
東幕下39枚目
2–5 
2007年
(平成19年)
東三段目3枚目
2–5 
東三段目31枚目
5–2 
東三段目7枚目
5–2 
西幕下48枚目
3–4 
東幕下60枚目
3–4 
東三段目16枚目
6–1 
2008年
(平成20年)
東幕下38枚目
2–5 
東幕下56枚目
6–1 
東幕下26枚目
4–3 
西幕下21枚目
3–4 
東幕下29枚目
4–3 
東幕下22枚目
5–2 
2009年
(平成21年)
西幕下11枚目
3–4 
西幕下17枚目
3–4 
東幕下27枚目
1–6 
東幕下52枚目
4–3 
東幕下43枚目
3–4 
東幕下51枚目
3–4 
2010年
(平成22年)
西三段目3枚目
5–2 
西幕下47枚目
2–5 
西三段目7枚目
5–2 
東幕下49枚目
3–4 
東幕下53枚目
4–3 
西幕下45枚目
3–4 
2011年
(平成23年)
西幕下55枚目
3–4 
八百長問題
により中止
東三段目4枚目
6–1 
西幕下25枚目
4–3 
東幕下17枚目
4–3 
西幕下13枚目
3–4 
2012年
(平成24年)
東幕下19枚目
4–3 
西幕下13枚目
3–4 
東幕下20枚目
6–1 
西幕下7枚目
2–5 
東幕下19枚目
6–1 
西幕下3枚目
2–5 
2013年
(平成25年)
東幕下13枚目
5–2 
西幕下7枚目
3–4 
東幕下11枚目
4–3 
西幕下9枚目
2–5 
東幕下21枚目
3–4 
西幕下25枚目
5–2 
2014年
(平成26年)
西幕下17枚目
4–3 
西幕下11枚目
2–5 
西幕下24枚目
4–3 
西幕下21枚目
1–6 
西幕下48枚目
5–2 
西幕下32枚目
引退
1–6–0
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

四股名力士

  • 藤本 悠介(ふじもと ゆうすけ) 2003年7月場所 - 2014年11月場所

参考資料

  • 藤本悠介さん - 福智人(PDF注意)
  • 「相撲」編集部編『平成二十四年度版 大相撲力士名鑑』 ベースボール・マガジン社、2012年、80頁

関連項目

外部リンク