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「ガバナーズ島」の版間の差分

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'''ガバナーズ島''' (Governors Island) は、[[アッパー・ニューヨーク湾]]の[[マンハッタン島]]南端から半マイル (1&nbsp;km) 離れたところに位置する島でる。[[ブルックリン区|ブルックリン]]からは[[バターミルク水路]]によって隔てらている。[[行政区 (ニューヨーク市)|行政区]]的には[[ニューヨーク市]][[マンハッタン区]]に所属している。
'''ガバナーズ島'''(ガバナーズとう、Governors Island)は、[[アメリカ合衆国]]の[[ニューヨーク市]][[マンハッタン区]]に所属する[[アッパー・ニューヨーク湾]]にある172エーカー(70ヘクタール)島。[[マンハッタン島]]南約730mの位置り、[[ブルックリン区]]からは[[バターミルク水路]]で東へ約370m離れている。


[[アメリカ合衆国国立公園局|米国立公園局]]が島北部の小さな区画を[[ナショナル・モニュメント]]として管理しており、そこには[[ジェイ砦]]と[[ウィリアムズ城]]という名前の旧軍事要塞が2つある。歴史的建造物52件を含む残りの150エーカー(61ヘクタール)については、[[#ガバナーズ島トラスト|ガバナーズ島トラスト]] (The Trust for Governors Island) が公園として運営している。1900年代初頭に約103エーカー(42ヘクタール)の土地が埋め立てられて、元の島の南側に追加された。
== 概要 ==
この島の物理的形状は20世紀初頭の間に大きく変貌している。[[:en:Early history of the IRT subway|IRT地下鉄]]の工事によって生じた土砂を用いて、[[アメリカ陸軍工兵司令部|陸軍工兵司令部]]の監督の下、ガバナーズ島の南側が4,787,000立方ヤード分の堆積物で埋め立てられた。この結果、1912年までに{{convert|103|acre|ha}}の樹木のない平地が加わり、この島の総面積は{{convert|172|acre|ha|sing=on}}となった<ref>http://govisland.com/html/history/history.shtml, "The Trust for Governors Island - History of Governors Island" retrieved June 25, 2012</ref>。


先住民の[[レナペ族]]は当初、ガバナーズ島のことを"Paggank"(木の実の島)と呼んでいた。この名前がオランダ語で"Noten Eylandt"と翻訳され、それが英語で"Nutten Island"と呼ばれるようになり、18世紀後半に"Governor's Island"(総督の島)へと改名された。後年に[[アポストロフィ]]が外されて、現在はガバナーズ島 (Governors Island) という名称になった。
マンハッタン地域のネイティブアメリカンはこの島を'木の実の島' (nut island) を意味する"Paggank"と呼んでいた。これは、おそらく、この島が[[ヒッコリー]]、[[オーク]]、[[クリ]]の木が豊富に植生していることから来ている<ref>Noted in Joseph White Moulton, ''History of the State of New York including its Aboriginal and Colonial Annals'', 1824, excerpted in ''The New-York Literary Gazette'', 1826.</ref>。オランダ人探検家の[[アドリアン・ブロック]]は、Paggankをオランダ語で"Noten Eylant"と翻訳し、さらに後に英語に翻訳され"Nutten Island"と呼ばれた。この島の現在の名前は、1784年に制定された。その由来は、イギリス植民地議会がこの島を[[:en:List of colonial governors of New York|ニューヨーク州総督]](ロイヤル・ガバナー)のために独占的に使用ことを決めたことにある。


この島の軍事施設としての活用は、[[アメリカ独立戦争]]中に[[大陸軍 (アメリカ)|大陸軍]]部隊が島での防衛活動を始めた1776年まで遡る。 1783年から1966年まで、この島は[[アメリカ陸軍]]駐屯地であり、主に軍隊の訓練場としての役割を担っていたが、戦時中は戦略的防衛拠点としても機能していた。その後1996年までは主に[[アメリカ沿岸警備隊]]の施設として活用された。軍事基地としての役割を終えた後、ガバナーズ島の再開発計画が幾度か行われ、2003年に僅かな金額(1ドルとも言われる)で自治体に売却され、2005年に公共利用のため開放された。
1524年にこのエリアに到達した[[ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノ]]が、この島を見た最初のヨーロッパ人となった。1624年5月、Noten Eylandt(ガバナーズ島)はニューネーデルランドの最初の入植者たちの上陸場所となった<ref>{{cite web
| url=http://www.nyharborparks.org/explore-vtour-nat/virtual-new-amsterdam.html
| title=The New Amsterdam Trail - A Virtual Tour
| author=Mixit Productions
| work=nyharborparks.org
| accessdate=June 26, 2015}}</ref>。オランダからの入植者たちは[[:en:Cornelius Jacobsen May]]の指揮の下、''New Netherland''号でこの島にやってきた。彼は、この島を法的にニューネーデルランドの領域とするため、30の家族とともにこの島に上陸した。


ガバナーズ島は5月から9月にかけて一般開放される人気の季節観光地になっており、2018年時点で年間80万人以上の来訪者がいる。43エーカー(17ヘクタール)の公園のほか、ガバナーズ島には無料の芸術文化イベントや娯楽体験施設がある。この島はブルックリンおよびマンハッタンからのフェリーでのみ往来可能である。
この島は、1776年に[[大陸軍 (アメリカ)|大陸軍]]部隊により[[アメリカ独立戦争]]中の防衛機能を担うようになり、イギリス艦船を砲撃するために用いられた。1783年から1966年まで、この島は[[アメリカ陸軍]]駐屯地であった。1966年から1996年まで、この島は[[アメリカ沿岸警備隊]]の主要施設として用いられた。


==語源==
2001年2月19日、この島の三つの歴史的な要塞のうちの二つ、[[フォート・ジェイ|ジェイ砦]] ([[:en:Fort Jay|en]]) および[[キャッスル・ウィリアムズ|ウィリアムズ城]] ([[:en:Castle Williams|en]]) が[[アメリカ合衆国ナショナル・モニュメント|ナショナル・モニュメント]]に指定された。2003年1月31日、この島の{{convert|150|acre|ha}}の部分は[[ニューヨーク州]]に$1で譲渡された。残りの{{convert|22|acre|ha}}の部分は[[アメリカ合衆国内務省]]に譲渡され、[[ガバナーズ島ナショナル・モニュメント]] ([[:en:Governors Island National Monument|en]]) として[[アメリカ合衆国国立公園局]]によって管理・運営されている。
先住民の[[レナペ族]]は、この島を「木の実の島」を意味する"Paggank"と呼んでいた<ref name="Bowen Van Crowninshield Smith 1826 p. 94">{{cite book|url=https://archive.org/details/bub_gb_o6kTAAAAYAAJ|title=The Boston News-letter: And City Record|last=Bowen|first=A.|last2=Van Crowninshield Smith|first2=J.|publisher=Abel Bowen|year=1826|series=American periodical series: 1800-1850|page=[https://archive.org/details/bub_gb_o6kTAAAAYAAJ/page/n99 94]|accessdate=May 17, 2019|issue=v. 2}}</ref><ref name="Stevens Floy 1858 p. 446">{{cite book|url=https://books.google.com/books?id=h4xAAQAAMAAJ&pg=PA446|title=The National Magazine|last=Stevens|first=A.|last2=Floy|first2=J.|publisher=Carlton & Phillips|year=1858|page=446|accessdate=May 17, 2019|issue=v. 12}}</ref>{{Refnest|group="注釈"|このほかPagganckやPagganackといった表記ゆれも見られる<ref name="Smith p. 11">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|p=11}}</ref><ref name="Novak p. 9">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=9}}</ref><ref name="Glen Shaver 2006">{{cite book|url=https://books.google.com/books?id=jyhV9qS1lPUC&pg=PA9|title=Governors Island|last=Glen|first=S.L.|last2=Shaver|first2=M.|publisher=Arcadia Pub.|year=2006|isbn=978-0-7385-3895-2|series=Images of America|accessdate=May 17, 2019}}</ref>{{Rp|9}}。}}。これは恐らく島に[[ペカン属|ヒッコリー]]、[[オーク]]、[[クリ]]の木が豊富にあったことに関連していた<ref name="Bowen Van Crowninshield Smith 1826 p. 94" /><ref name="Novak p. 9"/><ref name="Glen Shaver 2006" />{{Rp|9}}。オランダの探検家[[アドリアン・ブロック]]がそれを"Noten Eylandt"とオランダ語に翻訳し<ref name="Bowen Van Crowninshield Smith 1826 p. 94" /><ref name="Stevens Floy 1858 p. 446" />、これを英語化した"Nutten Island"という名称が18世紀後半まで使用され続けた<ref name="Smith p. 11" />。ガバナーズ島という名称は、[[ニューヨーク植民地]]時代に植民地議会がこの島を[[ニュージャージー植民地総督#イギリス直轄植民地(1702年-1776年)|ニューヨーク植民地総督]](ロイヤル・ガバナー)の独占使用のため確保していたことに由来する<ref name="Boggs p. 3">{{harvnb|ps=.|Boggs|1950|p=3}}</ref>。当初はアポストロフィ付きの"Governor's Island"つまり「総督の島」であったが、1784年にアポストロフィ無しの"Governors Island"(ガバナーズ島)が正式名称となった<ref name="Smith p. 11" />。


==歴史==
ナショナル・モニュメントに含まれないこの{{convert|150|acre|ha}}の部分は、ニューヨーク市の組織であるThe Trust for Governors Islandおよび市・州共同設立の再開発組織の後継であるGovernors Island Preservation and Education Corporationによって管理・運営されている。この譲渡によって、この島での永住やカジノなどの行為は禁止されている。
===植民地時代===
[[File:AERIAL_VIEW_OF_NORTHERN_END_OF_GOVERNORS_ISLAND,_LOOKING_NORTHWEST_-_Governors_Island,_Overview,_New_York_Harbor,_New_York,_New_York_County,_NY_HABS_NY,31-GOVI,2-8.tif|left|thumb|275x275px|元々あったガバナーズ島部分の空撮]]
元々あったガバナーズ島は、現在の島よりも遥かに小さいものだった。当初は海岸線に沿って複数の入り江と広葉樹林があり、そこからこの島の先住民名称「木の実の島 (Paggank)」が付けられた<ref name="Novak p. 10">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=10}}</ref>。この島にレナペ族の定住地があったのか又は狩猟・採集で主に使われていたのかは証拠不足で分かっていない<ref name="Novak p. 9"/>。1524年、当時Paggankと呼ばれていた島を観察して記録した最初のヨーロッパ人が[[ジョヴァンニ・ダ・ヴェラッツァーノ]]である<ref name="Boggs p. 2">{{harvnb|ps=.|Boggs|1950|p=2}}</ref>。そこから100年後の1624年5月、この島が[[ニューネーデルラント]]最初の入植者たちの上陸地となり、オランダ語表記のNoten Eylandtとなった。彼らは[[コーネリアス・ヤコブセン・メイ]]指揮のもとニューネーデルラント号という船で[[ネーデルラント連邦共和国]]からやって来て、ニューネーデルラントの領土を獲得する目的で家族30世帯と共にこの島に上陸した<ref>{{cite web |url=http://www.nyharborparks.org/explore-vtour-nat/virtual-new-amsterdam.html |title=The New Amsterdam Trail - A Virtual Tour |author=Mixit Productions |work=nyharborparks.org |accessdate=June 26, 2015}}</ref>。このため、ニューヨーク州上下院はガバナーズ島をニューヨーク州発祥の地だと認識しており、またこの島を「北米大陸に及ぶ法的・政治的な(植民地支配)容認の担保」<!-- guaranty of toleranceを、植民地支配を容認(寛容)せざるを得ない担保(保証)と、意訳。--> としての入植が実施された場所として認定している<ref>{{cite web |url=http://www.tolerancepark.org/id5.html |title=GovIsland named NYS birthplace, Legislature agrees to legacy |work=tolerancepark.org |accessdate=June 26, 2015}}</ref>。


1633年、ニューネーデルラント5番目の総督ウーター・ヴァン・ツィラー{{enlink|Wouter van Twiller}}は連隊104人と共にNoten Eylandtに到着し、後に自分の個人的用途のためこの島を接収した<ref name="Novak p. 9"/>。彼は証書を作成することで1637年6月16日に農場を確保し、その証書には<!--Keshaechquereren(現在のニュージャージー州にある)地区を代表して-->先住民の代表であるレナペ族の指導者2名(CacapeteynoとPewiha)による署名がなされた<ref name="Smith pp. 18-20">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|pp=18-20}}</ref><ref name="Boggs p. 2" />。ヴァン・ツィラーは島に農場を開拓してその地に風車まで建設、1642年にネーデルラント連邦共和国に帰国した<ref name="Novak p. 9"/>。
2012年5月24日、[[マイケル・ブルームバーグ]][[ニューヨーク市長|市長]]は、再建された[[キャッスル・ウィリアムズ|ウィリアムズ城]] ([[:en:Castle Williams|en]]) の開園、および[[:en:Landscape design|ランドスケープ・デザイン]]事務所[[WEST8]]の設計による新しい公園と公共空間の建設着工を発表した<ref name="brokeground">[http://www.nyc.gov/portal/site/nycgov/menuitem.c0935b9a57bb4ef3daf2f1c701c789a0/index.jsp?pageID=mayor_press_release&catID=1194&doc_name=http%3A%2F%2Fwww.nyc.gov%2Fhtml%2Fom%2Fhtml%2F2012a%2Fpr190-12.html&cc=unused1978&rc=1194&ndi=1 "Mayor Bloomberg and Officials Break Ground on New Governors Island Park and Public Spaces and Re-open Castle William"]
.</ref>。


1648年までにその風車は恐らく破壊され、動作不能状態を確認した植民地総督[[ピーター・ストイフェサント]]がそれを焼き払った<ref name="Smith p. 20">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|p=20}}</ref>。その後Noten Eylandtは1652年から1664年にかけてオランダ人に保養地として使用されていたとされている<ref name="Boggs p. 3" />。ヴァン・ツィラーがニューネーデルラントを去って以後この島が公有地のままになっていたという事実以外に、オランダ植民地時代の島の用途に関する文献は殆ど存在していない<ref name="Novak p. 10" />。
国定歴史建造物に指定されている地区は、島の北側の約{{convert|92|acre|ha}}のエリアで、夏から初秋までの数ヶ月間、一般に開放されている。この島の周回道路もまた一般に開放されている。この島へのアクセスは、マンハッタンとブルックリンからそれぞれフェリーが出ている。


1664年にニューネーデルラントは条件付きで[[イングランド王国|イングランド]]に割譲され、1665年6月にイングランド人がこの入植地をニューヨークと改名した<ref>{{cite journal |last1=Schoolcraft |first1=Henry L. |authorlink=ヘンリー・スクールクラフト|title=The Capture of New Amsterdam |journal=The English Historical Review |date=1907 |volume=22 |issue=88 |pages=674-693 |doi=10.1093/ehr/XXII.LXXXVIII.674|jstor=550138}}</ref><ref name="Novak p. 10" />。1674年までに英国がこの島を完全に支配した<ref name="Governors Island National Monument (U.S. National Park Service) 2015">{{cite web|url=http://www.nps.gov/gois/learn/historyculture/a-brief-history-of-governors-island.htm|title=A Brief History of Governors Island|date=January 5, 2015|website=Governors Island National Monument (U.S. National Park Service)|accessdate=November 19, 2015}}</ref><ref name="Boggs p. 2" />。この時点で、島の東岸は干潮時に容易に通過できる浅い水路にてブルックリンから隔てられていた。女性がこの水路を使ってマンハッタンの島に[[バターミルク]]を行商していたため、ここがバターミルク水路として知られるようになった<ref name="Boggs p. 3" />。1680年までに、Noten Eylandtというオランダ名は英語のNutten Islandに変わり、その島には植民地総督が使用する単独の家屋と牧草地があった<ref name="Boggs p. 3" />。
== 関連項目 ==

* [[:en:Postage stamps and postal history of the Confederate States#Prisoner of war prisons and camps|南北戦争の捕虜収容所の一覧]]
1698年に、イギリス人がNutten Islandをガバナーズ島こと「総督の島(Governor's Island)」と呼ぶようになり、この島を植民地総督専用として確保するようになった<ref name="Smith p. 25">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|p=25}}</ref><ref name="Boggs p. 3" /><ref name="USCG pp. 15-16">{{harvnb|ps=.|United States Coast Guard|1973|pp=15-16}}</ref>。

4年後、[[エドワード・ハイド (第3代クラレンドン伯爵)|エドワード・ハイド]](コーンベリー卿)がニューヨーク植民地総督に就任した際に邸宅をこの島に建てたが、この邸宅の痕跡はもはや存在しない<ref name="Novak p. 10" /><ref name="Boggs p. 3" />。後年、[[ウィリアム・コスビー]]総督は[[キジ]]の繁殖およびキジ狩りをするための保護区としてこの島を活用した<ref name="Novak p. 10" /><ref name="Smith p. 252">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|p=32}}</ref>。他の総督は利潤目的でこの島を貸し出し<ref name="Smith p. 25" />、1710年頃に短期間だがガバナーズ島は難民の[[検疫]]所として指定された<ref name="USCG pp. 15-16" />。それ以外は1775年に[[アメリカ独立戦争]]が始まるまで、この島にはほぼ誰も手をつけなかった<ref name="Novak p. 10" /><ref name="Smith pp. 29-30">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|pp=29-30}}</ref>。

===アメリカ独立===
[[File:Governors Island - New York City (4889317191).jpg|thumb|275px|ノーラン・パークにある家屋]]
ガバナーズ島こと総督の島(Governor's Island)の要塞化に関する最初の計画は、フランスとの戦争を想定して1741年に作成されたが、決して砦が築かれることはなかった<ref name="Novak p. 11">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=11}}</ref>。この島が軍の野営地として最初に使われたのは1755年の[[フレンチ・インディアン戦争]]時で、[[ウィリアム・ペッパーレル]]士官が第51[[歩兵連隊]]を率いてガバナーズ島に上陸した時である<ref name="Novak p. 11" /><ref name="Boggs p. 4">{{harvnb|ps=.|Boggs|1950|p=4}}</ref><ref name="Smith p. 33">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|p=33}}</ref><ref name="USCG p. 17">{{harvnb|ps=.|United States Coast Guard|1973|p=17}}</ref>。ほどなく別連隊も後に続き<ref name="USCG p. 17" /> 、1760年代半ばにはこの島に砦および複数の土塁を周囲に築く書面作成がなされた<ref name="Novak p. 11" />。ガバナーズ島の要塞化をより向上させる追加計画は、1766年に英国の軍事技術者[[ジョン・モントレゾール]]によって考案されたものである<ref name="Novak p. 12">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=12}}</ref><ref name="Smith pp. 35-36">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|pp=35-36}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.loc.gov/item/77693614/|title=Designs for fortifying Governors Island near New York.|website=Library of Congress, Washington, D.C. 20540 USA|access-date=May 19, 2019}}</ref>。1774年に英国はこれら要塞化のための資金を要求したが、これらの計画は一切実現しなかった<ref name="Novak p. 12" /><ref name="Novak p. 132" />。

アメリカ独立戦争が勃発すると、[[大陸軍 (アメリカ)|大陸軍]]司令官の[[ジョージ・ワシントン]]は[[チャールズ・リー (軍人)|チャールズ・リー]]少将にニューヨーク港の防衛計画作成を任じた<ref name="Novak p. 12" />。リーの計画は、ブルックリン、マンハッタンの砲台、そしてガバナーズ島に幾つかの防御砦を要求するものだった<ref name="Novak p. 132">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=13}}</ref><ref name="Smith p. 41">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|pp=41, 43}}</ref>。大陸軍将軍の[[イズラエル・パットナム]]は1776年4月9日の夜、前年にニューヨーク市から撤退した英国軍の帰還を予見してこの島を来訪、土塁と大砲40基を付け足した<ref name="Novak p. 132" /><ref name="Smith p. 41" /><ref name="Livingston 1901 p. 276">{{cite book|url=https://archive.org/details/israelputnampio00livigoog|title=Israel Putnam: Pioneer, Ranger, and Major-general,1718-1790|last=Livingston|first=W.F.|publisher=G. P. Putnam's sons|year=1901|series=American men of energy|page=[https://archive.org/details/israelputnampio00livigoog/page/n352 276]|accessdate=May 19, 2019}}</ref><ref>{{cite book|url=https://books.google.com/books?id=bVOkvPmhWkIC|title=The Papers of George Washington: Revolutionary War series|last=Washington|first=G.|last2=Chase|first2=P.D.|last3=Grizzard|first3=F.E.|publisher=University Press of Virginia|year=1985|isbn=978-0-8139-1307-0|series=The Papers of George Washington: Revolutionary War Series|page=|accessdate=May 19, 2019|issue=v. 4}}</ref>。

その後数ヶ月にわたってこの島の防衛力は引き続き改善され<ref name="Novak p. 132" /><ref name="NRHI Nomination Form p. 25">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|p=25}}</ref><ref name="Boggs p. 6">{{harvnb|ps=.|Boggs|1950|p=6}}</ref>、同年7月12日に、ハドソン川を[[タッパン・ジー・ブリッジ|タッパン・ジー]]まで上ってきた戦列艦[[イギリス海軍戦列艦一覧#戦列艦(1755年-1785年)|HMSフェニックスやHMSローズ]]と交戦した<ref name="Novak p. 132" /><ref name="Smith p. 41" /><ref name="Boggs p. 6" />。英国軍はタッパン・ジーまで北上してきたが、植民地側の大砲は英国軍司令官に[[イースト川]]進入をためらわせるほどの十分な損害を与えた<ref name="Novak p. 14">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=14}}</ref>。またこの砦塁は、[[ロングアイランドの戦い]]で英国陸軍が同年8月27日頃に[[ブルックリン・ハイツ]]奪取を試みた後での、ワシントンによるブルックリンからマンハッタンへの撤退成功に貢献した<ref name="NRHI Nomination Form p. 25" /><ref name="Boggs p. 6" /><ref name="Novak p. 14" /><ref name="Smith pp. 47-48">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|pp=47?48}}</ref>。

戦略上の誤算だと思われるが、反乱軍の軍需品は下流約3.2kmで待機する英国軍の船に殆どまたは全く損害を与えなかった<ref name="Smith pp. 47-48" /><ref name="Novak p. 15">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=15}}</ref><ref name="Boggs p. 7">{{harvnb|ps=.|Boggs|1950|p=7}}</ref>。英国軍がマンハッタンに退却した2日後、大陸軍はブルックリンおよびガバナーズ島から引き揚げ、英国はガバナーズ島を奪還した。1776年9月2日から14日にかけて、新たな英国駐留兵はマンハッタンにあるジョージ砦正面の砲台にてワシントンの銃での連射を行った<ref>[http://thebattery.org/battery/timeline.html Historic Timeline of The Battery - The Battery Conservancy] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20070320131057/http://www.thebattery.org/battery/timeline.html |date=March 20, 2007 }}</ref><ref name="Novak p. 15" />。
9月6日、失敗に終わったこの島での米国側[[タートル潜水艇]]による破壊工作は、史上初めて記録された潜水艦攻撃となった<ref name="Boggs p. 7" /><ref name="USCG pp. 18-19">{{harvnb|ps=.|United States Coast Guard|1973|pp=18-19}}</ref>。この砦は<!--ニューヨーク市の他地域とともに、-->今後の戦争に向けて1783年の[[撤収の日]]まで英国軍に占有された<ref name="Novak p. 15" /><ref name="Boggs p. 7" /><ref name="USCG pp. 18-19" />。この時期に、英国軍はガバナーズ島の防護を改善し続けていた<ref name="USCG pp. 18-19" /><ref name="Hansen Pearson p. 3">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=3 (PDF p. 8)}}</ref>。

===18世紀後半から19世紀===
==== 18世紀後半から米英戦争====
アメリカ独立を経て、ガバナーズ島こと総督の島(Governor's Island)は[[クラウン・エステート]]から[[ニューヨーク州]]に移された。 島には軍事的用途が見られず、代わりにホテルや競馬場として使用された<ref name="NRHI Nomination Form p. 25" />。大部分が土でできていた要塞の質は劣化し始めた<ref name="NRHI Nomination Form p. 25" /><ref name="Novak p. 16">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=16}}</ref>。1784年3月29日、米国議会の法律によってこの島の名称がアポストロフィ無しの「ガバナーズ島(Governors Island)」に変更された<ref name=":2">{{Cite book|url=https://archive.org/details/historicalandst02murrgoog|title=Historical and Statistical Record of the University of the State of New York: During the Century from 1784 to 1884|last=Hough|first=Franklin Benjamin|date=1885|publisher=Weed, Parsons, printers|isbn=|location=|pages=[https://archive.org/details/historicalandst02murrgoog/page/n41 82]-83|language=en}}</ref><ref name="Smith p. 11" />。1790年にガバナーズ島は「軍事目的で必要とされない限りは[中略]教育振興目的で」<ref name="Smith p. 25" /><ref name=":2" />ニューヨーク州評議員会{{enlink|New York State Board of Regents}}に移譲された。この時期における島の用途については他にほとんど知られていない<ref name="Novak p. 30">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=30}}</ref>。

1790年代半ばまでに、軍事的緊張の高まりがニューヨーク港要塞化への関心を再燃させ、米国議会の委員会はアメリカの主要都市中心部を守るため第一次要塞化ができうる場所の地図を作成した<ref name="Novak p. 30" /><ref name="Boggs p. 9">{{harvnb|ps=.|Boggs|1950|p=9}}</ref><ref name="Smith p. 54">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|p=54}}</ref>。防御が構築された最初の地点の1つがガバナーズ島だった<ref name="Novak p. 32">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=32}}</ref>。そのため、評議委員会との合意は1794年に無効になり<ref name="Smith p. 25" /><ref name=":2" />、1794年と1795年にはガバナーズ島の防御構築に約250,000ドルの連邦予算が割り当てられた<ref name="Novak p. 30" /><ref name="Boggs p. 9" /><ref name="Smith p. 54" />。

[[File:Castle Williams Governors Island NY.jpg|thumb|275px|left|ウィリアムズ城]]
[[ジェイ砦]]{{enlink|Fort Jay}}は、以前に独立戦争の土塁があった地点で1794年に建設が始まった<ref name="Smith p. 54" /><ref name="NRHI Nomination Form p. 26">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|p=26}}</ref><ref name="USCG pp. 18-19" />。ジェイ砦の低い高台は脆くて占領されやすいとの懸念もあったが、作業は進行した<ref name="Novak pp. 33">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|pp=33-34}}</ref>。ジェイ砦は4つの[[堡塁]]を擁する四角形の砦で、土塁と木材で作られていたが<!--この2つの非永続的な材料は-->戦争の脅威が去るや間もなく劣化していき、1805年までに酷く崩壊してしまった<ref name="NRHI Nomination Form p. 26" />。1800年2月15日にこの島の所有権が連邦政府に移譲された<ref name=":2" /><ref name="Boggs pp. 10-11">{{harvnb|ps=.|Boggs|1950|pp=10-11}}</ref>。

1800年代初頭にニューヨーク港の防衛を担当した[[ジョナサン・ウィリアムズ]]中佐は、第二次要塞システムの一部として同港の周辺に幾つかの新たな牙城を提案した。第一次防衛システムとは違って劣化を防ぐため新たな砦は石積みで作られ、火力の増強および武器の改善も含まれていた<ref name="NRHI Nomination Form p. 26" /><ref name="Smith pp. 55-56">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|pp=55-56}}</ref>。1806年から1809年にかけてジェイ砦は現在の星形に再建され<ref name="Boggs pp. 10-11" /><ref name="Smith pp. 55-56" /><ref name="NRHI Nomination Form pp. 27-30">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|pp=27-28}}</ref><ref name="Novak pp. 35-36">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|pp=35-36}}</ref>、ほどなくコロンバス砦と改名された<ref name="NRHI Nomination Form pp. 27-30" /><ref name="Novak pp. 35-36" /><ref name="Boggs pp. 10-11" />。これに次ぐ主要な牙城の[[ウィリアムズ城]]{{enlink|Castle Williams}}は、1807年から1811年にかけて島の北西隅からコロンバス砦の北へと伸びる岩礁に建設された円形砲台であった<ref name="Boggs pp. 10-11" /><ref name="Smith pp. 55-56" /><ref name="Novak pp. 35-36" /><ref name="NRHI Nomination Form pp. 29-30">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|page=29}}</ref>。3番目の牙城となる南側砲台または半月砲台(現:建物298)は、1812年に島の東海岸にあたるコロンバス砦の南側に建設された<ref name="Hansen Pearson p. 3" /><ref name="NRHI Nomination Form p. 30">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|p=30}}</ref><ref name="Novak p. 37">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=37}}</ref>。1812年の[[米英戦争]]はこれらの防衛システム完成直後に勃発したが、最後までこれらの要塞が戦闘に遭遇することはなかった<ref name="NRHI Nomination Form p. 30" /><ref name="Novak p. 38">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=38}}</ref>。

