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'''沢村 寅二郎'''(さわむら とらじろう、[[1885年]][[3月28日]] - [[1945年]][[7月7日]])は、英文学者、[[東京大学|東京帝国大学]]助教授。
'''沢村 寅二郎'''(さわむら とらじろう、[[1885年]][[3月28日]] - [[1945年]][[7月7日]])は、英文学者、[[東京大学|東京帝国大学]]助教授。


1910年東京帝大英文科卒、[[第八高等学校 (旧制)|第八高等学校]](現・[[名古屋大学]])教授、文部省在外研修員として渡英、1923年[[東京高等学校 (旧制)|東京高等学校]](現・[[東京大学]])教授、1927年東京帝大助教授、1944年退官。東京で罹災後、疎開先の甲府で[[甲府空襲]]に遭い死去<ref>遠藤智夫、[https://doi.org/10.5024/jeigakushi.2005.47 「岡倉賞」・「岡倉英語教育賞」受賞者 および岡倉由三郎追悼記事] 『英学史研究』 2004年 2005巻 37号 p.47-62, {{doi|10.5024/jeigakushi.2005.47}}</ref>。
1910年東京帝大英文科卒、[[第八高等学校 (旧制)|第八高等学校]](現・[[名古屋大学]])教授、文部省在外研修員として渡英、1923年[[東京高等学校 (旧制)|東京高等学校]](現・[[東京大学]])教授、1927年東京帝大助教授、1944年退官。東京で罹災後、疎開先の甲府で[[甲府空襲]]に遭い死去<ref>
{{PDFlink|[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeigakushi1969/2005/37/2005_37_47/_pdf 「岡倉賞」・「岡倉英語教育賞」受賞者 および岡倉由三郎追悼記事]}}‎ [[遠藤智夫]] 2004年</ref>。


==著書==
==著書==

2020年1月9日 (木) 11:01時点における版

沢村 寅二郎(さわむら とらじろう、1885年3月28日 - 1945年7月7日)は、英文学者、東京帝国大学助教授。

1910年東京帝大英文科卒、第八高等学校(現・名古屋大学)教授、文部省在外研修員として渡英、1923年東京高等学校(現・東京大学)教授、1927年東京帝大助教授、1944年退官。東京で罹災後、疎開先の甲府で甲府空襲に遭い死去[1]

著書

  • 近代英文学鑑賞 研究社, 1929
  • 日本語と英語の比較 研究社英米文学語学講座 研究社, 1940
  • 開隆堂簡易英英辞典 開隆堂出版, 1948

翻訳

脚注