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{{Quotation|夜[[菊池常三郎]]、緒方収二郎と灘萬に飲み、帰途中嶋朝日軒に遊ぶ。……灘万の割烹は好し。|[[森鷗外]]|小倉日記}} |
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[[大正時代]]には、[[パリ講和会議]]の折に[[西園寺公望]]の訪欧随行料理人として灘萬の店主が指名され<ref name="nadaman_development" />、また洋式[[ホテル]]の経営にも関わって、[[レストラン]]での[[ジャズ]]演奏は「灘萬ジャズ」と呼ばれた<ref name="nadaman_history" />。戦後は[[帝国ホテル]]などに日本料理店の出店を続け<ref name="nadaman_history" />、特に[[ホテルニューオータニ]]庭園の「山茶花荘」(さざんかそう)は政府要人らの会談場所として頻繁に使われ<ref name="gendai_2" />、[[1986年]]の[[第12回先進国首脳会議|東京サミット]]では公式[[晩餐会]]の会場ともなった<ref name="nadaman_history" />。しかし[[平成]]に入ると、[[バブル崩壊]]、[[リーマン・ショック]]などで高級日本料理店の客足は遠のき、その売上不振を百貨店などでの惣菜販売で補った<ref name="gendai_3" />。 |
2020年6月18日 (木) 11:25時点における版
本店 山茶花荘 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒160-0004 東京都新宿区四谷四丁目16番地3 川辺新宿御苑前ビル10階 北緯35度41分21.2秒 東経139度42分57.6秒 / 北緯35.689222度 東経139.716000度座標: 北緯35度41分21.2秒 東経139度42分57.6秒 / 北緯35.689222度 東経139.716000度 |
本店所在地 |
〒102-0094 東京都千代田区紀尾井町4番1号 |
設立 |
1951年 (創業1830年) |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 9010001025301 |
事業内容 |
日本料理店の経営 惣菜、お弁当の製造販売 その他食品販売等 |
代表者 | 代表取締役社長 巻木通浩 |
資本金 | 4111万円[1] |
売上高 | 150億円 |
純利益 | ▲1054万円(2019年12月31日時点)[2] |
総資産 | 53億6586万1000円(2019年12月31日時点)[2] |
従業員数 | 1,300名(男700名、女600名) |
主要株主 | アサヒビール株式会社 100% |
関係する人物 |
楠本憲吉 中村孝明 |
外部リンク | https://www.nadaman.co.jp/ |
株式会社なだ万(なだまん)は、1830年(天保元年)創業の日本料理店。客単価1万5千円ほどの高級店として知られ[3]、日本を代表する老舗料亭のひとつである[4]。百貨店などのテナントとして惣菜や弁当の販売も行なっている。
歴史
創始者である灘屋萬助は、出身地である長崎の卓袱料理と漢方の知識を元に、長崎料理を大阪風にアレンジした料理屋を1830年に大阪で開いた[5]。そして1871年に北浜で「灘萬楼」を開業した[6]。明治中期には現代のスーパーの嚆矢といえる総合食料品店も開き、当時まだ珍しかったパンを販売した[7]。料亭の灘萬は評判を呼び、政財界の要人や文豪らに親しまれ[4]、その作品にも登場した[7]。