==== 19世紀半ばと南北戦争====
米英戦争後、この島はさほど発展しなかった。むしろ1812年頃から始まる軍隊の駐留用に活用されていた<ref name="Boggs p. 14">{{harvnb|ps=.|Boggs|1950|p=14}}</ref><ref name="Hansen Pearson p. 14">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=14 (PDF p. 19)}}</ref>。島に駐留した軍隊は、残りの19世紀の間に4度戦争に配備された<ref name="Hansen Pearson p. 15">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=15 (PDF p. 20)}}</ref>。陸軍とは別同隊で[[砲撃]]を扱うニューヨーク・アーセナルは、1832年にこの島に移ってその3年後に武器庫の建設を始めた<ref name="Novak p. 52">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=52}}</ref><ref>{{Cite book|url=https://books.google.com/books?id=xkUfkFB3jxYC&pg=PA233&lpg=PA233|title=Fortress America: The Forts That Defended America, 1600 to the Present|last=Kaufmann|first=J. E.|last2=Kaufmann|first2=H. W.|date=September 10, 2007|publisher=Hachette Books|isbn=9780306816345|location=|pages=233|language=en}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form p. 35">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|p=35}}</ref><ref name="Hansen Pearson p. 14" />。アーセナルの構造物建設は数十年にわたって続いた。アーセナルと陸軍の建物を区別するために、前者の建物は1843年に建てられた提督住居のような[[新古典主義建築#建築美の相対化|ギリシア復興様式]](グリーク・リヴァイバル)で設計された<ref name="NRHI Nomination Form p. 35" /><ref name="Novak p. 53">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=53}}</ref><ref name="Smith p. 125">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|p=125}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form p. 35" />。

[[File:Admiral's House.jpg|thumb|275px|1841年建造の提督住居{{enlink|Admiral's House}}|alt=]]
陸軍は当時この島に駐留軍を展開しており、1830年代には将校の兵舎や病院などの新たな建物を幾つか建設した<ref name="NRHI Nomination Form p. 35" /><ref name="Novak p. 53" />。また陸軍は石積みの防潮堤を追加し<ref name="Novak p. 54" />、1850年代から「管理・訓練センター」を開設した<ref name="Governors Island National Monument (U.S. National Park Service) 2015" /><ref name="Boggs p. 14" /><ref name="Novak p. 54">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=54}}</ref>。募兵センターと兵舎の建設は、コロンバス砦の東にノーラン・パークという公園造成をもたらす結果となった<ref name="Novak p. 54" />。これらの変更と共に、防衛迎撃が始まる際に見晴らしの利く地点になるようコロンバス砦とウィリアムズ城の間にある藪草地帯を刈り込んだ<ref name="Novak p. 55">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=55}}</ref><ref name=":3">{{Cite web|url=https://www.amny.com/secrets-of-new-york/secrets-of-governors-island-1.8943951|title=Governors Island is back for the season, secrets and all|last=Ruggiero|first=Nina|date=May 1, 2017|website=am New York|language=en|access-date=May 23, 2019}}</ref>。それ以外の陸軍の建物には、[[米墨戦争]]および[[南北戦争]]時期に運用された集会所や音楽学校などがあった<ref name="Governors Island National Monument (U.S. National Park Service) 2015" /><ref name="USCG pp. 22-23">{{harvnb|ps=.|United States Coast Guard|1973|pp=22?23}}</ref><ref name="Governors Island National Monument (U.S. National Park Service) 2015" />。それでも、部隊の大半がテント生活を続けていた<ref name="Novak p. 54" />。陸軍要員の宗教要件に対応するため、1846年に[[プロテスタント]]用の小さな[[ゴシック・リヴァイヴァル建築|ゴシック復興様式]]の礼拝堂がガバナーズ島に建設された<ref name="Smith p. 130">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|p=130}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form p. 36">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|p=36}}</ref><ref name="USCG pp. 20-21" />。

仮設病院は建てられたものの、特に南北戦争のために新たな恒久的建造物は建設されなかった<ref name="Novak p. 55" /><ref name="Smith p. 82">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|p=82}}</ref>。同病院では1850年代および1860年代に[[コレラ]]と[[黄熱病]]の流行で感染患者を治療した<ref name="NRHI Nomination Form p. 35" />。戦争中、ガバナーズ島はまだ要塞が機能するにもかかわらず、主に召集兵の支援施設として使用されていた<ref name="USCG pp. 22-23" /><ref name="Novak p. 55" />。ウィリアムズ城は[[南軍]]の捕虜を収容し、コロンバス砦は捕虜となった南軍の将校を収容した<ref name="Governors Island National Monument (U.S. National Park Service) 2015" /><ref name="Smith pp. 55-56" /><ref name="Boggs p. 14" /><ref name="Novak p. 55" />。質素な収容施設では千人を超える囚人を収容することもしばしばで<ref name="Novak p. 55" />、しばしば脱走して「本土」のマンハッタンまで泳く者もいた<ref name=":3" /><ref name="USCG pp. 22-23" />。1863年の[[ニューヨーク徴兵暴動]]の最中に、陸軍部隊がマンハッタンに配備された際に抗議者らがこの島を占拠しようとするも失敗に終わった<ref name="Smith p. 82" /><ref name="Boggs p. 15">{{harvnb|ps=.|Boggs|1950|p=15}}</ref><ref name="Hansen Pearson p. 15" />。

戦後、ウィリアムズ城は軍事刑務所として活用され、[[レブンワース砦]]<!--(カンザス州)-->や[[アルカトラズ島]]<!--(カリフォルニア州)-->といった軍事刑務所の東海岸版となった<ref name="Governors Island National Monument (U.S. National Park Service) 2015" />。インフラ等の施設が修理されて未使用の建造物は解体され、1875年にはコロンブス砦の北に新たな軍需倉庫が建設された<ref name="Novak p. 73">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=73}}</ref>。以前は未開発だった島の北部および東部で重要な開発が行われた。具体的にはコロンバス砦外側にある木造の古い兵舎が移設され、砦の東にあるノーラン・パークに新たな士官宿舎が建設された<ref name="Novak p. 74">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=74}}</ref>。島の北側と西側にある防潮堤は、更なる建設用地を作るため更地に戻したり拡張が行われた<ref name="Novak p. 75">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=75}}</ref>。この拡張期間の1870年に、島では特に重篤な[[黄熱病]]の伝染が起こり、数百人が病に罹って検疫を要した<ref name="Boggs p. 15" /><ref name="Smith p. 86">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|p=86}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1870/10/12/archives/board-of-health-the-yellow-fever-wartart-letter-of-gen-mcdowell-and.html|title=Board of Health; The Yellow Fever War|date=October 12, 1870|work=The New York Times|access-date=May 22, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。黄熱病患者を収容していた建造物は後に取り壊された<ref name="Smith p. 86" />。これらの異変がありながらも、1873年にコロンバス砦やウィリアムズ城は依然として機能していたと記されている<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1873/12/13/archives/harbor-defenses-the-fortifications-on-governors-island.html|title=Harbor Defenses; the Fortifications on Governor's Island.|date=December 13, 1873|work=The New York Times|access-date=May 22, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。

1878年に、コロンバス砦は主要な陸軍行政センターになり、陸軍士官の家族が流入するようになった<ref name="NRHI Nomination Form p. 34">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|p=34}}</ref><ref name="Governors Island National Monument (U.S. National Park Service) 2015" />島にある娯楽的な選択肢としては、ノーラン・パークのテニスコート、南側砲台の市民農園、ゴルフ場、サイクリング用遊歩道があった<ref name="Novak p. 76">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=76}}</ref>。島には墓地もあり、当初は黄熱病とコレラの犠牲者を受け入れていたが、1878年に埋葬が中止されて1886年までに全てブルックリン<!--のサイプレス・ヒルズ墓地{{enlink|Cypress Hills Cemetery}}-->に移設された<ref name="Smith p. 87">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|p=87}}</ref>。

ガバナーズ島の人里離れた雰囲気は、1885年に米国初のゴミ焼却炉が島に建設された際に若干変化した<ref>{{cite book|url=https://books.google.com/books?id=gEfuG590qNoC|title=American alchemy: the history of solid waste management in the United States|last=Hickmann|first=H. Lanier, Jr.|page=269|publisher=ForesterPress|year=2003|isbn=978-0-9707687-2-8}}</ref>。その後の1890年代や1900年代の建設で、島には幾つかの将校住居が追加された<ref name="NRHI Nomination Form p. 35" />。ガバナーズ島を[[ロウアー・マンハッタン]]居住者用の公園に変える運動は、1888年から始まっている<ref name="Novak p. 772">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=77}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1888/07/30/archives/governors-island-for-a-park.html|title=Governor's Island for a Park.|date=July 30, 1888|work=The New York Times|access-date=May 22, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。公園提唱者達は[[セントラル・パーク]]や[[プロスペクト・パーク]]がロウアー・マンハッタン居住者には遠すぎると主張したが、この計画は実現しなかった<ref name="Novak p. 772" />。

===20世紀の陸軍作戦===
==== 拡張と第一次世界大戦====
[[File:Commander_of_United_States_Labor_Battalion_and_staff._Captain_E.S._Jones_and_staff_at_Governor's_Is_._._._-_NARA_-_533501.tif|thumb|275x275px|ガバナーズ島の陸軍大隊。1918年]]
1880年代後半から1890年代にかけて陸軍はこの島の拡張計画に着手した。米国陸軍長官の[[エリフ・ルート]]が、この島が大隊を丸ごと収容するのに十分な広さになるよう、島の拡張を計画した<ref name="Novak p. 772" /><ref name=":6">{{cite news|url=https://bklyn.newspapers.com/image/50395481/|title=Proposed Enlargement of Governors Island|date=January 6, 1901|work=Brooklyn Daily Eagle|accessdate=October 4, 2018|page=6|via=Brooklyn Public Library; newspapers.com {{open access}}}}</ref>。[[ニューヨーク市地下鉄]]の最初の路線から発掘された材料を使用し、[[アメリカ陸軍工兵隊|陸軍工兵隊]]が366万m<sup>3</sup>の盛土を追加してガバナーズ島を南に拡張した<ref name="Novak p. 772" /><ref name="Hansen Pearson p. 5">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=5 (PDF p. 10)}}</ref><ref>{{cite web | last=Chan | first=Sewell | title=An Elusive Island of Good Intentions | website=City Room | date=August 10, 2016 | url=//cityroom.blogs.nytimes.com/2008/04/16/an-elusive-island-of-good-intentions/ | access-date=May 15, 2019}}</ref><ref name=":6" />。作業の大部分は1909-1910年までに完了し<ref name="Novak p. 78">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=78}}</ref><ref name=":5">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1910/05/15/archives/transformation-of-governors-island-picturesque-army-reservation.html|title=Transformation of Governors Island; Picturesque Army Reservation Doubled in Size.|date=May 15, 1910|work=The New York Times|access-date=May 23, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>、1913年1月までに完工が宣言された<ref name="USCG pp. 22-23" />。同事業が終了した際、島は103エーカー拡張されて総面積172エーカー(0.70km<sup>2</sup>)になった<ref name="USCG pp. 22-23" /><ref name="gov-history">{{cite web|url=https://govisland.com/history|title=Governors Island History|work=Governors Island|accessdate=May 31, 2019}}</ref><ref name="Boggs p. 16">{{harvnb|ps=.|Boggs|1950|p=16}}</ref>。

またルート長官は、[[ボザール様式]]の建築家[[チャールズ・フォレン・マッキム]]の力を借りて、ガバナーズ島にあるほぼ全ての建造物を再設計するなど島の地形計画を作成した<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1902/04/16/archives/governors-island-plans-scheme-for-improvement-of-the-topography.html|title=Governors Island Plans; Scheme for Improvement of the Topography Agreed Upon.|date=April 16, 1902|work=The New York Times|access-date=May 23, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref><ref name="Novak p. 78" />。マッキムは1902年と1907年に、古い建物を全て解体して建物を対称的に配置していく計画を提示したが<ref name=":5" /><ref name="Novak p. 78" />、これらの計画は一切実行されなかった<ref name="Novak p. 78" />。さらにルートは1904年に、コロンバス砦の名称を昔のジェイ砦に戻した<ref name="Hansen Pearson p. 3" /><ref name="Boggs pp. 10-11" />。1907年に昔の礼拝堂が聖コルネリウス・センチュリオン礼拝堂に改築された<ref name="Hansen Pearson p. 4">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=4 (PDF p. 9)}}</ref><ref name="Smith p. 78">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|p=78}}</ref><ref name="USCG pp. 22-23" />。

新たに造成されたガバナーズ島の南部は当初、滑走路として使用されていた。1909年10月の世界初となる水上飛行で、[[ウィルバー・ライト]]はガバナーズ島からマンハッタンの西側を飛行してそれから島へと戻ってきた<ref name="NRHI Nomination Form p. 36" /><ref name="Novak p. 78" /><ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1909/10/05/archives/wright-flies-twenty-miles-up-the-hudson-over-the-warships-as-far-as.html|title=Wright Flies Twenty Miles; Up the Hudson, Over the Warships as Far as Grant's Tomb, and Back to Governors Island|date=October 5, 1909|work=The New York Times|access-date=May 23, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。翌年、[[グレン・カーチス]]はこの島に着陸することで[[オールバニ (ニューヨーク州)]]からニューヨーク市への飛行を成し遂げた<ref name="NRHI Nomination Form p. 36" /><ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1910/06/14/archives/the-flights-end-in-semidarkness-cheers-rend-the-air-as-the-avi-ator.html|title=The Flight's End In Semi-Darkness; Cheers Rend the Air as the Aviator Drops Gracefully Down on Governors Island.|date=June 14, 1910|work=The New York Times|access-date=May 23, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。1916年から1917年までは航空訓練センターも運営されていた<ref name="USCG p. 24">{{harvnb|ps=.|United States Coast Guard|1973|p=24}}</ref>。これらの飛行士に敬意を表して、1954年に初期航空士{{enlink|Early Birds of Aviation}}の記念碑がリゲット・ホールに捧げられた<ref name="USCG p. 24" /><ref name="GI-ES p. 253">{{harvnb|ps=.|Governors Island EIS|1998|p=253}}</ref>。

島の拡張がされたとはいえ直後は殆ど発展しなかったが<ref name="Novak p. 78" />
、第一次世界大戦中に重要な建設が行われた<ref name="NRHI Nomination Form p. 36" /><ref name="Boggs p. 16" /><ref name="Novak p. 79">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=79}}</ref>。アメリカ議会がドイツに宣戦布告した数分後にガバナーズ島の部隊がニューヨーク港でドイツ船を拿捕したことで、この島は一次大戦における最初(1917年4月6日)の明白な米国軍事行動の場所として言及されることがある<ref name="Boggs p. 16" /><ref name="Fitzpatrick 2017 p.">{{cite book|url=https://books.google.com/books?id=esctDwAAQBAJ|title=World War I New York: A Guide to the City's Enduring Ties to The Great War|last=Fitzpatrick|first=K.C.|publisher=Globe Pequot Press|year=2017|isbn=978-1-4930-2804-7|pages=2-3|accessdate=May 23, 2019}}</ref>。

兵舎、テント、仮設の木造建築物が当初の島の北部に建設され、新しい南部区画には倉庫やその他補給施設が収容され、合計7,500万ドル相当の資材が保管された<ref name="NRHI Nomination Form p. 36" /><ref name="Boggs p. 16" /><ref name="Novak p. 79" />。建造物は全て、多数の入換え用引込線で構成される13kmのガバナーズ島鉄道で接続されていた<ref name="NRHI Nomination Form p. 36" /><ref name="Boggs p. 16" /><ref name="Novak p. 80">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=80}}</ref>。同鉄道は1.5マイル(2.4 km)に縮小され、1931年に解体されるまで「世界で最も短い鉄道」と呼ばれていた<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1931/02/12/archives/worlds-shortest-railroad-ordered-scrapped-built-on-governors-island.html|title=World's Shortest Railroad Ordered Scrapped; Built on Governors Island During the War|date=February 12, 1931|work=The New York Times|access-date=May 23, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>{{Refnest|group="注釈"|同鉄道は、あくまで最も短いと「呼ばれていただけ」に過ぎない。既に1901年に米[[ロサンゼルス]]で開業していたエンジェルス・フライト{{enlink|Angels Flight}}が、営業距離91mで世界一短い鉄道(ケーブル鉄道)である<ref>[[テレビ朝日]]ニュース「[https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000109044.html 世界で最も短い鉄道が4年ぶり復活 全長91メートル]」、2017年9月1日。</ref>
。}}。<!--ただし列車の車体は2010年代まで島に埋められたままだった<ref>{{cite web|url=https://www.dnainfo.com/new-york/20140619/governors-island/mysterious-railroad-relic-unearthed-on-governors-island|title=Mysterious Railroad Relic Unearthed on Governors Island|last=Plagianos|first=Irene|date=June 19, 2014|website=DNAinfo New York|access-date=May 23, 2019|archive-url=https://web.archive.org/web/20190523213243/https://www.dnainfo.com/new-york/20140619/governors-island/mysterious-railroad-relic-unearthed-on-governors-island/|archive-date=May 23, 2019|url-status=dead}}</ref>。-->

==== 20世紀半ば====
[[File:Liggett Hall jeh.JPG|thumb|right|275px|1928年建造のリゲット・ホール{{enlink|Liggett Hall}}と呼ばれる旧兵舎(建物400)]]
第一次世界大戦末期の1920年、陸軍は内部組織を再編成してガバナーズ島が[[第2軍団]]の本部地域となった<ref name="Boggs p. 17">{{harvnb|ps=.|Boggs|1950|p=17}}</ref>。終戦直後に建造された建物は殆ど無く、陸軍は既存の建物を維持してこの島を軍事刑務所として利用し続けた<ref name="Novak p. 103">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=103}}</ref>。木製の兵舎建築の幾つかは急速に劣化し、議会使節団からの苦情が出るようになった<ref name="Novak p. 104">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=104}}</ref>。1926年、陸軍兵士の子供を対象とした学校がガバナーズ島で開校した<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1926/11/18/archives/school-for-soldiers-children-opens-on-governors-island.html|title=School for Soldiers' Children Opens on Governors Island|date=November 18, 1926|work=The New York Times|access-date=May 23, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。

1927年、[[ハンソン・エドワード・エリー]]少将は、主にジョージアン復興様式{{enlink|Georgian revival}}の建造物をガバナーズ島に建設する主要計画に着手した<ref name="Hansen Pearson p. 5" />。新たな建造物には、映画館、[[キリスト教青年会]](YMCA)、「将校クラブ」{{Refnest|group="注釈"|将校およびその家族同士が親睦、互助を深めるための社交場のこと。日本の例だと「[[偕行社]]」などが将校クラブに相当する。}}、公立学校などがあった<ref name="Hansen Pearson p. 5" /><ref name="Governors Island National Monument (U.S. National Park Service) 2015" />。3階建てのリゲットホール(建物400)は、元々あった島のほぼ全幅にわたる軍の兵舎で第一次世界大戦前の倉庫敷地に建てられたもので、1928年の竣工当時は世界最大の兵舎の1つとされた<ref name="Novak p. 104" /><ref name="Hansen Pearson p. 5" /><ref name=":3" />。

その後、陸軍は[[マッキム・ミード&ホワイト]](当時アメリカで屈指の建築設計事務所。[[ボザール様式]]を推進した)を雇い、リゲット・ホールの近くに「兵舎地区」を造成した<ref name="Novak pp. 107-1082">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|pp=107-108}}</ref>。1930年代、[[公共事業促進局]](WPA)が島の大部分の景観造園を行うと共に多くの既存建物を補強し、その過程で最大5,000人の労働者を雇用した<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1936/01/11/archives/governors-island-to-be-renovated-1-000000-wpa-appropriation-also.html|title=Governors Island to be Renovated; $1 000,000 WPA Appropriation Also Will Be Used to Repair Other Posts in This Area|date=January 11, 1936|work=The New York Times|access-date=May 23, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form p. 37">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|p=37}}</ref><ref name="Novak p. 107">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=107}}</ref>。WPAの事業には将校邸宅の修復<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1938/08/07/archives/army-landmark-restored-by-wpa-residence-of-commanders-on-governors.html|title=Army Landmark Restored by WPA; Residence of Commanders on Governors Island Was Built 100 Years Ago|date=August 7, 1938|work=The New York Times|access-date=May 23, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>や外来種[[マメコガネ]](ジャパニーズ・ビートル)の撲滅などもあった<ref name="Novak p. 107" /><ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1938/05/01/archives/wpa-assists-army-in-war-on-beetles-workers-bring-450gallon-spray-to.html|title=WPA Assists Army in War on Beetles; Workers Bring 450-Gallon Spray to Offensive Waged on Governors Island|date=May 1, 1938|work=The New York Times|access-date=May 23, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。また陸軍は徐々にガバナーズ島の道路を再舗装して、近代的な車両を導入することに成功し、車庫を建設した<ref name="Novak p. 105">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=105}}</ref>。

[[File:Governors Island - New York City (4889320957).jpg|left|thumb|275x275px|陸軍のYMCA]]
20世紀半ばのガバナーズ島では陸軍のコミュニティが発展した<ref name="Governors Island National Monument (U.S. National Park Service) 2015" /><ref name="Novak p. 106">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=106}}</ref>。島には映画館、YMCA、「将校クラブ」に加えて3つの礼拝堂があった<ref name="Governors Island National Monument (U.S. National Park Service) 2015" />。娯楽も普及し、一般的なスポーツの1つが[[ポロ]]で、これは島への往来が馬だった19世紀の名残りである。1920年、島の練兵場にポロ競技場が設立された<ref name="Novak p. 106" />。[[ゴルフ]]場はジェイ砦付近に1903年に造成されていたが<ref>{{cite book|url=https://books.google.com/?id=jyhV9qS1lPUC&pg=PA60&lpg=PA60&dq=governors+island+golf+course+1903#v=onepage&q=governors%20island%20golf%20course%201903&f=false|title=Governors Island|last1=Glen|first1=Susan L.|date=2006|publisher=Arcadia Pub|isbn=0-7385-3895-7|location=Charleston, SC|page=60|accessdate=February 13, 2019}}</ref>、ガバナーズ島ゴルフコースと呼ばれる新たなポロ&ゴルフ場が1925-1926年頃に建設された<ref name="Novak p. 106" />。この施設はジェイ砦の敷地内にあり<ref name=":21">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1925/07/05/archives/fort-jay-golf-offers-weird-hazards-governors-island-links-a-fretful.html|title=Fort Jay Golf Offers Weird Hazards; Governors Island Links a Fretful Maze of Moats, Windows, Canteens and Other Distracting Visions|last=Livingston|first=Robert E.|date=July 5, 1925|work=The New York Times|access-date=May 23, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>、狭い空間に囲まれた性質から「世界で最も曲がった」ゴルフコースと呼ばれることもあった<ref>{{cite web|url=https://thestrawfoot.com/2014/08/22/the-worlds-crookedest-golf-course/|title=The world's crookedest golf course|last1=Muchowski|first1=Keith|date=August 14, 2014|website=The Strawfoot|accessdate=February 12, 2019}}</ref>。ガバナーズ島にはテニスコートや水泳プールもあった。娯楽地区の様々な施設は一般的に軍の階級に従って配置された<ref name="Novak pp. 107-108">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=108}}</ref>。1942年に[[ローマカトリック]]の教会が建設され1959年に[[シナゴーグ]]が建てられたことで、礼拝所の数が増加した<ref name="USCG pp. 22-23" />。

[[第二次世界大戦]]はまた異なる階級社会変化をガバナーズ島にもたらし、結果的に島は軍事遂行本部へと変わっていった<ref name="Novak pp. 107-108" />。1939年、この島が[[第1軍 (アメリカ軍)]]本部となり、その2年後には東部防衛司令部{{enlink|Eastern Defense Command}}も設立された<ref name="Boggs p. 17" /><ref name="Novak pp. 107-108" />。併せて72の仮設建造物がこの島に建てられた<ref name="Novak pp. 107-108" />。1941年、ガバナーズ島は米陸軍の募兵センターとなり<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1941/06/01/archives/induction-center-for-300-selectees-daily-will-open-on-governors.html|title=Induction Center for 300 Selectees Daily Will Open on Governors Island Tomorrow|date=June 1, 1941|work=The New York Times|access-date=May 23, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>、1942年までに日々1,500人の新兵手続きを行っていた。1942年10月、募兵局は[[グランドセントラル駅]]近くの建物{{enlink|Grand Central Palace}}に移動した<ref name=":11">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1942/10/13/archives/first-drafted-men-go-to-new-center-grand-central-palace-taken-over.html|title=First Drafted Men Go to New Center; Grand Central Palace, Taken Over by the Army Recently, Handles 3,000 in Day|date=October 13, 1942|work=The New York Times|access-date=December 28, 2018|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref><ref name=":12">[https://books.google.com/books?id=JEAEAAAAMBAJ&pg=PA51#v=onepage&q&f=false "Army opens biggest induction center in U.S.,"] ''Life'', '''13''' (20) : 51, 52, 54, 56, and 58 (November 16, 1942).</ref>。1945年の[[第二次世界大戦]]終戦後も、ガバナーズ島は引き続き米国第1軍の本部であり、実質的な変更は殆ど無かった。島の南西隅にある建物が幾つか解体され、駐車場への道を作るために管理事務所が解体されたが、造成のレイアウト全体は比較的手付かずのまま残された<ref name="Novak p. 109">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=109}}</ref>。

==== インフラ整備 ====
[[File:Governors Island New York September 2016 001.jpg|thumb|275x275px|ガバナーズ島沖の[[ブルックリン-バッテリートンネル]]換気塔]]
1930年にフロイドベネット飛行場{{enlink|Floyd Bennett Field}}がブルックリンに建設される以前、この島は市営空港の場所と見なされていた。 1927年、米国の代議士で後のニューヨーク市長[[フィオレロ・ラガーディア]]はフロイドベネット飛行場の候補地よりもマンハッタンに近いことから、ガバナーズ島に商業空港を置くことを提唱した<ref>{{cite web|url=https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1927/08/07/95016757.pdf|title=A Governors Island Airport Again is Urged - Representative LaGuardia Calls This Harbor Site Just Off the Battery the Logical Place for the Commercial Flying Station That New York Seeks|last=LaGuardia|first=Fiorello|date=August 7, 1927|work=[[The New York Times]]|language=en-US|issn=0362-4331|access-date=December 20, 2017}}</ref>。ガバナーズ島空港造成をめぐる法案は米国下院の票決で却下された<ref>{{cite web|url=https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1927/12/09/96683364.pdf|title=Acts on Governors Island - House Defeats LaGuardia - Cohen Motion Looking to Airport There|date=December 9, 1927|work=[[The New York Times]]|language=en-US|issn=0362-4331|access-date=December 20, 2017}}</ref>。この島はまた、第二次世界大戦後しばらくの間1960年代までガバナーズ島陸軍飛行場を運営していた<ref>{{cite web|url=http://www.airfields-freeman.com/NY/Airfields_NY_NY_Brooklyn.htm|title=Abandoned & Little-Known Airfields: New York City, Brooklyn|date=February 26, 2005|website=[[Abandoned & Little-Known Airfields]]|access-date=May 23, 2019}}</ref>。

