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人民大礼堂の建設は、当時、初代中国共産党西南局書記を務めていた[[鄧小平]]が推し進め、1951年6月にはじまり、1954年4月に完成した。建物は大ホールのほかに、東、南、北にある3つの小さな部分でわかれる。総面積は66,000 m<sup>2</sup><ref name="cwt" />。大ホールは18,500 m<sup>2</sup>。高さは65m。丸いドーム状の屋根の高さは55m、内部直径は46.33mである。大ホールは5層の観客席に囲まれており、4,200人を収容できる。建物は柱や翼を含め対称となっている。 |
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建物は前にある人民広場からも見ることができる。広場の反対側は[[重慶中国三峡博物館]]となっている。現在は市議会のほか、[[全国人民代表大会]]、[[中国人民政治協商会議]]に使用されている。 |
建物は前にある人民広場からも見ることができる。広場の反対側は[[重慶中国三峡博物館]]となっている。現在は市議会のほか、[[全国人民代表大会]]、[[中国人民政治協商会議]]に使用されている。 |
2020年6月17日 (水) 21:41時点における版
重慶市人民大礼堂(じゅうけいしじんみんだいれいどう、中国語: 重庆市人民大礼堂) は、中国、重慶市の中心部にある、政治、文化行事に使用される建物である[1][2]。
解説
渝中区に位置し、重慶のシンボルとなる建築の1つである。外観は北京の天壇に似ている。
人民大礼堂の建設は、当時、初代中国共産党西南局書記を務めていた鄧小平が推し進め、1951年6月にはじまり、1954年4月に完成した。建物は大ホールのほかに、東、南、北にある3つの小さな部分でわかれる。総面積は66,000 m2[1]。大ホールは18,500 m2。高さは65m。丸いドーム状の屋根の高さは55m、内部直径は46.33mである。大ホールは5層の観客席に囲まれており、4,200人を収容できる。建物は柱や翼を含め対称となっている。
建物は前にある人民広場からも見ることができる。広場の反対側は重慶中国三峡博物館となっている。現在は市議会のほか、全国人民代表大会、中国人民政治協商会議に使用されている。
ギャラリー
出典
- ^ a b “The Great Hall of the People”. Introduction of Chongqing. China Wonderful Tour. 16 September 2014閲覧。
- ^ “The Great Hall of the People in Chongqing”. News. Every China. 16 September 2014閲覧。
関連項目
- 人民大会堂 - 北京
外部リンク
- ウィキメディア・コモンズには、人民大礼堂に関するカテゴリがあります。