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{{Otheruses|ケルト神話の魔神| |
{{Otheruses|ケルト神話の魔神|その他|バロール (曖昧さ回避)}} |
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'''バロール'''または'''バロル''' (Balor) は、[[アイルランド神話]]に登場する[[フォモール族|フォウォレ族]]の勇将。{{仮リンク|ケスリン|en|Cethlenn}}の夫で{{仮リンク|エスリン|en|Ethniu}}の父にして、[[ルー (神)|ルー]]の祖父。 |
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「[[邪視|魔眼]]のバロル」の異名を持ち、目を開くと大勢の相手をも倒す不思議な破壊力を発揮する。民話では一つ目、二つ目(後頭部にひとつ)、三つ目とも語られる。 |
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'''バロール''' (Balor) は、[[ケルト神話]]に登場する[[フォモール族]]の[[魔神]]<ref>『虚空の神々』111頁。</ref>。{{仮リンク|セスリーン|en|Cethlenn}}の夫で{{仮リンク|エスリン|en|Ethniu}}の父にして、[[ルー (神)|ルー]]の祖父<ref>『虚空の神々』118頁。</ref>。「[[邪視|魔眼]]のバロール」の異名を持つ<ref name="K">『虚空の神々』129頁</ref>。『[[キルッフとオルウェン]]』に登場する{{仮リンク|イスバザデン|en|Ysbaddaden}}とバロールの間には瞼を共の者に開かせる、娘が嫁ぐ事が自らの破滅に繋がるといった共通した特徴がある。 |
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[[トゥアハ・デ・ダナーン|ダナ神族]]を相手とする[[マグ・トゥレドの戦い]]では、敵軍にいる孫のルーに目を石で撃ち抜かれて死んだ。 |
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伝わる民話に拠れば、バロルという戦士が孫に倒される運命と知り、娘エフネを塔に幽閉するが、結局マク・キニーリー(正しくは [[キアン|キャン・マック・カンチャ]])とのあいだに生まれた遺児(ルーと目される)の一撃によって落命する。 |
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== 名称 == |
== 名称 == |
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神話や民話において様々な綽名で呼ばれている。 |
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バロールの語源は[[ケルト祖語]]の''Baleros''に由来するとされており、その意味は「死のようなもの」であるという<ref name=ward15>Ward, Alan. [http://www.scribd.com/doc/23476603/THE-MYTHS-OF-THE-GODS-Structures-in-Irish-Mythology ''The Myths of the Gods: Structures in Irish Mythology'']. CreateSpace, 2015</ref>。 |
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「打撃のバロル」(Balor Béimnech{{Refn|{{仮リンク|ジョン・フランシス・シーアマン|en|John Francis Shearman}}神父がBalor Beimnech ("of the mighty blows") という表記を用いている<ref name=shearman/>}}、Balor Béimneach<ref name=pearse/>)と近世の文学にあるが{{Refn|group="注"|「打撃のバロル」はBalor Béimeann(民話『[[グラス・ガヴナン]]』){{sfn|O'Donovan|1856|p=18}}、 Balar Bemen ({{仮リンク|ロデリック・オフラハティ|en|Ruaidhrí Ó Flaithbheartaigh|label=オフラハティ}}『オギュギア』、17世紀)とも綴られている<ref name=oflaherty-ogygia-eng/>。}}、中世の古書では「強撃のバロル」(Balor Balcbéimnech<!--Balor the strong smiter--><ref name=lge-para312&331&364/>)や、「刺すような目のバロル」(Balor Birugderc<!--Balor of the piercing-eye--><ref name=cmt-ss133/>)とも呼ばれる。 |
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神話や民話において様々な綽名で呼ばれており、「強撃のバロール」(Balor Béimnech)、「強大な打ち手バロール」(Balor Balcbéimnech)、「刺すような目のバロール」(Balor Birugderc)、「悪しき眼のバロール」(Balor Drochshúile、バロール・ドーハスーラ)等がある。 |
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また「邪眼のバロル」(Balór na Súile Nimhe)とも民間伝承でいわれ{{Refn|group="注"|オーホーガンの"Balor of the Evil Eye"を直訳すると邪眼。単語の nimh は「毒」のことであるが、転じて「敵意」や「悪意」、苦々しい妬みや恨みを意味する<ref name=odonaill-fgb-nimh/>。}}<ref name="ohogain"/>、日本語の書籍でも「[[邪視|魔眼]]のバロル」{{sfn|井村|1990}}などと表記される。 |
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[[父称]]形は「{{仮リンク|ネト (神話)|label=ネト|en|Neit}}の子ドトの子バロル」(Balor mac Doit meic Néid<ref name=cmt-ss128/>)、バロル・ウア・ネト(Balor ua Neitt /uí Nét)などで、中世の文献に記される<ref name=cmt-ss050/>。 |
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バロルの語源は[[ケルト祖語]]*Boleros(閃光をはなつ者)<!--"the flashing one"-->に由来するとの仮説がある<ref name="ohogain"/>。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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バロールは、[[フォモール族|フォウォレ族]]の勇将。敵対する種族の[[トゥアハ・デ・ダナーン|ダナ神族]]とのあいだで[[マグ・トゥレドの戦い]]が勃発した。 |
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バロールの片方の目(左目だとも額の第三の目だともいわれる)は、視線で相手を殺すことができる魔眼であるため、通常は閉じられており、戦場では4人がかりで取っ手を回し、瞼を押し上げる<ref name="K" />。子供のときに父の[[ドルイド]]たちが毒の魔法を準備しているときに窓から外を見ていて、煙が目に入ってしまい、この力を得た<ref name="K" />。この他にも魔力で嵐を起こし、海を炎の海にすることが出来る<ref>『虚空の神々』115頁。</ref>。 |
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バロールの魔眼は敵をまとめ討つ破壊力があるが、四人の配下に瞼を持ち上げさせようとしていた最中に<ref name=cmt-ss133/>、敵軍の陣頭にいる孫の[[ルー (神)|ルー]]によって、投石器で魔眼を撃ち抜かれて戦死する<ref name=cmt-ss135/>。 |
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バロールは[[トゥアハ・デ・ダナーン|ダーナ神族]]を従属させ、重税をかけて苦しめていた<ref>『ケルトの神話』80頁。</ref>。ある時、自分の孫に殺されるという予言を受け、娘エスリンに子供を産ませまいと塔に幽閉する<ref name="C">『ケルトの神話』83-84頁。</ref>。しかし、ダーナ神族の[[キアン]]にエスリンを連れ去られ、彼を追いかけるが[[マナナン・マクリル]]の妨害によって取り逃がした<ref name="C" />。 |
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この戦いの[[軍記]]によれば{{efn2|古アイルランド語で書かれた『[[マグ・トゥレドの戦い]]』}}、バロールの魔眼は、ドルイド僧が煮ていた魔法の飲薬からたちのぼる毒気にあてられてその力を得たことになっている<ref name=cmt-ss133/>。 |
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最期は、予言どおりルーの手で魔眼を射抜かれ殺された<ref name="T">『虚空の神々』131頁。</ref>。魔眼を射抜いた槍・[[ルー (神)#槍|ブリューナク]](あるいは[[カタパルト (投石機)|投石機]]から放たれた石、実際には昔の文献において「ブリューナク」という呼び名のものは存在せず、日本人作家による作り言とされている)は頭部を貫通し、魔眼が後ろにいたフォモール族の兵士を凝視し、壊滅させてしまった<ref name="T" />。 |
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民話では、バロールは孫に殺されるという予言を受けた地元豪族(名だたる戦士)の設定で、それを阻止すべく娘を幽閉するが、娘は [[キアン|キャン・マック・カンチャ]]{{efn2|ラーミニーの採集話では Kian, son of Contje とあり、この正しい名に近いが、類話では名前が転訛しており「マッキニーリー」や「フィン・マッキニーリー」等と伝わる。}}と密通し、孫が生まれてしまう。バロールは、孫を赤子のうちに抹殺させたと思い込んでいたが、後年、孫(ルーに相当){{efn2|無名、またはドルダナ等の、異名あり。}}と遭遇し、赤熱した鉄棒や槍などで目を刺されて殺される。 |
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一説によればバロールはキアンの頭を切断して彼を殺害したが、女性に変装して[[ゴヴニュ]]の作業場を訪れ、ゴヴニュの助手をしていたルーに彼とは気付かず、自分の強さとキアンを殺した事を話し、ルーに焼けた鉄の棒を目から頭部にかけて刺されて殺されたとされる<ref>『ケルトの神話』85-86頁。</ref>。またある説では、ルーはマナナン・マクリルの元で少年に育ち、あるドニブルック市の日にルーは弓矢を持って浜辺で遊んでいた<ref name="I">『ケルトの神話』85頁。</ref>。するとそこに見知らぬ人物を乗せた小舟がやって来た<ref name="I" />。ルーがその方に矢を射ると、運悪くその人物に矢が当たって死なせてしまったが、その人物はバロールであったという<ref name="I" />。 |
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== 文芸記述 == |
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=== 神話物語群 === |
