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日本では、中世期に[[五山]]の僧[[中巌円月]]が帰国してから『三体詩』の講義が始まったとされ、[[南北朝時代 (日本)|南北朝]]のこの時期から、[[五山文学]]での和刻本が刊行し、以後三体詩抄の諸本は、[[江戸時代|江戸期]]の[[森川許六]]編『和訓三体詩』など十数系統に及んでいる。 |
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近代文学者でも、[[森鷗外]]や[[夏目漱石]]など漢詩を製作していた作家が愛読していた。明治期には、初期に[[石川鴻斎]]『三体詩講義』が、中期に[[野口寧斎]]『三体詩評釈』などが刊行している。 |
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== 関連書籍 == |
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2020年6月18日 (木) 10:56時点における版
『三体詩』(さんたいし)は、中国南宋の周弼により編集された唐代漢詩集。書名は、五言律詩・七言律詩・七言絶句の三種を収めていることによる。
概略
南宋末の淳祐年間(1250年)の刊行といわれる。『唐詩選』が初唐や盛唐の詩を重点的に採用しているのに対し、『三体詩』は多く中唐から晩唐にかけての作品を選ぶ傾向が強い。
日本では、中世期に五山の僧中巌円月が帰国してから『三体詩』の講義が始まったとされ、南北朝のこの時期から、五山文学での和刻本が刊行し、以後三体詩抄の諸本は、江戸期の森川許六編『和訓三体詩』など十数系統に及んでいる。
近代文学者でも、森鷗外や夏目漱石など漢詩を製作していた作家が愛読していた。明治期には、初期に石川鴻斎『三体詩講義』が、中期に野口寧斎『三体詩評釈』などが刊行している。
関連書籍
- 村上哲見訳・注解『三体詩 中国古典選』朝日新聞社(上下)、1966-67年。のち朝日文庫(全4巻)
- 村上哲見『漢詩の名句・名吟』講談社現代新書、1990年。
- 村上哲見『漢詩と日本人』講談社選書メチエ、1994年。※ 第三章「三体詩」の話