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'''小倉 斉'''(おぐら ひとし、[[1951年]]<ref>『夜窓鬼談』(春風社、2003年12月)著者経歴より。</ref> - )は、日本文学研究者、[[愛知淑徳大学]]文学部国文学科教授。[[岐阜県]]出身。専門は[[森 |
'''小倉 斉'''(おぐら ひとし、[[1951年]]<ref>『夜窓鬼談』(春風社、2003年12月)著者経歴より。</ref> - )は、日本文学研究者、[[愛知淑徳大学]]文学部国文学科教授。[[岐阜県]]出身。専門は[[森鷗外]]研究である。 |
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2020年6月18日 (木) 11:12時点における版
小倉 斉(おぐら ひとし、1951年[1] - )は、日本文学研究者、愛知淑徳大学文学部国文学科教授。岐阜県出身。専門は森鷗外研究である。
経歴
- 1977年 早稲田大学大学院文学研究科日本文学専攻修士課程修了(文学修士)。
- 1983年 愛知淑徳短期大学専任講師。
- 1988年 同短期大学国文学科助教授。
- 1993年 愛知淑徳大学文学部国文学科教授。
- 1996年 短期大学文芸学科教授。
- 1998年 現職。
主要論文
- 1983年12月 「文学と自然」論争における鷗外:「『文学ト自然』ヲ読ム」の残した課題」
- 1997年2月 「倉橋由美子論-《妖女》から《老人》へ-」(『淑徳国文』38)
- 1999年6月 「『高瀬舟』を読む-庄兵衛の眼差しが捉えたもの」(『月刊国語教育』)
- 1998年6月 「森鴎外と1910年代」(口頭発表,日本社会文学会1998年度春季大会 於早稲田大学)
- 2002年3月 「『唐草物語』の中の「私」」(『愛知淑徳大学論集—文学部・文学研究科篇—』27)
- 2005年3月 「「ぼろんじ」(『ねむり姫』所収)を読む-<超越>に向かう旅-」(『愛知淑徳大学論集-文学部・文学研究科篇-』30)
- 2005年8月 「『夜窓鬼談』の物語世界」(『新日本古典文学大系・明治編)第三巻「漢文小説集」〈月報18〉岩波書店)
- 2007年3月 「『六道の辻』と「マカベ」、あるいは「マカベ踊」」(『愛知淑徳大学国語国文』30)
- 2008年5月 「澁澤龍彦、没後二〇年目の再生」(『日本近代文学』78)
- 2012年12月 「小倉時代における森鴎外の一面」(『森鴎外 小倉時代の業績』北九州森鴎外記念会/編)
- 2013年3月 「《合評》という名の文芸時評――『めさまし草』『藝文』『萬年艸』における森鷗外」(『愛知淑徳大学国語国文』36)
- 2019年5月 『国文学年次別論文集 近代2平成25(2013)年』(学術文献刊行会/編集、朋文出版)収録
- 2014年3月 「『妖婆』論-芥川龍之介の〈神〉、その黒い微笑-」(『愛知淑徳大学論集—文学部・文学研究科篇—』39)
著書
専門書
- 1997年『講座森鴎外2 鴎外の作品』(共著,新曜社) ―執筆部分:「「三人冗語」「雲中語」の森鴎外−《合評》形式の意味をめぐって」[2]。
- 1997年『森鴎外『スバル』の時代』(共著,双文社出版) ―執筆部分:「明治四二年の鴎外一面−小説の方法への模索−」
- 2001年『森鷗外論集 出会いの衝撃』(共著,新典社) ―執筆部分:「《合評》という名のドラマ「三人冗語」」
- 2003年『夜窓鬼談』(共著,春風社) ―担当部分:上巻訳註および解説「石川鴻斎とその時代」
- 2012年7月『森鷗外小倉時代の業績 森鷗外生誕150年記念』(共著, 北九州森鷗外記念会) ―執筆部分:「小倉時代における森鷗外の一面」
- 2014年7月『森鴎外と美術』(共著, 双文社出版) ―執筆部分:Ⅲ 人と制度「森鴎外と久米桂一郎」
文芸書アンソロジー
- 2005年9月『妖怪文藝 巻之壱 モノノケ大合戦』(東雅夫 編, 小学館文庫) ―担当部分:石川鴻斎「轆轤首」現代語訳
- 2009年8月『文豪てのひら怪談』(東雅夫 編, ポプラ文庫) ―担当部分:石川鴻斎「驚狸」現代語訳
所属学会
- 日本近代文学会
- 日本社会文学会
- 日本文学協会
- 昭和文学会
脚注
- ^ 『夜窓鬼談』(春風社、2003年12月)著者経歴より。
- ^ 小倉斉「「文学と自然」論争における鷗外 : 「『文学ト自然』ヲ読ム」の残した課題」第25巻、愛知淑徳短期大学国文学会、1983年、ISSN 0287-9069、NAID 120005038520、2020年4月8日閲覧。
外部リンク・出典