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バロールについての、中世に記された文献では{{efn2|軍記『[[マグ・トゥレドの戦い]]』や『[[アイルランド来寇の書]]』等。}}、以下のように描写されている。 |
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====家系==== |
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バロールは、ドトの子、{{仮リンク|ネト (神話)|label=ネト|en|Neit}}の孫とされるが(軍記『[[マグ・トゥレドの戦い]]』)<ref name=cmt-ss128/>、{{仮リンク|ビューラネッへ|en|Balor}}<!--現代発音はビャリネクに聞こえた-->(「牛顔」の意)の息子とも記されている(『{{仮リンク|レンスターの書|en|Book of Leinster}}』、{{仮リンク|円形土砦|en|ringfort|label=円形土砦(ラース)}}建設者の名簿)<ref name=ocurry-rathbuilder/><ref name=arbois-rathbuilder/>{{Refn|group="注"|Buar-ainech で「牛の顔をした」の意だとダルボア・ド・ジュバンヴィルは説明し(buar ビュール '牛' + ainech アネッヘ '顔' の複合語<ref name=dil-buar&ainech/>)、さらにはケルトの神[[ケルヌンノス]]に結びつけることが可能ととしている<ref name=arbois-rathbuilder/>{{sfn|Arbois de Jubainville|1903|p=218}}。}}。 |
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{{仮リンク|ケスリン|en|Cethlenn}}は、バロールの妻だとオフラハティ著『オギュギア』(1685年刊行)に記される<ref name=oflaherty-ogygia-eng/>。ケスリンがマグ・トゥレドの戦いでダグダに投槍を命中させたことは『[[アイルランド来寇の書]]』に記されるが、彼女がバロールの妻とは明記されていない<ref name=lge-para314&366/>。 |
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====フォウォレ族の中の地位==== |
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バロールはフォウレ族の一員で、そもそも[[トゥアハ・デ・ダナーン|ダナ神族]]とは敵対していた。ダナ神族の女神[[エリウ]]がフォウォレ族に孕まされて生まれた[[ブレス (ケルト神話)|ブレス]]がダナ神族の王として君臨し、かたちのうえでは和睦が成立したが、フォウォレ族の王たちは、重税をかけてダナ神族を苦しめた。結果、ブレス王は廃され、二族間のあいだに戦争が勃発した<ref>{{harvnb|井村|1983}}、『ケルトの神話』80頁。</ref><ref name=cmt-ss036-040/>。 |
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バロールは、フォウォレ族の勇将ならびに島嶼の王([[ヘブリディーズ諸島]]の王)として軍記『[[マグ・トゥレドの戦い]]』に登場し、族王インデフ・マク・デー・ドウナンとともに、フォウォレ軍を統率する<ref name=cmt-ss050/><ref name=cmt-ss133/>。バロルは、ブレス王のために《ブレスの円形土砦(ラース)》(古{{lang-ga|Rath-Breisi}})を築いたと別の文献に伝わる<ref name=ocurry-rathbuilder/><ref name=arbois-rathbuilder/> {{Refn|group="注"|円形土砦(ラース)の造営者のリストは、[[:en:Dubhaltach Mac Fhirbhisigh|Dubhaltach Mac Fhirbhisigh]]が作成した1650年版もある<ref name=ocurry-rathbuilder/>。}}。 |
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==== 戦功と戦死 ==== |
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{{Also|ルーン (槍)}} |
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この(第二次)マグ・トゥレドの戦いにおいてバロールは銀腕のヌアザを討ち取るが、自分も孫の[[ルー (神)|ルー]]に魔眼を撃ち抜かれ、その眼は大勢の友軍に被害を与え、崩れ落ちた巨体も配下の兵士を圧死させた<ref name=cmt-ss133/><ref name=lge-para312&331&364/>。 |
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バロールの眼は、なんらかの「毒の力」<!--"power of poison"-->を秘めており{{efn2|''nem'', ''neim''<ref name=dil-neim/>}} 、目を見開けばその破壊力を発揮する。しかし、その瞼(まぶた)は重たく、瞼につけた環っか([[把手]])を兵士4人がかりで持ち上げねばならなかった<ref name=cmt-ss133/><ref name=dil-drolam/>。その隙にルーの放った[[投石器]]の石で眼を撃ち抜かれ、その眼は友軍に甚大な被害をもたらした<ref name=cmt-ss135/>。倒れ込んだバロールの胴体は27名のフォウォレ兵を圧死させ、頭がインデフ王に接触した{{Refn|group="注"|古{{lang-ga|cloch as a tábaill}}。"taball"は投石器<ref name="dil-taball" />。}}<ref name=cmt-ss135 />。 |
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明言はされないが、ここに登場するバロールは一つ目の巨人<!--"one-eyed giant"-->であるとの解釈もされる{{sfn|Sheeran|Witoszek|1990|p=243}}。軍記では、バロールの眼が「毒の力」を得たいきさつも記しており、これによればバロールの父の[[ドルイド]]僧たちが薬湯(魔法のポーション<ref name=dil-fulacht/>)を煮ていた時、窓から外を見て湯気(煙)が目に入り、バロールはその毒気を得たとしている<ref name=cmt-ss133/><ref>{{harvnb|Scowcroft|1995|p=141}}、{{harvnb|Sheeran|Witoszek|1990|p=243}}の要約を参照。</ref>{{Refn|group="注"|なお、{{仮リンク|ユージン・オカリー|en|Eugene O'Curry}}は、バロールの眼の能力を得たいきさつについて自己が所有する写本に[[異聞]]が書かれているとしたが、紙数の都合で詳述できないとした{{sfn|O'Curry|1863|pp=233–234}}。}}。 |
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== 民話 == |
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[[File:Tormore, Tory Island - geograph.org.uk - 1051221.jpg|thumb|240px|{{仮リンク|トーリー島|en|Tory Island}}にある「巨塔(トール・モール)と呼ばれる大岩。地元版の民話では、バロルはこの岩に建てた塔に娘を幽閉したことになっている。]] |
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{{Main|キアン|グラス・ガヴナン}} |
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[[トーリー島]]につたわる民話によれば<ref name=odonovan/>、バロルという地元の豪氏がおり{{efn2|バロルがトーリー島に住み着いたとする民話例はアイルランド各地でも多いとされるが<ref name="ohogain"/>、もっと南寄りの場所住んだとも伝わっている{{sfn|Morris|1927|p=57}}。}}、海の向こうの[[ドニゴール県]]の浜町のマク・キニーリー(正しくは [[キアン|キャン・マック・カンチャ]]<ref name=aoife/>という名の転訛である<ref name=ogle/><ref name=bruford/>{{efn2|{{lang-ga|Cian mac Caínte}}。{{仮リンク|ウィリアム・ラーミニー|en|William Larminie|label=ラーミニー}}話集版でも、音写でコンチェの子キャン(Kian son of Contje)という名である{{sfn|Larminie|1893|pp=1–9}}}}{{efn2|オカリーに拠れば、このカンチャの正体は不明<ref name=fate-cainte>{{harvnb|O'Curry|1863}}, pp. 168–171, notes 161, 162, 165.</ref>。}}の持つ豊穣の牛を盗み出した。被害者は、バラルを倒さねば牛は奪還できないとの啓示を受けるが、バロルは孫に倒される運命と定められている。それを知るバラルは、「バラルの塔」と地元でいわれる岩山(自然石の形成物)に建てた塔に娘エフネを幽閉していた。それでもマク・キニーリーは娘と密通を果たし妊娠させる。バロルはマク・キニーリーを亡き者に処すが、その遺児がやがてバロルを殺す{{sfn|O'Donovan|1856|pp=19–20}}。 |
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この無名の遺児は、[[ルー (神)|ルー]]に相当する。「トーリー島のバロル」および「邪眼のバロルと孫のルイ・ラヴァダ」と題する2編の異本では {{efn2|いずれもカーティン編。}}、バロルをの遺児はルイ・ラヴァダ(長腕のルイ)と呼ばれており<ref name=curtin-p283-donegal/><ref name=curtin-p296-connemara/>、ルー伝承の名残として扱われる<ref name=brown-sirperceval5/>。アイルランド語版「バロルとマク・キニーリー」でも {{efn2|カーティン編「トーリー島のバロル」に近く、主人公が同じくフィン・マク・キニーリーである。}}<ref name=laoide/>、遺児はルー・ファドラヴァッハ{{efn2|Lugh Fadlámhach}}(「長腕のルー」の意<ref name=odonaill-fgb-fadlamhach/>)である。また違う類話「グロス・ガヴレン」では遺児はドルドナ(Dul Dauna)と呼ばれており<ref name=larminie/>、これはイルダナハ「諸芸の達人」(長腕のルーのあだ名)の転訛と説明される{{sfn|Squire|1905|p=237}}{{Refn|group="注"|[[グレゴリー女史]]の再話では、複数の原典をもとに継ぎ目無く連綿とした物語として提供されているので<ref name=ettlinger-review-gafm/>、民話原文の人物名であるマク・キニーリーやエフネや{{sfn|O'Donovan|1856|pp=18–21}}遺児のドルダナ、そのつど古文書の名称であるキアンやエスリンに置換している{{sfn|Gregory|1905|pp=17–21, 27–29}}。[[井村君江]]の解説など多くの著書に同様の内容がみられる<ref>{{harvnb|井村|1990}}『ケルトの神話』</ref> 。}}。 |
