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::あまりにも一年以上も放置されている記事や編集ばかりだし、そもそも出典らしい出典も全然(と呼べるほどに)ないページだと思っておりました。誰も興味を持たないだろうし、だったら大言壮語にあたったり、無駄に強調(来歴や経歴を見ればわかるような)している部分は削除して見やすい記事にしたほうがよいと思いました。現に126.224.92.160さんも沢山取り消して加筆しましたが出典を見つけることが出来なかったですよね?--[[利用者:Jtrd58|Jtrd58]]([[利用者‐会話:Jtrd58|会話]]) 2020年6月23日 (火) 12:54 (UTC) |
::あまりにも一年以上も放置されている記事や編集ばかりだし、そもそも出典らしい出典も全然(と呼べるほどに)ないページだと思っておりました。誰も興味を持たないだろうし、だったら大言壮語にあたったり、無駄に強調(来歴や経歴を見ればわかるような)している部分は削除して見やすい記事にしたほうがよいと思いました。現に126.224.92.160さんも沢山取り消して加筆しましたが出典を見つけることが出来なかったですよね?--[[利用者:Jtrd58|Jtrd58]]([[利用者‐会話:Jtrd58|会話]]) 2020年6月23日 (火) 12:54 (UTC) |
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== 藤村操の記事に関して == |
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上の方と同じく、ジャンルを問わず、合意形成のないまま冒頭部の説明を削っておられるのが目につきました。<br />特に藤村操の記事に関しては自殺をしたという事実の部分も削られておりますが、これは一番最初に記事の主眼を簡単に理解することができていた、百科事典として望ましい状態にあった以前のものからの後退であると思います。問題とされている(というか問題とすることなく一方的に削除なされた)「自殺現場に残した遺書「巌頭之感」によって当時の学生・マスコミ・知識人に波紋を広げた」という部分は他の記事と同じくある程度社会的な合意を得ている事象で明確な記述を見つけるのが難しいですが、『国史大辞典』の「二十世紀初頭の転換期を思想的に象徴する事件となった。同時代の青年に大きな衝撃を与え、「巌頭之感」は青年の朗唱するところとなり、あと追い自殺も続出した。同じ一高生の岩波茂雄や魚住折蘆らへの思想的影響はよく知られる。叔父那珂通世が『万朝報』に悲痛な弔文を寄せたのにつづき、黒岩涙香は「少年哲学者を弔す」を載せ「哲学の為に抵死する者」と評した。井上哲次郎や坪内逍遙も自殺の是非を論じた。近年では同郷の馬島千代という女性に対する失恋ゆえの煩悶死という見方もでている。」という内容を踏まえれば問題ないと思いますが、いかがでしょうか。--[[利用者:Isuk3|Isuk3]]([[利用者‐会話:Isuk3|会話]]) 2020年7月23日 (木) 14:48 (UTC) |
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上の方のコメントを見たのなら、その出典をつけましょうと述べているのをみているはずですが。--[[利用者:Jtrd58|Jtrd58]]([[利用者‐会話:Jtrd58|会話]]) 2020年7月24日 (金) 05:44 (UTC) |
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:「みているはずですが」、なんでしょうか?<br />とりあえず、要出典templateを貼って、合意形成をご自身で図られるべきだと思います。[[WP:LEAD]]は「導入部は通常記事本文に書かれている情報の繰り返しであるため、執筆者は冗長さを回避するために記事本文と重複する出典の提示を避けようとする」ことをある程度認めており、さらには「導入部における出典提示の必要性は編集者間の合意形成によってケースバイケースで決められるべきです」と書かれているのに、今まで全く関与していなかった記事に関して削除されておられますよね。またそもそも記事全体を読んだ上で編集作業をしているかも怪しいように思われます。ご自身が加筆された[[邪神ちゃんドロップキック]]においては出展を明記されていない点も含めて不誠実ではないですか?--[[利用者:Isuk3|Isuk3]]([[利用者‐会話:Isuk3|会話]]) 2020年7月24日 (金) 07:07 (UTC) |
2020年7月24日 (金) 07:19時点における版
導入部の除去について
プロレスラー関連の記事の導入部を勝手に除去して回っているのはどのような了見からでしょうか? 同意形成のないテキスト削除は荒らし行為と見做されますのでおやめください。--126.224.105.45 2020年6月22日 (月) 22:34 (UTC)
その記事の元となる出典がなかったので削除しました。--Jtrd58(会話) 2020年6月23日 (火) 12:23 (UTC)
- それならば、黙って除去するのではなく、出典明記のテンプレートを貼るなりすべきではありませんか?--126.224.92.160 2020年6月23日 (火) 12:44 (UTC)
- あまりにも一年以上も放置されている記事や編集ばかりだし、そもそも出典らしい出典も全然(と呼べるほどに)ないページだと思っておりました。誰も興味を持たないだろうし、だったら大言壮語にあたったり、無駄に強調(来歴や経歴を見ればわかるような)している部分は削除して見やすい記事にしたほうがよいと思いました。現に126.224.92.160さんも沢山取り消して加筆しましたが出典を見つけることが出来なかったですよね?--Jtrd58(会話) 2020年6月23日 (火) 12:54 (UTC)
藤村操の記事に関して
上の方と同じく、ジャンルを問わず、合意形成のないまま冒頭部の説明を削っておられるのが目につきました。
特に藤村操の記事に関しては自殺をしたという事実の部分も削られておりますが、これは一番最初に記事の主眼を簡単に理解することができていた、百科事典として望ましい状態にあった以前のものからの後退であると思います。問題とされている(というか問題とすることなく一方的に削除なされた)「自殺現場に残した遺書「巌頭之感」によって当時の学生・マスコミ・知識人に波紋を広げた」という部分は他の記事と同じくある程度社会的な合意を得ている事象で明確な記述を見つけるのが難しいですが、『国史大辞典』の「二十世紀初頭の転換期を思想的に象徴する事件となった。同時代の青年に大きな衝撃を与え、「巌頭之感」は青年の朗唱するところとなり、あと追い自殺も続出した。同じ一高生の岩波茂雄や魚住折蘆らへの思想的影響はよく知られる。叔父那珂通世が『万朝報』に悲痛な弔文を寄せたのにつづき、黒岩涙香は「少年哲学者を弔す」を載せ「哲学の為に抵死する者」と評した。井上哲次郎や坪内逍遙も自殺の是非を論じた。近年では同郷の馬島千代という女性に対する失恋ゆえの煩悶死という見方もでている。」という内容を踏まえれば問題ないと思いますが、いかがでしょうか。--Isuk3(会話) 2020年7月23日 (木) 14:48 (UTC)
上の方のコメントを見たのなら、その出典をつけましょうと述べているのをみているはずですが。--Jtrd58(会話) 2020年7月24日 (金) 05:44 (UTC)
- 「みているはずですが」、なんでしょうか?
とりあえず、要出典templateを貼って、合意形成をご自身で図られるべきだと思います。WP:LEADは「導入部は通常記事本文に書かれている情報の繰り返しであるため、執筆者は冗長さを回避するために記事本文と重複する出典の提示を避けようとする」ことをある程度認めており、さらには「導入部における出典提示の必要性は編集者間の合意形成によってケースバイケースで決められるべきです」と書かれているのに、今まで全く関与していなかった記事に関して削除されておられますよね。またそもそも記事全体を読んだ上で編集作業をしているかも怪しいように思われます。ご自身が加筆された邪神ちゃんドロップキックにおいては出展を明記されていない点も含めて不誠実ではないですか?--Isuk3(会話) 2020年7月24日 (金) 07:07 (UTC)