大正時代には、パリ講和会議の折に西園寺公望の訪欧随行料理人として灘萬の店主が指名され[6]、また洋式ホテルの経営にも関わって、レストランでのジャズ演奏は「灘萬ジャズ」と呼ばれた[7]。戦後は帝国ホテルなどに日本料理店の出店を続け[7]、特にホテルニューオータニ庭園の「山茶花荘」(さざんかそう)は政府要人らの会談場所として頻繁に使われ[8]、1986年の東京サミットでは公式晩餐会の会場ともなった[7]。しかし平成に入ると、バブル崩壊、リーマン・ショックなどで高級日本料理店の客足は遠のき、その売上不振を百貨店などでの惣菜販売で補った[9]。
2014年にアサヒビールが創業家(楠本家)から株式51.1%を取得し、なだ万は連結子会社化された[10]。もとよりなだ万の日本料理店で扱うビールの9割はアサヒ商品であり両社の関係は深く[8]、この買収によりなだ万は安定した経営基盤を得た[11]。
店舗
2015年時点で、日本料理店は日本国内では関東圏を中心に[3]25店舗、海外では東アジア・東南アジアを主に7店舗を構え、ほか百貨店などのテナントとして惣菜販売店を36店ひらいている[5]。
沿革
- 1830年(天保元年) 初代・灘屋萬助が大阪で料理屋を創業
- 1871年(明治4年) 長崎料理を基調とした大阪料理の店「灘萬楼」を開業
- 1919年(大正8年) 西園寺公望の訪欧に三代目・楠本萬助が随行。
- 1970年(昭和45年) 帝国ホテルに日本料理店を開店。
- 1973年(昭和48年) ロイヤルホテルに日本料理店を開店。
- 1974年(昭和49年) 本社を大阪から東京のホテルニューオータニ内に移転。
- 1981年(昭和56年) 香港のシャングリ・ラ・ホテルに海外1号店を開店。
- 1986年(昭和61年) 東京サミットを山茶花荘で開催。
- 2005年(平成17年) 愛・地球博長久手会場に出店
- 2011年(平成23年) 『なだ万日本料理の真髄』(幻冬舎メディアコンサルティング)を発売。
- 2014年(平成26年) アサヒビール株式会社が創業家より株式51.1%を取得、傘下入りに合意[10]。
- 2015年(平成27年)谷田部二郎 代表取締役会長に就任
- 2016年(平成28年)アサヒグループの100%グループ会社となる
- 2017年(平成29年)野原優 代表取締役社長に就任
- 2020年(令和2年)巻木通浩 代表取締役社長に就任
関連項目
脚注
- ^ 第67期決算公告、2018年(平成30年)4月11日付「官報」(号外第81号)56頁。
- ^ a b 株式会社なだ万 第69期決算公告
- ^ a b 三上成文 (2014年11月22日). “なだ万、「アサヒビールへ身売り」の謎 (1/2)”. 東洋経済ONLINE. 東洋経済新報社. 2015年1月22日閲覧。
- ^ a b “「なんでウチがビール会社に呑み込まれるんだ!」「なだ万」買収 ——老舗がのれんを売り渡すとき 創業184年の歴史は、いともあっけなく (1/5)”. 週刊現代. 講談社 (2014年12月6日). 2015年1月22日閲覧。
- ^ a b “企業概要”. 公式ウェブサイト. なだ万. 2015年1月22日閲覧。
- ^ a b “沿革”. 公式ウェブサイト. なだ万. 2015年1月22日閲覧。
- ^ a b c d e “なだ万の歴史”. 公式ウェブサイト. なだ万. 2015年1月22日閲覧。
- ^ a b “「なんでウチがビール会社に呑み込まれるんだ!」「なだ万」買収 ——老舗がのれんを売り渡すとき 創業184年の歴史は、いともあっけなく (2/5)”. 週刊現代. 講談社 (2014年12月6日). 2015年1月22日閲覧。
- ^ “「なんでウチがビール会社に呑み込まれるんだ!」「なだ万」買収 ——老舗がのれんを売り渡すとき 創業184年の歴史は、いともあっけなく (3/5)”. 週刊現代. 講談社 (2014年12月6日). 2015年1月22日閲覧。
- ^ a b “アサヒビールが日本料亭「なだ万」買収、過半数株式取得へ”. ロイター (2014年11月14日). 2015年1月22日閲覧。
- ^ 三上成文 (2014年11月22日). “なだ万、「アサヒビールへ身売り」の謎 (2/2)”. 東洋経済ONLINE. 東洋経済新報社. 2015年1月22日閲覧。