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民話ではバロルを倒す武器は、鍛冶場の炉にあった赤熱した鉄棒だったり<ref name=odonovan/>、鍛冶師がガヴィディン(Gavidin)が赤熱させた槍だったり、鍛冶師ガイヴニン・ガウ(Gaivnin Gow)が鍛えた特別な赤い槍だったりする<ref name=curtin-p296-connemara/>。特に後者は、怪物が特別な方法でしか倒せない例として挙げられる(バロルは所定の場所にいるとき、この武器でないと倒せない)<ref name=brown-sirperceval5/> 。 |
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=== バロルの目 === |
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バロルは、単眼、双眼、三つ目なことも、それが毒性なことも発火性なこともあるとアイルランド伝承文学学者スコウクロフトはまとめている<ref name=scowcroft-eye>{{harvnb|Scowcroft|1995|p=143}} : "Balor himself may have one, two or three eyes, one of which is poisonous, incendiary, or otherwise malignant; he may have two eyes in front, one each in front and back, an extra eye in the middle of his forehead. Lug always puts the evil eye out.."</ref>。 |
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==== 眼の数と蓋 ==== |
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初出の民話ではバロルの眼の魔力の描写が装飾的で、額の真ん中に目ひとつ、そして後頭部には普段は蓋をした殺傷力ある眼を持っている。それは毒の色素と光線(beams)を放つ[[バシリスク]]のごとき眼であり、相手を石化して殺すと語られている<ref name=odonovan/>{{efn2|原文:"eye.. and its beams and dyes of venom, like that of the Basilisk.. kept.. covered, except.. to [strike dead his] enemies by petrifying them"。オカリー教授は、このような農民 peasantry のあいだに膾炙したような話がオドノヴァンの刊行物によって広まった事態を憂慮していた{{sfn|O'Curry|1863|pp=233–234}} 。}}{{Refn|group="注"|この後頭部の第二の目は、ギリシア神話の[[キュクロープス]]とも比較されている<ref name=crooke/>。}}。 |
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「トーリー島のバロル」では、額の真ん中の危険な眼は9層の革盾で覆われていたが、長腕のルイが赤槍で貫通させた{{efn2|アイルランド語版「バロルとマク・キニーリー」でも7層の覆い(蓋。{{lang-ga|bpilleadh}}; {{lang-de|{{linktext|filleadh}}}}{{sfn|Müller-Lisowski|1923|p=321}})がかかっていて、長腕のルーが貫く<ref name=laoide/>。 }}。スコウクロフトは「額の真ん中の余分な目」(第3の目)の伝承があるとするが、その一例であろうか<ref name=scowcroft-eye/>{{efn2|これが単眼だと普段は目隠し状態となってしまう。よってスコウクロフトのいう "extra eye in the middle of his forehead"の例とすれば、理に適う。ただスコウクロフトが、この民話例を念頭にしているのかは断言できかねる。また、次にあげるメイヨー県の例では単眼でも蓋で覆われていた。蓋が何枚かの革盾であれば、とても見えまいが、スライゴー県の伝承では、目にはガラス(レンズ等)が当てられてていた。}}。バロルが三つ目であると明言する例としては作家{{仮リンク|ウィリアム・ハミルトン・マクスウェル|en|William Hamilton Maxwell|label=マクスウェル}}が発表した短編がある<ref name=maxwell/>。 |
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だがある伝承によれば( [[メイヨー県]]))バロルは単眼にもかかわらず、7層の蓋がかぶせられていた。それは"有毒・烈火の目"で、"最初の蓋をとると蕨が枯れ始め、2枚目をとると芝草が赤銅色に変じ、3枚目で森林や木材が熱をもち、4で木々が発煙、5ですべては赤くなり、6で火花が散り、7ですべては発火して"里山は火の海となる {{efn2|"He had a single eye in his forehead, a venomous fiery eye. There were always seven coverings over this eye. One by one Balar removed the coverings. With the first covering the bracken began to wither, with the second the grass became copper-coloured, with the third the woods and timber began to heat, with the fourth smoke came from the trees, with the fifth everything grew red, with the sixth it sparked. With the seventh, they were all set on fire, and the whole countryside was ablaze!"}}<ref name="ohogain"/>。 |
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==== 生首と湖の由来譚 ==== |
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『フィン歌集』中「フィンの盾」によれば、バロルの首はある樫の木の枝分かれに[[梟首]]され、毒気を含んだその木はやがて[[フィン・マックール]]の盾の木材とされたとされる<ref name=duanaire-shield-of-fionn/>。 |
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「トーリー島のバロル」の民話と、これと近似したアイルランド語の稿本でも、長腕のルイ(ルー)がバロルの生首を岩のうえに晒し、そこから毒の滴がしたたり湖ができたとされる。アイルランド語版は湖名(地名)を示さないが、カーティンが英語で所収した版では、語り手の地元の[[ドニゴール県]]の[[グウィドー]]湖とされている<ref name=curtin-p283-donegal/><ref name=laoide/>。 |
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しかし、別の伝承([[スライゴー県]])によれば、バロルは、その魔眼とガラス([[望遠鏡]]・[[遠眼鏡]]のたぐい、レンズ、あるいは[[片眼鏡]]か<ref name=codce-glass/>)を使って人を殺し、モイツゥラ(マグ・トゥレド)の原の植物を枯らしていたが、ある勇者が現れ、バロルをたぶらかしてその眼鏡をはずさせた隙に目を潰した、するとその血が溜り溜まって「眼の湖」を意味する'Lochan na Súil と呼ばれるようになった{{efn2|または「バロルの眼(Suil Balra)」とも。}}<ref>{{harvnb|Borlase|1897|pp=<!--806–808-->}} [https://books.google.com/books?id=wvJMAAAAMAAJ&pg=PA806 pp. 806–808]. 地元 Thomas O'Conor 氏より、オドノヴァンが採取し、[Ordnance Survey Letters] <math>\tfrac{14}{F.14}</math> p. 205 に発表したものを転載した<!--と{{harvp|Borlase|1897}}, p. 803, note †.に典拠が示される--></ref>。これは{{仮リンク|バリンドゥーン修道院|en|Ballindoon Friary}}跡の近くにあるナスール湖<!--Lake Nasool-->のことである<ref name=muirhead/>。 |
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=== ゆかりの地 === |
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バロルの居城をトーリー島とする民間伝承は、フォウォレ族の中世文学から発祥しているという説明がある<ref name="ohogain"/>。これはバロルが中世の頃からトーリー島の住人とされていた、という趣旨の発言ではない。中世文学にあるのは、フォウォレ族の長の{{仮リンク|コナン (神話)|en|Conand (mythology)|label=コナン}}という人物が、コナンの塔を居城とし、それは「塔の島(Tor Inis)」という伝承であり、これは「トーリー島」であろうと比定されてはいるが、バロルのことなど何ひとつ書かれていない。だが、このことから、民間伝承ではフォウォレ族のバロルもトーリー島に住んでいたといわれるようになった{{sfn|Arbois de Jubainville|1903|p=117}}。 |
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トーリー島には、「バロルの城」Dún Bhalair や「バロルの塔」Dún Bhalair と地元で呼ばれる地形があり<ref name="ohogain"/>、高くそびえるような「巨塔」(Tór Mór)と呼ばれる地形も存在する{{sfn|Morris|1927|p=48}}。 |
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オドノヴァンがトーリー島で採取した民話の影響力が強く、バロル伝説のゆかりの地は"あたかもトーリーに独占権があるごとく"な一般認識があるが、それは誤っていると{{仮リンク|ヘンリー・モリス (民話研究家)|en|Énrí Ó Muirgheasa|label=ヘンリー・モリス}}の批判がある{{sfn|Morris|1927|p=57}} 。 |
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オドノヴァンとて、バロルの記憶はアイルランド各地の伝承に残るとしていた{{sfn|O'Donovan|1856|p=18}}。バロルと豊穣の牛の民話はトーリー島以外でも、特にアルスター南部に多く伝わっていた。モリスは1900年頃、[[モナハン県]]{{仮リンク|ファーニー (バロニー)|en|Farney (barony)|label=ファーニー郡}}からに断片的なものは採取できたとする。豊穣の牛グラス・ガヴレン(グラス・ガヴナン)の奇譚の設定舞台は、モナハン県南部や、果てはダブリン市沖の{{仮リンク|ロックアビル|en|Rockabill}}島になっているものまであるという{{sfn|Morris|1927|p=57}}{{efn2|また、旧{{仮リンク|ブレフネ王国|en|Kingdom of Breifne|label=}}地方には、バロルの妻の名をとって「ケスリンの島」(現今の[[エニスキリン ]]と町が名づけられたという俗説(17世紀の「クロンマクノイス年代記」に記述)がある{{sfn|Morris|1927|p=57}}<ref>{{harvnb|O'Donovan|1856|p=23}}, note x.</ref>。かつては川中の城があっ<ref name=vinycomb/>た。モリスはさらに Glengevlin という村名もバロルにまつわる魔法の牛に由来するとする{{sfn|Morris|1927|p=57}}。}}。 |
