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「フルシチョフカ」の版間の差分

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== フルシチョフカを扱った作品 ==
== フルシチョフカを扱った作品 ==
=== 書籍作品 ===
=== 書籍作品 ===
* 『[[レッドアローとスターハウス―もうひとつの戦後思想史]]』(2012年9月1日、[[新潮社]]、[[原武史]]著) ISBN-10: 410332841X、ISBN-13: 978-4103328414
* 『[[レッドアローとスターハウス―もうひとつの戦後思想史]]』(2012年9月1日、[[新潮社]]、[[原武史]]著) ISBN 410332841X、ISBN 978-4103328414
* 『[[団地の空間政治学]]』(2012年9月26日、[[NHKブックス]]、[[原武史]]著) ISBN-10: 4140911956、ISBN-13: 978-4140911952
* 『[[団地の空間政治学]]』(2012年9月26日、[[NHKブックス]]、[[原武史]]著) ISBN 4140911956、ISBN 978-4140911952
* 解説付きコミックス『[[ソ連は笑う - ソ連漫画傑作集]]』収録「アパートラッシュに通勤地獄」(1980年6月、[[青村出版社]]、[[大木昭男]]翻訳・編)ASIN B000J84N7Y、[https://stantsiya-iriya.hatenablog.com/entry/20171106/1509915482 解説HP]
* 解説付きコミックス『[[ソ連は笑う - ソ連漫画傑作集]]』収録「アパートラッシュに通勤地獄」(1980年6月、[[青村出版社]]、[[大木昭男]]翻訳・編)ASIN B000J84N7Y、[https://stantsiya-iriya.hatenablog.com/entry/20171106/1509915482 解説HP]
* 『[[徹底抗戦都市モスクワ 戦い続ける街を行く!]]』収録『第1章 モスクワという街』内『第4節 運命の皮肉』(2018年3月27日、[[ホビージャパン]]、[[小泉悠]]著) ISBN978-4-7986-1661-2
* 『[[徹底抗戦都市モスクワ 戦い続ける街を行く!]]』収録『第1章 モスクワという街』内『第4節 運命の皮肉』(2018年3月27日、[[ホビージャパン]]、[[小泉悠]]著) ISBN 978-4-7986-1661-2


=== 映像作品 ===
=== 映像作品 ===

2020年2月28日 (金) 23:59時点における版

トムスクにあるパネル工法で建てられたフルシチョフカ
トムスクにあるレンガ造りのフルシチョフカ
モスクワでのフルシチョフカの解体

フルシチョフカロシア語: хрущёвка; IPA: [xrʊˈɕːɵfkə])は、1960年代ソ連で政府によって建設された集合住宅の通称である(「ピャチエターシュカ」や「フルシチョーヴィ(邦訳:フルシチョフの貧民窟)」とも呼称されている)。低コストで、パネル工法あるいはレンガで作られており、3階から5階建てである。建設にはその名前にある通り、ニキータ・フルシチョフが監督している。

歴史

伝統的な建築手法である組積造は人手が多く必要であるため、建設に時間がかかり、人口密集地である都市の住宅需要に合わせて建設することができなかった。深刻な住宅不足を改善するために、ソ連の建築家たちは、1947年から1951年の間に低コスト化と完成に要する時間の短縮を行おうとしてさまざまな技術を追求した。1951年1月、フルシチョフが監督していた建築家の会議が、低コストで短期間で建設可能な技術がソ連の建築家の目標だと宣言した。

2つのコンクリート工場が後にモスクワで設置された(1953年にプレスネンスキー、1954年にホロシェフスキー)。この頃までには、試験的なデザインが実際に建設されてテストされ、コンクリートパネルによるプレハブ工法が優れていると見做された。他の方法(現場で生コンクリートを使う、民間の低層建設を奨励する)は放棄された。

1954年から1961年にかけて、1956年以来モスクワの都市計画の責任者を務めていた技術者のヴィタリー・ラグチェンコが、コンクリートパネル工場と短期間での建設に裏打ちされた、大規模で工業化された工法を編み出し、試験した。1961年にラグチェンコの研究所は、フルシチョフカの典型例となる、プレハブ5階建ての建物「K-7」のデザインを発表した。1961年から1968年にかけて、このタイプの建物が64,000ユニット(3,000,000 m 2)モスクワで建設された。

モスクワでは利用可能な土地に限りがあったため、9階建てまたは12階建ての建物に切り替える必要があった。5階建てのフルショフカの建設は1971年が最後になった。ソ連の他の地域では、ソ連崩壊までフルショフカの建設が続けられた。現在何百万もの建物がその設計寿命を過ぎている。