1940年、島の北東隅の海底を通過する[[ブルックリン-バッテリートンネル]]の工事が始まった<ref>{{Cite news|url=https://bklyn.newspapers.com/image/53596361/|title=FDR Launches Boro Tunnel in Campaign Swing of City|date=October 28, 1940|work=[[Brooklyn Daily Eagle]]|access-date=March 21, 2018|pages=1, 3|language=en|via=[[Newspapers.com]]}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1940/10/29/archives/president-breaks-ground-for-tunnel-invited-by-mayor-to-return-to.html|title=President Breaks Ground For Tunnel; Invited by Mayor to Return to the City in His 'Official Capacity' in 1944|date=October 29, 1940|work=The New York Times|access-date=March 21, 2018|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。マッキム・ミード&ホワイトによって設計された換気用の建物<ref>{{Cite news |url=https://www.nytimes.com/1941/09/15/archives/awards-are-made-by-tunnel-board-mckim-mead-white-win-first-prize-of.html |title=Awards Are Made By Tunnel Board; McKim, Mead & White Win First Prize of $2,000 for Design for Ventilating Building |date=September 15, 1941 |work=The New York Times |access-date=March 21, 2018 |language=en-US |issn=0362-4331 }}</ref>は[[土手道]]で島と繋がっている<ref>{{cite web |url=http://www.mta.info/news/2014/02/07/governor%E2%80%99s-island-vent-building-architectural-gem |title=news ? Governor's Island Vent Building: An Architectural Gem |date=February 7, 2014 |website=MTA |access-date=March 22, 2018 }}</ref><ref name="GI-ES pp. 247-248" />。当初はトライボロー橋・トンネル当局{{enlink|Triborough Bridge and Tunnel Authority}}の会長[[ロバート・モーゼス]]が港に架ける橋を提案したものの<ref>{{Cite news |url=https://www.nytimes.com/1939/01/23/archives/bridge-at-battery-proposed-by-moses-tandem-spans-to-brooklyn-can-be.html |title=Bridge At Battery Proposed By Moses; Tandem Spans to Brooklyn Can Be Built for Half the Cost of Tunnel, He Finds |date=1939-01-23 |work=The New York Times |access-date=March 20, 2018 |language=en-US |issn=0362-4331 }}</ref>、[[アメリカ合衆国旧陸軍省|陸軍省]]が川の上流にある[[ブルックリン海軍工廠]]への航行に支障を来たしかねないと指摘してこの計画を却下した<ref>{{Cite news |url=https://www.nytimes.com/1939/07/18/archives/battery-bridge-rejected-by-woodring-as-war-peril-mayor-revives-tube.html |title=Battery Bridge Rejected By Woodring As War Peril |date=July 18, 1939 |work=The New York Times |access-date=March 20, 2018 |language=en-US |issn=0362-4331 }}</ref><ref>{{Cite news |url=https://bklyn.newspapers.com/image/52635758/ |title=Battle for New Boro-Battery Traffic Link |date=July 18, 1939 |work=[[Brooklyn Daily Eagle]] |access-date=March 19, 2018 |pages=1, 4 |language=en |via=[[Newspapers.com]] }}</ref>。その後のガバナーズ島から橋までの斜道を建設する計画も拒否された<ref>{{Cite news |url=https://www.nytimes.com/1939/11/01/archives/roosevelt-rejects-battery-bridge-plan-but-mayor-says-he-will-never.html |title=Roosevelt Rejects Battery Bridge Plan, But Mayor Says He Will Never Give It Up |date=November 1, 1939 |work=The New York Times |access-date=March 20, 2018 |language=en-US |issn=0362-4331 }}</ref><ref>{{Cite enc-nyc2|page=869}}</ref>。ブルックリン-バッテリートンネルは、島に至る物理的接続のないまま1950年に開通した<ref>{{cite news |url=https://www.nytimes.com/1950/05/26/archives/brooklyn-tunnel-costing-80000000-opened-by-mayor-marking-opening-of.html |title=Brooklyn Tunnel Costing $80,000,000 Opened By Mayor |last=Ingraham |first=Joseph C. |date=May 26, 1950 |newspaper=The New York Times |accessdate=March 6, 2010 }}</ref><ref>{{Cite news |url=https://bklyn.newspapers.com/image/53869494/ |title=Boro-Battery Tube Opens |date=February 23, 1949 |work=[[Brooklyn Daily Eagle]] |access-date=March 22, 2018 |pages=1, 5 |language=en |via=[[Newspapers.com]] }}</ref>。

==== 廃止 ====
1963年、[[アメリカ合衆国国防長官|国防長官]]の[[ロバート・マクナマラ]]は、費用を節約するために余剰の軍事施設とりわけ海軍造船所の閉鎖実現可能性を調査し始めた。1964年5月に国防総省は、ジェイ砦、ブルックリン海軍工廠、ブルックリン陸軍倉庫{{enlink|Brooklyn Army Terminal}}の閉鎖を検討していると発表した<ref>{{cite news|url=https://www.nytimes.com/1964/05/16/archives/brooklyn-moves-to-save-terminal-drafts-new-arguments-to-keep-big.html|title=Brooklyn Moves to Save Terminal ? Drafts New Arguments to Keep Big Army Base|date=May 16, 1964|work=The New York Times|access-date=August 28, 2018}}</ref><ref name="Governors Island National Monument (U.S. National Park Service) 2015" />。3施設での従業員の抗議にもかかわらず、11月にマクナマラはジェイ砦が閉鎖される100近くの軍事施設の1つになると発表した<ref name="NYTimes-BNYCloses-1964">{{cite news|url=https://www.nytimes.com/1964/11/20/archives/brooklyn-navy-yard-will-close-sweeping-cutbacks-also-include-ft-jay.html|title=Brooklyn Navy Yard Will Close; Sweeping Cutbacks Also Include Ft. Jay and Army Terminal Here; 33 States Listed - 63,000 Will Lose Jobs at 80 Bases in U.S. - Boston Spared|last=Raymond|first=Jack|date=November 20, 1964|work=The New York Times|access-date=August 28, 2018|page=1}}</ref><ref>{{cite news|url=http://fultonhistory.com/highlighter/highlight-for-xml?altUrl=http%3A%2F%2Ffultonhistory.com%2FNewspaper%252024%2FNew%2520York%2520NY%2520The%2520World%2520Telegram%2520and%2520Sun%2FNew%2520York%2520NY%2520The%2520World%2520Telegram%2520and%2520Sun%25201964%2FNew%2520York%2520NY%2520The%2520World%2520Telegram%2520and%2520Sun%25201964%2520b%2520-%25203196.pdf|title=U.S. to Close Navy Yard; $1 Billion Loss Seen Here|last=Knap|first=Ted|date=November 19, 1964|work=New York World-Telegram|access-date=August 20, 2018|pages=1|via=Fultonhistory.com}}</ref><ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/24647114/scuttle_brooklyn_navy_yard/|title=Scuttle Brooklyn Navy Yard|date=November 20, 1964|work=New York Daily News|access-date=October 18, 2018|page=95|via=Newspapers.com}}</ref>。1965年2月、[[アメリカ沿岸警備隊]]は施設をニューヨーク市内に統合するためジェイ砦に移転する許可を求めたと発表した。 沿岸警備隊はこの島を、学校など多くの施設を統合する契機になり、またこの地域や大西洋への活動拠点になると見ていた<ref>{{cite web|url=https://www.nytimes.com/1965/02/18/archives/coast-guard-asks-for-fort-jay-site-consolidation-of-facilities-in.html|title=Coast Guard Asks For Fort Jay Site; Consolidation of Facilities in City Area Is Planned for Governors Island|last=Kihss|first=Peter|date=February 18, 1965|website=The New York Times|access-date=May 15, 2019}}</ref>。

=== 沿岸警備隊の活動===
[[File:Governors Island.jpg|thumb|350px|沿岸警備隊のガバナーズ島活用を表した地図。1995年]]
1965年12月31日、陸軍基地が正式に廃止されて同施設は沿岸警備隊の基地となった<ref>{{cite web|url=https://www.nytimes.com/1966/01/01/archives/a-15gun-salute-signals-the-armys-departure-from-governors-island.html|title=A 15-Gun Salute Signals the Army's Departure From Governors Island|last=Johnston|first=Richard J.h.|date=January 1, 1966|website=The New York Times|access-date=May 15, 2019}}</ref><ref name="Governors Island National Monument (U.S. National Park Service) 2015" />。その当時、島の南端にある第二次世界大戦時代の建物はまだ大部分が残っていた<ref name="Novak p. 1452">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=145}}</ref>。沿岸警備隊はガバナーズ島でその活動統合を図り、この島を沿岸警備隊で最大の施設にした<ref name="Novak p. 1452" />。この島は大西洋地域司令部および同地域の第三管区司令部のための活動拠点として使用されていた<ref name="Hansen Pearson p. 20">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=20 (PDF p. 25)}}</ref>。1985年までに、島の人口は4,000人(家族は1,000世帯)になった<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1985/03/29/nyregion/the-talk-of-governors-island-the-coast-guard-s-hideaway-in-the-harbor.html|title=The Talk of Governors Island; the Coast Guard's Hideaway in the Harbor|last=Joyce|first=Fay S.|date=March 29, 1985|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。そのほか[[ハミルトン級カッター#同型艦|ギャラティン、モーゲンソー、ダラス]]<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1977/12/07/archives/coast-guard-boasts-of-its-recruits-theyre-able-seaworthy-fern-ale.html|title=Coast Guard Boasts of Its Recruits: They're Able, Seaworthy, Fern ale|last=Breasted|first=Mary|date=December 7, 1977|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref><ref name=":8">{{Cite web|url=https://governorsislandguide.com/?p=743|title=50th Anniversary of Coast Guard Change in Ownership|date=June 30, 2016|website=Governors Island|language=en-US|access-date=May 24, 2019}}</ref>といった米国沿岸警備隊[[カッター_(船)#監視艇としてのカッター|巡視船]]の母港でもあった<ref name=":7">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1972/01/02/archives/best-of-two-worlds-on-governors-island.html|title=Best of Two Worlds On Governors Island|last=Johnston|first=Laurie|date=January 2, 1972|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。

沿岸警備隊は島の活動を7部門に分け<ref name="USCG pp. 30-31">{{harvnb|ps=.|United States Coast Guard|1973|pp=30-31}}</ref>、ボート[[マリーナ]]や世界初の捜索救助訓練学校の追加など様々な改善に着手した<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1966/02/27/archives/marina-planned-by-coast-guard-service-maps-projects-in-its-shift-to.html|title=Marina Planned By Coast Guard; Service Maps Projects in Its Shift to Governors Island|last=Bamberger|first=Werner|date=February 27, 1966|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1966/10/16/archives/transport-news-rescue-training-coast-guard-opens-school-on.html|title=Transport News: Rescue Training; Coast Guard Opens School on Governors Island|date=October 16, 1966|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。1972年までに、沿岸警備隊はガバナーズ島の南部に幾つかのアパート区画を開設しており<ref name=":7" />、その場所にあった第二次世界大戦時の仮設建造物に取って代わった。立て続く開発期間中も島の中心にあるゴルフコースと空き地は保存された<ref name="Novak p. 146">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=146}}</ref>。リゲット・ホールは教室に改装され、他の歴史的建造物は保存および修復された<ref name=":8" />。沿岸警備隊員のコミュニティが島で発展するようになり、消防署や警察署、銀行、店舗、教会、小学校、映画館、モーテル、さらにはボーリング場や[[バーガーキング]]までもやって来た<ref name=":9">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1995/10/18/nyregion/on-an-oasis-in-new-york-harbor-a-bittersweet-salute.html|title=On an Oasis in New York Harbor, a Bittersweet Salute|last=Kennedy|first=Randy|date=October 18, 1995|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref><ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/31877679/|title=Island of tranquility in sea of unrest|last=Lewis|first=John|date=November 30, 1980|work=New York Daily News|access-date=October 4, 2018|page=654|via=newspapers.com {{open access}}}}</ref><ref name=":10">{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/31877900/|title=An island paradise no one wants|date=September 20, 1997|work=The Journal-News|access-date=May 24, 2019|location=White Plains, NY|page=23|via=newspapers.com {{open access}}}}</ref><!-- A weekly newspaper called the Governors Island Gazette also operated on the island. -->。

[[File:Photograph_of_President_Reagan_and_Vice-President_Bush_meeting_with_General_Secretary_Gorbachev_on_Governor's_Island..._-_NARA_-_198596.tif|alt=|thumb|333x333px|米大統領[[ロナルド・レーガン]]と次期大統領[[ジョージ・H・W・ブッシュ|ジョージ・ブッシュ]]がソ連の指導者[[ミハイル・ゴルバチョフ]]と会談した際の写真。1988年12月]]
この間、ガバナーズ島では注目すべき出来事が幾つか起こった。1986年のリバティ・ウィークエンド{{Refnest|group="注釈"|[[自由の女神像 (ニューヨーク)]]完成から100周年と、100周年を迎えるための修復作業完了を祝う、1986年7月3日-6日のことを指す。詳細は英語版[[:en:Liberty Weekend]]を参照。}}に、[[ロナルド・レーガン]]大統領は[[自由の女神像 (ニューヨーク)]]修復完了での彫像再点灯式典のためこの島を訪れた<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1986/07/05/nyregion/for-ronald-reagan-the-ceremonies-stir-pride-and-patriotism.html|title=For Ronald Reagan, the Ceremonies Stir Pride and Patriotism|last=Weinraub|first=Bernard|date=July 5, 1986|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1986-07-03-mn-882-story.html|title='Party of the Century' : Liberty Bash Unfolds in Superlative Fashion|date=July 3, 1986|work=Los Angeles Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0458-3035}}</ref>。1988年12月8日、レーガンと次期大統領[[ジョージ・H・W・ブッシュ|ジョージ・ブッシュ]]は、レーガン最後の[[米ソ首脳会談]]でソ連の指導者[[ミハイル・ゴルバチョフ]]とこの島で会談した<ref>{{Cite web|url=https://nsarchive.gwu.edu/briefing-book/russia-programs/2018-12-07/reagan-gorbachev-bush-governors-island|title=Reagan, Gorbachev and Bush at Governors Island {{!}} National Security Archive|website=nsarchive.gwu.edu|access-date=May 24, 2019}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.washingtonpost.com/archive/politics/1988/12/08/good-feeling-all-around-at-gorbachev-reagan-bush-luncheon/9af1bbef-9f77-4f35-b244-5958c038765f/|title=Good Feeling All Around At Gorbachev-Reagan-Bush Luncheon|last=Cannon|first=Lou|last2=Oberdorfer|first2=Don|date=December 8, 1988|website=Washington Post|access-date=May 25, 2019}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.upi.com/Archives/1988/12/04/Governors-Island-tight-little-island-for-Reagan-Gorbachev-meeting/7916597214800/|title=Governors Island: tight little island for Reagan-Gorbachev meeting|date=December 4, 1988|website=UPI|language=en|access-date=May 24, 2019}}</ref>。1993年7月、南側砲台(サウス・バッテリー)にて国連は[[ハイチ]]政治指導者間の討議を開催し、そこでガバナーズ島合意が署名されるに至った<ref>{{cite web |url=http://carl.army.mil/resources/csi/kretchik/appendixd.asp |title=Governors Island Accord |accessdate=January 20, 2010 |date=July 3, 1993 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110722182231/http://carl.army.mil/resources/csi/kretchik/appendixd.asp |archive-date=July 22, 2011 |url-status=dead }}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1993-07-04-mn-9957-story.html|title=Haiti Rivals Sign Pact to Restore Aristide to Power : Caribbean: Under intense international pressure, hesitant president joins army chief in approving U.N. accord. Deal would return the ousted leader by Oct. 30.|date=July 4, 1993|work=Los Angeles Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0458-3035}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.washingtonpost.com/archive/politics/1993/07/04/aristide-officer-sign-haiti-pact/b5f988f3-3855-4bb6-a39f-4e34f4805a7d/|title=Aristide, Officer Sign Haiti Pact|last=Preston|first=Julia|date=July 4, 1993|website=Washington Post|access-date=May 25, 2019}}</ref>。沿岸警備隊の時代には2つのランドマーク指定も行われた。1985年2月4日、ガバナーズ島の92エーカー(37ha)部分が[[アメリカ合衆国国定歴史建造物]]に指定された<ref name="nrhpinv">{{cite web|url={{NHLS url|id=85002435}}|title=Governors Island: National Register of Historic Places Inventory-Nomination|author1=Hightower, Barbara|author2=Higgins, Blanche|year=1983|publisher=National Park Service|lastauthoramp=yes|accessdate=2020-05-09}}</ref><ref name="nrhpphotos">{{cite web|url={{NHLS url|id=85002435|photos=y}}|title=National Register of Historic Places Inventory: Governors Island-Accompanying 76 photos, from 1982|year=1983|publisher=National Park Service|accessdate=2020-05-09}}</ref>。1996年6月18日、[[ニューヨーク市歴史建造物保存委員会]]はガバナーズ島歴史地区を制定した<ref name="NYTimes-NYCL-1996">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1996/06/19/nyregion/governors-island-historic-district-created.html|title=Governors Island Historic District Created|last=Stout|first=David|date=June 19, 1996|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。

沿岸警備隊の母体である[[アメリカ合衆国運輸省|米国運輸省]]は1995年にガバナーズ島の閉鎖基地を決定した。この移転は年間1億ドルを節約する一連の沿岸警備隊基地閉鎖の一部だった<ref>{{Cite news|url=https://www.washingtonpost.com/archive/politics/1995/10/18/coast-guard-plans-to-cut-1400-jobs/63da2dab-2c99-4fba-98c1-d89d1d17c91b/|title=Coast Guard Plans To Cut 1,400 Jobs|date=October 18, 1995|work=Washington Post|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0190-8286}}</ref><ref name=":9" />。ガバナーズ島だけでも維持費が年間6,000万ドルになっていたのである<ref name=":10" />。1996年までに、沿岸警備隊は全ての機能と職員住居を事務所および基地に再移設したが、将来が決定するまでの期間に[[共通役務庁]]{{enlink|General Services Administration }}と共同で島を維持する管理人は個別で残した<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1995/11/12/realestate/islands-lapped-by-tides-of-change.html|title=Islands Lapped by Tides of Change|last=Dunlap|first=David W.|date=November 12, 1995|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。

他の連邦機関はこの島を管理したがらなかった<ref name=":10" />。1995年、基地の閉鎖を発表した[[ビル・クリントン]]大統領は、[[ルドルフ・ジュリアーニ]]市長と[[ジョージ・パタキ]]知事が公共活用のために島を保全することに同意できるのなら、1ドルでこの島を譲渡すると提案した<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1997/03/27/nyregion/clinton-offer-of-island-to-new-york-is-stalled.html|title=Clinton Offer of Island to New York Is Stalled|last=Lueck|first=Thomas J.|date=March 27, 1997|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。当初ニューヨーク市はクリントンの提案受け入れには消極的だった、というのも同市にとってそれは経済的に有益ではなかったからである<ref>{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/31878913/|title=Govs Isle no bargain, city sez|last=Allen|first=Michael O.|date=June 14, 1998|work=New York Daily News|access-date=May 24, 2019|page=34|via=newspapers.com {{open access}}}}</ref>。

共通役務庁が2002年までにこの島を公正な市場価格で販売することを規定した1997年の均衡予算法{{enlink|Balanced Budget Act of 1997}}が可決された時、この問題はさらに深刻になった<ref>{{Cite web|url=https://www.congress.gov/bill/105th-congress/house-bill/2015|title=H.R.2015 - 105th Congress (1997-1998): Balanced Budget Act of 1997|last=Kasich|first=John R.|date=August 5, 1997|website=www.congress.gov|access-date=May 24, 2019}}</ref><ref name=":13">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2001/08/25/nyregion/as-deadline-draws-near-the-future-of-governors-island-remains-uncertain.html|title=As Deadline Draws Near, the Future of Governors Island Remains Uncertain|last=Stewart|first=Barbara|date=August 25, 2001|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。この島の売却で連邦政府に5億ドルが入ることも予想された<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1999/03/20/nyregion/looking-for-a-quick-500-million-from-governors-island.html|title=Looking for a Quick $500 Million From Governors Island|last=Dao|first=James|date=March 20, 1999|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。

===再開発===
==== 初期の提案====
沿岸警備隊基地閉鎖の発表とともに、当局と開発者が開発計画を提示し始めた<ref name=":14">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1999/06/13/nyregion/governors-island-attracts-various-development-ideas.html|title=Governors Island Attracts Various Development Ideas|last=Martin|first=Douglas|date=June 13, 1999|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。ジュリアーニ市長はガバナーズ島にカジノとホテルの建設を検討した<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1997/12/05/nyregion/governors-i-urged-as-site-for-a-casino.html|title=Governors I. Urged as Site For a Casino|last=Lueck|first=Thomas J.|date=December 5, 1997|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。他の計画には島を博物館として保存する、公共の公園に変える、[[自由港]]を創設する、教育キャンパス、刑務所、遊園地、ゴルフ場、ナイトクラブ地区までも建設することを伴うものもあった<ref name=":10" /><ref name=":14" /><ref name=":30">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2018/09/28/nyregion/is-this-the-end-of-governors-island.html|title=Is This the End of Governors Island?|last=Stapinski|first=Helene|date=September 28, 2018|work=The New York Times|access-date=May 30, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。1996年、ヴァン・アレン研究所{{enlink|Van Alen Institute}}は「パブリック・プロパティ」と呼ばれるアイデアコンペを主催し、200件超の応募を集めた<ref>{{Cite web|url=https://www.vanalen.org/projects/public-property-an-ideas-competition-for-governors-island/|title=Public Property: An Ideas Competition for Governors Island|website=Van Alen Institute|language=en-US|access-date=May 24, 2019}}</ref>。2000年、公共利用目的で島を維持することで市と州の間の合意に達した<ref name=":13" />。この間、連邦政府は年間2,000万ドルで島の維持を継続していた<ref name=":15">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2003/01/31/nyregion/white-house-to-hand-over-governors-island-to-new-york.html|title=White House to Hand Over Governors Island to New York|last=Pristin|first=Terry|date=January 31, 2003|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。

[[File:Governors Island aerial.jpg|thumb|left|275px|北東側を空撮。2009年]]
2001年1月19日、クリントン大統領はジェイ砦とウィリアムズ城を含む22エーカー(8.9ha)の地域をガバナーズ島国定史跡([[ナショナル・モニュメント]])に指定した。この史跡は[[アメリカ合衆国国立公園局]]によって管理されている<ref name="NYTimes-NMON-2001">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2001/01/21/nyregion/clinton-with-time-running-out-protects-part-of-governors-island.html|title=Clinton, With Time Running Out, Protects Part of Governors Island|last=Hernandez|first=Raymond|date=January 21, 2001|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|last2=Stewart|first2=Barbara|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。その翌年、ガバナーズ島が公共財産になることが発表されたが、2002年のニューヨーク州知事選挙により島の移管が遅れた<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2002/10/31/nyregion/governors-island-transfer-to-new-york-is-delayed.html|title=Governors Island Transfer to New York Is Delayed|last=Pristin|first=Terry|date=October 31, 2002|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。2003年1月31日、島の残り部分150エーカーならびに水中陸地32エーカーが「ごく僅かな金額(1ドルとも報じられている)」で売却され、市と州の合同機関であるガバナーズ島保護教育公社(GIPEC)の管理下に置かれた<ref name=":15" /><ref name=":22">{{cite news|url=https://www.newspapers.com/clip/32043187/|title=New York Reclaims Governors Island|last=Barrett|first=Devlin|date=February 1, 2003|work=Associated Press|access-date=May 24, 2019|publisher=Star-Gazette|location=Elmira, NY|page=27|via=newspapers.com {{open access}}}}</ref>。この移譲には、島での恒久的居住やカジノを禁止する行為制限が含まれていた<ref name="wsj 20140819">{{cite web|url=https://www.wsj.com/articles/on-governors-island-many-visitors-but-few-tenants-1408498028|title=On Governors Island, Many Visitors but Few Tenants|date=August 19, 2014|work=[[The Wall Street Journal]]|accessdate=August 24, 2014}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2004/07/04/nyregion/l-governors-island-180475.html|title=Governors Island|date=July 4, 2004|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。この協定はまた、40エーカー(16ha)の土地を公園として使用し、他にも50エーカー(20ha)を「市民教育や文化教育」目的で使用しなければならないと規定していた<ref name=":22" />。実際、この活動制限がガバナーズ島における長期的開発の大半を妨げている<ref name=":30" />。

再開発の進捗は遅かったが、2006年初頭に知事ジョージ・パタキと市長マイケル・ブルームバーグがガバナーズ島を保護するためのアイデアコンペを開始した<ref name=":23">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2006/02/05/nyregion/sleeping-beauty.html|title=Sleeping Beauty|last=Caldwell|first=Mark|date=February 5, 2006|work=The New York Times|access-date=May 29, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。この時期に、国立公園局とGIPECはガバナーズ島の一部で修復を開始した<ref name="Novak p. 148">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=148}}</ref>。護岸修理や[[アスベスト]]除去など、島を公共用途に改造するための建設が主に必要とされた<ref name=":23" />。 2006年までに、GIPECは最初のテナント2つにリースを提供した<ref name="NYT3">{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2007/06/20/arts/design/20gove.html|title=Competing Visions for Governors Island|last=Ouroussoff|first=Nicolai|date=June 20, 2007|newspaper=The New York Times|accessdate=July 20, 2007|authorlink=Nicolai Ouroussoff}}</ref>。2005年に一般公衆が島への来訪を初めて許可され、その年に8千人の訪問者がやって来た<ref name=":30" /><ref name=":31">{{Cite web|url=https://www.politico.com/states/new-york/albany/story/2013/07/google-ceo-eric-schmidt-underwrites-hills-on-governors-island-008536|title=Google CEO Eric Schmidt underwrites hills on Governors Island|last=Rubinstein|first=Dana|website=Politico PRO|language=en|access-date=May 30, 2019}}</ref><ref name=":32">{{Cite web|url=https://www.nysun.com/arts/a-new-arts-scene-on-governors-island/78865/|title=A New Arts Scene on Governors Island|last=Taylor|first=Kate|date=May 29, 2008|website=The New York Sun|access-date=May 30, 2019}}</ref>。当初、ガバナーズ島は夏季の週末にだけ開放されていた。自転車とフェリーサービスは、来訪者を誘致するため無料になっていた<ref name=":30" />。美術展示は後に追加された<ref name=":32" />。

====再開発初期の取り組みと建設====
2007年半ばに、GIPECは5つの最終候補設計チーム(West 8、Diller Scofidio + Renfro、Rogers Marvel Architects、Quennell Rothschild&Partners、SMWM)を発表し<ref name="NYT3" /><ref name="NYT">{{cite news |url=https://www.nytimes.com/2007/12/20/arts/design/20gove.html |title=Park Plan is Chosen for Governors Island |author=Robin Pogrebin |work=New York Times |date=December 20, 2007 |accessdate=August 25, 2007}}</ref>、最終的にWest 8がコンテストで優勝した<ref name=":24">{{cite web |url=http://www.asla.org/2012awards/085.html |title=ASLA 2012 Professional Awards - Governors Island Park and Public Space Master Plan |work=asla.org |accessdate=June 26, 2015}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.architecturalrecord.com/articles/4132-west-8-wins-governors-island-competition?v=preview|title=West 8 Wins Governors Island Competition|website=www.architecturalrecord.com|language=en|access-date=May 29, 2019}}</ref><ref name="NYT2" />。この計画には、87エーカー(35ha)の空き地および島の南部にある歴史地区の復元と新たな公園造成が含まれていた<ref name="NYT2">{{cite news |last=Ouroussoff |first=Nicolai |authorlink=Nicolai Ouroussoff |title=A Landscape's Isolation Is Turned Into a Virtue |newspaper=The New York Times |date=December 20, 2007 |url=https://www.nytimes.com/2007/12/20/arts/design/20ouro.html |accessdate=May 20, 2009}}</ref>。人工の丘はWest 8による島の計画の一部で<ref>{{Cite news|url=https://www.dezeen.com/2016/07/01/west-8-creates-artificial-hills-on-governors-island-new-york-landscape-architecture/|title=West 8 creates artificial hills on New York's Governors Island|date=July 1, 2016|work=Dezeen|access-date=June 13, 2017|language=en-US}}</ref>、無料の自転車レンタルもあった<ref name="NYT2" /><ref name="NYT" /><ref>{{cite news |last=Shapiro |first=Julie |title=David Byrne hooks up Battery Building to an organ |work= |newspaper=Downtown Express |location=New York |date=May 22, 2008 |url=http://www.downtownexpress.com/de_263/davidbyrne.html |doi= |accessdate=January 23, 2009}}</ref>。この島は風が強かったため、West 8は一時避難所を提供できる地形を設計した<ref name="NYT" />。

計画の一部は実施されなかった。これらには[[サンティアゴ・カラトラバ]]設計の空中ゴンドラや<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2006/02/16/nyregion/big-ideas-for-governors-i-like-a-gondola-perhaps.html|title=Big Ideas for Governors I., Like a Gondola, Perhaps|last=Rutenberg|first=Jim|date=February 16, 2006|work=The New York Times|access-date=May 29, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref><ref name="NYT" />、埋め立てを活用してマンハッタンをガバナーズ島に物理接続するという[[コロンビア大学]]の都市不動産センター(CURE)による提案などがあった<ref>{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2011/11/23/realestate/commercial/visions-of-lolo-a-neighborhood-rising-from-landfill.html?ref=business|title=Visions of LoLo, a Neighborhood Rising from Landfill|last=Satow|first=Julie|date=November 22, 2011|newspaper=The New York Times|accessdate=November 23, 2011}}</ref>。2005年にウィリアムズ城をロンドンの[[グローブ座]]風の劇場に変える提案が建築家[[ノーマン・フォスター]]によって設計されたが、城のデザインに不適合と考えられた<ref>{{cite web|url=http://www.newglobe.org/|title=New Globe Theater|work=newglobe.org|accessdate=June 26, 2015}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2005/02/26/arts/design/for-shakespeare-a-home-thats-a-castle.html|title=For Shakespeare, a Home That's a Castle?|last=Pogrebin|first=Robin|date=February 26, 2005|work=The New York Times|access-date=May 24, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。さらに2008年には、[[リバティ島]]と[[エリス島]]の観光フェリーの警備および発券チェック場所を護岸からガバナーズ島に移し、毎年50万人の人々をガバナーズ島に追加するという計画もあったが実現しなかった<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2009/10/03/nyregion/03battery.html|title=Park Service Plans New Ferry Site for Statue Visitors|last=McGeehan|first=Patrick|date=October 2, 2009|work=The New York Times|access-date=June 8, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。

