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「直江津橋」の版間の差分

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== 歴史 ==
== 歴史 ==
昔、直江津橋の付近には「おうげの橋(おうぎの橋とも、漢字表記は応化、往下、応解、逢岐、大笥などある)」があり、[[森外]]の小説[[山椒大夫]]では、安寿と厨子王丸とその母が、この橋の辺りで連れ去られたとされている。[[上杉謙信]]が[[1549年]]に荒廃した橋を再建、[[堀秀治]]が新たに橋を架けたが、[[松平忠輝]]が[[高田城]]下の繁栄のために橋を壊して渡しのみとし、[[1871年]]まで直江津に橋は架けられなかった。その橋は[[1897年]]に流され、2年後に現在の位置に架けられた。[[1949年]]の架け替えを経て、現在の橋に架け替えられた。
昔、直江津橋の付近には「おうげの橋(おうぎの橋とも、漢字表記は応化、往下、応解、逢岐、大笥などある)」があり、[[森外]]の小説[[山椒大夫]]では、安寿と厨子王丸とその母が、この橋の辺りで連れ去られたとされている。[[上杉謙信]]が[[1549年]]に荒廃した橋を再建、[[堀秀治]]が新たに橋を架けたが、[[松平忠輝]]が[[高田城]]下の繁栄のために橋を壊して渡しのみとし、[[1871年]]まで直江津に橋は架けられなかった。その橋は[[1897年]]に流され、2年後に現在の位置に架けられた。[[1949年]]の架け替えを経て、現在の橋に架け替えられた。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2020年6月18日 (木) 11:32時点における版

直江津橋
地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 新潟県上越市
交差物件 関川
建設 1988年[1]
座標 北緯37度10分29秒 東経138度15分0秒 / 北緯37.17472度 東経138.25000度 / 37.17472; 138.25000
構造諸元
形式 6径間単純鋼箱桁橋[1]
材料
全長 237.9 m[1]
13 m[1]
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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直江津橋(なおえつばし)は、新潟県上越市関川に架かるで、日本百名橋に選ばれた。

概要

今日ある橋は、1988年11月に架け替えられたもので、高欄には安寿と厨子王丸のパネルがある[1]。すぐ上流にはJR信越本線鉄道橋、下流には荒川橋と関川河口がある。

歴史

昔、直江津橋の付近には「おうげの橋(おうぎの橋とも、漢字表記は応化、往下、応解、逢岐、大笥などある)」があり、森鷗外の小説山椒大夫では、安寿と厨子王丸とその母が、この橋の辺りで連れ去られたとされている。上杉謙信1549年に荒廃した橋を再建、堀秀治が新たに橋を架けたが、松平忠輝高田城下の繁栄のために橋を壊して渡しのみとし、1871年まで直江津に橋は架けられなかった。その橋は1897年に流され、2年後に現在の位置に架けられた。1949年の架け替えを経て、現在の橋に架け替えられた。

脚注

  1. ^ a b c d e にいがた土木構造物めぐり 第31回 安寿と厨子王の悲話を今に伝える「日本百名橋」の橋 直江津橋”. 土木学会関東支部新潟会 (2012年4月10日). 2019年8月31日閲覧。

参考文献

  • 松村博『日本百名橋』鹿島出版会

関連項目

外部リンク