設計

フルシチョフカのデザインは、工業化されたプレハブ工法による建築物の中では初期の試みであり、部品(またはパネル)はコンクリート工場で作られ、必要に応じて現場へ運ばれた。設計者はエレベーターを設置するには、費用が嵩み時間もかかり過ぎると考え、ソ連の安全衛生基準を、エレベーターのない建物の最大の高さは5階建てまでとした。 そのため、ほとんどすべてのフルシチョフカは5階建てである。

フルシチョフカには浴室が設置されていたことが特徴である。浴室はイヴァン・ジョルトールフスキーロシア語版英語版賞を受賞したボリシャヤ・カルジュスカヤのフルシチョフカで導入された。しかしこれはラグチェンコがスペースを節約するために考案した120cm四方の「座る浴槽」だった。ホロシェフスキーの工場で組み立てられ完成した浴室の部品がトラックで現場に運ばれた。建設作業員はそれら部品を所定の位置に設置し、配管を接続する。

エストニアタリンにあるリフォームされたフルシチョフカ

一部の専門家は、洗面台に便器の機能を備えさせることさえ考えたが、その案は却下になった。 キッチンは小さく、通常6 m 2 だった。これは多くの非エリートの住むスターリン様式の家でも一般的であり、その一部は専用の食堂室があった。

普通の「K-7」型の建物は、1部屋の家の総面積は30 m2で、2部屋の家は44m2、3部屋の家60 m 2だった。後の設計ではさらに面積が小さくなった。「K-7」の部屋はそれぞれが小さい玄関ホールに繋がっていた。この「冗長性」を考慮して設計された後の建物(П-35他)では、居住者は寝室に行くために居間を通り抜ける必要があった。これらの集合住宅は小さな家族のために計画されたが、実際には3世代の大家族が2部屋のアパートに一緒に住むことは珍しくなかった。一部の建物には「豪華な」物置があった。実際には、窓や換気のない別の寝室として使われた。

水道光熱について

上水道については、現在に至ってもあまり改善が見られず、台所の蛇口の水は煮沸させてから飲用するのが常識となっている。

冬季間の暖房については、アタプレーニエと呼ばれる集中暖房方式が採られており、集合住宅の幾つか毎に割り当てられた(全都市の随所に設けられて稼働している)アタプレーニエ用熱水供給施設より各アパート棟そして各部屋の温水暖房機へ供給される温水熱により暖を取っている。燃料コストの節約・効率化に有利だが、肝心の「暖房使用選択の自由」が住人には与えられず、アタプレーニエ稼働の管轄権を持つ行政機関部署の判断を毎年待たないといけない。暖房の強弱調整についても住人が干渉出来ず、ソ連崩壊後の混乱を経て市民経済が落ち着きをある程度取り戻した今日のロシア中流階級世帯では室内で薄着になりアイスを頬張る等、未だに住人各自の工夫で対応を迫られる。

都市ガス・プロパンガスは殆ど普及していない。その為、台所の調理器具は日本の様にガスコンロは見られず、電気コンロ(他、電子レンジ等)が設置されているのが通常である。浴室の温水は浴槽に注水した水道水の中に電気ヒーター棒を挿入して温水を沸かす方法が常態化しており、1990年8月20日サハリン州にて、この面倒で危険な家事手伝いを任された幼少の子供が大火傷を負ったのが「コンスタンチン君大火傷事件」の原因とされている。

今日のフルシチョフカ

カザンにある典型的なフルシチョフカの庭

フルシチョフカは、旧ソビエト連邦全域に多数見られる。もともとこの建物は、成熟した共産主義によって住宅不足が軽減されるまでの、一時的な住宅であると考えられていた。フルシチョフは20年以内に社会主義から共産主義に移行できると予測した。その後、レオニード・ブレジネフは各家族に「1人1部屋の確保と1部屋分の追加」を約束したが、今日も多くの人がフルシチョフカに住み続けている。

標準的なフルシチョフカは、設計寿命25年の「使い捨て」と「耐久性あり」に分類される。この区別はモスクワや他の豊かな都市で重要であり、そこでは「使い捨て」のフルシチョフカが、道路建設や新しい住宅の建設のために破壊されている。モスクワ市は2015年までにこのプロセスを終わらせることを計画していた。2012年時点で、約1700棟の建物のうち1300棟以上が既に破壊された[1]

フルシチョフカを扱った作品

書籍作品

映像作品

ゲーム作品

関連項目

参考文献

外部リンク