ガバナーズ島のテナント数は増加し始めたが、2014年時点では1,000に満たなかった<ref name="wsj 20140819" />。2009年、非営利団体<!--Added Value-->が運営する3エーカー(1.2ha)の商業有機農場が始まった<ref>{{cite news |author=Jennifer 8. Lee |url=http://cityroom.blogs.nytimes.com/2009/06/22/on-governors-ian-organic-farm-with-a-view/ |title=On Governors I., an Organic Farm With a View |newspaper=The New York Times |date=June 22, 2009 |accessdate=September 21, 2009}}</ref>。2010年、[[ブルックリン区#地区|ブッシュウィック (ブルックリン区)]]にあった高校{{enlink|New York Harbor School}}がガバナーズ島の建物550に移転した。また同年にロウアーマンハッタン文化評議会による運営の芸術スタジオがオープンして建物110の一部に収容された<ref>{{cite news |title=N.Y.U. Plans to Expand Campuses by 40 Percent |first=Robin |last=Pogrebin |authorlink=Robin Pogrebin |url=https://www.nytimes.com/2010/03/23/arts/design/23nyu.html |newspaper=The New York Times |date=March 22, 2010 |accessdate=April 12, 2010}}</ref>。

ガバナーズ島の古い建造物の解体は、2008年に遺棄されたモーテルの解体から始まった<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2008/10/11/nyregion/11island.html|title=Ushering In Open Space on Governors Island|last=Espinoza|first=Martin|date=October 10, 2008|work=The New York Times|access-date=May 30, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref><ref name=":18">{{Cite web|url=https://therealdeal.com/2008/06/18/governors-island-demolition-to-begin/|title=Governors Island demolition to begin|date=June 18, 2008|website=The Real Deal New York|language=en-US|access-date=May 31, 2019}}</ref>。2010年4月、市が島の開発を管理し、GIPECはガバナーズ島トラストに引き継がれた<ref name=":16" /><ref name="Novak p. 148" />。市はまたガバナーズ島の歴史的な北端地区を保護し、島の中央と南部を公園として開発し、西部と東部を民間開発のために確保する新たな開発のマスタープランを発表した<ref name=":16">{{cite news |title=Governors Island Vision Adds Hills and Hammocks |first=Nicolai |last=Ouroussoff |authorlink=Nicolai Ouroussoff |url=https://www.nytimes.com/2010/04/13/arts/design/13governor.html |newspaper=The New York Times |date=April 12, 2010 |accessdate=April 15, 2010}}</ref>。マイケル・ブルームバーグ市長の政権が建設の第一段階に資金供与した<ref name="parkplan">{{cite web|url=http://govisland.com/html/future/future.shtml|title=Governors Island|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150310212748/http://www.govisland.com/html/future/future.shtml|archivedate=March 10, 2015|url-status=dead|accessdate=June 26, 2015}}</ref>。2012年5月24日から2億6,000万ドルの公園造成が始まり<ref>{{Cite web|url=https://therealdeal.com/2012/05/24/groundbreaking-ceremony-held-today-for-260m-governors-island-renovation/|title=Groundbreaking ceremony held today for $260M Governors Island renovation|date=May 24, 2012|website=The Real Deal New York|language=en-US|access-date=May 30, 2019|last3=Phone: 212-260-1332|first3=NY 10001}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://cityroom.blogs.nytimes.com/2012/05/24/first-phase-of-governors-island-renovation-begins/|title=First Phase of Governors Island Renovation Begins|last=Foderaro|first=Lisa W.|date=May 24, 2012|website=City Room|language=en-US|access-date=May 30, 2019}}</ref>、沿岸警備隊時代の軍事団地は解体された<ref>{{cite web|url=http://ny.curbed.com/archives/2013/10/28/west_8_creates_a_floodresistant_park_on_governors_island.php|title=West 8 Creates A Flood-Resistant Park On Governors Island|author=Jessica Dailey|date=October 28, 2013|work=Curbed|accessdate=June 4, 2015}}</ref>。

マスタープラン第一段階の一環として、新たなフェリー桟橋と待合施設でソワソン上陸地点が改修され、パレード広場は芝生スポーツ用に改修されたが、歴史地区の開発は踏みとどまった<ref name="parkplan" />。2013年、新しい飲料水接続<!--(ブルックリン-バッテリー間トンネルからの違法な現地接続を置き換えた)-->と護岸の修理に着手した<ref name="wsj 20140819" />。<!--6エーカー(2.4ha)の-->リゲット・テラスの中庭は、2014年にハンモック・グローブや新たな遊び場として造成された<ref name="wsj 20140819" /><ref name=":25">{{Cite web|url=http://gothamist.com/2014/05/24/photos_governors_island_now_open_fo.php|title=Photos: Governors Island Now Open For The Season|last=Yakas|first=Ben|website=Gothamist|access-date=May 29, 2019|archive-url=https://web.archive.org/web/20190529150824/http://gothamist.com/2014/05/24/photos_governors_island_now_open_fo.php|archive-date=May 29, 2019|url-status=dead}}</ref>。オイスター・パビリオンは2015年6月にオープンし<ref>{{cite web |url=http://nymag.com/daily/intelligencer/2015/06/billion-oyster-pavilion.html |title=Inside Governors Island's New Oyster Pavilion |work=New York Magazine |date=June 4, 2015 |accessdate=June 4, 2015 |author=Wendy Goodman}}

*See also: {{official website|1=http://oysterpavilion.org/|2=Oyster Pavilion official website}}</ref>、2016年7月に公園10エーカー(4.0ha)のヒルズ区画がこれに続いた<ref name=":26">{{Cite news|url=http://www.slate.com/blogs/the_eye/2016/07/22/the_hills_on_governors_island_is_nyc_s_newest_green_space.html|title=New York City Turns an Abandoned Military Base Into a Sprawling Public Park|date=July 22, 2016|newspaper=Slate|language=en-US|issn=1091-2339|access-date=July 29, 2016}}</ref><ref name=":27">{{Cite web|url=http://www.nydailynews.com/new-york/hills-extraordinary-71m-park-opens-governors-island-article-1.2717794|title=The Hills, an extraordinary $71M park, opens on Governors Island|last=Fermino|first=Jennifer|date=July 19, 2016|website=|publisher=[[New York Daily News]]|access-date=July 29, 2016}}</ref>。この島は年を追うごとに人気が高まった。2009年には27.5万人の訪問者を集め<ref>{{Cite news|url=https://www.wsj.com/articles/SB10001424052748703294904575385280514922528|title=Governors Island Is Ready to Rock|last=Jurgensen|first=John|date=July 24, 2010|work=Wall Street Journal|access-date=May 30, 2019|language=en-US|issn=0099-9660}}</ref>、2018年には80万人超の訪問者が来訪した<ref name=":30" />。

2016年9月、ガバナーズ島トラストとニューヨーク市経済開発公社{{enlink|New York City Economic Development Corporation}}は、ガバナーズ島を通年の目的地にするアイデアを展開させるべくオンライン調査を始めた<ref>{{cite web | title=Governors Island could become a year-round attraction | website=Time Out New York | date=September 8, 2016 | url=https://www.timeout.com/newyork/blog/governors-island-could-become-a-year-round-attraction-090816 | access-date=May 31, 2019}}</ref><ref>{{cite web | last=Walker | first=Ameena | title=Governors Island wants New Yorkers to weigh in on its year-round plans | website=Curbed NY | date=September 6, 2016 | url=https://ny.curbed.com/2016/9/6/12820032/governors-island-invites-year-round-activity-ideas | access-date=May 31, 2019}}</ref><ref>{{cite web | title=NYCEDC and The Trust for Governors Island Launch Interactive Community Engagement Campaign #GovIsland365 | website=NYCEDC | date=September 2, 2016 | url=https://www.nycedc.com/press-release/nycedc-and-trust-governors-island-launch-interactive-community-engagement-campaign | access-date=May 31, 2019}}</ref>。2年後、市長[[ビル・デブラシオ]]は、ガバナーズ島の再開発されていない残り部分を宿舎、オフィス、教育用に再区画する手順に公式着手した<ref name=":30"/><ref>{{cite web | title=City launches effort to rezone Governors Island | website=Crain's New York Business | date=August 24, 2018 | url=https://www.crainsnewyork.com/article/20180824/REAL_ESTATE/180829925/city-launches-effort-to-rezone-governors-island | access-date=May 31, 2019}}</ref><ref>{{cite web | last=Walker | first=Ameena | title=Governors Island rezoning process is now underway | website=Curbed NY | date=August 24, 2018 | url=https://ny.curbed.com/2018/8/24/17779354/governors-island-rezoning-nyc-new-development | access-date=May 31, 2019}}</ref>。再区画提案は、ガバナーズ島を現状のまま維持することを望んでいた活動家からの反対を招いた<ref>{{cite web | title=Culture of Governors Island threatened by rezoning plan, activists say | website=Newsday | url=https://www.amny.com/news/governors-island-rezoning-1.21284398 | access-date=May 31, 2019| date=September 27, 2018 }}</ref>。
また2018年、市行政は<!--NYCxガバナーズ島コネクティビティチャレンジを開催し、-->3社にガバナーズ島での[[5G]]接続技術試験を依頼した。この事業が成功した場合、市行政はニューヨーク市における5Gのより広範な展開を追求することになる<ref>{{Cite web|url=https://www.techrepublic.com/article/nyc-uses-moonshot-challenge-to-accelerate-5g-wireless-in-the-city/|title=NYC uses 'moonshot' challenge to accelerate 5G wireless in the city|last=Forrest|first=Conner|last2=|date=January 31, 2018|website=TechRepublic|language=en|url-status=live|archive-url=|archive-date=|access-date=2020-04-28}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.cnet.com/news/how-new-york-city-will-make-5g-accessible-and-affordable/|title=How New York City will make 5G accessible and affordable|last=Patterson|first=Dan|date=March 9, 2019|website=CNET|language=en|url-status=live|archive-url=|archive-date=|access-date=2020-04-28}}</ref>。2019年10月、市役所側はこの島に気候変動研究センターを建設することを提案した<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2019/10/06/climate/governors-island-climate-change-new-york.html|title=New York City Wants to Put a Climate Change 'Laboratory' on Governors Island|last=Flavelle|first=Christopher|date=2019-10-06|work=The New York Times|access-date=2019-10-08|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref><ref>{{cite web|url=https://ny.curbed.com/2019/10/7/20902581/nyc-governors-island-climate-change-laboratory|title=A climate change 'laboratory' may come to Governors Island|last=Spivack|first=Caroline|date=October 7, 2019|website=Curbed NY|access-date=October 8, 2019}}</ref>。

[[File:Map of Governor's Island.pdf|thumb|352x352px|2014年5月現在のガバナーズ島公式地図。これは観光客向けに渡される公式ビジター用地図<!--のPDF複製-->で、著名な建造物の名称や番号が記されている。]]

==地理==
現在、ガバナーズ島には172エーカー(70ha)の敷地がある<ref name=":3" />。約22エーカー(9ha)は国立公園局による運用で、残りはガバナーズ島トラストの管轄下にある<ref>{{Cite web|url=https://www1.nyc.gov/site/oec/environmental-quality-review/11DME007M.page|title=Phase Redevelopment of Governors Island - OEC|website=www1.nyc.gov|access-date=May 23, 2019}}</ref>。この島はブルックリンの西約400ヤード(370m)、マンハッタンの南800ヤード(730 m)に位置する<ref>{{cite web | title=Phase Redevelopment of Governors Island - OEC | website=Welcome to NYC.gov | date=August 23, 2018 | url=https://www1.nyc.gov/site/oec/environmental-quality-review/11DME007M.page | access-date=June 4, 2019}}</ref>。行政的にはマンハッタン区の一部で、マンハッタンのサウスフェリー周辺区画の郵便番号10004を有している<ref>{{Cite web|url=https://data.cityofnewyork.us/City-Government/Borough-Boundaries/tqmj-j8zm|title=Borough Boundaries|website=NYC Open Data|language=en|access-date=May 23, 2019}}</ref>。ガバナーズ島には名前のついた通りが幾つかあり、その大半は島の北部にある。島全体が水辺を臨む遊歩道に囲まれている<ref name="Governors Island Map2">{{cite web|url=https://govisland.com/map|title=Governors Island Map|website=Governors Island|access-date=May 30, 2019}}</ref>。

ガバナーズ島の形状は、概ね「コーン付きアイスクリーム」に似た形が特徴である<ref name="Novak p. 159">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=159}}</ref>。島の北部69エーカー(28ha)が元々あった部分で「アイスクリーム」にあたり、人工的な南部103エーカー(42ha)が「コーン」にあたる箇所と説明することができよう(右の地図参照)<ref name="Novak p. 159" /><ref name="GI-ES p. vi">{{harvnb|ps=.|Governors Island EIS|1998|p=6}}</ref>。機能的には、島は境界道路(Division Road)と[[#著名な建造物|リゲット・ホール]]によって二分され、国立公園局の運営する北側区画と南側区画の緑地を隔てている<ref name="GI-ES p. cxxix">{{harvnb|ps=.|Governors Island EIS|1998|p=cxxix}}</ref>。ガバナーズ島で最も高い自然点は島の北部にあるジェイ砦の基礎地点で、平均海抜+12mである。南部区画はかつて平均海抜+4.1mの低地だったが<ref name="GI-ES p. vi" /> 、2010年代以降に高さ7.9-21.3mの丘ができた<ref name=":17">{{Cite web|url=http://www.nbcnewyork.com/news/local/NYC-Man-Made-Hills-on-Governors-Island-Offer-Spectacular-Views-387207371.html|title=New Hills on Governors Island Offer Spectacular Views|last=Matthews|first=Karen|date=July 18, 2016|website=NBC New York|publisher=[[Associated Press]]|access-date=July 29, 2016}}</ref>。

== 著名な建造物==
=== 城塞 ===
{{Main|ジェイ砦{{enlink|Fort Jay}}|ウィリアムズ城{{enlink|Castle Williams}}}}
[[File:Castle Williams SIF jeh.JPG|thumb|325px|ウィリアムズ城]]

ニューヨーク港を保護するためにガバナーズ島に幾つかの城塞が建造された。これらは、マンハッタンの南端にある[[クリントン城]]、[[リバティ島]]のウッド砦、[[エリス島]]のギブソン砦と連携して機能した<ref name=":19">{{cite web|url=https://www.nps.gov/gois/learn/historyculture/castle-williams.htm|title=Castle Williams|date=July 31, 1972|website=Governors Island National Monument (U.S. National Park Service)|access-date=May 28, 2019}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1872/09/21/archives/harbor-defenses-the-fortifications-on-governors-island-fort.html|title=Harbor Defenses; The Fortifications on Governor's Island|date=September 21, 1872|work=The New York Times|access-date=May 28, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。現存する城塞には1812年の[[米英戦争]]時に都市を保護する目的があった<ref>{{cite web|url=https://www.wcny.org/education/war-of-1812/the-fortification-of-new-york-harbor/|title=The fortification of New York Harbor|date=June 12, 2013|website=WCNY|access-date=May 28, 2019}}</ref>。

本来のガバナーズ島(北側)部分の中心にあるジェイ砦は、最古の1794年建造である<ref name="Smith p. 54" /><ref name="NRHI Nomination Form p. 26" />。それは島の最高地点に建てられ、[[斜堤]]が全方位で傾斜していた<ref name="Hansen Pearson p. 13">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=13 (PDF p. 18)}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form p. 13">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|p=13}}</ref>。最初の城塞は劣化して1806年に取り替えられた<ref name="Smith pp. 55-56" /><ref name="NRHI Nomination Form pp. 27-30" /><ref name="Novak pp. 35-36" />。ジェイ砦は本来ニューヨーク総督[[ジョン・ジェイ]]にちなんで命名されたが<ref name=":20">{{cite web|url=https://www.nps.gov/gois/learn/historyculture/fortjay.htm|title=Fort Jay|date=September 26, 2018|website=Governors Island National Monument (U.S. National Park Service)|access-date=May 28, 2019}}</ref>、再建後は1904年頃までコロンバス砦として知られていた<ref name="NRHI Nomination Form pp. 27-30" /><ref name="Novak pp. 35-36" /><ref name="Boggs pp. 10-11" />。オリジナルの斜堤と壁の多くを再利用して再建された砦は「銃100挺に適合するよう、石積みの稜堡4つを備えた五角形に囲まれた仕掛け」で構成され、当初は230人収容のレンガ造り兵舎もあった。ジェイ砦はその歴史の中で幾度も改修されており、現在の外観は主に1830年代の改修に基づくものである<ref name=":20" />。ジェイ砦の壁は砂岩と花崗岩でできており、北の壁には矢印形の[[三角堡]]がある。この城塞は現在干上がった[[堀]]に囲まれている<ref name="USCG pp. 18-19" /><ref name="Hansen Pearson p. 13" /><ref name="NRHI Nomination Form p. 13" />。

ウィリアムズ城は1807年から1811年にかけて、当時は暗礁だった島の北西隅に建設された<ref name="Smith pp. 55-56" /><ref name="Novak pp. 35-36" /><ref name="NRHI Nomination Form pp. 29-30" />。[[アメリカ陸軍工兵司令部|米陸軍工兵隊]]の技師長ジョナサン・ウィリアムズにちなんで名付けられた<ref name=":19" />、高さ12m、直径64mの円筒形建造物である。壁は下から上に2.1-2.4mの[[テーパー]]となっている。この建造物は4層構造で、各層にそれぞれ2基の大砲を収容可能な13の砲郭があり、合計で大砲104基を収容可能である<ref name="Hansen Pearson p. 13" /><ref name="NRHI Nomination Form p. 13" /><ref name="USCG pp. 20-21">{{harvnb|ps=.|United States Coast Guard|1973|pp=20-21}}</ref>。砦の南側にあった2つの内部構造物は1900年に移設された<ref name="Hansen Pearson p. 13" />。

南側砲台(サウス・バッテリー)または半月砲台と呼ばれる3番目の建造物は、バターミルク水路に近い当初の島の南東隅にあり、米英戦争以前に建てられたものである<ref name="Hansen Pearson p. 3" /><ref name="NRHI Nomination Form p. 30" /><ref name="Novak p. 37" />。矢型をした南側砲台には欄干に[[バーベット]]砲13門が装着され、バターミルクチャンネル水路に対面しており、内部には兵舎もあった<ref name="Hansen Pearson p. 13" /><ref name="NRHI Nomination Form p. 15">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|p=15}}</ref>。その後、1878年までは将校の会食やカトリック礼拝堂として、1880年代までは軍法会議室として、1904年の改修後は娯楽施設として活用された<ref name="Hansen Pearson pp. 143-144">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=143-144 (PDF pp. 148-149)}}</ref><ref name="GI-ES p. 251">{{harvnb|ps=.|Governors Island EIS|1998|p=251}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form p. 15" />。1930年代以降、サウス・バッテリーは将校クラブとしても活用された<ref name="Hansen Pearson p. 13" /><ref name="NRHI Nomination Form p. 15" />。

===見晴らしの良い景色===
==== 北側部分====
[[File:Fort Jay Governors Island and Lower Manhattan skyline.jpg|left|thumb|275x275px|マンハッタン方向を臨んだ写真で、ジェイ砦の斜堤(左)と兵舎(右)がある。]]
歴史的なガバナーズ島北部には4つの開けた景色がある<ref name="Governors Island Map2" /><ref name="Hansen Pearson pp. 10-11">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|page=5 (PDF p. 10)}}</ref> 。最大のものはジェイ砦の斜堤で、砦の全方位から下り坂という木のない芝生地帯である<ref name="Hansen Pearson p. 13" /><ref name="NRHI Nomination Form p. 13" />。この斜堤がジェイ砦の壁と斜面底の堀との間に緩衝地帯を作った<ref name="Hansen Pearson pp. 10-11" />。この斜堤には、[[ポロ]]の競技場とガバナーズ島ゴルフコースがあった<ref name="Novak p. 106" /><ref name=":21" />。
ジェイ砦の南東にあるノーラン・パークは、将校の宿舎と管理用建物に囲まれた並木道がある台形の地帯である。この公園の東側境界はエリア南端に向かって南西に湾曲しているが、西と北側の境界は互いにほぼ直交している<ref name="GI-ES p. cxxix" /><ref name=":28">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|page=6 (PDF p. 11)}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form pp. 6-7">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|pp=6-7}}</ref>。ノーラン・パークの現在の配置は1870年代にさかのぼり<ref name="Novak p. 54" /><ref name=":28" />、1933年から1936年にかけて第1陸軍の指揮官だったデニス・E・ノーラン少将にちなんで名付けられた<ref name="Hansen Pearson pp. 10-11" />。以前はこの場所に野外音楽堂があった<ref name="NRHI Nomination Form pp. 6-7" /><ref name="Hansen Pearson p. 91">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=91 (PDF p. 96)}}</ref>。

ガバナーズ島のパレード広場はノーラン・パークのすぐ西でジェイ砦の南にあり、約5.3haの広さがある<ref name="GI-ES p. xciv">{{harvnb|ps=.|Governors Island EIS|1998|p=xciv}}</ref>。パレード広場はジェイ砦から水辺の南に向かって下り坂となっていて、1本の歩行者専用道がパレード広場を貫いている<ref name="Novak p. 164">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=164}}</ref>。そこは軍事訓練場およびウィリアムズ城に捕らえられた虜囚の処刑場として使用された<ref name="Hansen Pearson pp. 10-11" />。以前はゴルフコースがこのパレード広場内にも伸びていて<ref name=":21" /><ref name="Novak p. 164" />、コースの残骸が今でも残っている<ref name="Novak p. 164" />。
4番目の開けた風景はクレイトン道路とヘイ道路の間の三角地帯で<ref name=":28" />、コロネルズ・ロウ・パーク やビレッジ・グリーンとしても知られ、ジェイ砦の南西かつリゲット・ホールの北東に位置している<ref name="GI-ES p. cxxix" />。20世紀初頭に造成されたもので、島当初の南西海岸線を形成する東のヘイ道路、南西のクレイトン道路とリゲット・ホールとの間でくさび形をなしている<ref name=":28" />。

==== 南側部分====
[[File:Western meadow Gov Is jeh.jpg|thumb|right|275px|ガバナーズ島の南側にあるリゲット・テラス]]

ガバナーズ島の南側部分には12ha超に及ぶ公園がある<ref>{{cite web|url=http://ny.curbed.com/archives/2015/05/05/the_hills_are_coming_to_life_on_governors_island.php|title=The Hills Are Coming to Life on Governors Island|author=Jessica Dailey|date=May 5, 2015|work=Curbed|accessdate=June 4, 2015}}</ref>。公園の北端にはハンモック・グローブという60種以上の樹木が生息する緩やかな丘陵の造園地帯がある。この木立の丘は平均海抜が8.2mあり、洪水を防いでいる<ref>{{Cite web|url=https://ny.curbed.com/2013/10/28/10182658/west-8-creates-a-flood-resistant-park-on-governors-island|title=West 8 Creates A Flood-Resistant Park On Governors Island|last=Dailey|first=Jessica|date=October 28, 2013|website=Curbed NY|access-date=May 29, 2019}}</ref>。木立自体は4.0haで50個のハンモックがある<ref name=":25" />。すぐ西側に5.7haの芝生地帯(Play Lawn)があり、野球で使える芝生場が2面ある<ref name=":25" /><ref name=":29">{{Cite web|url=https://govisland.com/things-to-do/activities/play-1|title=Slide Hill|website=Governors Island|language=en|access-date=May 29, 2019}}</ref>。ガバナーズ島のこの箇所の経路は蛇行しており、[[フレデリック・ロー・オルムステッド]]設計の[[セントラル・パーク]]や[[プロスペクト・パーク]]に似た様式で、曲がりくねった道が人里離れた雰囲気を強めている<ref name="Jacobs 2016">{{cite web|url=https://ny.curbed.com/2016/7/19/12212890/governors-island-hills-engineering-west-8|title=On Governors Island, the world's smartest hill|last=Jacobs|first=Karrie|date=July 19, 2016|website=Curbed NY|access-date=May 29, 2019}}</ref>。

この公園の南端にはガバナーズ島の「ヒルズ」区画が4haを占めている。ヒルズは、かつて島にあった高層住宅の瓦礫で作られた4つの丘(高さ7.9-21.3m)で構成されている<ref name=":17" /><ref name=":26" /><ref name=":27" />。標高の低いものから、芝生の丘(Grassy Hill,7.9m)、独自の芸術作品が置かれている発見の丘(Discovery Hill,12m)<ref name=":26" />、長い4つの滑り台がある滑り台の丘(Slide Hill,12m)<ref name=":27" /><ref name=":29" />、ニューヨーク港を臨む展望場所がある見晴らしの丘(Outlook Hill,21.3m)<ref name=":26" /><ref name="Jacobs 2016" />がある。このヒルズには41,000本を超える低木と新たに植栽した樹木860本がある<ref name=":26" />。ヒルズの造成費用は7000万ドルで、うち1500万ドルの資金供与は[[Google]]の元CEO[[エリック・シュミット]]による寄付だった<ref name=":31" />。

ガバナーズ島の最南端にはピクニック地点がある<ref name="Governors Island Map2" />。この場所には水辺付近にレストランや食事用テーブルがある<ref name=":35">{{Cite web|url=https://traveltips.usatoday.com/things-governors-island-ny-104900.html|title=Things to Do on Governors Island, NY|website=traveltips.usatoday.com|language=en|access-date=May 30, 2019}}</ref>。

=== その他の建造物===
1996年に沿岸警備隊がガバナーズ島を放棄した時、1917年以前に建てられた建物が49棟あってその大半は島の北部にあり、1917年以降の建物121棟は大半が南部にあった。南部は主に住宅用と工業用だが、北部は多目的で使われていた。島は比較的低密度で広大な空き地があった<ref name="GI-ES p. clxxix">{{harvnb|ps=.|Governors Island EIS|1998|p=clxxix}}</ref>。

==== 住居 ====
[[File:Block-house-governors-island.JPG|thumb|275x275px|ノーラン・パークにあるレンガ造りの家{{enlink|Block House (Governors Island)}}]]
ガバナーズ島には低層の将校住宅の集落が幾つかあり、現在は大半が空き家だが、一部の建物は展示や管理目的で使用されている。島の歴史的な北部にある2つの最大住居区画は、大佐の家が並ぶコロネルズ・ロウ(建物403-410)<ref name="GI-ES p. cxxix"/><ref name="Hansen Pearson pp. 171-186">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=166-181 (PDF pp. 171-186)}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form pp. 17-18" />およびノーラン・パーク周辺(建物1-20)<ref name="GI-ES p. cxxix" /><ref name="Hansen Pearson p. 4" /><ref name="NRHI Nomination Form pp. 6-7" />の建物群である。

ノーラン・パークには、それ自体に歴史的建造物が幾つかある<ref name="Hansen Pearson p. 4" /><ref name="NRHI Nomination Form pp. 6-7" />。1843年に建てられたコロニアル・リヴァイヴァル様式2階建てのレンガ造りの建物<ref name="GI-ES p. 244">{{harvnb|ps=.|Governors Island EIS|1998|p=244}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form pp. 6-7" /><ref name="Hansen Pearson pp. 45-47">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=45-47 (PDF pp. 50-52)}}</ref>、アドミラルズ・ハウスないし司令官宿舎(建物1)は[[アメリカ合衆国国家歴史登録財]]および市の指定建造物として別記載されている<ref>{{cite web|url=http://neighborhoodpreservationcenter.org/db/bb_files/ADM-HOUSE-1967.pdf|title=Admiral's House Designation Report|date=September 19, 1967|publisher=[[New York City Landmarks Preservation Commission]]|accessdate=2020-05-09}}</ref><ref>[http://focus.nps.gov/AssetDetail/NRIS/72000860 "Admiral's House"] National Register Digital Asset Management System</ref>。北側には、1805-1813年頃に建てられたジョージアン様式2階建てのレンガ造りの家、ガバナーズ・ハウス(建物2)がある<ref name="GI-ES p. 244"/><ref name="NRHI Nomination Form pp. 6-7" /><ref name="Hansen Pearson pp. 48-49">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=48-49 (PDF pp. 53-54)}}</ref>。ノーランパーク南東の角には、1843年に建てられたグリーク・リヴァイヴァル様式2階建ての建物ブロックハウス(建物9)があり、これは当初は駐屯地病院として使用され、後に軍執行機関や将校宿舎として使用された<ref name="GI-ES p. 243">{{harvnb|ps=.|Governors Island EIS|1998|p=243}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form pp. 8-9">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|pp=8-9}}</ref><ref name="Hansen Pearson pp. 63-64">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=63-64 (PDF pp. 68-69)}}</ref>。建物3-5(1850年代建造)、建物6-11と建物14-18(1878-1879年建造)、建物19-20(1890年代建造)はいずれも2個中隊の将校宿舎としての役目を果たした<ref name="GI-ES pp. 243-245">{{harvnb|ps=.|Governors Island EIS|1998|pp=243-245}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form pp. 8-9" />。建物12はジョージアン・リバイバル様式3階建てのレンガ造り団地で、1928年または1931年に[[歩兵連隊#アメリカ陸軍|第16歩兵連隊]]を収容するために建設された<ref name="GI-ES p. 244"/><ref name="Hansen Pearson pp. 75-76">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=70-71 (PDF pp. 75-76)}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form pp. 8-9" />。