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== 解釈 == |
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バロールは、過ぎゆく年の太陽神で、新年(の太陽神、ルー)と対立する存在との解釈がされる<ref name="simmons"/>。 |
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バロールについて一冊の本を書きおろした民話学者{{仮リンク|アレクサンダー・ハガーティー・クラップ|en|Alexander Haggerty Krappe|label=A・H・クラップ}}も、このようなような見解を展開する{{efn2|この神話や類似の神話は、年代わりの成長、死、再生の象徴であるとする。}}。さらには、過ぎゆく年の年寄りの神たるバロールが、豊穣の大地の象徴である女神を幽閉するモチーフが加わるが、それは太古からの神話に基づくものと仮説している{{sfn|Krappe|1927|pp=18-22}}。 |
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{{仮リンク|ダーヒー・オーホーガン|ga|Dáithí Ó hÓgáin}}はさらに、バロールが有害な悪しき太陽の側面をあらわすと解説する。太陽の有害面とは例えば干ばつや穀物の不作のことである。バロールは[[銅器時代]]のケルトの太陽神と、ギリシアのキュクロープスが習合されたものではないかとオーホーガンは憶測する<ref name="ohogain"/><ref name=ohogain1999/>。{{仮リンク|モイラ・オニール|en|Máire MacNeill}}は、ルーによるバロール殺害は、本来は{{仮リンク|ルーナサ|en|Lughnasadh}}にまつわる収穫神話であったが、これに[[聖パトリック]]の{{仮リンク|クロウ・ドゥヴ|en|Crom Dubh}}退治の説話が加わったものという説をとっている<ref name="ohogain"/><ref>[[:en:Máire MacNeill|MacNeill, Máire]], ''The Festival of Lughnasa''. p. 416</ref>。<!--オーホーガンは、[[フィン・マックール]]と隻眼の[[ゴル・マクモルナ]]の確執や、「火」の意のアイド Áed、放火者アレン Aillen との戦いも、バロルとルーの戦いを基にした伝播と見ている<ref name="ohogain-fionn"/>。--> |
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=== 比較分析 === |
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[[アーサー王伝説]]物語『[[キルッフとオルウェン]]』に登場する{{仮リンク|イスバザデン|en|Ysbaddaden}}とバロールの間には、娘が嫁ぐ事が自らの破滅に繋がるといった共通した特徴がある<ref>{{harvnb|Gruffydd|1928|p=101n}} <!--and Gerard Murphy, ''Duanaire Finn'' 3 (Dublin, 1953), p. --> apud {{harvnb|Scowcroft|1995|p=144n}}</ref>。また、いずれも、瞼を数人がかりで持ち上げなくてはならず<ref>{{harvnb|Krappe|1927}}, p. 4, note 15; [[:en:Ernst Windisch|Windisch. E.]] (1912), ''Das keltische Britannien bis zu Kaiser Arthur'', p. 159.</ref>、槍を受けて目をつぶされる{{sfn|Scowcroft|1995|p=144}}。 |
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19世紀中葉から、バロールと[[ギリシア神話]]の[[キュクロープス]]との比較がされている<ref name=crooke/>。また、ジョン・オラヴァティは、孫に殺される [[神託]]を受けた [[アクリシオス]]と比較している<ref name=olaverty/>。その孫は[[ペルセウス]]であるが、 |
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他にもこの対比を追求した論がみられる{{sfn|Krappe|1927|pp=10-16}}。 |
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オラヴァティはさらに、バロールの名をギリシアの勇士[[ベレロポーン]]と関連づけている<ref name=olaverty/>。{{仮リンク|アンリ・ダルボワ・ド・ジュバンヴィル|en|Marie Henri d'Arbois de Jubainville}}も、これに関して意見を述べているが、ベレロポーンとは案ずるに「ベレロスの殺し手」の意味、ベレロスとは[[キマイラ]]の意であり、キマイラもバロールは、雷や火焔を発する類の似たような怪物だとしている{{sfn|Arbois de Jubainville|1903|pp=115–116}}。 |
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だが、ダルボワ・ド・ジュバンヴィルや{{仮リンク|トーマス・ジョンソン・ウェストロップ|en|Thomas Johnson Westropp}}がとくに着目したのは、百眼の [[アルゴス]]である。ギリシア神話では白い牝牛 [[イーオー]]の番人として登場する。バロールの滅するのはルー、アルゴスを倒すのは[[ヘルメース]]であり、ルー神は(古代ローマの書家などにより)ケルトのヘルメースであるから、怪物を倒す太陽神までを含めた対比が成立する{{sfn|Arbois de Jubainville|1903|pp=113–114}}<ref name=westropp1917/>。 |
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<!--クラップの細かい分析は割愛--> |
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<!--* [[Crom Dubh]]--> |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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{{reflist|refs = |
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<ref name=aoife>以下のアイルランド語歌の題名の邦訳のカナ表記:{{cite AV media |df=ja |people=[[:en:Aoife Ní Fhearraigh|イーファ・ニ・アーリ]] (歌手) |date=1997<!--2月--> |title=Úrchnoc Chéin Mhic Cáinte |trans-title=キャン・マック・カンチャの丘 |work=イーファ |medium= |language=ga |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008965237-00?ar=4e1f |access-date= |archiveurl= |archive-date= |format=CD |time= |location= <!--|label=ケルティック・クロス--> |publisher=ビクターエンタテインメント |id= |isbn= |oclc= |quote= |ref= }}</ref> |
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<ref name=arbois-rathbuilder>{{citation|last=Arbois de Jubainville |first=Marie Henri d' |author-link=:en:Marie Henri d'Arbois de Jubainville |title=Gaelic Folk-Tales and Mediæval Romances:Les dieux cornus gallo-romains dans la mythologie irlandaise |journal=Revue Archéologique, Quatrième Série |volume=<!--Iml. -->11|year=<!--Janvier-Juin -->1908 |url=https://books.google.com/books?id=JDzOAAAAMAAJ&pg=PA6 |page=6–7<!--4–8--> |jstor=41019629}}</ref> |
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<ref name=brown-sirperceval5>{{citation|last=Brown|first=Arthur C. L. |authorlink=<!--Arthur C. L. Brown--> |title=The Grail and the English Sir Perceval. V |journal=Modern Philology |volume=22 |number=1 |date=August 1924 |url= |pages=87–88<!--79–96-->|jstor=433319}}</ref> |
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<ref name=bruford>{{citation|last=Bruford |first=Alan |authorlink=Alan Bruford |title=Gaelic Folk-Tales and Mediæval Romances: A Study of the Early Modern Irish 'Romantic Tales' and Their Oral Derivatives |journal=Béaloideas |volume=<!--Iml. -->34 |year=1966 |url=https://books.google.com/books?id=9xTaAAAAMAAJ&q=%22Ghaibhleann%22 |page=162<!--i–v, 1–165, 167–285--> |jstor=20521320}}</ref> |
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<ref name=cmt-ss036-040>{{harvnb|Gray|1982}} tr., [https://celt.ucc.ie//published/T300011/text040.html ''The Second Battle of Moytura'' §36–§40], ed. [https://celt.ucc.ie//published/G300011/text050.html CMT §36–§40]; {{harvnb|Stokes|1891|pp=69–75}}</ref> |
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<ref name=cmt-ss050>{{harvnb|Gray|1982}} tr., [https://celt.ucc.ie//published/T300011/text050.html ''The Second Battle of Moytura'' §50], ed. [https://celt.ucc.ie//published/G300011/text050.html CMT §50]; {{harvnb|Stokes|1891|pp=74–75}}</ref> |