コロネルズ・ロウの東側には<!--北から南に向かって403番とされた-->将校8名の個人的宿舎があり<ref name="Hansen Pearson pp. 171-186" /><ref name="NRHI Nomination Form pp. 17-18">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|pp=17-18}}</ref>、これは当初ヘイズ道路の南西にある元々の海岸線に面していた<ref name=":3" /><ref name="Hansen Pearson pp. 170-177">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=170-177 (PDF pp. 175?182)}}</ref><ref name="Hansen Pearson pp. 171-174">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=166-169 (PDF pp. 171-174)}}</ref>。最初に建造された建物405-408は、同じ<!--Quartermaster General-->マスター計画に従って設計され、1893-1895年に2世帯住宅として建設された<ref name="NRHI Nomination Form pp. 17-18" /><ref name="GI-ES p. 252">{{harvnb|ps=.|Governors Island EIS|1998|p=252}}</ref><ref name="Hansen Pearson pp. 170-177" />。同一計画で、これに1904-1906年に建物403-404の建造が続いた<ref name="NRHI Nomination Form pp. 17-18" /><ref name="GI-ES p. 252" /><ref name="Hansen Pearson pp. 171-174" />。コロニアル・リヴァイヴァル構造の中2階がある建物409は独身士官宿舎として設計され、1910年に完成した<ref name="NRHI Nomination Form pp. 17-18" /><ref name="GI-ES p. 252" /><ref name="Hansen Pearson pp. 178-179">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=178-179 (PDF pp. 183-184)}}</ref>、一方で建物410は将校の二世帯宿舎として1917年に建設されたもので、島で唯一となる[[アーツ・アンド・クラフツ運動|アーツ・アンド・クラフツ]]改造設計の建造物である<ref name="NRHI Nomination Form pp. 17-18" /><ref name="GI-ES p. 252" /><ref name="Hansen Pearson pp. 180-181">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=180-181 (PDF pp. 185-186)}}</ref>。

[[File:Governors Island New York September 2016 004.jpg|left|thumb|200x200px|建物550、現在は高等学校{{enlink|New York Harbor School}}。]]
コロネルズ・ロウの南西側には、ガバナーズ島のほぼ全幅にまたがる3-4階建ての兵舎リゲット・ホール(建物400)があり、長さ312mに及ぶ本館のほか南に伸びる69mの翼棟が2つある。1930年に第16歩兵連隊用に最初に建てられ、完成当時は世界最大の軍事兵舎の1つで、連隊丸ごとの収容を意図した陸軍最初の建造物だった。この建物には1階と2階を隔てる1階[[アーケード (建築物)]]があるほか、南東部に別館がある<ref name="Hansen Pearson pp. 157-158">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=157-158 (PDF pp. 162-163)}}</ref><ref name="GI-ES p. 252" /><ref name="NRHI Nomination Form p. 162">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|p=16}}</ref>。ほぼ同様のジョージアン・リバイバル様式の2つの建造物、北の建物550(現:ニューヨーク・ハーバースクール)と南の建物333がリゲット・ホールに隣接している。 3階建ての建物はどちらもU字型で、前庭が翼棟で囲まれている。 これらは、沿岸警備隊が教室として使用する前に第一陸軍の派遣隊住宅として1932年に建設された<ref name="NRHI Nomination Form p. 15" /><ref name="Hansen Pearson pp. 154-197">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=154-155, 191-192 (PDF pp. 159-160, 196-197)}}</ref><ref name=":34">{{harvnb|ps=.|Governors Island EIS|1998|pp=251, 253}}</ref>。近くには、1940年に建てられた第16連隊の家族用のほぼ同一な小型の中3階住居が二棟(北が建物555、水辺に近い南が建物315)ある<ref name="NRHI Nomination Form p. 15" /><ref name="Hansen Pearson pp. 149-194">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=149-150, 193-194 (PDF pp. 154-155, 198-199)}}</ref><ref name=":34" />。

ガバナーズ島の北側には他にも幾つかの住宅がある。建物111と112は島の東側にある3階建てのネオジョージア様式の建物二棟で、[[ロジャーズ&プアー]]社の設計により1934年に建設された。これらは第16連隊の将校宿舎として機能し、リゲット・ホールが満員になると追加で将校を収容した<ref name="Hansen Pearson pp. 108-111">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=108?111 (PDF pp. 113?116)}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form pp. 11-12">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|pp=11-12}}</ref><ref name="GI-ES pp. 249-250">{{harvnb|ps=.|Governors Island EIS|1998|p=249}}</ref>。ジェイ砦の内部には、202、206、210、214番という4つの建物があって、これらは砦に兵士を収容したグリーク・リバイバル様式の兵舎とほぼ同じだった<ref name="Hansen Pearson pp. 132-139">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=132-139 (PDF pp. 137-144)}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form p. 142">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|p=14}}</ref><ref name="GI-ES pp. 249-250" /><ref name="Novak p. 206">{{harvnb|ps=.|Novak|2010|p=206}}</ref>

島の北側で西側のウィリアムズ城と東側のソアソンズ桟橋の間には、フォート砦看護師宿舎(建物114)というロジャース&プアーによって設計されたネオジョージア様式中二階建てのレンガとコンクリートの建物があり、これは後に独身士官の宿舎にもなった<ref name="Hansen Pearson pp. 112-113">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=112-113 (PDF pp. 117-118)}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form pp. 11-12" /><ref name="GI-ES pp. 249-250" />。建物135という1835年に建てられた北東の水辺沿いにある以前の倉庫も、将校の宿舎だった<ref name="NRHI Nomination Form p. 13" /><ref name="Hansen Pearson pp. 118-121">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=118-121 (PDF pp. 123-126)}}</ref>。

以前は、ガバナーズ島の南半分に最大で11階建ての集合住宅区画があった<ref name="GI-ES p. cxxix" />。各戸2-5の寝室を備えた合計594のアパートがあり、3つのアパート団地が広がっていた。島北側の住宅とは異なり、これらの建造物は歴史的に保護されなかった<ref name="GI-ES p. clxxix" />。これら建造物のうち最大規模となる11階建て165室のカニンガムアパート(建物877)は島の北側にあった。1968年に建造され、2013年に崩落した<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2013/06/10/nyregion/with-thunderous-blasts-a-governors-island-holdout-falls-to-earth.html|title=With Thunderous Blasts, a Governors Island Holdout Falls to Earth|last=Gregory|first=Kia|date=June 9, 2013|work=The New York Times|access-date=May 30, 2019|last2=Leonard|first2=Randy|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref><ref name="Glassman Reynolds 2013">{{cite web|url=http://www.tribecatrib.com/content/former-governors-island-apartment-building-reduced-dust-and-rubble|title=Former Governors Island Apartment Building Reduced to Dust and Rubble|last=Glassman|first=Carl|last2=Reynolds|first2=Aline|date=June 10, 2013|website=Tribeca Trib Online|access-date=May 30, 2019}}</ref><ref>{{cite web|url=https://newyork.cbslocal.com/2013/06/09/11-story-building-on-governors-island-successfully-imploded/|title=11-Story Building On Governors Island Successfully Imploded|date=June 9, 2013|website=CBS New York|access-date=May 30, 2019}}</ref>。

==== 宗教施設 ====
[[File:St Cornelius Governors Island jeh.JPG|thumb|200x200px|聖コルネリウスの[[聖公会]]礼拝堂|alt=|left]]
ガバナーズ島での宗教実践は礼拝堂が初めて開設された1846年にまでさかのぼる<ref name="Smith p. 130" /><ref name="NRHI Nomination Form p. 36" /><ref name="USCG pp. 20-21" />。その後ガバナーズ島には3つの礼拝所が建てられた<ref name="USCG pp. 22-23" />。ノーランパークの南部にある<!--石灰岩でできた-->2階建ての聖コルネリウス・センチュリオン礼拝堂(建物13)は、[[チャールズ・C・ハイト]]による設計で1907年に建てられ、1846年の古い礼拝堂と置き換わった<ref name="Hansen Pearson p. 4" /><ref name="Smith p. 78" /><ref name="USCG pp. 22-23" />。

礼拝堂の歴史を通じて、従軍牧師は幾つかの異なる団体(陸軍、沿岸警備隊、[[トリニティ教会 (ニューヨーク市)|トリニティ教会]])により割り当てられてきた<ref name="Hansen Pearson pp. 68-69">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=68-69 (PDF pp. 73-74)}}</ref>。維持は1986年までトリニティ教会によって行われ、沿岸警備隊が島に残る場合にはトリニティ教会が維持管理業務を再開することを条件に、沿岸警備隊にその任務を移譲した<ref name=":4">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1986/03/09/nyregion/church-to-turn-over-a-chapel-on-governors-i-to-coast-guard.html|title=Church to Turn Over a Chapel on Governors I. to Coast Guard|date=March 9, 1986|work=The New York Times|access-date=May 23, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref><ref name="Hansen Pearson pp. 68-69" />。

海の星の聖母(Our Lady, Star of the Sea)と呼ばれるカトリック教会が1942年に建てられた<ref name="USCG pp. 22-23" /><ref name="Hansen Pearson p. 148">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=148 (PDF p. 153)}}</ref>。1階建ての[[下見板]]張り建造物はガバナーズ島北岸<!-- のClayton and Comfort Roads-->にある<ref name="NRHI Nomination Form p. 22">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|p=22}}</ref><ref name="Hansen Pearson p. 148" />。

Congregation Shaare Shomayim<ref>{{cite web|url=https://forward.com/news/128186/a-lonely-synagogue-on-an-empty-island/|title=A Lonely Synagogue on an Empty Island|last=Nathan-Kazis|first=Josh|date=May 19, 2010|website=The Forward|access-date=May 30, 2019}}</ref>を収容する[[シナゴーグ]]はS-40として知られる建物内で1960年に設立された。島の東岸<!--のBarry Roadの東-->にある1階建ての下見板張りの建物は、当初は保管庫として使われていた「仮設」建築だった<ref name="NRHI Nomination Form p. 10">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|p=10}}</ref><ref name="Hansen Pearson p. 92">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=92 (PDF p. 97)}}</ref>。

==== 事務所と保管庫====
[[工廠]]の一部として建てられた建物が幾つかあるも、住宅としては使用されておらず、代わりに事務所や保管庫として利用されている。これらには、当初から倉庫として使用されていた建物104と107、武器庫および事務所として使用される翼棟二つ付きの建物105、需品係将校の補給廠や倉庫として使用された110などがある。全てが1850年代から1870年代にかけてレンガで建てられた<ref name="NRHI Nomination Form pp. 11-12" /><ref name="Hansen Pearson pp. 95-107">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=95-98, 100-101, 106-107 (PDF pp. 100-103, 105-106, 111-112)}}</ref><ref name="GI-ES pp. 247-248">{{harvnb|ps=.|Governors Island EIS|1998|pp=247-248}}</ref>。建物106(ポンプ室)そして108と109(事務所)は1940年代に他の構造と同じ様式で建造されたが、建物109は1918年に建てられた木造建築と置き換わった<ref name="Hansen Pearson pp. 99-103">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=99, 102-103 (PDF pp. 104, 107-108)}}</ref><ref name="GI-ES pp. 247-248"/>。パーシング・ホール(建物125)は、北の水辺にある建物107と108の北側にある3階建てのレンガ造りの建物で、1934年に建設された時に第1陸軍の本部として機能した<ref name="Hansen Pearson pp. 115-116">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=115-116 (PDF pp. 120-121)}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form pp. 6-7"/>。

この水辺には、もともと工廠の作業場である建物130のほか沿岸警備隊ニューヨーク支局の事務所を担っていた近代的な建物134など、幾つかの建造物がある<ref name="NRHI Nomination Form p. 13" /><ref name="Hansen Pearson pp. 118-121" /><ref name="GI-ES pp. 247-248" />。

ガバナーズ島には様々な様式の小型車用車庫も幾つかある。これら車庫の大半は1930年代と1940年代に<!--[[公共事業促進局]]による島の改修中に-->建てられた<ref name="NRHI Nomination Form pp. 19-22">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|pp=21-22}}</ref><ref>{{harvnb|ps=.|Governors Island EIS|1998|pp=246, 247, 249, 252}}</ref><ref name="Novak p. 206" />。

==== 使役建造物====
[[File:GI base hospital south jeh.jpg|thumb|200x200px|建物515こと駐屯地病院|alt=]]
島の北西側にある以前は駐屯地病院だった建物515は、後年になって入隊した士官たちの住宅として活用された。3階建てのレンガと石灰岩の建物は、マッキム、ミード&ホワイトによるネオジョージアン様式の設計で1935年に建設された<ref name="Hansen Pearson pp. 188-189">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=188-189 (PDF pp. 193-194)}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form p. 19">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|p=19}}</ref><ref name="GI-ES p. 253" />。近くにはタンパ記念図書館(建物S-251)があり、1階建ての長方形の木造建築である。1908年に建設されて当初は倉庫として機能し、1918年に巡視カッター船のタンパ号が沈没した後に改名された<ref name="Hansen Pearson p. 140">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=140 (PDF p. 145)}}</ref><ref name="GI-ES p. 250">{{harvnb|ps=.|Governors Island EIS|1998|p=250}}</ref>。

パレード広場の南にある砲台(サウス・バッテリー)周辺一帯には、以前の使役建造物が幾つかある。水辺に近い1階建てのレンガ造りの建物301には、PS26という小学校が入っていた。元々は1934年に建てられたが、1959-1960年に翼棟が2つ追加された<ref name="Hansen Pearson pp. 146-147">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=146-147 (PDF pp. 151-152)}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form p. 13" /><ref name="GI-ES p. 251" />。
西側には建物324があり、1926年に陸軍の[[キリスト教青年会]](YMCA)として建設された<ref name="NRHI Nomination Form p. 162"/><ref name="Hansen Pearson pp. 151-152">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|pp=151-152 (PDF pp. 156-157)}}</ref><ref name="GI-ES p. 251" />。1937-1939年に建てられた700席の2階建て劇場である戦争省劇場(建物330)は、YMCAの西側にありガバナーズ島の南部に面している<ref name="NRHI Nomination Form p. 162" /><ref name="Hansen Pearson p. 153">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=153 (PDF p. 158)}}</ref><ref name="GI-ES p. 251" />。

かつてサウス・バッテリー付近にあったのが建物293こと以前のガバナーズ島[[ゲストハウス]]でSuper8というモーテルだった<ref>{{Cite web|url=https://ny.curbed.com/2008/4/21/10572624/governors-island-motel-headed-for-the-wrecking-ball|title=Governors Island Motel Headed for the Wrecking Ball?|last=Arak|first=Joey|date=April 21, 2008|website=Curbed NY|access-date=May 30, 2019}}</ref>。中1階があるレンガ造りの建物は、元々は1871-1872年に建てられた宿舎だった<ref name="GI-ES p. 250" /><ref name="Hansen Pearson p. 142">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=142 (PDF p. 147)}}</ref><ref name="NRHI Nomination Form p. 142"/>。放棄されたモーテルは、パレード広場を拡大するために2007-2008年に解体された<ref name="gov-history" /><ref name=":18" />。ガバナーズ島の南部には、[[バーガーキング]]とボーリング場が入居していた建物785があった<ref>{{Cite web|url=http://gothamist.com/2014/07/22/abandoned_governors_island_1.php|title=Photos: What Governors Island Looked Like Before You Could Go There|last=Carlson|first=Jen|website=Gothamist|access-date=May 31, 2019|archive-url=https://web.archive.org/web/20190531145621/http://gothamist.com/2014/07/22/abandoned_governors_island_1.php|archive-date=May 31, 2019|url-status=dead}}</ref>。

=== 記念碑 ===
ブロンズ銘板を設置した記念碑は、建物406と407の間に石の装飾が施された記念碑的なレンガ製ベンチがあり、1938年に[[公共事業促進局]]によって建てられた<ref name="GI-ES p. 253" /><ref name="NRHI Nomination Form p. 18">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|p=18}}</ref><ref name="Hansen Pearson p. 163">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=163 (PDF p. 168)}}</ref>。当初1954年にリゲットホールの南に建てられたアーリー・バード記念碑は、[[ライト兄弟]]によるこの島での初飛行を記念したもので、<!--花崗岩の基礎に-->彼らの飛行機プロペラのブロンズ鋳像である<ref name="USCG p. 24" /><ref name="GI-ES p. 253" /><ref name="NRHI Nomination Form p. 18" /><ref name="Hansen Pearson p. 164">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=164 (PDF p. 169)}}</ref>。

== 運営 ==
=== 管理 ===
[[File:Governors_Island_National_Monument,_New_York_LOC_2009575006.jpg|thumb|200x200px|ガバナーズ島国定史跡内にある、国立公園局によって設置された場所説明の情報パネル。]]
島を維持管理するために、ニューヨーク港国立公園保護局、ガバナーズ島トラスト、ガバナーズ島の友、という3つの組織が連携作業している<ref name="NPS GI Partners">{{cite web | title=Partners | website=Governors Island National Monument (U.S. National Park Service) | date=May 16, 2016 | url=https://www.nps.gov/gois/getinvolved/partners.htm | access-date=May 31, 2019}}</ref>。

==== ニューヨーク港国立公園保護局====
ニューヨーク港国立公園管理局{{enlink|National Parks of New York Harbor Conservancy}}は[[NPO]]法人の[[501(c)団体|501(c)(3)団体]]で、ガバナーズ島[[ナショナル・モニュメント]]の管理責任を有する機関である。ニューヨーク港国立公園局([[国立公園局]]支部)との官民連携で作業しており、同組織の公式な非営利パートナーである<ref name="NPS GI Partners"/><ref>{{cite web | title=National Parks of New York Harbor Conservancy | website=New York Harbor Parks | date=October 21, 2017 | url=https://nyharborparks.org/about-national-parks-of-new-york-harbor-conservancy/ | access-date=May 31, 2019}}</ref>。2003年に組織された保護局は、国立公園局が独自のツアー運営を法的に禁止されているとの理由から設立された<ref>{{cite web | last=McGeehan | first=Patrick | title=Beyond Lady Liberty | website=The New York Times | date=August 15, 2005 | url=https://www.nytimes.com/2005/08/15/nyregion/beyond-lady-liberty.html | access-date=May 31, 2019}}</ref>。

==== ガバナーズ島トラスト====
ガバナーズ島トラスト(法的にはガバナーズ島コーポレーション)は、島の残り地域の再開発の管理責任を負うニューヨーク市行政のNPO法人である<ref name="NPS GI Partners"/><ref>{{cite web | title=The Trust for Governors Island | website=Governors Island | date=February 26, 2016 | url=https://govisland.com/about/the-trust-for-governors-island | access-date=May 31, 2019}}</ref>。その前身となるガバナーズ島保護教育公社(Governors Island Preservation and Education Corporation,GIPEC)は、ガバナーズ島が自治体に売却された際の2003年に設立された。当時、GIPECは市と州との共同連携だった<ref name=":15" /><ref name=":22"/>。2010年4月、この島の開発をニューヨーク州から市が全面的に管理することで合意に達した<ref name=":16" />。そこでGIPECは解散となり、ガバナーズ島トラストによって受け継がれる形となった<ref name="NPS GI Partners"/><ref name="Novak p. 148" />。

==== ガバナーズ島の友====
ガバナーズ島の友(Friends of Governors Island)は、この島の運営および計画を管理する民間のNPO法人である<ref name="NPS GI Partners"/><ref name="About Friends of GI"/>。沿岸警備隊が島を空けるとの決定を受けて、1995年にガバナーズ島同盟(Governors Island Alliance)として設立された。この同盟および50の加盟団体が、島を公共の目的でニューヨークに戻すキャンペーンを主導した。2014年以降この同盟が独立した非営利団体となり、2016年に「ガバナーズ島の友」と改称された。友の会はボランティア等の計画を運営し、島のために募金活動や提案をおこなっている<ref name="About Friends of GI">{{cite web | title=The Friends of Governors Island | website=Governors Island | date=January 7, 2019 | url=https://govisland.com/about/the-friends-of-governors-island | access-date=May 31, 2019}}</ref>。

=== 職業犬 ===
ガバナーズ島は[[カナダガン]]を島から追い出すために[[使役犬|職業犬]]を雇っている。職業犬は、ニューヨーク港を通って移動するカナダガンの大群に対する人道的な厄介払いをしている<ref name=":0">{{Cite web|url=https://www.dogster.com/lifestyle/max-turns-his-failure-as-a-farm-dog-into-a-career-on-governors-island|title=Max Turns His Failure As a Farm Dog Into a Career on Governors Island|last=Marcoux|first=Heather|date=September 5, 2016|website=Dogster|language=en-US|access-date=February 27, 2019}}</ref>。犬での計画が始まる2015年以前は、[[ラジコンカー]]、[[エレクトロニックフラッシュ|ストロボライト]]、特殊[[レーザー]]を使ってガンを追い立てる試みが全て失敗していた<ref name=":0" />。島からガンを追い払うのは、大量の鳥糞が残らないようにする<!--およびそれらの攻撃的性質を和らげる-->有効な手立てとなっている。カナダガンは営巣期に敵対的になることが知られているため、この大群を島から遠ざけることが他の鳥種および来訪者の両方を保護するのに有効である。職業犬計画は<!--Park and Public Spaceの理事を務めるジムリードが-->農場犬としては良い成績が出なかった[[ボーダー・コリー]]が生んだ犬<!--のマックス-->を採用して2015年1月に始まった<ref name=":0" />。

2019年時点で、ガバナーズ島の職業犬チームは4匹の犬(名前はマックス、クイン、チップ、アスペン)で構成されている<ref>{{Cite web|url=https://govisland.com/blog/governors-islands-pack-of-working-dogs-grows-to-four|title=Governors Island's pack of working dogs grows to four!|website=Governors Island|language=en|access-date=February 27, 2019}}</ref><ref name=":1">{{Cite web|url=http://gothamist.com/2018/12/11/governors_island_working_dogs.php|title=We Spent A Night With Governors Island's Working Dogs|last=Carlson|first=Jen|website=Gothamist|access-date=February 27, 2019|archive-url=https://web.archive.org/web/20181214141232/http://gothamist.com/2018/12/11/governors_island_working_dogs.php|archive-date=December 14, 2018|url-status=dead}}</ref>。この犬達はソーシャルメディアで人気があり<!--フォロワーも増えている--><ref name=":1" />、ガンを追い立てる職務に加えて、ガバナーズ島観光客を迎える大使の務めも果たしている<ref name=":0" />。

== 各種活動 ==
[[File:Governors Island and Lower Manhattan - June 2017.jpg|thumb|300px|ヒルズから北側を見たところ。奥にあるのはロウアーマンハッタンの高層ビル群]]

この島での体験活動には、国立公園局の無料散歩ツアー、サイクリング、ピクニック、[[インスタレーション]]芸術、展示会、[[無人航空機|ドローン]]レース、お祭り、コンサート等がある<ref name=":33">{{Cite web|url=https://www.amny.com/things-to-do/governors-island-nyc-1.30517479|title=What to do on Governors Island this summer|last=Weaver|first=Shaye|date=May 1, 2019|website=am New York|language=en|access-date=May 30, 2019}}</ref>。境界道路(Division Road)が元々あった島の北部と人工的な南部を区分けしている<ref name="GI-ES p. cxxix" />。北半分はガバナーズ島ナショナル・モニュメントとして開放されている。南半分にはガバナーズ島の友が運営する公園があるが、最東端の区画は一般非公開である<ref name="Governors Island Map2" />。

=== 娯楽体験===
ガバナーズ島では様々な無料の娯楽体験が実施されている。ノーラン・パーク周辺の家では文化教育用の展示があり、コロネルズ・ロウでは期間限定の美術展示が開かれる<ref name=":33" /><ref>{{Cite web|url=https://govisland.com/blog/nolan-park|title=Explore Nolan Park|website=Governors Island|language=en|access-date=May 29, 2019}}</ref>。

ダウンタウン・ボートハウスは101番埠頭で無料の[[カヤック]]教室を開催している<ref>{{cite web|url=https://ny.curbed.com/2016/8/30/12716850/free-kayaking-governors-island-nyc|title=Free kayaking returns to Governors Island|last=Warerkar|first=Tanay|date=August 30, 2016|website=Curbed NY|access-date=May 1, 2019}}</ref><ref>{{cite web|url=https://govisland.com/things-to-do/activities/free-kayaking-with-the-downtown-boathouse|title=Free Kayaking with the Downtown Boathouse|date=April 1, 2019|website=Governors Island|access-date=May 1, 2019}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.downtownboathouse.org/governors-island|title=Governors Island|website=The Downtown Boathouse|access-date=May 1, 2019}}</ref>。さらに、国立公園局が運営する散歩ツアーとガバナーズ島の歴史的建造物をガイド無しで巡るツアーが幾つかある<ref name=":35" /><ref name=":33" />。その他公共の催し物や展示会も利用可能であり<ref name=":36">{{cite web|url=https://govisland.com/things-to-do/ongoing-programs|title=Governors Island Ongoing Programs|website=Governors Island|access-date=May 1, 2019}}</ref>、ザ・ヤード(The Yard)<ref name=":36" /><ref>{{Cite web|url=https://www.timeout.com/new-york-kids/news/governors-islands-most-creative-hands-on-playground-is-opening-with-a-new-name-041218|title=Governors Island's most creative, hands-on playground is opening with a new name|website=Time Out New York Kids|language=en|access-date=June 1, 2019}}</ref> と呼ばれる<!--[[play:groundNYC]]による運営の-->[[冒険遊び場]]や、堆肥学習センター(Compost Learning Center)<ref name=":33" /><ref name=":36" />と呼ばれる[[堆肥]]場がある。

一部の体験活動では追加料金が必要となる。例えば、ガバナーズ島の冒険(Adventures at Governors Island)は島の南部区画にある未開発な西側で[[ジップライン]]と[[ロッククライミング]]のコースを提供している<ref name=":33" /><ref>{{Cite web|url=https://www.timeout.com/newyork/blog/you-can-go-ziplining-and-rock-climbing-at-governors-island-next-week-051917|title=You can go ziplining and rock climbing at Governors Island next week|website=Time Out New York|language=en|access-date=June 1, 2019}}</ref><ref>{{cite web|url=https://govisland.com/things-to-do/activities/adventures-at-gi|title=Adventures at GI|date=April 1, 2019|website=Governors Island|access-date=May 1, 2019}}</ref>。他にもこの島で行われる有料体験活動としては、豪華なキャンプこと「[[キャンプ#様々なカテゴリ|グランピング]]」が2018年に始まって7月から11月まで営業している。利用客は、毎日島が一般開放される3時間前から島を利用することが可能で、払う値段に応じたグレードの宿泊や体験が提供される<ref>{{Cite news|url=https://www.amny.com/things-to-do/governors-island-glamping-1.19784134|title=What to expect if you go 'glamping' on Governors Island|last=|first=|date=July 14, 2018|work=am New York|access-date=July 18, 2018|language=en}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://gothamist.com/2018/07/13/governors_island_glamping_photos.php|title=Inside The New Glamping Tents On Governors Island|last=Carlson|first=Jen|date=July 13, 2018|work=Gothamist|access-date=July 18, 2018|language=en-US|archive-url=https://web.archive.org/web/20180714013942/http://gothamist.com/2018/07/13/governors_island_glamping_photos.php|archive-date=July 14, 2018|url-status=dead}}</ref>。島全体を巡るために、ブレイジング・サドル(Blazing Saddles)が自転車や三輪自転車の貸し出しをしており、島にはシティバイク{{enlink|Citi Bike}}の自転車共有ステーションも3つある<ref name=":33" /><ref>{{cite web|url=https://govisland.com/things-to-do/activities/biking|title=Biking|date=April 1, 2019|website=Governors Island|access-date=May 30, 2019}}</ref>。

=== イベント ===
[[File:Tappa tappa tappa (2857379165).jpg|alt=|left|thumb|200x200px|扮装イベント(Jazz Age Lawn Party)]]
ガバナーズ島芸術祭{{enlink|Governors Island Art Fair}}が、2007年より毎年9月の週末に島で開催されている。元々はコロネルズ・ロウの建物で行われていたこのイベントは、ウィリアムズ城とジェイ砦を芸術会場に含むほど大きくなっている<ref>{{cite web|url=https://news.artnet.com/market/governors-island-art-fair-2017-1066706|title=The Island of Emerging Art: Governors Island Nourishes Rising Talents With Its Latest Art Fair|date=August 1, 2017|website=artnet News|access-date=May 31, 2019}}</ref><ref>{{cite web|url=http://theartnewspaper.com/news/escape-the-concrete-jungle-for-new-york-s-governors-island-fair|title=Escape New York's concrete jungle for the Governors Island Art Fair|date=August 30, 2018|website=The Art Newspaper|access-date=May 31, 2019}}</ref>。コンサートも行われており、例えばRite of Summer Festivalという一連の無料コンサートが、2011年よりこの島で夏季を通して開催されている<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2011/09/06/arts/music/rite-of-summer-music-festival-at-governors-island-review.html|title=Rite of Summer Music Festival at Governors Island - Review|last=Kozinn|first=Allan|date=September 5, 2011|work=The New York Times|access-date=June 1, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.timeout.com/newyork/music/rite-of-summer-music-festival|title=Rite of Summer Music Festival {{!}} Music in New York|website=Time Out New York|language=en|access-date=June 1, 2019}}</ref><ref name=":33" />。[[アメリカ合衆国における禁酒法|禁酒法]]時代の[[コスプレ|扮装]]イベントである2日間のJazz Age Lawn Partyも島で開催される<ref name=":33" /><ref>{{Cite web|url=https://www.thevillager.com/2018/09/all-that-jazz-annual-jazz-age-lawn-party-takes-over-governors-island/|title=All that jazz: Annual Jazz Age Lawn Party takes over Governors Island|date=September 6, 2018|website=The Villager|access-date=June 1, 2019}}</ref>。

過去の集客には、Goverthingと呼ばれるオランダのお祭り(2009)<ref>{{Cite web|url=http://gothamist.com/2009/09/11/new_island_festival_opens_on_govern.php|title=New Island Festival Opens on Governors Island|last=Signore|first=John Del|website=Gothamist|access-date=June 1, 2019|archive-url=https://web.archive.org/web/20190601004440/http://gothamist.com/2009/09/11/new_island_festival_opens_on_govern.php|archive-date=June 1, 2019|url-status=dead}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2009/09/11/arts/11festivals.html|title=400 Years Later, Another Dutch Island in New York|last=Ryzik|first=Melena|date=September 10, 2009|work=The New York Times|access-date=June 1, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>や19世紀から20世紀の乗り物を集めたフランスのカーニバル(2013)<ref name=":30" /><ref>{{Cite web|url=http://gothamist.com/2013/07/11/photos_gorgeous_vintage_french_carn.php|title=Photos: Gorgeous Vintage French Carnival Now On Governors Island|last=Carlson|first=Jen|website=Gothamist|access-date=June 1, 2019|archive-url=https://web.archive.org/web/20190601004442/http://gothamist.com/2013/07/11/photos_gorgeous_vintage_french_carn.php|archive-date=June 1, 2019|url-status=dead}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.dnainfo.com/new-york/20130710/governors-island/vintage-parisian-carnival-turns-on-charm-on-governors-island|title=Vintage Parisian Carnival Turns on the Charm on Governors Island|website=DNAinfo New York|access-date=June 1, 2019|archive-url=https://web.archive.org/web/20190601004445/https://www.dnainfo.com/new-york/20130710/governors-island/vintage-parisian-carnival-turns-on-charm-on-governors-island/|archive-date=June 1, 2019|url-status=dead}}</ref>などもあった。以前は大規模なコンサートも幾度かガバナーズ島で開催されていた。例えば2011年開催のガバナーズボール音楽祭{{enlink|Governors Ball Music Festival}}があるが、これは翌シーズンに[[ランドールズ島とワーズ島|ランドールズ島]]へと移った<ref name=":30" />。

==公共交通==
2019年時点で、ガバナーズ島は5月初頭から10月末まで週7日開放されている。営業期間中、ガバナーズ島は毎日午前10時に開放され、通常は午後6時または7時(金曜と土曜の夜は時間延長)まで営業している<ref>{{cite web|url=https://govisland.com/visit-the-island|title=Governors Island|date=November 17, 2016|website=Governors Island|access-date=May 1, 2019}}</ref>。2015年まで、ガバナーズ島には夏季の週末のみ公共交通があり、コンサートを除けば夜間開放されることは滅多に無かった<ref name=":30" />。

=== 歴史 ===
最初のガバナーズ島への公共就航サービスは1794年に始まり、島まで手漕ぎボートを運航する営業許可がジョン・ヒリアー(John Hillyer)に与えられ、1人あたり3[[セント (通貨)|セント]]の運賃が徴収された<ref name="Smith p. 119">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|p=119}}</ref><ref name="Boggs p. 8">{{harvnb|ps=.|Boggs|1950|p=8}}</ref>。乗船者が増加するにつれて陸軍が営業許可を引き継ぎ、[[サウス・フェリー (マンハッタン)]]や砲列台(バッテリー)から運航を行なった<ref name="Boggs p. 9" /><ref name="Smith p. 121">{{harvnb|ps=.|Smith|1913|p=121}}</ref>。現在の[[クリントン城]]南側にあるバッテリーにおける最初の出航記録は1854年のことで、当時は2艘の[[艀]]があり最大収容人数はそれぞれ12名だった<ref name="Smith p. 121" /><ref name="USCG pp. 22-23" />。1844年に[[蒸気船]]での試運航が始まり、1879年までに以前の艀に取って代わった<ref name="Boggs p. 9" /><ref name="USCG pp. 22-23" />。乗船客の多くは、ガバナーズ島にあるニューヨーク工廠の従業員だった<ref name="Novak p. 53" />。島への往来に15セントの運賃を請求していた「醜い小さな曳船」は、1879年までに蒸気船へと置き換えられた<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1879/03/16/archives/improving-a-pleasant-resort-benefiting-governors-island-the-changes.html|title=Improving a Pleasant Resort.; Benefiting Governor's Island -- the Changes Made and Intended.|date=March 16, 1879|work=The New York Times|access-date=May 22, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。

1897年頃、島で増えてきた陸軍の存在に対応するためフェリー運航の全面的見直しが発表された<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1897/08/27/archives/governors-island-ferry-improvements-to-be-made-to-accommodate-the.html|title=Governors Island Ferry; Improvements to be Made to Accommodate the Large Garrison.|date=August 27, 1897|work=The New York Times|access-date=June 1, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。1925年から1929年に、乗客823名と車両21台を収容できる新しいフェリーボート3隻が追加された。1956年にこれらの2隻が乗客1,100名と車両32台を収容できる大型船舶に置き換えられた<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1956/10/20/archives/first-army-gets-two-ferryboats-but-cannot-use-them-until-the-slip.html|title=First Army Gets Two Ferryboats; But Cannot Use Them Until the Slip Is Renovated at Governors Island|date=October 20, 1956|work=The New York Times|access-date=June 1, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。

マンハッタンからの公共フェリー交通は2005年に始まり、当時このフェリーは週末に無料だった<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2004/06/04/nyregion/once-off-limits-governors-island-to-be-open-for-summer-tours.html|title=Once Off Limits, Governors Island to Be Open for Summer Tours|last=Depalma|first=Anthony|date=June 4, 2004|work=The New York Times|access-date=June 1, 2019|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。2010年より、ガバナーズ島と<!--アトランティック・アベニューにある-->[[ブルックリン橋]]公園の6番埠頭を結ぶ週末のフェリー運航が開始された<ref>{{cite web|url=http://govisland.com/html/visit/directions.shtml|title=The Trust for Governors Island - Visit the Island - Directions & Ferry Schedule|publisher=Govisland.com|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140910212438/http://www.govisland.com/html/visit/directions.shtml|archivedate=September 10, 2014|url-status=dead|accessdate=August 21, 2014}}</ref>。2011年6月、[[NYウォーターウェイ]]{{enlink|NY Waterway}}はイースト川沿いの場所への運航を開始した<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2011/06/14/nyregion/east-river-ferry-service-begins-with-7-stops.html|title=East River Ferry Service Begins|last=Grynbaum|first=Michael M.|date=June 13, 2011|newspaper=The New York Times|access-date=September 23, 2016|last2=Quinlan|first2=Adriane|issn=0362-4331}}</ref>。2017年5月1日、そのルートが[[NYCフェリー]]{{enlink|NYC Ferry}}のイースト川ルートの一部になった<ref>{{cite web|url=http://www.nydailynews.com/newswires/new-york/nyc-launches-ferry-service-queens-east-river-routes-article-1.3122046|title=NYC launches ferry service with Queens, East River routes|date=May 1, 2017|website=NY Daily News|publisher=Associated Press|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170501154444/http://www.nydailynews.com/newswires/new-york/nyc-launches-ferry-service-queens-east-river-routes-article-1.3122046|archivedate=May 1, 2017|url-status=dead|accessdate=May 1, 2017}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2017/05/01/nyregion/new-york-today-citywide-ferry-service-begins.html|title=New York Today: Our City's New Ferry|last=Levine|first=Alexandra S.|date=May 1, 2017|work=The New York Times|access-date=May 1, 2017|last2=Wolfe|first2=Jonathan|issn=0362-4331}}</ref>。2019年、大量の乗客を見込んで400人乗りの新しい船舶が<!--既存船Lt. Samuel Coursen号を補うために-->納入された。同年、NYCフェリーはウォール街11番埠頭からガバナーズ島へ向かう週末限定のシャトル船を追加し、島へ向かうイースト川および南ブルックリン運航と置き換えた<ref name="Crains 2019">{{cite web | title=Governors Island trust adds ferry to Manhattan route | website=Crain's New York Business | date=April 4, 2019 | url=https://www.crainsnewyork.com/transportation/governors-island-unveils-new-ferry | access-date=May 1, 2019}}</ref>。

=== 現在の運航===
[[File:Governors Island - Brooklyn Bridge Park Ferry.jpg|thumb|right|300px|ヤンキー桟橋に着いた<!--ブルックリン行きの-->フェリー。]]
ガバナーズ島には、ソワソン上陸地(Soissons Landing) とヤンキー桟橋(Yankee Pier)という2か所のフェリー接岸地点がある。

フェリーはここからマンハッタンにある<!--フィナンシャル・ディストリクトのスタテン島フェリーホワイトホールターミナルに隣接する-->[[バッテリー・マリタイム・ビルディング]]の7番停泊所までを往来する<ref>[http://www.lowermanhattan.info/construction/project_updates/battery_maritime_building_70249.aspx Lower Manhattan: Battery Maritime Building] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20081101020349/http://www.lowermanhattan.info/construction/project_updates/battery_maritime_building_70249.aspx |date=November 1, 2008 }}</ref>。乗船時間は約7分である<ref name="dnainfo-20160912">{{Cite web|url=https://www.dnainfo.com/new-york/20160912/governors-island/officials-weigh-governors-island-citywide-ferry-route-brooklyn|title=Officials Weigh Governors Island Stop on Citywide Ferry Route|last=Venugopal|first=Nikhita|website=DNAinfo New York|publisher=2016-09-12|access-date=September 23, 2016|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160924105530/https://www.dnainfo.com/new-york/20160912/governors-island/officials-weigh-governors-island-citywide-ferry-route-brooklyn|archivedate=September 24, 2016}}</ref>。これらのフェリーはガバナーズ島トラストによって運営されており、島が開放されている時期は毎日運航している<ref name=":33" /><ref name="GI Ferry"/>。

夏季の週末は、島の南東側にあるヤンキー桟橋へのフェリーも運航している。ヤンキー桟橋には2つのフェリールートがある。1つはトラストによる運営で、ブルックリン橋公園6番埠頭までの往来<ref name="Crains 2019"/><ref name="GI Ferry">{{cite web | title=Governors Island Ferry | website=Governors Island | url=https://govisland.com/visit-the-island/ferry | accessdate=May 1, 2019}}</ref>。もう1つのルートがNYCフェリーによる運営の[[フィナンシャル・ディストリクト (マンハッタン)]]にあるウォール街11番埠頭への往来で、そこで他6つのNYCフェリールートと合流する<ref name="Crains 2019"/><ref name="GI Ferry"/><ref name="gov-island-">{{Cite web|url=https://www.ferry.nyc/routes-and-schedules/route/governors-island/|title=Routes and Schedules: Governors Island|publisher=NYC Ferry|accessdate=2020-05-09}}</ref>。ヤンキー桟橋のフェリールートはどちらも公園が開放されている週末だけの運航である<ref name=":33" /><ref name="GI Ferry"/>。

トラスト運営のフェリーは30分に1便で、2019年時点で1人あたり往復3ドルの料金がかかる。マンハッタン行きのフェリーは週7日運航されるが、ブルックリン行きのフェリーは週末だけ運航される<ref name=":33" /><ref name="GI Ferry"/>。NYCフェリーの運航は30分ごとに行われ<ref name="gov-island-"/>、片道の運賃で2.75ドルかかるが、別ルートへの乗り換え1回が無料になる<ref>{{Cite web|url=https://www.ferry.nyc/account/|title=Ticket Portal|last=|first=|date=|website=|publisher=NYC Ferry|access-date=May 1, 2017}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://ny.curbed.com/2017/5/1/15501096/nyc-ferry-routes-tickets-information|title=Everything you need to know about NYC's new citywide ferry|last=Warerkar|first=Tanay|date=May 1, 2017|work=Curbed NY|access-date=September 18, 2017}}</ref>。

ソワソン上陸地にある現在の<!--鋳鉄-->桟橋は1947年に建てられ、第一次世界大戦中のソワソンの戦い(第16歩兵連隊の半数以上が戦死した)を追悼して名がつけられた<ref name="Hansen Pearson p. 125">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=125 (PDF p. 130)}}</ref>。1917年に建てられたレンガ造りの待合室(建物148)が西側にある<ref name="NRHI Nomination Form p. 21">{{harvnb|ps=.|NRHI Nomination Form|1985|p=21}}</ref><ref name="Hansen Pearson p. 126">{{harvnb|ps=.|Hansen|Pearson|1996|p=126 (PDF p. 131)}}</ref>。

==ゆかりの著名人==
* [[ニール・アダムス]]{{要曖昧さ回避|date=2021年4月}} (1941年-)、この島で生まれた漫画家で商業芸術家<ref>{{cite web |url=http://www.nyc24.org/2003/islands/zone5/governorsfeature.html |title=Army Brats Recall Island Paradise - Sidebar: Governors Island Factoids |first=Beth |last=Schepens |publisher=NYC24.org |year=2003 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090131073424/http://nyc24.org/2003/islands/zone5/governorsfeature.html |archivedate=January 31, 2009 |url-status=dead |accessdate=2020-05-09}}</ref>。
* [[ウィザーズ・A・バーレス]] (1894-1977)、第二次世界大戦中に第100歩兵師団の司令官を務める。1952-54年にジェイ砦で[[第1軍 (アメリカ軍)]]指揮官を務めて自身の軍歴を終えた<ref>{{cite web|title=Downtown Alliance Commemorates 204 Canyon of Heroes Parades|work=Alliance for Downtown New York|url=http://www.downtownny.com/sites/default/files/Canyon%20%20Corrected%20version_1.pdf|access-date=October 8, 2017}}</ref>。
* [[ウィンフィールド・スコット・ハンコック]] (1824-1886)、米陸軍将校でアメリカ合衆国大統領の民主党候補者。大西洋師団の指揮中にこの島で死去<ref>{{cite book |last=Cluff |first=Mary Lynn | editor-first=David S. |editor-last=Heidler |editor-first2=Jeanne T. |editor-last2=Heidler | title=Encyclopedia of the American Civil War: A - C. | publisher=W.W. Norton, Incorporated | issue=v. 1 | year=2000 | isbn=978-1-57607-066-6 | url=https://books.google.com/books?id=m10YAAAAIAAJ | accessdate=May 2, 2020 | page=922-923}}</ref>。
* [[ピーター・マルツィオ]] (1943–2010)、 [[ヒューストン美術館]]の元館長<ref>{{cite web | last=Friel | first=Katie | last2=Sandler | first2=Eric | title=Art world is stunned at news of Museum of Fine Arts Director Peter Marzio's death | website=CultureMap Houston | date=December 10, 2010 | url=https://houston.culturemap.com/news/entertainment/12-10-10-museum-of-fine-arts-director-peter-marzio/ | access-date=May 8, 2020}}</ref>
* [[スマザーズ・ブラザーズ]] (兄トムが1937年生、弟ディックが1939年生)、この島出身の芸能人<ref name=":30"/>。

==関連項目==
{{Commons and category|Governors Island}}
* [[マンハッタンのニューヨーク市指定歴史建造物の一覧]]
* [[ニューヨーク郡のアメリカ合衆国国家歴史登録財の一覧]]


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈===
*{{Include-USGov
{{Reflist|group="注釈"}}
| policy = http://www.nps.gov/disclaimer.htm
=== 出典===
| agency = National Park Service
{{Reflist|2}}
| article = Governors Island National Monument
===参考文献===
| url = http://www.nps.gov/gois/
<!--出典で「著者+年」表記の書誌-->
| author =
{{refbegin}}
| accessdate =
# {{NPS|url=https://www.nps.gov/gois/|title=Governors Island National Monument|accessdate=2020-05-10}}
}}
# {{cite book | last=Boggs |first=Kenneth L. | title=Sentinel isle; a brief history of Governors Island, Fort Jay, 1637-1950. : Boggs, Kenneth L. : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive | via=Internet Archive | date=1950| url=https://archive.org/details/sentinelislebrie00bogg|ref=harv}}
{{reflist}}
# {{cite book | last=Buttenwieser | first=Ann | title=Governors Island : the jewel of New York Harbor | publisher=Syracuse University Press | location=Syracuse, N.Y. | year=2009 | isbn=978-0-8156-0936-0 | oclc=276140139<!-- | ref={{harvid|Buttenwieser|2009}} -->}}
# {{cite book|url=https://books.google.com/books?id=DT03AQAAMAAJ&pg=PR6|title=Governors Island Disposition of Surplus Federal Real Property: Environmental Impact Statement|last=Edwards and Kelcey Engineers, Inc.|publisher=|date=November 4, 1998|isbn=|location=|ref={{sfnref|Governors Island EIS|1998}}}}
# {{cite web|url=http://home2.nyc.gov/html/lpc/downloads/pdf/reports/GOVERNORS_ISLAND_-_HISTORIC_DISTRICT.pdf|title=Governors Island Historic District|last=Hansen|first=Laura|last2=Pearson|first2=Marjorie|date=June 8, 1996|accessdate=2020-05-09||publisher=[[Government of New York City|City of New York]]; [[New York City Landmarks Preservation Commission]]|ref={{sfnref|Hansen|Pearson|1996}}}}
# {{cite web|url=https://www.nps.gov/gois/upload/Governors-Island-and-Related-History.pdf|title=Governors Island Historical Summary|first=Larry|last=Lowenthal|publisher=[[United States Department of the Interior]], [[National Park Service]] |date=August 2005|accessdate=2020-05-09}}
# {{cite web |title=National Register of Historic Inventory - Nomination Form For Federal Properties: Governors Island |url=https://npgallery.nps.gov/GetAsset/61d116a9-eb4f-4f82-99c3-c3f6e2bc21cd/ |publisher=[[United States Department of the Interior]], [[National Park Service]] |date=February 4, 1985 |accessdate=2020-05-09|ref={{sfnref|NRHI Nomination Form|1985}}}}
# {{cite book |first=Liza |last=Novak | title=Cultural Landscape Report for Governors Island National Monument | via=Internet Archive | date=July 21, 2010 | url=https://archive.org/stream/culturallandscap10nati#page/n1/mode/2up |publisher=[[United States Department of the Interior]], [[National Park Service]] |ref={{sfnref|Novak|2010}}}}
# {{cite book |last=Smith|first=Edmund Banks| title=Governors Island, its military history under three flags, 1637-1913 | date=1913 | url=https://archive.org/details/governorsisland00smitgoog | publisher=Valentine's Manual New York|ref={{sfnref|Smith|1913}} }}
# {{cite book |last=United States Coast Guard | title=Guide to Governors Island / | via=Internet Archive | date=1973 | url=https://archive.org/stream/guidetogovernors00durs#page/n3/mode/2up | ref={{sfnref|United States Coast Guard|1973}} }}
{{refend}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
'''公式サイト'''
{{Commons category}}
*[http://www.govisland.com/ The Trust for Governors Island website]
* [https://www.govisland.com/ The Trust for Governors Island website]
*[http://www.nps.gov/gois/ The Governors Island National Monument website]
* [https://www.nps.gov/gois/index.htm The Governors Island National Monument website]
*[http://www.nyharborparks.org/visit/gois.html Governors Island] Visitor information
* [https://nyharborparks.org/visit-parks/#tab-id-3 Governors Island] 観光客向け情報
* [https://govisland.com/about/the-friends-of-governors-island The Friends of Governors Island]
*[http://www.governorsislandalliance.org/newsite/ Governors Island Alliance]
*[http://forgotten-ny.com/2010/10/governors-island/ Governor's Island - Forgotten New York]
*[http://www.4heads.org/ Governors Island Art Fair]
*[http://offmanhattan.com/2008/06/05/free-bike-rental-fridays-on-car-free-governors-island/ Biking on Governors Island]
*[http://purl.fdlp.gov/GPO/gpo5307 Cultural Landscape Report for Governors Island National Monument]
*[http://www.nnp.org/nni/Virtual%20Papers/Governors%20Island,%20Lifeblood%20of%20American%20Liberty.pdf Governors Island, Lifeblood of American Liberty (34 slides)]
*[http://tps.cr.nps.gov/nhl/detail.cfm?ResourceId=1904&ResourceType=District National Historic Landmark information]
*[http://www.angelfire.com/ny5/governorsisland/index.html Governors Island Military Brats]
*[http://maps.google.com/maps?f=q&hl=en&q=new+york,+ny&ll=40.688847,-74.017575&spn=0.015392,0.053902&t=k Satellite Image]
*[http://www.scientificamericanpast.com/Scientific%20American%201900%20to%201909/6/lg/sci11301907.htm 11/30/1907;Enlargement And Reconstruction of Governors Island's Military Post]
*[http://nycfoto.com/l.HxCb Photos of Governor's Island]


'''それ以外のサイト'''
* [https://purl.fdlp.gov/GPO/gpo5307 Cultural Landscape Report for Governors Island National Monument]
* [https://wayback.archive-it.org/all/20070615111503/http://www.nnp.org/nni/Virtual%20Papers/Governors%20Island,%20Lifeblood%20of%20American%20Liberty.pdf Governors Island, Lifeblood of American Liberty (34 slides)]
* [http://tps.cr.nps.gov/nhl/detail.cfm?ResourceId=1904&ResourceType=District National Historic Landmark information]
{{WikidataCoord||region:US-NY_type:isle|display=title}}
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[[Category:ニューヨーク市の砦]]
[[Category:ニューヨーク市の砦]]

2024年5月31日 (金) 09:39時点における最新版

ガバナーズ島
Governors Island
旧:Paggank
旧:Noten Eylandt (Nutten Island)
地図
ニューヨーク市における位置
名の由来
  • 木の実に由来する"Paggank"
  • ニューヨーク植民地総督に由来する"Governors Island"
地理
場所 ニューヨーク港
行政
人口統計
人口 0[1]
追加情報
時間帯
 • 夏時間(DST
  • 東部標準時(UTC-4
ZIPコード 10004
公式サイト The Trust for Governors Island website
The Governors Island National Monument website
テンプレートを表示
ガバナーズ島
ガバナーズ島の位置(ニューヨーク内)
ガバナーズ島
所在地アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク郡
座標北緯40度41分20秒 西経74度01分09秒 / 北緯40.6889918度 西経74.0190287度 / 40.6889918; -74.0190287
面積172エーカー (70 ha)
建築様式コロニアル・リヴァイヴァルグリーク・リヴァイヴァル
訪問者数443,000 (2010)
NRHP登録番号85002435
指定・解除日
NRHP指定日1985年2月4日[2]
NHL指定日1985年2月4日[3]
NMON指定日2001年1月19日

ガバナーズ島(ガバナーズとう、Governors Island)は、アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタン区に所属するアッパー・ニューヨーク湾にある172エーカー(70ヘクタール)の島。マンハッタン島の南約730mの位置にあり、ブルックリン区からはバターミルク水路で東へ約370m離れている。

米国立公園局が島北部の小さな区画をナショナル・モニュメントとして管理しており、そこにはジェイ砦ウィリアムズ城という名前の旧軍事要塞が2つある。歴史的建造物52件を含む残りの150エーカー(61ヘクタール)については、ガバナーズ島トラスト (The Trust for Governors Island) が公園として運営している。1900年代初頭に約103エーカー(42ヘクタール)の土地が埋め立てられて、元の島の南側に追加された。

先住民のレナペ族は当初、ガバナーズ島のことを"Paggank"(木の実の島)と呼んでいた。この名前がオランダ語で"Noten Eylandt"と翻訳され、それが英語で"Nutten Island"と呼ばれるようになり、18世紀後半に"Governor's Island"(総督の島)へと改名された。後年にアポストロフィが外されて、現在はガバナーズ島 (Governors Island) という名称になった。

この島の軍事施設としての活用は、アメリカ独立戦争中に大陸軍部隊が島での防衛活動を始めた1776年まで遡る。 1783年から1966年まで、この島はアメリカ陸軍駐屯地であり、主に軍隊の訓練場としての役割を担っていたが、戦時中は戦略的防衛拠点としても機能していた。その後1996年までは主にアメリカ沿岸警備隊の施設として活用された。軍事基地としての役割を終えた後、ガバナーズ島の再開発計画が幾度か行われ、2003年に僅かな金額(1ドルとも言われる)で自治体に売却され、2005年に公共利用のため開放された。

ガバナーズ島は5月から9月にかけて一般開放される人気の季節観光地になっており、2018年時点で年間80万人以上の来訪者がいる。43エーカー(17ヘクタール)の公園のほか、ガバナーズ島には無料の芸術文化イベントや娯楽体験施設がある。この島はブルックリンおよびマンハッタンからのフェリーでのみ往来可能である。

語源

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先住民のレナペ族は、この島を「木の実の島」を意味する"Paggank"と呼んでいた[4][5][注釈 1]。これは恐らく島にヒッコリーオーククリの木が豊富にあったことに関連していた[4][7][8]:9。オランダの探検家アドリアン・ブロックがそれを"Noten Eylandt"とオランダ語に翻訳し[4][5]、これを英語化した"Nutten Island"という名称が18世紀後半まで使用され続けた[6]。ガバナーズ島という名称は、ニューヨーク植民地時代に植民地議会がこの島をニューヨーク植民地総督(ロイヤル・ガバナー)の独占使用のため確保していたことに由来する[9]。当初はアポストロフィ付きの"Governor's Island"つまり「総督の島」であったが、1784年にアポストロフィ無しの"Governors Island"(ガバナーズ島)が正式名称となった[6]

歴史

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植民地時代

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元々あったガバナーズ島部分の空撮

元々あったガバナーズ島は、現在の島よりも遥かに小さいものだった。当初は海岸線に沿って複数の入り江と広葉樹林があり、そこからこの島の先住民名称「木の実の島 (Paggank)」が付けられた[10]。この島にレナペ族の定住地があったのか又は狩猟・採集で主に使われていたのかは証拠不足で分かっていない[7]。1524年、当時Paggankと呼ばれていた島を観察して記録した最初のヨーロッパ人がジョヴァンニ・ダ・ヴェラッツァーノである[11]。そこから100年後の1624年5月、この島がニューネーデルラント最初の入植者たちの上陸地となり、オランダ語表記のNoten Eylandtとなった。彼らはコーネリアス・ヤコブセン・メイ指揮のもとニューネーデルラント号という船でネーデルラント連邦共和国からやって来て、ニューネーデルラントの領土を獲得する目的で家族30世帯と共にこの島に上陸した[12]。このため、ニューヨーク州上下院はガバナーズ島をニューヨーク州発祥の地だと認識しており、またこの島を「北米大陸に及ぶ法的・政治的な(植民地支配)容認の担保」 としての入植が実施された場所として認定している[13]

1633年、ニューネーデルラント5番目の総督ウーター・ヴァン・ツィラー (Wouter van Twillerは連隊104人と共にNoten Eylandtに到着し、後に自分の個人的用途のためこの島を接収した[7]。彼は証書を作成することで1637年6月16日に農場を確保し、その証書には先住民の代表であるレナペ族の指導者2名(CacapeteynoとPewiha)による署名がなされた[14][11]。ヴァン・ツィラーは島に農場を開拓してその地に風車まで建設、1642年にネーデルラント連邦共和国に帰国した[7]

1648年までにその風車は恐らく破壊され、動作不能状態を確認した植民地総督ピーター・ストイフェサントがそれを焼き払った[15]。その後Noten Eylandtは1652年から1664年にかけてオランダ人に保養地として使用されていたとされている[9]。ヴァン・ツィラーがニューネーデルラントを去って以後この島が公有地のままになっていたという事実以外に、オランダ植民地時代の島の用途に関する文献は殆ど存在していない[10]