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<ref name=cmt-ss128>{{harvnb|Gray|1982}} tr., [https://celt.ucc.ie//published/T300011/text128.html ''The Second Battle of Moytura'' §128], ed. [https://celt.ucc.ie//published/G300011/text128.html CMT §128]; {{harvnb|Stokes|1891|pp=96–97}}</ref> |
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<ref name=cmt-ss135>{{harvnb|Gray|1982}} tr., [https://celt.ucc.ie//published/T300011/text135.html ''The Second Battle of Moytura'' §135], ed. [https://celt.ucc.ie//published/G300011/text135.html CMT §135]; {{harvnb|Stokes|1891|pp=100–101}}</ref> |
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<ref name=dil-taball>eDIL s.v. "[http://dil.ie/39366 táball]".</ref> |
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<ref name=duanaire-shield-of-fionn>{{cite book|ref=harv|last=MacNeill |first=Eoin |authorlink=:en:Eoin MacNeill |chapter=Poem XVI The Shield of Fionn |title=Duanaire Finn: The book of the Lays of Fionn. pt. 1 |location= |publisher=For the Irish Texts Society, by D. Nutt |year=1908 |series=ITS 7 |chapter-url=https://books.google.com/books?id=u1zpAAAAMAAJ&Pg=PA34 |pages=xi, 34–38, 134–139}}</ref> |
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<ref name=laoide>{{cite book|ref=harv|last=Laoide |first=Seosamh |authorlink=:en:Seosamh Laoide |chapter=XIII Balor agus Mac Cionnfhaolaidh |title=Cruach Chonaill |location=Dublin |publisher=Chonnradh na Gaedhilge |year=1913 |origyear=1909 |chapter-url=https://archive.org/stream/cruachchonaillti00lloyuoft#page/62/mode/2up |pages=63–65}}. [https://books.google.com/books?id=77mbFQ5Op_0C 1909 edition]. [http://corpas.ria.ie/index.php?fsg_function=5&fsg_id=4076 e-text] @ Historical Irish Corpus ([[Royal Irish Academy|RIA]])</ref> |
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<ref name=maxwell>{{citation|ref={{SfnRef|Maxwell|1837}} |author=Author of "Stories of Waterloo" (W. H. Maxwell) |authorlink=:en:William Hamilton Maxwell |title=The Legend of Ballar |journal=Bentley's miscellany |volume=2 |year=1837 |url=https://books.google.com/books?id=3QRJAAAAcAAJ&pg=PA527 |pages=527–530 }}</ref> |
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reland<ref name=muirhead>{{cite book|ref=harv|last=Muirhead |first=Litellus Russell |authorlink=<!--Litellus Russell Muirhead--> |title=Ireland |volume=2 |place=|publisher=E. Benn, |year=1967 |url=https://books.google.com/books?&id=nDwJAQAAIAAJ&dq=%22Lough+na+S%C3%BAile%22 |page=68}}</ref> |
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<ref name=ocurry-rathbuilder>{{cite book|last=O'Curry |first=Eugene |authorlink=:en:Eugene O'Curry |chapter=Lecture XIX The Rath builder and the Caiseal builder |title=On the Manners and Customs of the Ancient Irish |volume=3| publisher=Williams and Norgate |year=1873 |url=https://books.google.com/books?id=smKZtWUqAXcC&pg=PA15 |pages=14–15}} [[レンスターの書]] fol. 27v より。</ref> |
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<ref name=odonovan>{{harvnb|O'Donovan|1856|pp=18–20, note s}}。{{仮リンク|ジョン・オドノヴァン|en|Tory Island|label=オドノヴァン}}が発表したバロル伝承(語り手:トーリー島在住 Shane O'Dugan)。</ref> |
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<ref name=oflaherty-ogygia-eng>{{cite book|ref=harv|last=O'Flaherty |first=Roderic |authorlink=:en:Roderic O'Flaherty |others=tr. by Rev. James Hely |chapter=Part III, Chapter XII |title=Ogygia, or, A chronological account of Irish events |volume=2 |place= |publisher= |year=1793 |url=https://books.google.com/books?id=pD0IAAAAQAAJ&pg=PA22 |pages=21–22}}: "Kethlenda, the wife of Balar, gave Dagda.. a desperate wound from some missile weapon"; p. 23: "Lugad.. Mac Kethlenn, from is great grand-aunt, the wife of Balar".</ref> |
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<ref name=ohogain1999>{{cite book|ref=harv|last=Ó hÓgáin |first=Dáithí |authorlink=:ga:Dáithí Ó hÓgáin |title=The Sacred Isle: Belief and Religion in Pre-Christian Ireland |place= |publisher=Boydell & Brewer |year=1999 |url=https://books.google.com/books?id=wYAnySDa0O0C&pg=PA139 |pages=139–140 |isbn10=<!--0851157475--> |isbn=9780851157474}}</ref> |
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<ref name=olaverty>{{citation|last=O'Laverty |first=James |authorlink=<!--James O'Laverty--> |title=Remarkable Correspondence of Irish, Greek, and Oriental Legends |journal=Ulster Journal of Archaeology<!--, First Series--> |volume=7 |number= |date=1859 |url=https://books.google.com/books?id=0Fo_AQAAMAAJ&pg=PA342 |pages=342–343<!--334–346-->|jstor=20563514}}</ref> |
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<ref name=pearse>{{cite book|ref=harv|editor-last=Pearse |editor-first=Padraic |editor-link=Padraic Pearse |others= |title=Bruiḋean Ċaorṫainn: sgéal Fiannaiḋeaċta |trans-title=the Rowan-tree Palace |place= |publisher=Ċonnraḋ na Gaeḋilge |year=1908 |url=https://books.google.com/books?id=YWoGAQAAIAAJ&pg=PA44 |pages=2, 43, 48}} ()</ref> |
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<ref name="simmons">{{cite book|last=Simmons |first=Victoria |authorlink=<!--Victoria Simmons--> |chapter=Balor |editor-last=Koch |editor-first=John T. |editor-link=:en:John T. Koch |title=Celtic Culture: A Historical Encyclopedia |volume=1 |publisher=ABC-CLIO |year=2006 |chapter-url=https://books.google.com/books?id=f899xH_quaMC&pg=PA164 |page=164 |isbn=1851094407<!--, 9781851094400-->}}</ref> |