1664年にニューネーデルラントは条件付きでイングランドに割譲され、1665年6月にイングランド人がこの入植地をニューヨークと改名した[16][10]。1674年までに英国がこの島を完全に支配した[17][11]。この時点で、島の東岸は干潮時に容易に通過できる浅い水路にてブルックリンから隔てられていた。女性がこの水路を使ってマンハッタンの島にバターミルクを行商していたため、ここがバターミルク水路として知られるようになった[9]。1680年までに、Noten Eylandtというオランダ名は英語のNutten Islandに変わり、その島には植民地総督が使用する単独の家屋と牧草地があった[9]

1698年に、イギリス人がNutten Islandをガバナーズ島こと「総督の島(Governor's Island)」と呼ぶようになり、この島を植民地総督専用として確保するようになった[18][9][19]

4年後、エドワード・ハイド(コーンベリー卿)がニューヨーク植民地総督に就任した際に邸宅をこの島に建てたが、この邸宅の痕跡はもはや存在しない[10][9]。後年、ウィリアム・コスビー総督はキジの繁殖およびキジ狩りをするための保護区としてこの島を活用した[10][20]。他の総督は利潤目的でこの島を貸し出し[18]、1710年頃に短期間だがガバナーズ島は難民の検疫所として指定された[19]。それ以外は1775年にアメリカ独立戦争が始まるまで、この島にはほぼ誰も手をつけなかった[10][21]

アメリカ独立

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ノーラン・パークにある家屋

ガバナーズ島こと総督の島(Governor's Island)の要塞化に関する最初の計画は、フランスとの戦争を想定して1741年に作成されたが、決して砦が築かれることはなかった[22]。この島が軍の野営地として最初に使われたのは1755年のフレンチ・インディアン戦争時で、ウィリアム・ペッパーレル士官が第51歩兵連隊を率いてガバナーズ島に上陸した時である[22][23][24][25]。ほどなく別連隊も後に続き[25] 、1760年代半ばにはこの島に砦および複数の土塁を周囲に築く書面作成がなされた[22]。ガバナーズ島の要塞化をより向上させる追加計画は、1766年に英国の軍事技術者ジョン・モントレゾールによって考案されたものである[26][27][28]。1774年に英国はこれら要塞化のための資金を要求したが、これらの計画は一切実現しなかった[26][29]

アメリカ独立戦争が勃発すると、大陸軍司令官のジョージ・ワシントンチャールズ・リー少将にニューヨーク港の防衛計画作成を任じた[26]。リーの計画は、ブルックリン、マンハッタンの砲台、そしてガバナーズ島に幾つかの防御砦を要求するものだった[29][30]。大陸軍将軍のイズラエル・パットナムは1776年4月9日の夜、前年にニューヨーク市から撤退した英国軍の帰還を予見してこの島を来訪、土塁と大砲40基を付け足した[29][30][31][32]

その後数ヶ月にわたってこの島の防衛力は引き続き改善され[29][33][34]、同年7月12日に、ハドソン川をタッパン・ジーまで上ってきた戦列艦HMSフェニックスやHMSローズと交戦した[29][30][34]。英国軍はタッパン・ジーまで北上してきたが、植民地側の大砲は英国軍司令官にイースト川進入をためらわせるほどの十分な損害を与えた[35]。またこの砦塁は、ロングアイランドの戦いで英国陸軍が同年8月27日頃にブルックリン・ハイツ奪取を試みた後での、ワシントンによるブルックリンからマンハッタンへの撤退成功に貢献した[33][34][35][36]

戦略上の誤算だと思われるが、反乱軍の軍需品は下流約3.2kmで待機する英国軍の船に殆どまたは全く損害を与えなかった[36][37][38]。英国軍がマンハッタンに退却した2日後、大陸軍はブルックリンおよびガバナーズ島から引き揚げ、英国はガバナーズ島を奪還した。1776年9月2日から14日にかけて、新たな英国駐留兵はマンハッタンにあるジョージ砦正面の砲台にてワシントンの銃での連射を行った[39][37]

9月6日、失敗に終わったこの島での米国側タートル潜水艇による破壊工作は、史上初めて記録された潜水艦攻撃となった[38][40]。この砦は今後の戦争に向けて1783年の撤収の日まで英国軍に占有された[37][38][40]。この時期に、英国軍はガバナーズ島の防護を改善し続けていた[40][41]

18世紀後半から19世紀

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18世紀後半から米英戦争

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アメリカ独立を経て、ガバナーズ島こと総督の島(Governor's Island)はクラウン・エステートからニューヨーク州に移された。 島には軍事的用途が見られず、代わりにホテルや競馬場として使用された[33]。大部分が土でできていた要塞の質は劣化し始めた[33][42]。1784年3月29日、米国議会の法律によってこの島の名称がアポストロフィ無しの「ガバナーズ島(Governors Island)」に変更された[43][6]。1790年にガバナーズ島は「軍事目的で必要とされない限りは[中略]教育振興目的で」[18][43]ニューヨーク州評議員会 (New York State Board of Regentsに移譲された。この時期における島の用途については他にほとんど知られていない[44]

1790年代半ばまでに、軍事的緊張の高まりがニューヨーク港要塞化への関心を再燃させ、米国議会の委員会はアメリカの主要都市中心部を守るため第一次要塞化ができうる場所の地図を作成した[44][45][46]。防御が構築された最初の地点の1つがガバナーズ島だった[47]。そのため、評議委員会との合意は1794年に無効になり[18][43]、1794年と1795年にはガバナーズ島の防御構築に約250,000ドルの連邦予算が割り当てられた[44][45][46]

ウィリアムズ城

ジェイ砦 (Fort Jayは、以前に独立戦争の土塁があった地点で1794年に建設が始まった[46][48][40]。ジェイ砦の低い高台は脆くて占領されやすいとの懸念もあったが、作業は進行した[49]。ジェイ砦は4つの堡塁を擁する四角形の砦で、土塁と木材で作られていたが戦争の脅威が去るや間もなく劣化していき、1805年までに酷く崩壊してしまった[48]。1800年2月15日にこの島の所有権が連邦政府に移譲された[43][50]

1800年代初頭にニューヨーク港の防衛を担当したジョナサン・ウィリアムズ中佐は、第二次要塞システムの一部として同港の周辺に幾つかの新たな牙城を提案した。第一次防衛システムとは違って劣化を防ぐため新たな砦は石積みで作られ、火力の増強および武器の改善も含まれていた[48][51]。1806年から1809年にかけてジェイ砦は現在の星形に再建され[50][51][52][53]、ほどなくコロンバス砦と改名された[52][53][50]。これに次ぐ主要な牙城のウィリアムズ城 (Castle Williamsは、1807年から1811年にかけて島の北西隅からコロンバス砦の北へと伸びる岩礁に建設された円形砲台であった[50][51][53][54]。3番目の牙城となる南側砲台または半月砲台(現:建物298)は、1812年に島の東海岸にあたるコロンバス砦の南側に建設された[41][55][56]。1812年の米英戦争はこれらの防衛システム完成直後に勃発したが、最後までこれらの要塞が戦闘に遭遇することはなかった[55][57]

19世紀半ばと南北戦争

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米英戦争後、この島はさほど発展しなかった。むしろ1812年頃から始まる軍隊の駐留用に活用されていた[58][59]。島に駐留した軍隊は、残りの19世紀の間に4度戦争に配備された[60]。陸軍とは別同隊で砲撃を扱うニューヨーク・アーセナルは、1832年にこの島に移ってその3年後に武器庫の建設を始めた[61][62][63][59]。アーセナルの構造物建設は数十年にわたって続いた。アーセナルと陸軍の建物を区別するために、前者の建物は1843年に建てられた提督住居のようなギリシア復興様式(グリーク・リヴァイバル)で設計された[63][64][65][63]

1841年建造の提督住居 (Admiral's House

陸軍は当時この島に駐留軍を展開しており、1830年代には将校の兵舎や病院などの新たな建物を幾つか建設した[63][64]。また陸軍は石積みの防潮堤を追加し[66]、1850年代から「管理・訓練センター」を開設した[17][58][66]。募兵センターと兵舎の建設は、コロンバス砦の東にノーラン・パークという公園造成をもたらす結果となった[66]。これらの変更と共に、防衛迎撃が始まる際に見晴らしの利く地点になるようコロンバス砦とウィリアムズ城の間にある藪草地帯を刈り込んだ[67][68]。それ以外の陸軍の建物には、米墨戦争および南北戦争時期に運用された集会所や音楽学校などがあった[17][69][17]。それでも、部隊の大半がテント生活を続けていた[66]。陸軍要員の宗教要件に対応するため、1846年にプロテスタント用の小さなゴシック復興様式の礼拝堂がガバナーズ島に建設された[70][71][72]

仮設病院は建てられたものの、特に南北戦争のために新たな恒久的建造物は建設されなかった[67][73]。同病院では1850年代および1860年代にコレラ黄熱病の流行で感染患者を治療した[63]。戦争中、ガバナーズ島はまだ要塞が機能するにもかかわらず、主に召集兵の支援施設として使用されていた[69][67]。ウィリアムズ城は南軍の捕虜を収容し、コロンバス砦は捕虜となった南軍の将校を収容した[17][51][58][67]。質素な収容施設では千人を超える囚人を収容することもしばしばで[67]、しばしば脱走して「本土」のマンハッタンまで泳く者もいた[68][69]。1863年のニューヨーク徴兵暴動の最中に、陸軍部隊がマンハッタンに配備された際に抗議者らがこの島を占拠しようとするも失敗に終わった[73][74][60]

戦後、ウィリアムズ城は軍事刑務所として活用され、レブンワース砦アルカトラズ島といった軍事刑務所の東海岸版となった[17]。インフラ等の施設が修理されて未使用の建造物は解体され、1875年にはコロンブス砦の北に新たな軍需倉庫が建設された[75]。以前は未開発だった島の北部および東部で重要な開発が行われた。具体的にはコロンバス砦外側にある木造の古い兵舎が移設され、砦の東にあるノーラン・パークに新たな士官宿舎が建設された[76]。島の北側と西側にある防潮堤は、更なる建設用地を作るため更地に戻したり拡張が行われた[77]。この拡張期間の1870年に、島では特に重篤な黄熱病の伝染が起こり、数百人が病に罹って検疫を要した[74][78][79]。黄熱病患者を収容していた建造物は後に取り壊された[78]。これらの異変がありながらも、1873年にコロンバス砦やウィリアムズ城は依然として機能していたと記されている[80]

1878年に、コロンバス砦は主要な陸軍行政センターになり、陸軍士官の家族が流入するようになった[81][17]島にある娯楽的な選択肢としては、ノーラン・パークのテニスコート、南側砲台の市民農園、ゴルフ場、サイクリング用遊歩道があった[82]。島には墓地もあり、当初は黄熱病とコレラの犠牲者を受け入れていたが、1878年に埋葬が中止されて1886年までに全てブルックリンに移設された[83]

ガバナーズ島の人里離れた雰囲気は、1885年に米国初のゴミ焼却炉が島に建設された際に若干変化した[84]。その後の1890年代や1900年代の建設で、島には幾つかの将校住居が追加された[63]。ガバナーズ島をロウアー・マンハッタン居住者用の公園に変える運動は、1888年から始まっている[85][86]。公園提唱者達はセントラル・パークプロスペクト・パークがロウアー・マンハッタン居住者には遠すぎると主張したが、この計画は実現しなかった[85]

20世紀の陸軍作戦

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拡張と第一次世界大戦

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ガバナーズ島の陸軍大隊。1918年

1880年代後半から1890年代にかけて陸軍はこの島の拡張計画に着手した。米国陸軍長官のエリフ・ルートが、この島が大隊を丸ごと収容するのに十分な広さになるよう、島の拡張を計画した[85][87]ニューヨーク市地下鉄の最初の路線から発掘された材料を使用し、陸軍工兵隊が366万m3の盛土を追加してガバナーズ島を南に拡張した[85][88][89][87]。作業の大部分は1909-1910年までに完了し[90][91]、1913年1月までに完工が宣言された[69]。同事業が終了した際、島は103エーカー拡張されて総面積172エーカー(0.70km2)になった[69][92][93]

またルート長官は、ボザール様式の建築家チャールズ・フォレン・マッキムの力を借りて、ガバナーズ島にあるほぼ全ての建造物を再設計するなど島の地形計画を作成した[94][90]。マッキムは1902年と1907年に、古い建物を全て解体して建物を対称的に配置していく計画を提示したが[91][90]、これらの計画は一切実行されなかった[90]。さらにルートは1904年に、コロンバス砦の名称を昔のジェイ砦に戻した[41][50]。1907年に昔の礼拝堂が聖コルネリウス・センチュリオン礼拝堂に改築された[95][96][69]

新たに造成されたガバナーズ島の南部は当初、滑走路として使用されていた。1909年10月の世界初となる水上飛行で、ウィルバー・ライトはガバナーズ島からマンハッタンの西側を飛行してそれから島へと戻ってきた[71][90][97]。翌年、グレン・カーチスはこの島に着陸することでオールバニ (ニューヨーク州)からニューヨーク市への飛行を成し遂げた[71][98]。1916年から1917年までは航空訓練センターも運営されていた[99]。これらの飛行士に敬意を表して、1954年に初期航空士 (Early Birds of Aviationの記念碑がリゲット・ホールに捧げられた[99][100]

島の拡張がされたとはいえ直後は殆ど発展しなかったが[90] 、第一次世界大戦中に重要な建設が行われた[71][93][101]。アメリカ議会がドイツに宣戦布告した数分後にガバナーズ島の部隊がニューヨーク港でドイツ船を拿捕したことで、この島は一次大戦における最初(1917年4月6日)の明白な米国軍事行動の場所として言及されることがある[93][102]

兵舎、テント、仮設の木造建築物が当初の島の北部に建設され、新しい南部区画には倉庫やその他補給施設が収容され、合計7,500万ドル相当の資材が保管された[71][93][101]。建造物は全て、多数の入換え用引込線で構成される13kmのガバナーズ島鉄道で接続されていた[71][93][103]。同鉄道は1.5マイル(2.4 km)に縮小され、1931年に解体されるまで「世界で最も短い鉄道」と呼ばれていた[104][注釈 2]

20世紀半ば

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1928年建造のリゲット・ホール (Liggett Hallと呼ばれる旧兵舎(建物400)

第一次世界大戦末期の1920年、陸軍は内部組織を再編成してガバナーズ島が第2軍団の本部地域となった[106]。終戦直後に建造された建物は殆ど無く、陸軍は既存の建物を維持してこの島を軍事刑務所として利用し続けた[107]。木製の兵舎建築の幾つかは急速に劣化し、議会使節団からの苦情が出るようになった[108]。1926年、陸軍兵士の子供を対象とした学校がガバナーズ島で開校した[109]

1927年、ハンソン・エドワード・エリー少将は、主にジョージアン復興様式 (Georgian revivalの建造物をガバナーズ島に建設する主要計画に着手した[88]。新たな建造物には、映画館、キリスト教青年会(YMCA)、「将校クラブ」[注釈 3]、公立学校などがあった[88][17]。3階建てのリゲットホール(建物400)は、元々あった島のほぼ全幅にわたる軍の兵舎で第一次世界大戦前の倉庫敷地に建てられたもので、1928年の竣工当時は世界最大の兵舎の1つとされた[108][88][68]

その後、陸軍はマッキム・ミード&ホワイト(当時アメリカで屈指の建築設計事務所。ボザール様式を推進した)を雇い、リゲット・ホールの近くに「兵舎地区」を造成した[110]。1930年代、公共事業促進局(WPA)が島の大部分の景観造園を行うと共に多くの既存建物を補強し、その過程で最大5,000人の労働者を雇用した[111][112][113]。WPAの事業には将校邸宅の修復[114]や外来種マメコガネ(ジャパニーズ・ビートル)の撲滅などもあった[113][115]。また陸軍は徐々にガバナーズ島の道路を再舗装して、近代的な車両を導入することに成功し、車庫を建設した[116]

陸軍のYMCA

20世紀半ばのガバナーズ島では陸軍のコミュニティが発展した[17][117]。島には映画館、YMCA、「将校クラブ」に加えて3つの礼拝堂があった[17]。娯楽も普及し、一般的なスポーツの1つがポロで、これは島への往来が馬だった19世紀の名残りである。1920年、島の練兵場にポロ競技場が設立された[117]ゴルフ場はジェイ砦付近に1903年に造成されていたが[118]、ガバナーズ島ゴルフコースと呼ばれる新たなポロ&ゴルフ場が1925-1926年頃に建設された[117]。この施設はジェイ砦の敷地内にあり[119]、狭い空間に囲まれた性質から「世界で最も曲がった」ゴルフコースと呼ばれることもあった[120]。ガバナーズ島にはテニスコートや水泳プールもあった。娯楽地区の様々な施設は一般的に軍の階級に従って配置された[121]。1942年にローマカトリックの教会が建設され1959年にシナゴーグが建てられたことで、礼拝所の数が増加した[69]

第二次世界大戦はまた異なる階級社会変化をガバナーズ島にもたらし、結果的に島は軍事遂行本部へと変わっていった[121]。1939年、この島が第1軍 (アメリカ軍)本部となり、その2年後には東部防衛司令部 (Eastern Defense Commandも設立された[106][121]。併せて72の仮設建造物がこの島に建てられた[121]。1941年、ガバナーズ島は米陸軍の募兵センターとなり[122]、1942年までに日々1,500人の新兵手続きを行っていた。1942年10月、募兵局はグランドセントラル駅近くの建物 (Grand Central Palaceに移動した[123][124]。1945年の第二次世界大戦終戦後も、ガバナーズ島は引き続き米国第1軍の本部であり、実質的な変更は殆ど無かった。島の南西隅にある建物が幾つか解体され、駐車場への道を作るために管理事務所が解体されたが、造成のレイアウト全体は比較的手付かずのまま残された[125]

インフラ整備

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ガバナーズ島沖のブルックリン-バッテリートンネル換気塔

1930年にフロイドベネット飛行場 (Floyd Bennett Fieldがブルックリンに建設される以前、この島は市営空港の場所と見なされていた。 1927年、米国の代議士で後のニューヨーク市長フィオレロ・ラガーディアはフロイドベネット飛行場の候補地よりもマンハッタンに近いことから、ガバナーズ島に商業空港を置くことを提唱した[126]。ガバナーズ島空港造成をめぐる法案は米国下院の票決で却下された[127]。この島はまた、第二次世界大戦後しばらくの間1960年代までガバナーズ島陸軍飛行場を運営していた[128]

1940年、島の北東隅の海底を通過するブルックリン-バッテリートンネルの工事が始まった[129][130]。マッキム・ミード&ホワイトによって設計された換気用の建物[131]土手道で島と繋がっている[132][133]。当初はトライボロー橋・トンネル当局 (Triborough Bridge and Tunnel Authorityの会長ロバート・モーゼスが港に架ける橋を提案したものの[134]陸軍省が川の上流にあるブルックリン海軍工廠への航行に支障を来たしかねないと指摘してこの計画を却下した[135][136]。その後のガバナーズ島から橋までの斜道を建設する計画も拒否された[137][138]。ブルックリン-バッテリートンネルは、島に至る物理的接続のないまま1950年に開通した[139][140]

廃止

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1963年、国防長官ロバート・マクナマラは、費用を節約するために余剰の軍事施設とりわけ海軍造船所の閉鎖実現可能性を調査し始めた。1964年5月に国防総省は、ジェイ砦、ブルックリン海軍工廠、ブルックリン陸軍倉庫 (Brooklyn Army Terminalの閉鎖を検討していると発表した[141][17]。3施設での従業員の抗議にもかかわらず、11月にマクナマラはジェイ砦が閉鎖される100近くの軍事施設の1つになると発表した[142][143][144]。1965年2月、アメリカ沿岸警備隊は施設をニューヨーク市内に統合するためジェイ砦に移転する許可を求めたと発表した。 沿岸警備隊はこの島を、学校など多くの施設を統合する契機になり、またこの地域や大西洋への活動拠点になると見ていた[145]

沿岸警備隊の活動

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沿岸警備隊のガバナーズ島活用を表した地図。1995年

1965年12月31日、陸軍基地が正式に廃止されて同施設は沿岸警備隊の基地となった[146][17]。その当時、島の南端にある第二次世界大戦時代の建物はまだ大部分が残っていた[147]。沿岸警備隊はガバナーズ島でその活動統合を図り、この島を沿岸警備隊で最大の施設にした[147]。この島は大西洋地域司令部および同地域の第三管区司令部のための活動拠点として使用されていた[148]。1985年までに、島の人口は4,000人(家族は1,000世帯)になった[149]。そのほかギャラティン、モーゲンソー、ダラス[150][151]といった米国沿岸警備隊巡視船の母港でもあった[152]

沿岸警備隊は島の活動を7部門に分け[153]、ボートマリーナや世界初の捜索救助訓練学校の追加など様々な改善に着手した[154][155]。1972年までに、沿岸警備隊はガバナーズ島の南部に幾つかのアパート区画を開設しており[152]、その場所にあった第二次世界大戦時の仮設建造物に取って代わった。立て続く開発期間中も島の中心にあるゴルフコースと空き地は保存された[156]。リゲット・ホールは教室に改装され、他の歴史的建造物は保存および修復された[151]。沿岸警備隊員のコミュニティが島で発展するようになり、消防署や警察署、銀行、店舗、教会、小学校、映画館、モーテル、さらにはボーリング場やバーガーキングまでもやって来た[157][158][159]

米大統領ロナルド・レーガンと次期大統領ジョージ・ブッシュがソ連の指導者ミハイル・ゴルバチョフと会談した際の写真。1988年12月

この間、ガバナーズ島では注目すべき出来事が幾つか起こった。1986年のリバティ・ウィークエンド[注釈 4]に、ロナルド・レーガン大統領は自由の女神像 (ニューヨーク)修復完了での彫像再点灯式典のためこの島を訪れた[160][161]。1988年12月8日、レーガンと次期大統領ジョージ・ブッシュは、レーガン最後の米ソ首脳会談でソ連の指導者ミハイル・ゴルバチョフとこの島で会談した[162][163][164]。1993年7月、南側砲台(サウス・バッテリー)にて国連はハイチ政治指導者間の討議を開催し、そこでガバナーズ島合意が署名されるに至った[165][166][167]。沿岸警備隊の時代には2つのランドマーク指定も行われた。1985年2月4日、ガバナーズ島の92エーカー(37ha)部分がアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された[168][169]。1996年6月18日、ニューヨーク市歴史建造物保存委員会はガバナーズ島歴史地区を制定した[170]

沿岸警備隊の母体である米国運輸省は1995年にガバナーズ島の閉鎖基地を決定した。この移転は年間1億ドルを節約する一連の沿岸警備隊基地閉鎖の一部だった[171][157]。ガバナーズ島だけでも維持費が年間6,000万ドルになっていたのである[159]。1996年までに、沿岸警備隊は全ての機能と職員住居を事務所および基地に再移設したが、将来が決定するまでの期間に共通役務庁 (General Services Administrationと共同で島を維持する管理人は個別で残した[172]

他の連邦機関はこの島を管理したがらなかった[159]。1995年、基地の閉鎖を発表したビル・クリントン大統領は、ルドルフ・ジュリアーニ市長とジョージ・パタキ知事が公共活用のために島を保全することに同意できるのなら、1ドルでこの島を譲渡すると提案した[173]。当初ニューヨーク市はクリントンの提案受け入れには消極的だった、というのも同市にとってそれは経済的に有益ではなかったからである[174]

共通役務庁が2002年までにこの島を公正な市場価格で販売することを規定した1997年の均衡予算法 (Balanced Budget Act of 1997が可決された時、この問題はさらに深刻になった[175][176]。この島の売却で連邦政府に5億ドルが入ることも予想された[177]

再開発

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初期の提案

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沿岸警備隊基地閉鎖の発表とともに、当局と開発者が開発計画を提示し始めた[178]。ジュリアーニ市長はガバナーズ島にカジノとホテルの建設を検討した[179]。他の計画には島を博物館として保存する、公共の公園に変える、自由港を創設する、教育キャンパス、刑務所、遊園地、ゴルフ場、ナイトクラブ地区までも建設することを伴うものもあった[159][178][180]。1996年、ヴァン・アレン研究所 (Van Alen Instituteは「パブリック・プロパティ」と呼ばれるアイデアコンペを主催し、200件超の応募を集めた[181]。2000年、公共利用目的で島を維持することで市と州の間の合意に達した[176]。この間、連邦政府は年間2,000万ドルで島の維持を継続していた[182]

北東側を空撮。2009年

2001年1月19日、クリントン大統領はジェイ砦とウィリアムズ城を含む22エーカー(8.9ha)の地域をガバナーズ島国定史跡(ナショナル・モニュメント)に指定した。この史跡はアメリカ合衆国国立公園局によって管理されている[183]。その翌年、ガバナーズ島が公共財産になることが発表されたが、2002年のニューヨーク州知事選挙により島の移管が遅れた[184]。2003年1月31日、島の残り部分150エーカーならびに水中陸地32エーカーが「ごく僅かな金額(1ドルとも報じられている)」で売却され、市と州の合同機関であるガバナーズ島保護教育公社(GIPEC)の管理下に置かれた[182][185]。この移譲には、島での恒久的居住やカジノを禁止する行為制限が含まれていた[186][187]。この協定はまた、40エーカー(16ha)の土地を公園として使用し、他にも50エーカー(20ha)を「市民教育や文化教育」目的で使用しなければならないと規定していた[185]。実際、この活動制限がガバナーズ島における長期的開発の大半を妨げている[180]

再開発の進捗は遅かったが、2006年初頭に知事ジョージ・パタキと市長マイケル・ブルームバーグがガバナーズ島を保護するためのアイデアコンペを開始した[188]。この時期に、国立公園局とGIPECはガバナーズ島の一部で修復を開始した[189]。護岸修理やアスベスト除去など、島を公共用途に改造するための建設が主に必要とされた[188]。 2006年までに、GIPECは最初のテナント2つにリースを提供した[190]。2005年に一般公衆が島への来訪を初めて許可され、その年に8千人の訪問者がやって来た[180][191][192]。当初、ガバナーズ島は夏季の週末にだけ開放されていた。自転車とフェリーサービスは、来訪者を誘致するため無料になっていた[180]。美術展示は後に追加された[192]

再開発初期の取り組みと建設

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2007年半ばに、GIPECは5つの最終候補設計チーム(West 8、Diller Scofidio + Renfro、Rogers Marvel Architects、Quennell Rothschild&Partners、SMWM)を発表し[190][193]、最終的にWest 8がコンテストで優勝した[194][195][196]。この計画には、87エーカー(35ha)の空き地および島の南部にある歴史地区の復元と新たな公園造成が含まれていた[196]。人工の丘はWest 8による島の計画の一部で[197]、無料の自転車レンタルもあった[196][193][198]。この島は風が強かったため、West 8は一時避難所を提供できる地形を設計した[193]

計画の一部は実施されなかった。これらにはサンティアゴ・カラトラバ設計の空中ゴンドラや[199][193]、埋め立てを活用してマンハッタンをガバナーズ島に物理接続するというコロンビア大学の都市不動産センター(CURE)による提案などがあった[200]。2005年にウィリアムズ城をロンドンのグローブ座風の劇場に変える提案が建築家ノーマン・フォスターによって設計されたが、城のデザインに不適合と考えられた[201][202]。さらに2008年には、リバティ島エリス島の観光フェリーの警備および発券チェック場所を護岸からガバナーズ島に移し、毎年50万人の人々をガバナーズ島に追加するという計画もあったが実現しなかった[203]

ガバナーズ島のテナント数は増加し始めたが、2014年時点では1,000に満たなかった[186]。2009年、非営利団体が運営する3エーカー(1.2ha)の商業有機農場が始まった[204]。2010年、ブッシュウィック (ブルックリン区)にあった高校 (New York Harbor Schoolがガバナーズ島の建物550に移転した。また同年にロウアーマンハッタン文化評議会による運営の芸術スタジオがオープンして建物110の一部に収容された[205]

ガバナーズ島の古い建造物の解体は、2008年に遺棄されたモーテルの解体から始まった[206][207]。2010年4月、市が島の開発を管理し、GIPECはガバナーズ島トラストに引き継がれた[208][189]。市はまたガバナーズ島の歴史的な北端地区を保護し、島の中央と南部を公園として開発し、西部と東部を民間開発のために確保する新たな開発のマスタープランを発表した[208]。マイケル・ブルームバーグ市長の政権が建設の第一段階に資金供与した[209]。2012年5月24日から2億6,000万ドルの公園造成が始まり[210][211]、沿岸警備隊時代の軍事団地は解体された[212]

マスタープラン第一段階の一環として、新たなフェリー桟橋と待合施設でソワソン上陸地点が改修され、パレード広場は芝生スポーツ用に改修されたが、歴史地区の開発は踏みとどまった[209]。2013年、新しい飲料水接続と護岸の修理に着手した[186]。リゲット・テラスの中庭は、2014年にハンモック・グローブや新たな遊び場として造成された[186][213]。オイスター・パビリオンは2015年6月にオープンし[214]、2016年7月に公園10エーカー(4.0ha)のヒルズ区画がこれに続いた[215][216]。この島は年を追うごとに人気が高まった。2009年には27.5万人の訪問者を集め[217]、2018年には80万人超の訪問者が来訪した[180]