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<ref name=vinycomb>{{citation|last=Vinycomb |first=John |authorlink=<!--John Vinycomb--> |title=The Seals and Armorial Insignia of Corporate and other Towns in Ulster (cont.) |journal=Ulster Journal of Archaeology |volume=1 |year=1895|url=https://books.google.com/books?id=uF4NAAAAYAAJ&pg=PA119 |page=119<!--111–119-->}}</ref> |
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<ref name=westropp1917>{{citation|last=Westropp |first=Thomas Johnson |authorlink=:en:Thomas Johnson Westropp |title=The Earthworks, Traditions, and the Gods of South-Eastern Co. Limerick, Especially from Knocklong to Temair Erann |journal=Proceedings of the Royal Irish Academy: Archaeology, Culture, History, Literature |volume=34 |number= |date=1917 <!--1917 - 1919--> |url=https://books.google.com/books?id=OdIXAQAAIAAJ&q=%22Duldauna%22 |pages=141, 156<!--127–183-->|jstor=25504213}}</ref> |
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|3}} |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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{{refbegin}} |
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* [[井村君江]]『ケルトの神話 女神と英雄と妖精と』[[筑摩書房]]〈世界の神話9〉、1983年、ISBN 978-4-480-32909-7。 |
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*{{cite book|和書|ref={{SfnRef|井村|1983}}|author=井村君江 |author-link=井村君江 |others= |chapter=2 ダーナ神族の神話 |title=ケルトの神話 |publisher=[[筑摩書房]] |series=〈世界の神話9〉|year=1983 |pages=<!--–--> |isbn=978-4-480-32909-7}} |
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* 健部伸明と[[怪兵隊]]『虚空の神々』[[新紀元社]]〈Truth in Fantasy 6〉、1990年、ISBN 978-4-915146-24-4。 |
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* {{cite book|和書|authormask=2 |author=井村君江 |author-link=井村君江 |others= |chapter=2 ダーナ神族の神話 |title=ケルトの神話 |publisher=[[筑摩書房]] |series=中公文庫 838 |origyear=1983 |year=1990 |pages=<!--–--> |isbn=978-4-480-02392-6}} |
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* {{citation|last=Arbois de Jubainville |first=Marie Henri d' |author-link=:en:Marie Henri d'Arbois de Jubainville |title=The Irish Mythological Cycle and Celtic Mythology |publisher=Hodges, Figgis |year=1903 |url=https://books.google.com/books?id=hfIVAAAAYAAJ&pg=PA117 |pages=}} |
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* {{cite book|ref=harv|last=Borlase |first=William Copeland |authorlink=:en:William Copeland Borlase |title=The Dolmens of Ireland |volume=3 |publisher=Chapman and Hall |date=1897 |url=https://books.google.com/books?id=wvJMAAAAMAAJ&pg=PA883 |pages=806–808, 883–891, 1077–1078}} |
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* {{cite book|ref=harv|editor-last=Gray |editor-first=Elizabeth A. |editorlink=<!--Elizabeth A. Gray--> |title=Cath Maige Tuired: The Second battle of Mag Tuired |publisher=Drucker |year=1982 |url=https://books.google.com/books?id=BjzYAAAAMAAJ |page=}}; [https://celt.ucc.ie/published/T300010//index.html e-text(フレーム使用・各省)] @CELT; [http://www.sacred-texts.com/neu/cmt/cmteng.htm e-text (全)] @ sacred-texts. |
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* {{citation|last=Gregory |first=Lady Isabella Augusta |authorlink=オーガスタ・グレゴリー<!--Augusta, Lady Gregory--> |title=Gods and fighting men: the story of Tuatha de Danann and of the Fianna of Ireland |place=London |publisher=John Murray |year=1905 |url=https://books.google.com/books?id=3uDxKXNg8iUC&pg=PA17 |pages=17–21, 27–29}} |
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* {{cite book|ref=harv|editor-last=Larminie |editor-first=William | editor-link=:en:William Larminie |chapter=The Gloss Gavlen |title=West Irish Folk-tales and Romances |volume=1 |place=London |publisher=Elliot Stock |year=1893 |chapter-url=https://books.google.com/books?id=oq9PAQAAIAAJ&pg=PA1 |archiveurl=https://archive.org/details/westirishfolktal00larmuoft |archivedate=2007-05-09 ||pages=1–9}} |
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* {{citation|editor-last=Macalister |editor-first=R.A.S. |editor-link=:en:R.A.S. Macalister |title=Section VII: Invasion of the Tuatha De Danann |work=Lebor gabála Érenn, Part IV |volume= |series=<!--Irish Texts Society vol. XLI--> |year=1941 |url=https://archive.org/details/leborgablare04macauoft/page/134 |pages=}} |
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* {{citation|last=Morris |first=Henry |authorlink=:en:Énrí Ó Muirgheasa |title=Where Was Tor Inis, the Island Fortress of the Fomorians?|journal=The Journal of the Royal Society of Antiquaries of Ireland, Sixth Series |volume=17 |number= |date=30 June 1927 |url=https://books.google.com/books?id=G5gxAQAAIAAJ |pages=47–58<!--47–58-->|jstor=25513429}} |
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* {{cite book|ref=harv|last=O'Donovan |first=John |authorlink=:en:John O'Donovan (scholar) |title=Annála Ríoghachta Éireann: Annals of the Kingdom of Ireland by the Four Masters |volume=1 |place=Dublin |publisher=Hodges, Smith, and Co. |year=1856 |origyear=1848 |url=https://books.google.com/books?id=8LHSAAAAMAAJ&pg=PA18 |pages=18–21}} |
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* {{citation|last=Squire |first=Charles |authorlink=:en:Charles Squire |title=The Mythology of the British Islands: an introduction to Celtic myth, legend, poetry, and romance |place=London |publisher=Gresham Publishing Company |year=1905 |url=https://books.google.com/books?id=5FfwmlXXWtUC&pg=PA233 |pages=233–239}}. |
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** {{cite book|authormask=2 |last=Squire |first=Charles |authorlink=:en:Charles Squire |title=Pronunciation Guide |worki=Celtic Myth and Legend: Poetry & Romance |place=London |publisher=Gresham Publishing Company |year=1913 |url=https://archive.org/details/celticmythandleg032588mbp/page/n507/mode/2up |pages=447–450}} |
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*{{citation|last=Stokes |first=Whitley |authorlink=:en:Whitley Stokes |title=The Second Battle of Moytura |journal= Revue Celtique |year=1891 |volume=12 |url=https://books.google.com/books?id=5q8zAQAAMAAJ&pg=PA52 |pages= 52–130, 306–308 }}; [https://archive.org/details/revueceltiqu12pari text] @ Internet Archive |
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* {{citation|last=Westropp |first=T. J. |authorlink=:en:Thomas Johnson Westropp |title=A Study in the Legends of the Connacht Coast, Ireland |journal=Folklore |volume=28 |number=2 |date=30 June 1917 |url=https://books.google.com/books?id=UdUBAAAAMAAJ&q=%22gavidjeen%22 |pages=180–207 |jstor=1255026|doi=10.1080/0015587X.1917.9718977 }} |
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== 関連項目 == |
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* [[クロム・クルアハ]](クロウ・クルワッハ) |
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* [[神話物語群]] |
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* [[ルー (神)#槍|ブリューナク]] |
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* [[ファーガル・デヴィット]] - プロレスラー。リングネームである「フィン・ベイラー(''Finn '''Bálor''''')」の由来。 |
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2024年3月28日 (木) 05:02時点における最新版
バロールまたはバロル (Balor) は、アイルランド神話に登場するフォウォレ族の勇将。ケスリンの夫でエスリンの父にして、ルーの祖父。
「魔眼のバロル」の異名を持ち、目を開くと大勢の相手をも倒す不思議な破壊力を発揮する。民話では一つ目、二つ目(後頭部にひとつ)、三つ目とも語られる。
ダナ神族を相手とするマグ・トゥレドの戦いでは、敵軍にいる孫のルーに目を石で撃ち抜かれて死んだ。
伝わる民話に拠れば、バロルという戦士が孫に倒される運命と知り、娘エフネを塔に幽閉するが、結局マク・キニーリー(正しくは キャン・マック・カンチャ)とのあいだに生まれた遺児(ルーと目される)の一撃によって落命する。
名称
[編集]神話や民話において様々な綽名で呼ばれている。
「打撃のバロル」(Balor Béimnech[2]、Balor Béimneach[3])と近世の文学にあるが[注 1]、中世の古書では「強撃のバロル」(Balor Balcbéimnech[6])や、「刺すような目のバロル」(Balor Birugderc[7])とも呼ばれる。
また「邪眼のバロル」(Balór na Súile Nimhe)とも民間伝承でいわれ[注 2][9]、日本語の書籍でも「魔眼のバロル」[10]などと表記される。
父称形は「ネトの子ドトの子バロル」(Balor mac Doit meic Néid[11])、バロル・ウア・ネト(Balor ua Neitt /uí Nét)などで、中世の文献に記される[12]。
バロルの語源はケルト祖語*Boleros(閃光をはなつ者)に由来するとの仮説がある[9]。
概要
[編集]バロールは、フォウォレ族の勇将。敵対する種族のダナ神族とのあいだでマグ・トゥレドの戦いが勃発した。
バロールの魔眼は敵をまとめ討つ破壊力があるが、四人の配下に瞼を持ち上げさせようとしていた最中に[7]、敵軍の陣頭にいる孫のルーによって、投石器で魔眼を撃ち抜かれて戦死する[13]。
この戦いの軍記によれば[注 3]、バロールの魔眼は、ドルイド僧が煮ていた魔法の飲薬からたちのぼる毒気にあてられてその力を得たことになっている[7]。
民話では、バロールは孫に殺されるという予言を受けた地元豪族(名だたる戦士)の設定で、それを阻止すべく娘を幽閉するが、娘は キャン・マック・カンチャ[注 4]と密通し、孫が生まれてしまう。バロールは、孫を赤子のうちに抹殺させたと思い込んでいたが、後年、孫(ルーに相当)[注 5]と遭遇し、赤熱した鉄棒や槍などで目を刺されて殺される。
文芸記述
[編集]神話物語群
[編集]バロールについての、中世に記された文献では[注 6]、以下のように描写されている。
家系
[編集]バロールは、ドトの子、ネトの孫とされるが(軍記『マグ・トゥレドの戦い』)[11]、ビューラネッへ(「牛顔」の意)の息子とも記されている(『レンスターの書』、円形土砦(ラース)建設者の名簿)[14][15][注 7]。
ケスリンは、バロールの妻だとオフラハティ著『オギュギア』(1685年刊行)に記される[5]。ケスリンがマグ・トゥレドの戦いでダグダに投槍を命中させたことは『アイルランド来寇の書』に記されるが、彼女がバロールの妻とは明記されていない[18]。
フォウォレ族の中の地位
[編集]バロールはフォウレ族の一員で、そもそもダナ神族とは敵対していた。ダナ神族の女神エリウがフォウォレ族に孕まされて生まれたブレスがダナ神族の王として君臨し、かたちのうえでは和睦が成立したが、フォウォレ族の王たちは、重税をかけてダナ神族を苦しめた。結果、ブレス王は廃され、二族間のあいだに戦争が勃発した[19][20]。
バロールは、フォウォレ族の勇将ならびに島嶼の王(ヘブリディーズ諸島の王)として軍記『マグ・トゥレドの戦い』に登場し、族王インデフ・マク・デー・ドウナンとともに、フォウォレ軍を統率する[12][7]。バロルは、ブレス王のために《ブレスの円形土砦(ラース)》(古アイルランド語: Rath-Breisi)を築いたと別の文献に伝わる[14][15] [注 8]。
戦功と戦死
[編集]この(第二次)マグ・トゥレドの戦いにおいてバロールは銀腕のヌアザを討ち取るが、自分も孫のルーに魔眼を撃ち抜かれ、その眼は大勢の友軍に被害を与え、崩れ落ちた巨体も配下の兵士を圧死させた[7][6]。
バロールの眼は、なんらかの「毒の力」を秘めており[注 9] 、目を見開けばその破壊力を発揮する。しかし、その瞼(まぶた)は重たく、瞼につけた環っか(把手)を兵士4人がかりで持ち上げねばならなかった[7][22]。その隙にルーの放った投石器の石で眼を撃ち抜かれ、その眼は友軍に甚大な被害をもたらした[13]。倒れ込んだバロールの胴体は27名のフォウォレ兵を圧死させ、頭がインデフ王に接触した[注 10][13]。
明言はされないが、ここに登場するバロールは一つ目の巨人であるとの解釈もされる[24]。軍記では、バロールの眼が「毒の力」を得たいきさつも記しており、これによればバロールの父のドルイド僧たちが薬湯(魔法のポーション[25])を煮ていた時、窓から外を見て湯気(煙)が目に入り、バロールはその毒気を得たとしている[7][26][注 11]。
民話
[編集]トーリー島につたわる民話によれば[28]、バロルという地元の豪氏がおり[注 12]、海の向こうのドニゴール県の浜町のマク・キニーリー(正しくは キャン・マック・カンチャ[30]という名の転訛である[31][32][注 13][注 14]の持つ豊穣の牛を盗み出した。被害者は、バラルを倒さねば牛は奪還できないとの啓示を受けるが、バロルは孫に倒される運命と定められている。それを知るバラルは、「バラルの塔」と地元でいわれる岩山(自然石の形成物)に建てた塔に娘エフネを幽閉していた。それでもマク・キニーリーは娘と密通を果たし妊娠させる。バロルはマク・キニーリーを亡き者に処すが、その遺児がやがてバロルを殺す[35]。
この無名の遺児は、ルーに相当する。「トーリー島のバロル」および「邪眼のバロルと孫のルイ・ラヴァダ」と題する2編の異本では [注 15]、バロルをの遺児はルイ・ラヴァダ(長腕のルイ)と呼ばれており[36][37]、ルー伝承の名残として扱われる[38]。アイルランド語版「バロルとマク・キニーリー」でも [注 16][39]、遺児はルー・ファドラヴァッハ[注 17](「長腕のルー」の意[40])である。また違う類話「グロス・ガヴレン」では遺児はドルドナ(Dul Dauna)と呼ばれており[41]、これはイルダナハ「諸芸の達人」(長腕のルーのあだ名)の転訛と説明される[42][注 18]。
民話ではバロルを倒す武器は、鍛冶場の炉にあった赤熱した鉄棒だったり[28]、鍛冶師がガヴィディン(Gavidin)が赤熱させた槍だったり、鍛冶師ガイヴニン・ガウ(Gaivnin Gow)が鍛えた特別な赤い槍だったりする[37]。特に後者は、怪物が特別な方法でしか倒せない例として挙げられる(バロルは所定の場所にいるとき、この武器でないと倒せない)[38] 。
バロルの目
[編集]バロルは、単眼、双眼、三つ目なことも、それが毒性なことも発火性なこともあるとアイルランド伝承文学学者スコウクロフトはまとめている[47]。
眼の数と蓋
[編集]初出の民話ではバロルの眼の魔力の描写が装飾的で、額の真ん中に目ひとつ、そして後頭部には普段は蓋をした殺傷力ある眼を持っている。それは毒の色素と光線(beams)を放つバシリスクのごとき眼であり、相手を石化して殺すと語られている[28][注 19][注 20]。
「トーリー島のバロル」では、額の真ん中の危険な眼は9層の革盾で覆われていたが、長腕のルイが赤槍で貫通させた[注 21]。スコウクロフトは「額の真ん中の余分な目」(第3の目)の伝承があるとするが、その一例であろうか[47][注 22]。バロルが三つ目であると明言する例としては作家マクスウェルが発表した短編がある[50]。
だがある伝承によれば( メイヨー県))バロルは単眼にもかかわらず、7層の蓋がかぶせられていた。それは"有毒・烈火の目"で、"最初の蓋をとると蕨が枯れ始め、2枚目をとると芝草が赤銅色に変じ、3枚目で森林や木材が熱をもち、4で木々が発煙、5ですべては赤くなり、6で火花が散り、7ですべては発火して"里山は火の海となる [注 23][9]。
生首と湖の由来譚
[編集]『フィン歌集』中「フィンの盾」によれば、バロルの首はある樫の木の枝分かれに梟首され、毒気を含んだその木はやがてフィン・マックールの盾の木材とされたとされる[51]。
「トーリー島のバロル」の民話と、これと近似したアイルランド語の稿本でも、長腕のルイ(ルー)がバロルの生首を岩のうえに晒し、そこから毒の滴がしたたり湖ができたとされる。アイルランド語版は湖名(地名)を示さないが、カーティンが英語で所収した版では、語り手の地元のドニゴール県のグウィドー湖とされている[36][39]。