2016年9月、ガバナーズ島トラストとニューヨーク市経済開発公社 (New York City Economic Development Corporationは、ガバナーズ島を通年の目的地にするアイデアを展開させるべくオンライン調査を始めた[218][219][220]。2年後、市長ビル・デブラシオは、ガバナーズ島の再開発されていない残り部分を宿舎、オフィス、教育用に再区画する手順に公式着手した[180][221][222]。再区画提案は、ガバナーズ島を現状のまま維持することを望んでいた活動家からの反対を招いた[223]。 また2018年、市行政は3社にガバナーズ島での5G接続技術試験を依頼した。この事業が成功した場合、市行政はニューヨーク市における5Gのより広範な展開を追求することになる[224][225]。2019年10月、市役所側はこの島に気候変動研究センターを建設することを提案した[226][227]

2014年5月現在のガバナーズ島公式地図。これは観光客向けに渡される公式ビジター用地図で、著名な建造物の名称や番号が記されている。

地理

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現在、ガバナーズ島には172エーカー(70ha)の敷地がある[68]。約22エーカー(9ha)は国立公園局による運用で、残りはガバナーズ島トラストの管轄下にある[228]。この島はブルックリンの西約400ヤード(370m)、マンハッタンの南800ヤード(730 m)に位置する[229]。行政的にはマンハッタン区の一部で、マンハッタンのサウスフェリー周辺区画の郵便番号10004を有している[230]。ガバナーズ島には名前のついた通りが幾つかあり、その大半は島の北部にある。島全体が水辺を臨む遊歩道に囲まれている[231]

ガバナーズ島の形状は、概ね「コーン付きアイスクリーム」に似た形が特徴である[232]。島の北部69エーカー(28ha)が元々あった部分で「アイスクリーム」にあたり、人工的な南部103エーカー(42ha)が「コーン」にあたる箇所と説明することができよう(右の地図参照)[232][233]。機能的には、島は境界道路(Division Road)とリゲット・ホールによって二分され、国立公園局の運営する北側区画と南側区画の緑地を隔てている[234]。ガバナーズ島で最も高い自然点は島の北部にあるジェイ砦の基礎地点で、平均海抜+12mである。南部区画はかつて平均海抜+4.1mの低地だったが[233] 、2010年代以降に高さ7.9-21.3mの丘ができた[235]

著名な建造物

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城塞

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ウィリアムズ城

ニューヨーク港を保護するためにガバナーズ島に幾つかの城塞が建造された。これらは、マンハッタンの南端にあるクリントン城リバティ島のウッド砦、エリス島のギブソン砦と連携して機能した[236][237]。現存する城塞には1812年の米英戦争時に都市を保護する目的があった[238]

本来のガバナーズ島(北側)部分の中心にあるジェイ砦は、最古の1794年建造である[46][48]。それは島の最高地点に建てられ、斜堤が全方位で傾斜していた[239][240]。最初の城塞は劣化して1806年に取り替えられた[51][52][53]。ジェイ砦は本来ニューヨーク総督ジョン・ジェイにちなんで命名されたが[241]、再建後は1904年頃までコロンバス砦として知られていた[52][53][50]。オリジナルの斜堤と壁の多くを再利用して再建された砦は「銃100挺に適合するよう、石積みの稜堡4つを備えた五角形に囲まれた仕掛け」で構成され、当初は230人収容のレンガ造り兵舎もあった。ジェイ砦はその歴史の中で幾度も改修されており、現在の外観は主に1830年代の改修に基づくものである[241]。ジェイ砦の壁は砂岩と花崗岩でできており、北の壁には矢印形の三角堡がある。この城塞は現在干上がったに囲まれている[40][239][240]

ウィリアムズ城は1807年から1811年にかけて、当時は暗礁だった島の北西隅に建設された[51][53][54]米陸軍工兵隊の技師長ジョナサン・ウィリアムズにちなんで名付けられた[236]、高さ12m、直径64mの円筒形建造物である。壁は下から上に2.1-2.4mのテーパーとなっている。この建造物は4層構造で、各層にそれぞれ2基の大砲を収容可能な13の砲郭があり、合計で大砲104基を収容可能である[239][240][72]。砦の南側にあった2つの内部構造物は1900年に移設された[239]

南側砲台(サウス・バッテリー)または半月砲台と呼ばれる3番目の建造物は、バターミルク水路に近い当初の島の南東隅にあり、米英戦争以前に建てられたものである[41][55][56]。矢型をした南側砲台には欄干にバーベット砲13門が装着され、バターミルクチャンネル水路に対面しており、内部には兵舎もあった[239][242]。その後、1878年までは将校の会食やカトリック礼拝堂として、1880年代までは軍法会議室として、1904年の改修後は娯楽施設として活用された[243][244][242]。1930年代以降、サウス・バッテリーは将校クラブとしても活用された[239][242]

見晴らしの良い景色

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北側部分

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マンハッタン方向を臨んだ写真で、ジェイ砦の斜堤(左)と兵舎(右)がある。

歴史的なガバナーズ島北部には4つの開けた景色がある[231][245] 。最大のものはジェイ砦の斜堤で、砦の全方位から下り坂という木のない芝生地帯である[239][240]。この斜堤がジェイ砦の壁と斜面底の堀との間に緩衝地帯を作った[245]。この斜堤には、ポロの競技場とガバナーズ島ゴルフコースがあった[117][119]

ジェイ砦の南東にあるノーラン・パークは、将校の宿舎と管理用建物に囲まれた並木道がある台形の地帯である。この公園の東側境界はエリア南端に向かって南西に湾曲しているが、西と北側の境界は互いにほぼ直交している[234][246][247]。ノーラン・パークの現在の配置は1870年代にさかのぼり[66][246]、1933年から1936年にかけて第1陸軍の指揮官だったデニス・E・ノーラン少将にちなんで名付けられた[245]。以前はこの場所に野外音楽堂があった[247][248]

ガバナーズ島のパレード広場はノーラン・パークのすぐ西でジェイ砦の南にあり、約5.3haの広さがある[249]。パレード広場はジェイ砦から水辺の南に向かって下り坂となっていて、1本の歩行者専用道がパレード広場を貫いている[250]。そこは軍事訓練場およびウィリアムズ城に捕らえられた虜囚の処刑場として使用された[245]。以前はゴルフコースがこのパレード広場内にも伸びていて[119][250]、コースの残骸が今でも残っている[250]

4番目の開けた風景はクレイトン道路とヘイ道路の間の三角地帯で[246]、コロネルズ・ロウ・パーク やビレッジ・グリーンとしても知られ、ジェイ砦の南西かつリゲット・ホールの北東に位置している[234]。20世紀初頭に造成されたもので、島当初の南西海岸線を形成する東のヘイ道路、南西のクレイトン道路とリゲット・ホールとの間でくさび形をなしている[246]

南側部分

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ガバナーズ島の南側にあるリゲット・テラス

ガバナーズ島の南側部分には12ha超に及ぶ公園がある[251]。公園の北端にはハンモック・グローブという60種以上の樹木が生息する緩やかな丘陵の造園地帯がある。この木立の丘は平均海抜が8.2mあり、洪水を防いでいる[252]。木立自体は4.0haで50個のハンモックがある[213]。すぐ西側に5.7haの芝生地帯(Play Lawn)があり、野球で使える芝生場が2面ある[213][253]。ガバナーズ島のこの箇所の経路は蛇行しており、フレデリック・ロー・オルムステッド設計のセントラル・パークプロスペクト・パークに似た様式で、曲がりくねった道が人里離れた雰囲気を強めている[254]

この公園の南端にはガバナーズ島の「ヒルズ」区画が4haを占めている。ヒルズは、かつて島にあった高層住宅の瓦礫で作られた4つの丘(高さ7.9-21.3m)で構成されている[235][215][216]。標高の低いものから、芝生の丘(Grassy Hill,7.9m)、独自の芸術作品が置かれている発見の丘(Discovery Hill,12m)[215]、長い4つの滑り台がある滑り台の丘(Slide Hill,12m)[216][253]、ニューヨーク港を臨む展望場所がある見晴らしの丘(Outlook Hill,21.3m)[215][254]がある。このヒルズには41,000本を超える低木と新たに植栽した樹木860本がある[215]。ヒルズの造成費用は7000万ドルで、うち1500万ドルの資金供与はGoogleの元CEOエリック・シュミットによる寄付だった[191]

ガバナーズ島の最南端にはピクニック地点がある[231]。この場所には水辺付近にレストランや食事用テーブルがある[255]

その他の建造物

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1996年に沿岸警備隊がガバナーズ島を放棄した時、1917年以前に建てられた建物が49棟あってその大半は島の北部にあり、1917年以降の建物121棟は大半が南部にあった。南部は主に住宅用と工業用だが、北部は多目的で使われていた。島は比較的低密度で広大な空き地があった[256]

住居

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ノーラン・パークにあるレンガ造りの家 (Block House (Governors Island)

ガバナーズ島には低層の将校住宅の集落が幾つかあり、現在は大半が空き家だが、一部の建物は展示や管理目的で使用されている。島の歴史的な北部にある2つの最大住居区画は、大佐の家が並ぶコロネルズ・ロウ(建物403-410)[234][257][258]およびノーラン・パーク周辺(建物1-20)[234][95][247]の建物群である。

ノーラン・パークには、それ自体に歴史的建造物が幾つかある[95][247]。1843年に建てられたコロニアル・リヴァイヴァル様式2階建てのレンガ造りの建物[259][247][260]、アドミラルズ・ハウスないし司令官宿舎(建物1)はアメリカ合衆国国家歴史登録財および市の指定建造物として別記載されている[261][262]。北側には、1805-1813年頃に建てられたジョージアン様式2階建てのレンガ造りの家、ガバナーズ・ハウス(建物2)がある[259][247][263]。ノーランパーク南東の角には、1843年に建てられたグリーク・リヴァイヴァル様式2階建ての建物ブロックハウス(建物9)があり、これは当初は駐屯地病院として使用され、後に軍執行機関や将校宿舎として使用された[264][265][266]。建物3-5(1850年代建造)、建物6-11と建物14-18(1878-1879年建造)、建物19-20(1890年代建造)はいずれも2個中隊の将校宿舎としての役目を果たした[267][265]。建物12はジョージアン・リバイバル様式3階建てのレンガ造り団地で、1928年または1931年に第16歩兵連隊を収容するために建設された[259][268][265]

コロネルズ・ロウの東側には将校8名の個人的宿舎があり[257][258]、これは当初ヘイズ道路の南西にある元々の海岸線に面していた[68][269][270]。最初に建造された建物405-408は、同じマスター計画に従って設計され、1893-1895年に2世帯住宅として建設された[258][271][269]。同一計画で、これに1904-1906年に建物403-404の建造が続いた[258][271][270]。コロニアル・リヴァイヴァル構造の中2階がある建物409は独身士官宿舎として設計され、1910年に完成した[258][271][272]、一方で建物410は将校の二世帯宿舎として1917年に建設されたもので、島で唯一となるアーツ・アンド・クラフツ改造設計の建造物である[258][271][273]

建物550、現在は高等学校 (New York Harbor School

コロネルズ・ロウの南西側には、ガバナーズ島のほぼ全幅にまたがる3-4階建ての兵舎リゲット・ホール(建物400)があり、長さ312mに及ぶ本館のほか南に伸びる69mの翼棟が2つある。1930年に第16歩兵連隊用に最初に建てられ、完成当時は世界最大の軍事兵舎の1つで、連隊丸ごとの収容を意図した陸軍最初の建造物だった。この建物には1階と2階を隔てる1階アーケード (建築物)があるほか、南東部に別館がある[274][271][275]。ほぼ同様のジョージアン・リバイバル様式の2つの建造物、北の建物550(現:ニューヨーク・ハーバースクール)と南の建物333がリゲット・ホールに隣接している。 3階建ての建物はどちらもU字型で、前庭が翼棟で囲まれている。 これらは、沿岸警備隊が教室として使用する前に第一陸軍の派遣隊住宅として1932年に建設された[242][276][277]。近くには、1940年に建てられた第16連隊の家族用のほぼ同一な小型の中3階住居が二棟(北が建物555、水辺に近い南が建物315)ある[242][278][277]

ガバナーズ島の北側には他にも幾つかの住宅がある。建物111と112は島の東側にある3階建てのネオジョージア様式の建物二棟で、ロジャーズ&プアー社の設計により1934年に建設された。これらは第16連隊の将校宿舎として機能し、リゲット・ホールが満員になると追加で将校を収容した[279][280][281]。ジェイ砦の内部には、202、206、210、214番という4つの建物があって、これらは砦に兵士を収容したグリーク・リバイバル様式の兵舎とほぼ同じだった[282][283][281][284]

島の北側で西側のウィリアムズ城と東側のソアソンズ桟橋の間には、フォート砦看護師宿舎(建物114)というロジャース&プアーによって設計されたネオジョージア様式中二階建てのレンガとコンクリートの建物があり、これは後に独身士官の宿舎にもなった[285][280][281]。建物135という1835年に建てられた北東の水辺沿いにある以前の倉庫も、将校の宿舎だった[240][286]

以前は、ガバナーズ島の南半分に最大で11階建ての集合住宅区画があった[234]。各戸2-5の寝室を備えた合計594のアパートがあり、3つのアパート団地が広がっていた。島北側の住宅とは異なり、これらの建造物は歴史的に保護されなかった[256]。これら建造物のうち最大規模となる11階建て165室のカニンガムアパート(建物877)は島の北側にあった。1968年に建造され、2013年に崩落した[287][288][289]

宗教施設

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聖コルネリウスの聖公会礼拝堂

ガバナーズ島での宗教実践は礼拝堂が初めて開設された1846年にまでさかのぼる[70][71][72]。その後ガバナーズ島には3つの礼拝所が建てられた[69]。ノーランパークの南部にある2階建ての聖コルネリウス・センチュリオン礼拝堂(建物13)は、チャールズ・C・ハイトによる設計で1907年に建てられ、1846年の古い礼拝堂と置き換わった[95][96][69]

礼拝堂の歴史を通じて、従軍牧師は幾つかの異なる団体(陸軍、沿岸警備隊、トリニティ教会)により割り当てられてきた[290]。維持は1986年までトリニティ教会によって行われ、沿岸警備隊が島に残る場合にはトリニティ教会が維持管理業務を再開することを条件に、沿岸警備隊にその任務を移譲した[291][290]

海の星の聖母(Our Lady, Star of the Sea)と呼ばれるカトリック教会が1942年に建てられた[69][292]。1階建ての下見板張り建造物はガバナーズ島北岸にある[293][292]

Congregation Shaare Shomayim[294]を収容するシナゴーグはS-40として知られる建物内で1960年に設立された。島の東岸にある1階建ての下見板張りの建物は、当初は保管庫として使われていた「仮設」建築だった[295][296]

事務所と保管庫

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工廠の一部として建てられた建物が幾つかあるも、住宅としては使用されておらず、代わりに事務所や保管庫として利用されている。これらには、当初から倉庫として使用されていた建物104と107、武器庫および事務所として使用される翼棟二つ付きの建物105、需品係将校の補給廠や倉庫として使用された110などがある。全てが1850年代から1870年代にかけてレンガで建てられた[280][297][133]。建物106(ポンプ室)そして108と109(事務所)は1940年代に他の構造と同じ様式で建造されたが、建物109は1918年に建てられた木造建築と置き換わった[298][133]。パーシング・ホール(建物125)は、北の水辺にある建物107と108の北側にある3階建てのレンガ造りの建物で、1934年に建設された時に第1陸軍の本部として機能した[299][247]

この水辺には、もともと工廠の作業場である建物130のほか沿岸警備隊ニューヨーク支局の事務所を担っていた近代的な建物134など、幾つかの建造物がある[240][286][133]

ガバナーズ島には様々な様式の小型車用車庫も幾つかある。これら車庫の大半は1930年代と1940年代に建てられた[300][301][284]

使役建造物

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建物515こと駐屯地病院

島の北西側にある以前は駐屯地病院だった建物515は、後年になって入隊した士官たちの住宅として活用された。3階建てのレンガと石灰岩の建物は、マッキム、ミード&ホワイトによるネオジョージアン様式の設計で1935年に建設された[302][303][100]。近くにはタンパ記念図書館(建物S-251)があり、1階建ての長方形の木造建築である。1908年に建設されて当初は倉庫として機能し、1918年に巡視カッター船のタンパ号が沈没した後に改名された[304][305]

パレード広場の南にある砲台(サウス・バッテリー)周辺一帯には、以前の使役建造物が幾つかある。水辺に近い1階建てのレンガ造りの建物301には、PS26という小学校が入っていた。元々は1934年に建てられたが、1959-1960年に翼棟が2つ追加された[306][240][244]。 西側には建物324があり、1926年に陸軍のキリスト教青年会(YMCA)として建設された[275][307][244]。1937-1939年に建てられた700席の2階建て劇場である戦争省劇場(建物330)は、YMCAの西側にありガバナーズ島の南部に面している[275][308][244]

かつてサウス・バッテリー付近にあったのが建物293こと以前のガバナーズ島ゲストハウスでSuper8というモーテルだった[309]。中1階があるレンガ造りの建物は、元々は1871-1872年に建てられた宿舎だった[305][310][283]。放棄されたモーテルは、パレード広場を拡大するために2007-2008年に解体された[92][207]。ガバナーズ島の南部には、バーガーキングとボーリング場が入居していた建物785があった[311]

記念碑

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ブロンズ銘板を設置した記念碑は、建物406と407の間に石の装飾が施された記念碑的なレンガ製ベンチがあり、1938年に公共事業促進局によって建てられた[100][312][313]。当初1954年にリゲットホールの南に建てられたアーリー・バード記念碑は、ライト兄弟によるこの島での初飛行を記念したもので、彼らの飛行機プロペラのブロンズ鋳像である[99][100][312][314]

運営

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管理

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ガバナーズ島国定史跡内にある、国立公園局によって設置された場所説明の情報パネル。

島を維持管理するために、ニューヨーク港国立公園保護局、ガバナーズ島トラスト、ガバナーズ島の友、という3つの組織が連携作業している[315]

ニューヨーク港国立公園保護局

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ニューヨーク港国立公園管理局 (National Parks of New York Harbor ConservancyNPO法人の501(c)(3)団体で、ガバナーズ島ナショナル・モニュメントの管理責任を有する機関である。ニューヨーク港国立公園局(国立公園局支部)との官民連携で作業しており、同組織の公式な非営利パートナーである[315][316]。2003年に組織された保護局は、国立公園局が独自のツアー運営を法的に禁止されているとの理由から設立された[317]

ガバナーズ島トラスト

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ガバナーズ島トラスト(法的にはガバナーズ島コーポレーション)は、島の残り地域の再開発の管理責任を負うニューヨーク市行政のNPO法人である[315][318]。その前身となるガバナーズ島保護教育公社(Governors Island Preservation and Education Corporation,GIPEC)は、ガバナーズ島が自治体に売却された際の2003年に設立された。当時、GIPECは市と州との共同連携だった[182][185]。2010年4月、この島の開発をニューヨーク州から市が全面的に管理することで合意に達した[208]。そこでGIPECは解散となり、ガバナーズ島トラストによって受け継がれる形となった[315][189]

ガバナーズ島の友

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ガバナーズ島の友(Friends of Governors Island)は、この島の運営および計画を管理する民間のNPO法人である[315][319]。沿岸警備隊が島を空けるとの決定を受けて、1995年にガバナーズ島同盟(Governors Island Alliance)として設立された。この同盟および50の加盟団体が、島を公共の目的でニューヨークに戻すキャンペーンを主導した。2014年以降この同盟が独立した非営利団体となり、2016年に「ガバナーズ島の友」と改称された。友の会はボランティア等の計画を運営し、島のために募金活動や提案をおこなっている[319]

職業犬

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ガバナーズ島はカナダガンを島から追い出すために職業犬を雇っている。職業犬は、ニューヨーク港を通って移動するカナダガンの大群に対する人道的な厄介払いをしている[320]。犬での計画が始まる2015年以前は、ラジコンカーストロボライト、特殊レーザーを使ってガンを追い立てる試みが全て失敗していた[320]。島からガンを追い払うのは、大量の鳥糞が残らないようにする有効な手立てとなっている。カナダガンは営巣期に敵対的になることが知られているため、この大群を島から遠ざけることが他の鳥種および来訪者の両方を保護するのに有効である。職業犬計画は農場犬としては良い成績が出なかったボーダー・コリーが生んだ犬を採用して2015年1月に始まった[320]

2019年時点で、ガバナーズ島の職業犬チームは4匹の犬(名前はマックス、クイン、チップ、アスペン)で構成されている[321][322]。この犬達はソーシャルメディアで人気があり[322]、ガンを追い立てる職務に加えて、ガバナーズ島観光客を迎える大使の務めも果たしている[320]

各種活動

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ヒルズから北側を見たところ。奥にあるのはロウアーマンハッタンの高層ビル群

この島での体験活動には、国立公園局の無料散歩ツアー、サイクリング、ピクニック、インスタレーション芸術、展示会、ドローンレース、お祭り、コンサート等がある[323]。境界道路(Division Road)が元々あった島の北部と人工的な南部を区分けしている[234]。北半分はガバナーズ島ナショナル・モニュメントとして開放されている。南半分にはガバナーズ島の友が運営する公園があるが、最東端の区画は一般非公開である[231]

娯楽体験

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ガバナーズ島では様々な無料の娯楽体験が実施されている。ノーラン・パーク周辺の家では文化教育用の展示があり、コロネルズ・ロウでは期間限定の美術展示が開かれる[323][324]

ダウンタウン・ボートハウスは101番埠頭で無料のカヤック教室を開催している[325][326][327]。さらに、国立公園局が運営する散歩ツアーとガバナーズ島の歴史的建造物をガイド無しで巡るツアーが幾つかある[255][323]。その他公共の催し物や展示会も利用可能であり[328]、ザ・ヤード(The Yard)[328][329] と呼ばれる冒険遊び場や、堆肥学習センター(Compost Learning Center)[323][328]と呼ばれる堆肥場がある。

一部の体験活動では追加料金が必要となる。例えば、ガバナーズ島の冒険(Adventures at Governors Island)は島の南部区画にある未開発な西側でジップラインロッククライミングのコースを提供している[323][330][331]。他にもこの島で行われる有料体験活動としては、豪華なキャンプこと「グランピング」が2018年に始まって7月から11月まで営業している。利用客は、毎日島が一般開放される3時間前から島を利用することが可能で、払う値段に応じたグレードの宿泊や体験が提供される[332][333]。島全体を巡るために、ブレイジング・サドル(Blazing Saddles)が自転車や三輪自転車の貸し出しをしており、島にはシティバイク (Citi Bikeの自転車共有ステーションも3つある[323][334]

イベント

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扮装イベント(Jazz Age Lawn Party)

ガバナーズ島芸術祭 (Governors Island Art Fairが、2007年より毎年9月の週末に島で開催されている。元々はコロネルズ・ロウの建物で行われていたこのイベントは、ウィリアムズ城とジェイ砦を芸術会場に含むほど大きくなっている[335][336]。コンサートも行われており、例えばRite of Summer Festivalという一連の無料コンサートが、2011年よりこの島で夏季を通して開催されている[337][338][323]禁酒法時代の扮装イベントである2日間のJazz Age Lawn Partyも島で開催される[323][339]

過去の集客には、Goverthingと呼ばれるオランダのお祭り(2009)[340][341]や19世紀から20世紀の乗り物を集めたフランスのカーニバル(2013)[180][342][343]などもあった。以前は大規模なコンサートも幾度かガバナーズ島で開催されていた。例えば2011年開催のガバナーズボール音楽祭 (Governors Ball Music Festivalがあるが、これは翌シーズンにランドールズ島へと移った[180]

公共交通

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2019年時点で、ガバナーズ島は5月初頭から10月末まで週7日開放されている。営業期間中、ガバナーズ島は毎日午前10時に開放され、通常は午後6時または7時(金曜と土曜の夜は時間延長)まで営業している[344]。2015年まで、ガバナーズ島には夏季の週末のみ公共交通があり、コンサートを除けば夜間開放されることは滅多に無かった[180]

歴史

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最初のガバナーズ島への公共就航サービスは1794年に始まり、島まで手漕ぎボートを運航する営業許可がジョン・ヒリアー(John Hillyer)に与えられ、1人あたり3セントの運賃が徴収された[345][346]。乗船者が増加するにつれて陸軍が営業許可を引き継ぎ、サウス・フェリー (マンハッタン)や砲列台(バッテリー)から運航を行なった[45][347]。現在のクリントン城南側にあるバッテリーにおける最初の出航記録は1854年のことで、当時は2艘のがあり最大収容人数はそれぞれ12名だった[347][69]。1844年に蒸気船での試運航が始まり、1879年までに以前の艀に取って代わった[45][69]。乗船客の多くは、ガバナーズ島にあるニューヨーク工廠の従業員だった[64]。島への往来に15セントの運賃を請求していた「醜い小さな曳船」は、1879年までに蒸気船へと置き換えられた[348]

1897年頃、島で増えてきた陸軍の存在に対応するためフェリー運航の全面的見直しが発表された[349]。1925年から1929年に、乗客823名と車両21台を収容できる新しいフェリーボート3隻が追加された。1956年にこれらの2隻が乗客1,100名と車両32台を収容できる大型船舶に置き換えられた[350]

マンハッタンからの公共フェリー交通は2005年に始まり、当時このフェリーは週末に無料だった[351]。2010年より、ガバナーズ島とブルックリン橋公園の6番埠頭を結ぶ週末のフェリー運航が開始された[352]。2011年6月、NYウォーターウェイ (NY Waterwayはイースト川沿いの場所への運航を開始した[353]。2017年5月1日、そのルートがNYCフェリー (NYC Ferryのイースト川ルートの一部になった[354][355]。2019年、大量の乗客を見込んで400人乗りの新しい船舶が納入された。同年、NYCフェリーはウォール街11番埠頭からガバナーズ島へ向かう週末限定のシャトル船を追加し、島へ向かうイースト川および南ブルックリン運航と置き換えた[356]

現在の運航

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ヤンキー桟橋に着いたフェリー。

ガバナーズ島には、ソワソン上陸地(Soissons Landing) とヤンキー桟橋(Yankee Pier)という2か所のフェリー接岸地点がある。

フェリーはここからマンハッタンにあるバッテリー・マリタイム・ビルディングの7番停泊所までを往来する[357]。乗船時間は約7分である[358]。これらのフェリーはガバナーズ島トラストによって運営されており、島が開放されている時期は毎日運航している[323][359]

夏季の週末は、島の南東側にあるヤンキー桟橋へのフェリーも運航している。ヤンキー桟橋には2つのフェリールートがある。1つはトラストによる運営で、ブルックリン橋公園6番埠頭までの往来[356][359]。もう1つのルートがNYCフェリーによる運営のフィナンシャル・ディストリクト (マンハッタン)にあるウォール街11番埠頭への往来で、そこで他6つのNYCフェリールートと合流する[356][359][360]。ヤンキー桟橋のフェリールートはどちらも公園が開放されている週末だけの運航である[323][359]

トラスト運営のフェリーは30分に1便で、2019年時点で1人あたり往復3ドルの料金がかかる。マンハッタン行きのフェリーは週7日運航されるが、ブルックリン行きのフェリーは週末だけ運航される[323][359]。NYCフェリーの運航は30分ごとに行われ[360]、片道の運賃で2.75ドルかかるが、別ルートへの乗り換え1回が無料になる[361][362]

ソワソン上陸地にある現在の桟橋は1947年に建てられ、第一次世界大戦中のソワソンの戦い(第16歩兵連隊の半数以上が戦死した)を追悼して名がつけられた[363]。1917年に建てられたレンガ造りの待合室(建物148)が西側にある[364][365]

ゆかりの著名人

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関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ このほかPagganckやPagganackといった表記ゆれも見られる[6][7][8]:9
  2. ^ 同鉄道は、あくまで最も短いと「呼ばれていただけ」に過ぎない。既に1901年に米ロサンゼルスで開業していたエンジェルス・フライト (Angels Flightが、営業距離91mで世界一短い鉄道(ケーブル鉄道)である[105]
  3. ^ 将校およびその家族同士が親睦、互助を深めるための社交場のこと。日本の例だと「偕行社」などが将校クラブに相当する。
  4. ^ 自由の女神像 (ニューヨーク)完成から100周年と、100周年を迎えるための修復作業完了を祝う、1986年7月3日-6日のことを指す。詳細は英語版en:Liberty Weekendを参照。

出典

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参考文献

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外部リンク

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それ以外のサイト

座標: 北緯40度41分20.3705秒 西経74度1分8.5033秒 / 北緯40.688991806度 西経74.019028694度 / 40.688991806; -74.019028694