しかし、別の伝承(スライゴー県)によれば、バロルは、その魔眼とガラス(望遠鏡・遠眼鏡のたぐい、レンズ、あるいは片眼鏡か[52])を使って人を殺し、モイツゥラ(マグ・トゥレド)の原の植物を枯らしていたが、ある勇者が現れ、バロルをたぶらかしてその眼鏡をはずさせた隙に目を潰した、するとその血が溜り溜まって「眼の湖」を意味する'Lochan na Súil と呼ばれるようになった[注 24][53]。これはバリンドゥーン修道院跡の近くにあるナスール湖のことである[54]。
ゆかりの地
[編集]バロルの居城をトーリー島とする民間伝承は、フォウォレ族の中世文学から発祥しているという説明がある[9]。これはバロルが中世の頃からトーリー島の住人とされていた、という趣旨の発言ではない。中世文学にあるのは、フォウォレ族の長のコナンという人物が、コナンの塔を居城とし、それは「塔の島(Tor Inis)」という伝承であり、これは「トーリー島」であろうと比定されてはいるが、バロルのことなど何ひとつ書かれていない。だが、このことから、民間伝承ではフォウォレ族のバロルもトーリー島に住んでいたといわれるようになった[55]。
トーリー島には、「バロルの城」Dún Bhalair や「バロルの塔」Dún Bhalair と地元で呼ばれる地形があり[9]、高くそびえるような「巨塔」(Tór Mór)と呼ばれる地形も存在する[56]。
オドノヴァンがトーリー島で採取した民話の影響力が強く、バロル伝説のゆかりの地は"あたかもトーリーに独占権があるごとく"な一般認識があるが、それは誤っているとヘンリー・モリスの批判がある[29] 。
オドノヴァンとて、バロルの記憶はアイルランド各地の伝承に残るとしていた[4]。バロルと豊穣の牛の民話はトーリー島以外でも、特にアルスター南部に多く伝わっていた。モリスは1900年頃、モナハン県ファーニー郡からに断片的なものは採取できたとする。豊穣の牛グラス・ガヴレン(グラス・ガヴナン)の奇譚の設定舞台は、モナハン県南部や、果てはダブリン市沖のロックアビル島になっているものまであるという[29][注 25]。
解釈
[編集]バロールは、過ぎゆく年の太陽神で、新年(の太陽神、ルー)と対立する存在との解釈がされる[59]。
バロールについて一冊の本を書きおろした民話学者A・H・クラップも、このようなような見解を展開する[注 26]。さらには、過ぎゆく年の年寄りの神たるバロールが、豊穣の大地の象徴である女神を幽閉するモチーフが加わるが、それは太古からの神話に基づくものと仮説している[60]。
ダーヒー・オーホーガンはさらに、バロールが有害な悪しき太陽の側面をあらわすと解説する。太陽の有害面とは例えば干ばつや穀物の不作のことである。バロールは銅器時代のケルトの太陽神と、ギリシアのキュクロープスが習合されたものではないかとオーホーガンは憶測する[9][61]。モイラ・オニールは、ルーによるバロール殺害は、本来はルーナサにまつわる収穫神話であったが、これに聖パトリックのクロウ・ドゥヴ退治の説話が加わったものという説をとっている[9][62]。
比較分析
[編集]アーサー王伝説物語『キルッフとオルウェン』に登場するイスバザデンとバロールの間には、娘が嫁ぐ事が自らの破滅に繋がるといった共通した特徴がある[63]。また、いずれも、瞼を数人がかりで持ち上げなくてはならず[64]、槍を受けて目をつぶされる[65]。
19世紀中葉から、バロールとギリシア神話のキュクロープスとの比較がされている[48]。また、ジョン・オラヴァティは、孫に殺される 神託を受けた アクリシオスと比較している[66]。その孫はペルセウスであるが、 他にもこの対比を追求した論がみられる[67]。
オラヴァティはさらに、バロールの名をギリシアの勇士ベレロポーンと関連づけている[66]。アンリ・ダルボワ・ド・ジュバンヴィルも、これに関して意見を述べているが、ベレロポーンとは案ずるに「ベレロスの殺し手」の意味、ベレロスとはキマイラの意であり、キマイラもバロールは、雷や火焔を発する類の似たような怪物だとしている[68]。
だが、ダルボワ・ド・ジュバンヴィルやトーマス・ジョンソン・ウェストロップがとくに着目したのは、百眼の アルゴスである。ギリシア神話では白い牝牛 イーオーの番人として登場する。バロールの滅するのはルー、アルゴスを倒すのはヘルメースであり、ルー神は(古代ローマの書家などにより)ケルトのヘルメースであるから、怪物を倒す太陽神までを含めた対比が成立する[69][70]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「打撃のバロル」はBalor Béimeann(民話『グラス・ガヴナン』)[4]、 Balar Bemen (オフラハティ『オギュギア』、17世紀)とも綴られている[5]。
- ^ オーホーガンの"Balor of the Evil Eye"を直訳すると邪眼。単語の nimh は「毒」のことであるが、転じて「敵意」や「悪意」、苦々しい妬みや恨みを意味する[8]。
- ^ 古アイルランド語で書かれた『マグ・トゥレドの戦い』
- ^ ラーミニーの採集話では Kian, son of Contje とあり、この正しい名に近いが、類話では名前が転訛しており「マッキニーリー」や「フィン・マッキニーリー」等と伝わる。
- ^ 無名、またはドルダナ等の、異名あり。
- ^ 軍記『マグ・トゥレドの戦い』や『アイルランド来寇の書』等。
- ^ Buar-ainech で「牛の顔をした」の意だとダルボア・ド・ジュバンヴィルは説明し(buar ビュール '牛' + ainech アネッヘ '顔' の複合語[16])、さらにはケルトの神ケルヌンノスに結びつけることが可能ととしている[15][17]。
- ^ 円形土砦(ラース)の造営者のリストは、Dubhaltach Mac Fhirbhisighが作成した1650年版もある[14]。
- ^ nem, neim[21]
- ^ 古アイルランド語: cloch as a tábaill。"taball"は投石器[23]。
- ^ なお、ユージン・オカリーは、バロールの眼の能力を得たいきさつについて自己が所有する写本に異聞が書かれているとしたが、紙数の都合で詳述できないとした[27]。
- ^ バロルがトーリー島に住み着いたとする民話例はアイルランド各地でも多いとされるが[9]、もっと南寄りの場所住んだとも伝わっている[29]。
- ^ アイルランド語: Cian mac Caínte。ラーミニー話集版でも、音写でコンチェの子キャン(Kian son of Contje)という名である[33]
- ^ オカリーに拠れば、このカンチャの正体は不明[34]。
- ^ いずれもカーティン編。
- ^ カーティン編「トーリー島のバロル」に近く、主人公が同じくフィン・マク・キニーリーである。
- ^ Lugh Fadlámhach
- ^ グレゴリー女史の再話では、複数の原典をもとに継ぎ目無く連綿とした物語として提供されているので[43]、民話原文の人物名であるマク・キニーリーやエフネや[44]遺児のドルダナ、そのつど古文書の名称であるキアンやエスリンに置換している[45]。井村君江の解説など多くの著書に同様の内容がみられる[46] 。
- ^ 原文:"eye.. and its beams and dyes of venom, like that of the Basilisk.. kept.. covered, except.. to [strike dead his] enemies by petrifying them"。オカリー教授は、このような農民 peasantry のあいだに膾炙したような話がオドノヴァンの刊行物によって広まった事態を憂慮していた[27] 。
- ^ この後頭部の第二の目は、ギリシア神話のキュクロープスとも比較されている[48]。
- ^ アイルランド語版「バロルとマク・キニーリー」でも7層の覆い(蓋。アイルランド語: bpilleadh; ドイツ語: filleadh[49])がかかっていて、長腕のルーが貫く[39]。
- ^ これが単眼だと普段は目隠し状態となってしまう。よってスコウクロフトのいう "extra eye in the middle of his forehead"の例とすれば、理に適う。ただスコウクロフトが、この民話例を念頭にしているのかは断言できかねる。また、次にあげるメイヨー県の例では単眼でも蓋で覆われていた。蓋が何枚かの革盾であれば、とても見えまいが、スライゴー県の伝承では、目にはガラス(レンズ等)が当てられてていた。
- ^ "He had a single eye in his forehead, a venomous fiery eye. There were always seven coverings over this eye. One by one Balar removed the coverings. With the first covering the bracken began to wither, with the second the grass became copper-coloured, with the third the woods and timber began to heat, with the fourth smoke came from the trees, with the fifth everything grew red, with the sixth it sparked. With the seventh, they were all set on fire, and the whole countryside was ablaze!"
- ^ または「バロルの眼(Suil Balra)」とも。
- ^ また、旧ブレフネ王国地方には、バロルの妻の名をとって「ケスリンの島」(現今のエニスキリン と町が名づけられたという俗説(17世紀の「クロンマクノイス年代記」に記述)がある[29][57]。かつては川中の城があっ[58]た。モリスはさらに Glengevlin という村名もバロルにまつわる魔法の牛に由来するとする[29]。
- ^ この神話や類似の神話は、年代わりの成長、死、再生の象徴であるとする。
出典
[編集]- ^ Shearman, John Francis (1882), “The Celtic Races of Great and Lesser Britain, or Armorica, deduced from the Ancient Gael of Ireland.”, Ulster Journal of Archaeology 15: 479–480
- ^ ジョン・フランシス・シーアマン神父がBalor Beimnech ("of the mighty blows") という表記を用いている[1]
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- ^ Gray 1982 tr., The Second Battle of Moytura §36–§40, ed. CMT §36–§40; Stokes 1891, pp. 69–75
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- ^ Sheeran & Witoszek 1990, p. 243.
- ^ eDIL s.v. "fulacht (1)".
- ^ Scowcroft 1995, p. 141、Sheeran & Witoszek 1990, p. 243の要約を参照。
- ^ a b O'Curry 1863, pp. 233–234.
- ^ a b c O'Donovan 1856, pp. 18–20, note s。オドノヴァンが発表したバロル伝承(語り手:トーリー島在住 Shane O'Dugan)。
- ^ a b c d e Morris 1927, p. 57.
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参考文献
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関連項目
[編集]- クロム・クルアハ(クロウ・クルワッハ)
- 神話物語群
- ブリューナク
- ファーガル・デヴィット - プロレスラー。リングネームである「フィン・ベイラー(Finn Bálor)」の由来。